大東亜戦争は戦う必要のない、無謀な戦いでした。しかし、そのなかで、アジアの解放を目指し、アジア民族のために尽くした日本人がいたことを、私たちは記憶にとどめるべきでしょう。
今や世界最大の民主主義国といわれるインド。その国が、長い英国の支配から独立できた陰には、日本人の協力があったと今もインドの人々から感謝されています。
藤原岩市少佐は、昭和16年9月、日米交渉が難航し、米英との戦争が避けがたい状況に陥った時、特務命令を受けました。命令は、マレー半島の英国軍の中核をなすインド兵に対して、投降工作を行い、インド独立の基盤をつくることでした。彼が率いる特務機関は、「F機関(藤原機関)」と呼ばれました。
12月8日、大東亜戦争が開戦されるや、日本軍は破竹の勢いでマレー半島を南下しました。そこに英国軍の一大隊が、退路を断たれ、孤立しているとの情報が入りました。英国人は大隊長だけで、中隊長以下は、すべてインド人でした。
この時、藤原少佐は一切武器を持たずに、この大隊を訪れました。そして、大隊長と会って全隊を投降させることに成功しました。少佐は、約200名のインド人投降兵の身柄を預かりました。この中に、後にインド国民軍を創設したモハン・シン大尉がいたのでした。
英国人はインド人を奴隷視・家畜視し、彼らと食事を共にすることなどありませんでした。しかし、藤原少佐は、インド兵たちとともに、インド料理を手づかみで食べました。これには、インド人もビックリ。日本人は、彼らを同じ人間として扱ったのです。彼らの心をつかんだ藤原少佐は、モハン・シン大尉を説得しました。この戦争こそ欧米の支配からアジアが独立する絶好の機会だ、インド人自身によるインド国民軍を創設すべきだ、と。
昭和16年12月末に発足したインド国民軍は、各地で英国軍内のインド兵を説得して、増員していきました。シンガポール陥落時には、数万人規模にもなりました。
インド独立の志士スバス・チャンドラ・ボースは、当時、弾圧を逃れてドイツにいました。機を見たボースは18年5月、日本政府からインド独立への支援の約束をとりつけ、シンガポールに入りました。そして、インド国民軍総帥の地位につき、自由インド仮政府を樹立して、英米に宣戦布告を発しました。
激戦で名高いインパール作戦は、ボースにとって、すべてをかけた戦いでした。「チャロー・デリー!」(征け、デリーへ)が合い言葉でした。北ビルマからインド東部に進攻し、国内の独立活動を活発化させて、英国の支配者を駆逐しようとしました。しかし、結果は大惨敗。死者は3万人にものぼり、インド国民軍も8千人の犠牲者を出しました。彼我数倍の兵力差と雨期にたたられ、物資補給が途絶えたことが、主な敗因でした。しかし、インパール作戦は、これをきっかけに、インド独立の気運が高まった歴史的な戦いでした。
昭和20年8月の日本敗戦の後、英国はインド国民軍の約2万名を、反逆罪で軍事裁判にかけようとしました。しかし、ガンディー、ネルーらの国民会議派は、「インド国民軍将兵は、インド独立のために戦った愛国者である」と反発し、反英運動を繰り広げました。そして2年間にわたる弾圧をはね返し、インド人は自らの手で独立を勝ち取ったのです。
戦後インドは、日本に対して大変友好的な態度を取っています。インド政府は戦争賠償の請求を放棄し、また東京裁判ではインド代表パール判事が「日本無罪論」を唱えました。パール判事を日本に送ったネルー首相は、日本が独立を回復すると、日本の国連加入を支援してくれました。
インド独立の道を切り開いた藤原少佐らは、「インドの独立は、日本のお陰で30年早まった」と、インドの人々から感謝されています。その感謝は、現在も絶えることがありません。平成10年(1998)、インド国民軍(INA)全国委員会は、靖国神社に感謝状を奉納しました。そこには「インド国民は日本帝国陸軍がインドの大義のために払った崇高な犠牲を、永久に忘れません。インドの独立は日本帝国陸軍によってもたらされました。ここに日印両国の絆がいっそう強められることを祈念します」と書かれてあります。
私たちは、誤った戦争であったとはいえ、大東亜戦争において、被抑圧民族のために尽くした日本人がいたことを心に留め、英霊の安らかならんことを祈りたいと思います。
インドは、世界で最も親日的な国の一つです。それはインド独立のために尽くした日本人がいたからです。インドは、IT革命の先端を行き、21世紀中半には経済力で中国を抜くかもしれないというほどの潜在力を持っています。反日的な政策をとる国のことばかり意識するのでなく、日本を愛し、日本に感謝している国々を大切にし、関係を深めていくという外交も必要でしょう。
参考資料
・西岡香織著『アジアの独立と大東亜戦争』(芙蓉書房出版)
・加瀬英明著『日本は国の柱を取り戻せ』(『漁火』平成12年10月1日号 経営者漁火会)
次回に続く。
************* 著書のご案内 ****************
『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/d4dac1aadbac9b22a290a449a4adb3a1
『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『細川一彦著作集(CD)』(細川一彦事務所)
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今や世界最大の民主主義国といわれるインド。その国が、長い英国の支配から独立できた陰には、日本人の協力があったと今もインドの人々から感謝されています。
藤原岩市少佐は、昭和16年9月、日米交渉が難航し、米英との戦争が避けがたい状況に陥った時、特務命令を受けました。命令は、マレー半島の英国軍の中核をなすインド兵に対して、投降工作を行い、インド独立の基盤をつくることでした。彼が率いる特務機関は、「F機関(藤原機関)」と呼ばれました。
12月8日、大東亜戦争が開戦されるや、日本軍は破竹の勢いでマレー半島を南下しました。そこに英国軍の一大隊が、退路を断たれ、孤立しているとの情報が入りました。英国人は大隊長だけで、中隊長以下は、すべてインド人でした。
この時、藤原少佐は一切武器を持たずに、この大隊を訪れました。そして、大隊長と会って全隊を投降させることに成功しました。少佐は、約200名のインド人投降兵の身柄を預かりました。この中に、後にインド国民軍を創設したモハン・シン大尉がいたのでした。
英国人はインド人を奴隷視・家畜視し、彼らと食事を共にすることなどありませんでした。しかし、藤原少佐は、インド兵たちとともに、インド料理を手づかみで食べました。これには、インド人もビックリ。日本人は、彼らを同じ人間として扱ったのです。彼らの心をつかんだ藤原少佐は、モハン・シン大尉を説得しました。この戦争こそ欧米の支配からアジアが独立する絶好の機会だ、インド人自身によるインド国民軍を創設すべきだ、と。
昭和16年12月末に発足したインド国民軍は、各地で英国軍内のインド兵を説得して、増員していきました。シンガポール陥落時には、数万人規模にもなりました。
インド独立の志士スバス・チャンドラ・ボースは、当時、弾圧を逃れてドイツにいました。機を見たボースは18年5月、日本政府からインド独立への支援の約束をとりつけ、シンガポールに入りました。そして、インド国民軍総帥の地位につき、自由インド仮政府を樹立して、英米に宣戦布告を発しました。
激戦で名高いインパール作戦は、ボースにとって、すべてをかけた戦いでした。「チャロー・デリー!」(征け、デリーへ)が合い言葉でした。北ビルマからインド東部に進攻し、国内の独立活動を活発化させて、英国の支配者を駆逐しようとしました。しかし、結果は大惨敗。死者は3万人にものぼり、インド国民軍も8千人の犠牲者を出しました。彼我数倍の兵力差と雨期にたたられ、物資補給が途絶えたことが、主な敗因でした。しかし、インパール作戦は、これをきっかけに、インド独立の気運が高まった歴史的な戦いでした。
昭和20年8月の日本敗戦の後、英国はインド国民軍の約2万名を、反逆罪で軍事裁判にかけようとしました。しかし、ガンディー、ネルーらの国民会議派は、「インド国民軍将兵は、インド独立のために戦った愛国者である」と反発し、反英運動を繰り広げました。そして2年間にわたる弾圧をはね返し、インド人は自らの手で独立を勝ち取ったのです。
戦後インドは、日本に対して大変友好的な態度を取っています。インド政府は戦争賠償の請求を放棄し、また東京裁判ではインド代表パール判事が「日本無罪論」を唱えました。パール判事を日本に送ったネルー首相は、日本が独立を回復すると、日本の国連加入を支援してくれました。
インド独立の道を切り開いた藤原少佐らは、「インドの独立は、日本のお陰で30年早まった」と、インドの人々から感謝されています。その感謝は、現在も絶えることがありません。平成10年(1998)、インド国民軍(INA)全国委員会は、靖国神社に感謝状を奉納しました。そこには「インド国民は日本帝国陸軍がインドの大義のために払った崇高な犠牲を、永久に忘れません。インドの独立は日本帝国陸軍によってもたらされました。ここに日印両国の絆がいっそう強められることを祈念します」と書かれてあります。
私たちは、誤った戦争であったとはいえ、大東亜戦争において、被抑圧民族のために尽くした日本人がいたことを心に留め、英霊の安らかならんことを祈りたいと思います。
インドは、世界で最も親日的な国の一つです。それはインド独立のために尽くした日本人がいたからです。インドは、IT革命の先端を行き、21世紀中半には経済力で中国を抜くかもしれないというほどの潜在力を持っています。反日的な政策をとる国のことばかり意識するのでなく、日本を愛し、日本に感謝している国々を大切にし、関係を深めていくという外交も必要でしょう。
参考資料
・西岡香織著『アジアの独立と大東亜戦争』(芙蓉書房出版)
・加瀬英明著『日本は国の柱を取り戻せ』(『漁火』平成12年10月1日号 経営者漁火会)
次回に続く。
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『超宗教の時代の宗教概論』(星雲社)
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『人類を導く日本精神~新しい文明への飛躍』(星雲社)
https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/cc682724c63c58d608c99ea4ddca44e0
『細川一彦著作集(CD)』(細川一彦事務所)
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