ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

日本の心152~パール博士は「日本人よ、日本に帰れ」と訴えた

2022-08-04 10:53:18 | 日本精神
 ラビダノード・パール博士は、インドが生んだ偉大な国際法学者です。戦後、インドの首相となったジャワーハルラール・ネルーは、東京裁判のインド代表判事にパール博士を任命しました。パール博士は、親友であるネルーの懇請と期待に応えてカルカッタ大学の副総長を辞任し、来日しました。
 東京に来たパール博士は、宿舎のホテルの周りが、一面焼け野原になっていることに呆然としました。博士は、アメリカが東京に空襲を行い、国際法に反して、多数の一般市民を虐殺した「東京大虐殺」の実態を目の当たりにしたのです。博士は、この戦争の真相を求めることに没頭しました。
 東京裁判は、検事も判事も全部が戦勝国側で占められ、日本にはまともな弁護もさせないという一方的で不公平な裁判でした。遅れて判事団に加わったパール博士は、起訴状の矛盾を見ぬき、東京裁判の不当性を徹底的に追及しました。そして、国際法の法理に基いた厳密な考証を行い、敢然として、日本のA級被告全員に無罪の判決を下しました。博士は、東京裁判について「法律にも正義にも基づかない裁判である」「法律的外観はまとっているが、本質的には執念深い報復の追跡である」と結論しました。
 博士の堂々とした論理と該博な知識は、国際法学会での博士の名声を高めました。その後、博士は、インドの最高栄誉であるPADHMA・RRI勲章を授与されたり、ジュネーブにある国連司法委員会の議長にも就任するなど、非常な尊敬を受けたのでした。
 わが国では、パール博士の判決はアジア人として民族的に偏向した極端な所説だといった見方が一部にありますが、博士は次のように明言しています。
 「私は日本の同情者として判決を下したのでもなく、またこれ裁いた欧米等の反対者として裁定を下したものでもない。真実を真実として認め、法の真理を適用したまでである」
 東京裁判の判事の中で、パールと共にもう一人重要な存在であるオランダのレーリンクは、パール判決に深い敬意を表しています。彼は、自分は裁判当時は「国際法については何も知らなかった」と語っており、判事中で国際法の専門家はパール博士のみだったと認めています。またレーリンクは、西洋白人中心の歴史観を反省し、植民地だったアジアの立場に深い理解を示し、日本がアジア解放に果たした世界史的役割を重視しています。
 東京裁判はマッカーサーの指令によって行われました。マッカーサーは、パール博士の判決書を裁判所で読み上げることを禁じました。
 パール博士は、その判決書を次の言葉で結んでいます。「時が熱狂と偏見をやわらげ、また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、その時こそ、正義の女神はその秤の平衡を保ちながら、過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう」と。
 裁判の終了後の昭和26年、マッカーサーは、米国議会上院の軍事外交合同委員会で、「日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」と答弁しました。これは日本が侵略戦争を行ったという東京裁判の判決を、自ら否定するものです。さらにマッカーサーは、ウェーキ島で、トルーマン大統領に「東京裁判は誤りだった」と告白したと伝えられます。
 今日、パール博士の所説は世界の多くの国際法学者たちにも支持されています。英国の元内閣官房長官・ハンキー卿は、著書『戦時裁判の錯誤』でパール博士を100%支持しました。その他、F・J・P・ピール氏、フリートマン教授、米最高裁のW・O・ダグラス判事など、パール支持を表明する学者・法律家は枚挙にいとまがありません。平成8年には、世界14カ国の有識者85人が東京裁判を批判した言葉を集めた本が、佐藤和男博士らによって刊行されました。今や、パール博士の説は、国際法学界の定説となっています。
 東京裁判を語る人は、まずパール博士の判決書を読み、博士の法理の是非を自分の頭で考えてみるべきでしょう。 
 さて、昭和27年4月28日、日本は主権を回復しました。6年8ヶ月ぶりのことでした。しかし、その主権は一定の制限を付せられたものでした。この年の秋、10月26日から11月28日まで、パール博士は二度目の来日をしました。11月4日に広島で開かれた世界連邦のアジア会議に出席するためです。
 羽田に降り立った博士は、開口一番次のように語りました。
 「この度の極東国際軍事裁判の最大の犠牲は『法の真理』である。われわれはこの“法の真理”を奪い返さねばならぬ」
 また、次のように述べました。
 「たとえばいま朝鮮戦争で細菌戦がやかましい問題となり、中国はこれを提訴している。しかし東京裁判において法の真理を蹂躙してしまったために『中立裁判』は開けず、国際法違反であるこの細菌戦ひとつ裁くことさえできないではないか。捕虜送還問題しかり、戦犯釈放問題しかりである。幾十万人の人権と生命にかかわる重大問題が、国際法の正義と真理にのっとって裁くことができないとはどうしたことか」
 「戦争が犯罪であるというなら、いま朝鮮で戦っている将軍をはじめ、トルーマン、スターリン、李承晩、金日成、毛沢東にいたるまで、戦争犯罪人として裁くべきである。戦争が犯罪でないというなら、なぜ日本とドイツの指導者のみを裁いたのか。勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるというなら、もはやそこには正義も法律も真理もない。力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼も平和もあろう筈がない。われわれは何よりもまず、この失われた『法の真理』を奪い返さねばならぬ」 と。
 帝国ホテルで、博士の歓迎レセプションが行われました。席上、ある弁護士が「わが国に対するパール先生の御同情ある判決に対して、深甚なる感謝の意を表したいと」という意味の謝辞を述べました。
博士はすかさず立ち上がって、こう応えました。
 「私が日本に同情ある判決を下したというのは大きな誤解である。私は日本の同情者として判決を下したのでもなく、またこれ裁いた欧米等の反対者として裁定を下したものでもない。真実を真実として認め、法の真理を適用したまでである。それ以上のものでも、それ以下のものでもない。誤解しないでいただきたい」と。
 また、次のように続けました。
 「日本の法曹界はじめマスコミも評論家も、なぜ東京裁判やアジア各地で執行された戦犯裁判の不法、不当性に対して沈黙しているのか。占領下にあってはやむを得ないとしても、主権を回復し独立した以上、この問題を俎上にのせてなぜ堂々と論争しないのか」
 「今後も世界に戦争は絶えることはないであろう。しかして、そのたびに国際法は幣履のごとく破られるであろう。だが、爾今、国際軍事裁判は開かれることなく、世界は国際的無法社会に突入する。その責任はニュルンベルクと東京で開いた連合国の国際法を無視した復讐裁判の結果であることをわれわれは忘れてはならない」
 博士は、「法の真理」を奪い返すために、東京裁判・戦犯裁判の不法・不当性を明らかにすべきだと訴えたのです。それは、単に日本一国の名誉の回復のためではありません。第2次大戦の勝者による軍事裁判によって、失われた正義と真理と信頼と平和を世界に回復するためです。
 博士はまた、日本人に対して、次のように訴えました。
 「日本は独立したといっているが、これは独立でも何でもない。しいて独立という言葉を使いたければ、半独立といったらいい。いまだにアメリカから与えられた憲法の許で、日米安保条約に依存し、東京裁判史観という歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。日本人よ、日本に帰れ!と私は言いたい」
 広島で予定されていた特別講演を終えた博士は、原爆慰霊碑を訪れ、献花して黙祷を捧げました。碑文には、「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」と刻まれていました。通訳を通じて碑文の意味を知ると、博士は憤りを露わにしました。
 そして、次のように述べました。
 「この『過ちを繰り返しませぬ』という過ちは誰の行為を指しているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたしは疑う。ここに、祀ってあるのは原爆犠牲者であり、その原爆を落とした者は日本人でないことは明瞭である。落とした者が責任の所在を明らかにして、二度と再びこの過ちは犯さぬというならうなずける。
 この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のため蒔いたものであることも明らかだ。さらにアメリカは、ABCD包囲網をつくり、日本を経済的に封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハル・ノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である」
 そして、「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった」と博士は慨嘆しました。
 このことは新聞に大きく報じられ、碑文の責任者である広島市長との対談が行われました。
 原爆慰霊碑を訪れた翌日、博士は半日、瞑想をしました。戦死者のために祈り、大東亜戦争の意義に思いをめぐらせ、ベンガル語で詩を作りました。その詩は、現在、広島市の本照寺にある「大亜細亜悲願之碑」に刻まれています。
 詩は、原語と英語と日本語の三ヶ国語で記されています。日本語による訳詞は、次のようになっています。

  激動し変転する歴史の流れの中に
  道一筋につらなる幾多の人達が
  万斛(ばんこく)の思いを抱いて 死んでいった
  しかし
  天地深く打ち込まれた
  悲願は消えない
  抑圧されたアジアの解放のため
  その厳粛なる誓いに いのち捧げた
  魂の上に幸あれ
  ああ 真理よ
  あなたは我が心の中に在る
  その哲示に従って 我は進む
        1952年11月5日 ラビダノード・パール

 西洋人は、500年にわたり、世界を侵略・支配しました。この間、アジアの諸民族は白人の奴隷にされ、虐げられてきました。パール博士は、この詩で、解放を求めて死んでいった人々の悲願は、天地に深く打ち込まれて消えないと謳っています。そして、日本人を含め、アジアの解放のためにいのちを捧げた人々を称え、その冥福を祈っています。最後に、真理の示すところに従って進むことを誓っています。
 東京裁判では、戦勝国の罪は一切問われませんでした。一瞬にして24万人以上の広島市民の命を奪った原爆は、「悪魔の兵器」です。しかし、原爆を投下した者たちの罪は、問題にもされませんでした。博士は、こうした東京裁判の矛盾を徹底的に暴露し、真理を追求しました。
 ところが、戦後日本人の多くは、戦勝国のたくらみによって誇りを奪われ、先祖や先輩たちがアジア解放を目指した魂までも失ってしまったようです。そうした日本人に対し、「日本人よ、日本に帰れ」とパール博士は訴えています。
 パール博士が予言した東京裁判を見直すべき時は、来ています。東京裁判の見直しを進めましょう。それなくして、日本人が日本に帰ることはできないのです。それとともに、これは、単に日本一国の名誉の回復のためではないのです。第2次大戦の勝者による軍事裁判によって、失われた正義と真理と信頼と平和を世界に回復するためであり、世界人類にとっての課題でもあるのです。

参考資料
・『共同研究 パル判決書』(講談社学術文庫)
・田中正明著『パール博士の日本無罪論』(小学館文庫)
・佐藤和男編『世界がさばく東京裁判』(ジュピター出版)
・名越ニ荒之助著『戦後教科書の避けてきたもの』(日本工業新聞社)
・研究社現代英文テキスト17『日本弁護論 In Defense of Japan's Case』(Judge Radhabinod Palの判決書の原文の抜粋)
次回に続く。

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