●キルケゴール~真のキリスト者たろうとした単独者
マルクスは、ヘーゲルのキリスト教的観念論に対して、無神論的共産主義を樹立した。これに比し、ゼーレン・キルケゴールはマルクスとは正反対にキリスト教の信仰を深化する思想を展開した。西方キリスト教の宗教改革によって、神と人が絶対的に向き合い、自分が一人で神に対面して結果を受けるしかないという、厳しい個人主義的な宗教が成立した。キルケゴールは、そのプロテスタンティズムにおける信仰のあり方を徹底的に突き詰めた。彼の単独者の実存の哲学は、19世紀後半以降、プロテスタンティズムを中心にキリスト教における信仰のあり方に深刻な影響を与え続けている。
キルケゴールは、1813年にデンマークに生まれた。20歳代初めまでに5人の兄姉と母とが相次いで死亡した。その不幸を父が先妻の死亡以前に暴力的に実母を犯した罪と結びつけて、自ら「大地震」と呼ぶ深刻な体験をした。以後、死の意識と憂愁の気分のとりこになった。レギーネという女性と婚約したが、苦悩の結果、婚約を一方的に破棄した。しかし、彼女への愛は変わらなかった。こうした家系的な罪の意識と、恋人への愛の内的反復という複雑な心理から、「いかにして真のキリスト者になるか」ということが、生涯の課題となった。
キルケゴールは、近代西欧哲学が人間の本質を論理の能力たる理性に限定し、真理を合理的客観性として追及してきたことに反発する。本質規定に尽くされない人間の自由な生に注目し、思惟能力だけでなく、人間の生き様全体をとらえようとしで、そのような具体的な人間を「実存」と呼ぶ。そして、「人間は無限性と有限性との総合、時間と永遠なものとの総合、要するにひとつの総合なのである」(『死に至る病』)と説く。これらの総合は、相反する概念の一致をいうものである。だが、それは理性的な思惟によって、実現するものではない。人間は一つの本質に限定されない自由のもとにあり、常にそのつど自分なりの関係を自己の人格として生成させる実存的課題を負う。そして、「大切なのは、私にとって真理であるような真理を見出し、それのために私が生き、そして死にたいと思うようなイデーを見出すことなのだ」(『日記』)と書く。
キルケゴールは、人間の生き方を三つに分ける。第一は、無神論的で享楽的な段階である、第二は、職業や家庭において善悪を正しく判断しつつ生きる倫理的な段階である。だが、人間が罪を負っており、こうした生き方は挫折せざるをえない。そこに、第三の宗教的な段階が開けてくる。絶対的な神を前にした畏れ、慄き、罪への自覚が、信仰へと人を導く。主体性は、本質としては無である自己を自覚し、存在の根拠を欠く無の不安の中から存在の根拠である超越的な神との関係で課題を示される宗教的実存において、はじめて成立すると説いた。
ヘーゲルは、近代理性主義の哲学を体系的に展開した。キルケゴールによれば、ヘーゲルは、人間の思惟の論理で神的な絶対精神を論証したが、その神は理性の神格化であって、不安を抱えた実存に対面する人格的な神ではない。それゆえ、ヘーゲルの弁証法は、主体的な真理を求める道ではない。真理を知るための人間の弁証法は、絶望の中にある人間に語りかけてくる人格神と交わす対話であり、神と人間の異質的断絶を真の現実と認めるところに始まるとして、キルケゴールは質的弁証法を説いた。
キルケゴールは、唯一人で神の前に立ち、自己の無力と自己の責任を自覚する。そうした彼にとって、歴史はヘーゲルの世界史のように客観化されたものではなく、永遠の神が介入する瞬間において、そのつど始まる歴史である。その瞬間において、人間は論理を越えた逆説の神に出会う。キリスト教の原点であるイエスの受肉を歴史的に一回限りの過去の出来事ではなく、この現在の瞬間における同時性としてとらえ、それを主体的に反復することが、真のキリスト者のあり方だ、とキルケゴールは考えた。
『あれか―これか』『不安の概念』『死に至る病』等の一連の文学的・哲学的・宗教的な著作を発表した後、キルケゴールはルター派の教会の牧師になろうとした。しかし、レギーネ問題を中傷する人身攻撃にあい、衆人のそしりと嘲笑を受けた。この経験から、キルケゴールは、時代の客観性にあえて逆らう単独者の道こそが真理へ通じる道であるという確信を持った。
その後、キルケゴールは、デンマーク国教会を激しく批判した。国教制度を取るデンマークでは、生れた者は幼児洗礼を受けて教会員となる。キルケゴールは、そのことの是非を問い、キリスト者は常に単独者として、真理の証人として、殉教者になる姿勢を持たなければならないと主張した。国教会の偽善を糾弾する活動を行っている中で、1855年のある日、キルケゴールは路上で倒れて、意識不明となった。その数週間後に死亡した。38歳だった。
こうした彼の人生には、幸福も安らぎもない。自分の主観でとらえた限りの神、イエスの愛と恩寵を求めながら、挫折と屈辱の中で人生を終えている。そこに救いを見出すことはできない。だが、キルケゴールの思想は、20世紀西欧の危機の時代において高く評価され、ニーチェとともに実存哲学の先駆とみなされた。今日まで、プロテスタントを中心とするキリスト教徒に大きな影響を与えている。その影響は、ハイデッガー、ヤスパース等の哲学者や、バルト、ティリッヒ等の神学者に顕著である。
次回に続く。
マルクスは、ヘーゲルのキリスト教的観念論に対して、無神論的共産主義を樹立した。これに比し、ゼーレン・キルケゴールはマルクスとは正反対にキリスト教の信仰を深化する思想を展開した。西方キリスト教の宗教改革によって、神と人が絶対的に向き合い、自分が一人で神に対面して結果を受けるしかないという、厳しい個人主義的な宗教が成立した。キルケゴールは、そのプロテスタンティズムにおける信仰のあり方を徹底的に突き詰めた。彼の単独者の実存の哲学は、19世紀後半以降、プロテスタンティズムを中心にキリスト教における信仰のあり方に深刻な影響を与え続けている。
キルケゴールは、1813年にデンマークに生まれた。20歳代初めまでに5人の兄姉と母とが相次いで死亡した。その不幸を父が先妻の死亡以前に暴力的に実母を犯した罪と結びつけて、自ら「大地震」と呼ぶ深刻な体験をした。以後、死の意識と憂愁の気分のとりこになった。レギーネという女性と婚約したが、苦悩の結果、婚約を一方的に破棄した。しかし、彼女への愛は変わらなかった。こうした家系的な罪の意識と、恋人への愛の内的反復という複雑な心理から、「いかにして真のキリスト者になるか」ということが、生涯の課題となった。
キルケゴールは、近代西欧哲学が人間の本質を論理の能力たる理性に限定し、真理を合理的客観性として追及してきたことに反発する。本質規定に尽くされない人間の自由な生に注目し、思惟能力だけでなく、人間の生き様全体をとらえようとしで、そのような具体的な人間を「実存」と呼ぶ。そして、「人間は無限性と有限性との総合、時間と永遠なものとの総合、要するにひとつの総合なのである」(『死に至る病』)と説く。これらの総合は、相反する概念の一致をいうものである。だが、それは理性的な思惟によって、実現するものではない。人間は一つの本質に限定されない自由のもとにあり、常にそのつど自分なりの関係を自己の人格として生成させる実存的課題を負う。そして、「大切なのは、私にとって真理であるような真理を見出し、それのために私が生き、そして死にたいと思うようなイデーを見出すことなのだ」(『日記』)と書く。
キルケゴールは、人間の生き方を三つに分ける。第一は、無神論的で享楽的な段階である、第二は、職業や家庭において善悪を正しく判断しつつ生きる倫理的な段階である。だが、人間が罪を負っており、こうした生き方は挫折せざるをえない。そこに、第三の宗教的な段階が開けてくる。絶対的な神を前にした畏れ、慄き、罪への自覚が、信仰へと人を導く。主体性は、本質としては無である自己を自覚し、存在の根拠を欠く無の不安の中から存在の根拠である超越的な神との関係で課題を示される宗教的実存において、はじめて成立すると説いた。
ヘーゲルは、近代理性主義の哲学を体系的に展開した。キルケゴールによれば、ヘーゲルは、人間の思惟の論理で神的な絶対精神を論証したが、その神は理性の神格化であって、不安を抱えた実存に対面する人格的な神ではない。それゆえ、ヘーゲルの弁証法は、主体的な真理を求める道ではない。真理を知るための人間の弁証法は、絶望の中にある人間に語りかけてくる人格神と交わす対話であり、神と人間の異質的断絶を真の現実と認めるところに始まるとして、キルケゴールは質的弁証法を説いた。
キルケゴールは、唯一人で神の前に立ち、自己の無力と自己の責任を自覚する。そうした彼にとって、歴史はヘーゲルの世界史のように客観化されたものではなく、永遠の神が介入する瞬間において、そのつど始まる歴史である。その瞬間において、人間は論理を越えた逆説の神に出会う。キリスト教の原点であるイエスの受肉を歴史的に一回限りの過去の出来事ではなく、この現在の瞬間における同時性としてとらえ、それを主体的に反復することが、真のキリスト者のあり方だ、とキルケゴールは考えた。
『あれか―これか』『不安の概念』『死に至る病』等の一連の文学的・哲学的・宗教的な著作を発表した後、キルケゴールはルター派の教会の牧師になろうとした。しかし、レギーネ問題を中傷する人身攻撃にあい、衆人のそしりと嘲笑を受けた。この経験から、キルケゴールは、時代の客観性にあえて逆らう単独者の道こそが真理へ通じる道であるという確信を持った。
その後、キルケゴールは、デンマーク国教会を激しく批判した。国教制度を取るデンマークでは、生れた者は幼児洗礼を受けて教会員となる。キルケゴールは、そのことの是非を問い、キリスト者は常に単独者として、真理の証人として、殉教者になる姿勢を持たなければならないと主張した。国教会の偽善を糾弾する活動を行っている中で、1855年のある日、キルケゴールは路上で倒れて、意識不明となった。その数週間後に死亡した。38歳だった。
こうした彼の人生には、幸福も安らぎもない。自分の主観でとらえた限りの神、イエスの愛と恩寵を求めながら、挫折と屈辱の中で人生を終えている。そこに救いを見出すことはできない。だが、キルケゴールの思想は、20世紀西欧の危機の時代において高く評価され、ニーチェとともに実存哲学の先駆とみなされた。今日まで、プロテスタントを中心とするキリスト教徒に大きな影響を与えている。その影響は、ハイデッガー、ヤスパース等の哲学者や、バルト、ティリッヒ等の神学者に顕著である。
次回に続く。
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