ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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人権9~個人の権利から集団の権利へ

2012-09-01 08:35:04 | 人権
●国際人権法の発達史

 これまで述べてきたことは、国際人権法の発達過程を見ると、一層明らかになるだろう。国際人権法では、いわゆる人権について、歴史的に、三つの段階を認めている。第1段階は自由権、第2段階は社会権、第3段階は「発展の権利」である。
 第1段階では17~18世紀の西欧において、新興ブルジョワジーを中心に自由と権利が主張され、普遍的生得的な権利が主張された。これが自由権である。第2段階では、20世紀の西欧において、平等に配慮した権利が多く主張され、権利の主体が労働者へと拡大された。これが社会権である。
 ここまでは、主に欧米を中心に発達したものだが、第2次世界大戦後、アジア・アフリカの有色人種が独立と解放を勝ち取り、自由と権利の希求がアジア・アフリカへと広がった。新興独立国の多くが「国際連合=連合国」に加盟すると、それらの国々の主張を背景として、国連では「発展の権利」が主張されるようになった。1986年には「発展の権利に関する宣言」が発せられた。ここにいう発展とは、単に経済的な側面だけでなく、より広汎な社会文化的な面も含むとされている。権利について、個人を主体とした自由権・社会権とは異なる考え方である。「発展の権利」は、1993年の世界人権会議で採択された「ウイーン宣言及び行動計画」にも取り入れられた。ここにおいて、人権の発達は第3段階に入ったとされる。
 第1段階から第2段階への発達は、主に欧米諸国における階級間での権利の拡大である。帝国の周縁部からの収奪の上に繁栄する中枢部で、支配者集団から労働者や社会的弱者へと権利が拡大していったものである。それが第3段階では、欧米諸国民から非西洋諸国民へと拡大された。第2段階から第3段階への発達は、民族間の拡大であり、中枢部から周縁部への拡大である。
 第3段階では、国際人権規約で自由権・社会権が制定され直した。ここで重要なのは、自由権規約も社会権規約も第1条で、人民(peoples)の自決権を定めたことである。すなわち、「すべての人民(peoples)は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」が、その条文である。ここで私は、peoples を「人民」と訳したが、peoples は多義的な言葉で、国民とも民族とも集団とも取れる。自決の権利は国民自決権・民族自決権・集団自決権のどれでもあり得るものとして、ここでは「人民」と訳しておく。
 人民の自決権は、多くの場合、民族自決権と訳される。これは、一般的に言うと、集団の自決権である。集団の権利が確立されてこそ、個人の権利が保障されるという思想が、国際人権規約に盛り込まれたのである。人民の独立なければ個人の人権なし、という原則を打ち立てられたのである。これによって、第1段階における個人中心的な自由権を、集団の権利の中に位置付け直す必要が生じた。自由権の上に拡張された社会権も同様である。また自決権は政治的側面だけでなく経済的、社会的、文化的側面にも拡大された。しかし、人民という集団と個人の権利との関係は必ずしも明確に整理されていないのが、国際人権条約の現状である。
 個人の権利は集団の権利が確保されていて初めて保障される。近代西欧では諸国の独立と主権が確立されていたから、そのもとで個人の権利が発達し得た。そのことが再認識されねばならない。
 たとえば、17世紀のイギリスは、他国の支配を受けることのない独立主権国家だった。だから、英国民は自由と権利を確保できた。18世紀のフランスは、革命によって人権宣言を発した後、周辺国の干渉を跳ね返した。だから、仏国民は自由と権利を追求できた。このように17~18世紀の英仏においては、個人の自由と権利の前に、国家の独立と主権が存在していた。それを前提として人権が唱えられたのである。もしこれらの国々が他の集団の支配下にあり、集団としての権利を奪われていたならば、国民個々の自由と権利は抑圧されていた。被支配状態にあっては、まず目指すべきは、独立であり解放である。そのことをよく示すのが、アメリカの事例である。18世紀のアメリカは、イギリスの植民地であり、本国の参政権はなく、自主的な課税権もなかった。植民地の人民は、本国の圧政に抵抗し、独立を勝ち取った。だから、米国民は自由と権利を獲得できたのである。実は、イギリスにおいても、国民の権利の確保と拡大は、ノルマン・コンクェスト以来、フランス系の貴族に支配されてきたアングロ・サクソン系の庶民が国王から権利を守り、主張してきた過程でもあった。
 ここで国家の独立と主権を人民自決権という20世紀的な概念でとらえるならば、英米仏においても、集団の自決権の確立のもとに、個人の自由と権利が拡張されてきたのである。明治期のわが国の用語で表現するならば、国権の確立のもとに民権が伸長し得たということである。

 次回に続く。

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