ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
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ユダヤ65~ハウスを補佐したリップマンとバーネイズ

2017-06-21 09:20:50 | ユダヤ的価値観
●ハウスを補佐したリップマンとバーネイズ

 次に、1910年代からハウスを補佐した二人のユダヤ人について述べたい。ウォルター・リップマンとエドワード・バーネイズである。
 リップマンは、ドイツからのユダヤ人移民の3世として、ニューヨークに生まれた。ハウスが主要メンバーであるアメリカ円卓会議のメンバーだった。ウィルソン政権では、アメリカの世論を対ドイツ参戦へ誘導する宣伝工作を行う広報委員会で活躍した。また、大統領のアドヴァイザーを務めた。第1次大戦中は情報将校として渡仏し、対ドイツ軍に対する宣伝ビラの作成などをした。またハウスのもとで「14か条の平和原則」の原案作成に携わり、国際連盟構想の立案を助力した。ハウスはヴェルサイユ講和会議にリップマンを補佐役の一人として連れて行った。戦争省の次官補だったリップマンは、政府代表団の一員として参加した。
 リップマンは、戦後間もない1922年に『世論』(Public Opinion)を刊行した。本書は、世論工作の理論書である。また1925年に『幻の公衆』(The Phantom Public)を発刊した。同書には、「大衆に対して自らが民主的権力を行使しているとの幻想を抱かせなければならない。この幻想は、支配される側の大衆の同意を創り出すことによって形成されなければならない」と書いた。第2次大戦後、ジャーナリストにとって権威のあるピューリッツアー賞を二度も受賞している。諜報活動とジャーナリズムと世論工作の関係を体現した人物である。
 ウィルソン政権で、リップマンとともに世論を誘導する宣伝工作を行う広報委員会で活躍し、大統領のアドヴァイザーも務めたのが、エドガー・バーネイズである。
 バーネイズは、精神分析医ジークムント・フロイトの甥である。群衆心理学に着目し、これを応用して大衆広報の基礎を築いた。広報活動とプロパガンダの専門家であり、「広報の父」として知られる。1928年に『プロパガンダ』を刊行した。マスメディアによる世論形成の手法を記したものである。本書には、次のように書かれている。「一般大衆が、どのような習慣を持ち、どのような意見を持つべきかといった事例を、相手にそれと意識されずに知的にコントロールすることは、民主主義を前提とする社会において非常に重要である。この仕組みを大衆の目に見えない形でコントロールすることができる人々こそが、現在のアメリカで目に見えない統治機構を構成し、アメリカの真の支配者として君臨している」と。
 バーネイズは、フロイト派の心理学理論をアメリカに持ち込んで普及させた功労者でもあり、第2次大戦後、アメリカに起こった精神分析ブームの火付け役となった。

●ヨーロッパ統合運動の始まり
 
 ここでヨーロッパ統合運動について書いておきたい。第1次世界大戦後、国際連盟が設立されたのとは別に、西欧でヨーロッパ統合運動が起こった。大戦の悲劇は、平和への願いを切実なものとした。
 欧州統合論は、大戦後、オーストリア・ハプスブルグ家のクーデンホーフ=カレルギー伯爵が提唱したのが、初めと言われる。近代の戦争は、巨大な工業力を必要とする。だからもし資源を共通の権威の下に置くことができれば、大国同士の戦争を避けることが出来る、とクーデンホーフ=カレルギーは考えた。ドイツの石炭とフランスの鉄鋼が、両国にまたがる権威の管理下にあるなら、独仏の戦争の回避が期待できると主張した。単なる理想を説くのではなく、国際関係に係る具体策を提示したところに実現の可能性があった。
 クーデンホーフ=カレルギーは『回想録』の中で、彼の汎ヨーロッパ同盟は、ルイス・ド・ロスチャイルド男爵すなわちウィーンのロスチャイルド商会の当主とマックス・ウォーバーグから資金援助を受けたと述べている。マックス・ウォーバーグは、全生涯にわたって汎ヨーロッパ同盟に真剣に関心を持ち続けたという。またマックスの紹介でアメリカを訪ねたクーデンホーフ=カレルギーは、その弟のポール・ウォーバーグとバーナード・バルークからも資金を提供されたと述べている。ユダヤ人の大富豪が、ヨーロッパ統合運動に資金を出したのである。
 アメリカには、汎ヨーロッパ同盟のアメリカ支部が設立された。中心となって設立を進めたのは、ハウスとハーバート・フーヴァーだった。彼らは、また国際連盟への加盟の批准を促すため合衆国を遊説した。ヨーロッパの統合を進めるとともに、国際連盟にアメリカが加盟するようにすることは、連携した動きだった。その動きを国際金融資本は、資金的に支援したのである。
 ハウスが支え、操ったウィルソンは1921年、2期8年の大統領職を勤め上げて離職した。それとともにハウスも政権を離れたが、ハウスは、その後も政界に隠然たる影響力を振るった。フーヴァーは、政界に入る前から、ハウスに協力していた。そして、共和党から選挙に出て大統領となった。
 欧州統合運動は、ナチスの台頭によって破綻する。だが、第2次世界大戦後、EUという形に結実することになった。

 次回に続く。

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