ほそかわ・かずひこの BLOG

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キリスト教119~プロテスタントの大覚醒運動と新しいキリスト教系団体

2018-11-12 12:31:02 | 心と宗教
●プロテスタントの大覚醒運動と新しいキリスト教系団体

 アメリカ合衆国には、独立前からヨーロッパから移民とともに多くのキリスト教の教派が流入した。それらの教派は新天地で熱心に活動した。また、合衆国で独自の新しい教派も現れ、活発に活動してきた。ここでそれらについて書く。
 イギリスにおける非国教会系のプロテスタント諸派については、イギリス近代史の項目に書いた。それを前提に、様々な教派のアメリカにおける展開を書く。総じていえば、イギリスのプロテスタント諸派が経済的発展、世俗化の進行の中で、宗教集団としての活力を失っていったのに対し、アメリカでは数次にわたって信仰心の復興が行われ、信仰活動の活力が維持され、海外にも活発に伝道が行われてきた。
 1620年にメイフラワー号に乗って北米のプリマスに入植したのは、会衆派の信徒である。アメリカでは、会衆派のもとである長老派、その長老派のもとである改革派も、それぞれの信仰活動を行ってきた。中でもバプテストは、アメリカで大きく教勢を伸ばし、プロテスタントの最多数を占め、黒人にも信徒が多い。キリスト教原理主義の有力部分となっている。その一部は天地創造、ノアの方舟、イエスの処女降誕と復活を文字通り信じ、学校で進化論を教えることに反対する。ユニテリアンは三位一体を認めず、イエスの神性を否定し神の単一性を唱える非主流の教派だが、予定説に反対してすべての者が例外なく救われるとする万人救済説を主張するユニヴァ―サリストと、北米で1961年に合同した。クェーカーもイギリス生まれで、アメリカで発展した教派である。
 こうした非国教会系の諸派に対し、アメリカにはイギリス国教会の信仰を保持する者もいる。主に監督派と呼ばれる。独立革命は、国教会の信仰を否定したのではなく、本国からの政治的独立を求めた。それゆえ、監督派は独立後も国教会の信仰を継続した。その代表的存在がジョージ・ワシントンである。また、少数だが、カトリック教徒もいる。
 さて、アメリカでは、独立前の1730~40年代に第1次大覚醒(First Great Awakening)と呼ばれるプロテスタントによる宗教再生運動が起った。情熱的な回心あるいは信仰復興の運動である。会衆派教会の聖職者で神学者のジョナサン・エドワーズが、この運動を開始した。エドワーズは、アメリカの最も重要な、最初の哲学者また神学者であるとされる。『怒れる神の御手の中にある罪人』と題した説教で、罪に対する義なる神の正しい怒りと地獄の苦しみを強調し、それを神の救いの御業と対比した。また信徒を彼ら自身のやり方で神を経験するように導いた。その活動によって、会衆派だけでなく、長老派、バプテストにも影響を与えた。イギリスから渡米したメソディストの伝道者ジョージ・ホィットフィールドは、北米の植民地各地に信仰復興をもたらした。メソディストは19世紀のアメリカで信徒を増やし、バプテストに次ぐ巨大教派となって奴隷解放に力を尽くし、積極的に海外伝道を行った。
 大覚醒の信仰復興運動に賛成して情熱的な説教をする牧師たちは、ニュー・ライト(new lights、新しい光)と呼ばれ、これに反対し、理性的な説教をする者は、オールド・ライト(old lights、古い光)と呼ばれた。この分裂は、二つの神学的流れを生んだ。オールド・ライトから後に単性論のユニテリアンが生まれた。
 1800年代から30年代には、第2次大覚醒が起こった。やはりプロテスタントによるによる宗教再生運動である。この運動は、キャンプ・ミーティング(野営天幕集会)によって広まり、チャールズ・フィニーらが福音主義を奨励した。それによって活発になった社会的な行動は、禁酒の促進運動や奴隷制の撤廃運動に発展した。また刑務所の改善や女性の参政権の実現等の運動も行われた。第2次大覚醒では、メソディストとバプテストが教勢を伸長した。メソディストから聖霊の満たしと清めを求めるホーリネス運動が生まれた。この運動はホーリネス教会を生んだほか、1880年代には長老派、バプテスト、会衆派にも影響を与え、カナダ、イギリス、インドにまで波及した。
 第2次大覚醒の運動の末期、1830年に末日聖徒イエス・キリスト教会がジョセフ・スミス・ジュニアによって創始された。モルモン教とも呼ばれるのは、教典のひとつであるモルモン書による。スミスを通して原始キリスト教会が現代に回復されたと主張する。三位一体説、原罪説を否定する一方、キリストおよび死者の復活、キリストの再臨、至福千年を説く。スミスは、一夫多妻を説いたが、現在は実施していない。
 1850年代後半から1900年代には、第3次大覚醒が起った。南北戦争後、ドワイト・ライマン・ムーディーは、ムーディー聖書学院を設立して信仰復興運動を行った。神学教育はおろか、まともな学校教育も受けていなかったムーディーは、大衆向けの伝道を行った。貧困層のためにスラム街で説教を行い、信徒を広げた。第3次大覚醒は、英語圏から世界に広まった社会福音運動、世界伝道運動等の運動を促進する刺激を与えた。
 19世紀末、合衆国中西部から南部で聖霊の働きを追い求める運動が起った。聖霊のバプテスマや神癒の体験を得ようとする野外集会が、各地で開催され、熱狂的な礼拝が行われた。そうした中から、ペンテコステ派が誕生した。その派の名称は、使徒たちに聖霊が降った聖霊降誕の日(ペンテコスト)に由来する。同派では、聖霊降臨はすべての時代のキリスト教徒に開かれ、今も働く神の恵みと信じる。神に関する知識や教義の習得よりも、神の霊による導きを自分の内に感得できる能力を養うことを重視する。異言を語ることが、聖霊のバプテスマを受けたしるしと考える。集団的恍惚状態や治癒の奇跡を積極的に評価する。20世紀後半に急速に成長し、現在キリスト教諸教派の中で最も勢いがある。
 第3次大覚醒の信仰復興運動が行われている時期、北米では新しいタイプのキリスト教団体が生まれた。クリスチャン・サイエンスとエホバの証人である。
 クリスチャン・サイエンスは、文字通り「キリスト教科学」を意味する。1866年にメリー・ベーカー・エディが創立した。エディは、ニューソートの始祖とされるフィニアス・クインビーの催眠療法を体験し、その思想の影響を受けた。罪・病気・悪は虚妄なりと悟ることによって、万病は癒えると主張した。祈りによる癒しを実践する実践士がおり、エディの主張を実証しようと試みている。
エホバの証人は、チャールズ・テイズ・ラッセルが1884年に創立した。エホバ(正しくはヤーウェ)を唯一の神とし、イエス・キリストが神であることや肉体を持って復活したことを否定し、大天使ミカエルと同一であるとする。現代の世界は悪魔サタンの支配下にあり、終わりの日にハルマゲドンと呼ばれる神の軍団と悪魔の軍団の大戦争が行われる。信者たちは「エホバ)の証人」としてこの戦争を傍観すると説く。
 上記のうち、末日聖徒イエス・キリスト教会とエホバの証人は、韓国の文鮮明が創始した世界基督教統一神霊協会(統一教会)とともに、キリスト教主流派からは異端とされている。

●教派と社会階層

 アメリカでは、キリスト教の教派を、デノミネイションと言う。教派と出身地には、ある程度の結びつきがある。ルター派はドイツ系かスカンジナビア系、改革派はオランダ系かドイツ系、英国国教会(聖公会)はイングランド系、長老派はスコットランド系かスコッチ・アイリッシュ、ローマ・カトリック教会はアイルランド系かヒスパニック、東方正教会はスラヴ系かギリシャ系を連想させる。
 アメリカでは、こうした教派が社会階層に対応するという構造ができた。下層から上層へ順に挙げると、バプテスト、ルーテル派、メソディスト、長老派、会衆派、監督派(英国国教会系)となるといわれる。ユニテリアン、クェーカーは富裕層のメンバーが多く、ペンテコステ派は貧困層に多いとみなされている。
 WASP(ホワイト・アングロ=サクソン・プロテスタント)は、白人種には許容的である。白人であればアングロ・サクソン系でなくとも、プロテスタントに改宗した者は、WASPに準じた扱いをする。イタリアやアイルランド等からの移民は、カトリックである。プロテスタントが主流のアメリカでは、カトリックは非主流である。だが、カトリックからプロテスタントに改宗すれば、社会階層を上昇することが以前より容易になる。
 WASP以外の白人がプロテスタントになる場合、自らの階層によって教派を選ぶ傾向がある。また社会階層を上昇するに従い、上の階層に対応する教派に宗旨替えしていく傾向が見られる。所属教派と社会的ステータスに相関関係が見られる。また、教派ごとに居住地が違うので、改宗によって居住地を変える移動も見られる。

 次回に続く。

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