●人権状況の改善は自助あっての互助・公助
人権は、普遍的・生得的な「人間の権利」ではない。歴史的・社会的・文化的に発達する「人間的な権利」であり、主に「国民の権利」として発達するものである。それゆえ、発展途上国において貧困・虐待・暴行・虐殺等から人々の権利を守ることは、第一義的にはその人々が所属する国の政府の責任である。その政府の権利保障の取り組みを推奨・促進するものとして、国連等の国際機関やNPO等の国際団体の活動がある。自助が基本であり、次に友好国や支援団体による互助、さらに国際機関による公助がある。
重大な人権問題が起き、当事国がこれに対処できていないか、または対処しようとしない時は、国連安保理で常任理事国が対応を決める。常任理事国が一致しなければ、国連は動かない。常任理事国が自国の利害から問題に関与せず、放置された事例は少なくない。その事例の一つが、ルワンダでの大量虐殺である。
中部アフリカのルワンダでは、1994年、民族間の対立で大虐殺が起こった。国連は、安保理常任理事国の政治的思惑から、積極的な対応をしなかった。ルワンダは、1962年、ベルギーから独立したが、クーデター、内戦等が続いた。94年の大量虐殺では、人口約730万人のうち、80~100万人が殺害されたとみられる。またこのとき約210万人もの大量の難民が周辺国に流出した。人口の約4割が死亡または国外流出したことになる。亡国に至りかねない危機だった。しかし、ディアスポラ(離散民)となって世界各地に散らばったルワンダ人は、それぞれの地で技術を身に着け、教育を受け、意識を高めた。そして、彼らは祖国の農業、観光産業、不動産等に投資し、また約半数の100万人が帰国し、祖国の再建に努めている。それによって、ルワンダは驚異的な復興と目覚しい成長を行い、「アフリカの奇跡」と呼ばれている。
ルワンダの例が示しているのは、第一にその国民、その民族の自助努力の大切さである。人民には「発展の権利」がある。その権利を生かし、経済的・社会的・文化的発展を実現するには、人民自身の努力が必要である。友好諸国の互助、国際機関の公助は、その国の人民の自助があってのものであり、補助に過ぎない。人権は、普遍的・生得的な「人間の権利」ではない。歴史的・社会的・文化的に発達する「人間的な権利」である。それを発達させるのは、主にそれぞれの国民であり、それぞれの集団なのである。
自助努力はしばしば実力行使や独立運動となる。また国民形成、成長・発展の取り組みとなる。その自助努力の中でしか、人権と呼ばれる権利は発達し得ない。人権は観念であり、理想・目標であって、それを実現するのは、各国民・各民族・各集団である。国民の権利の協同的な行使によってのみ、人権の発達は可能となる。
近年南アフリカの人種差別反対運動、中国・北朝鮮・ケニア等の権利保障の悪い国で自由や権利を求める運動が行われてきた。こうした自助努力の奨励のために、発展途上国での人権運動の指導者に国際機関が褒賞を行うことは、意義がある。ノーベル平和賞は近年、南アのネルソン・マンデラ、中国の劉暁波等、それぞれの国で人権運動をしている人物に贈られることが多い。
2011年(平成23年)は、アフリカと中東で非暴力の人権活動を続ける3人の女性が選ばれた。アフリカ初の女性大統領としてリベリアの国家再建に力を尽くしたエレン・サーリーフ大統領、同国の平和活動家リーマ・ボウイー、イエメンの人権活動家タワックル・カルマンである。これら発展途上国における人権運動を評価し、推進するため、国際的な褒賞を行うことは有効である。ただし、平和賞は、政治的な思惑が絡んでいると見られる時があり、特に先進国の指導者への授章は十分な検討が望ましい。
もう一つ、ルワンダの例が示しているのは、新興国における国民の形成の大切さである。氏族的・部族的集団の対立・抗争状態を脱し、国民的集団を形成することができなければ、近代的な武器を得た国内の政治団体の争いが高じ、せっかくできた独立国家が内部から機能マヒとなり、さらに自壊さえしかねなくなる。ここで国民形成の推進力なるのが、ナショナリズムである。人権とナショナリズムの関係については、第6章に書いたので、ここでは現代世界におけるナショナリズムについて、簡単に補足する。
先に書いたように、国際人権規約は、自由権規約も社会権規約も第1条で、人民(peoples)の自決権を定めている。「すべての人民(peoples)は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」が、その条文である。peoples は、人民とも国民、民族とも理解し得る。それらの自決権は、しばしば民族自決権と訳されるが、一般的に言うと、集団の自決権である。国際人権規約に集団の自決権が盛り込まれたのは、第2次世界大戦後、アジア・アフリカで民族解放・独立運動が高揚し、多くの独立国が建設されたことによる。集団の権利が確立されてこそ、個人の権利が保障される。その思想が、国際人権規約に盛り込まれている。人民の独立なければ個人の人権なし、という原則が、打ち立てられたのである。そして、有色人種の諸集団では、西欧諸国から独立を勝ち得た後に、国民個人の権利の保障や拡大が進められつつある。その前提は集団として持つ権利の獲得である。
集団の権利の獲得は、周辺部におけるナショナリズムの高揚によるものである。ただし、ナショナリズムはリベラリズム、デモクラシーと結合したものとならなければ、個人の権利の保障・拡大にはつながらない。ナショナリズムは、リベラリズム、デモクラシーと結合した時に、人権の観念の発達・伝播をもたらすものとなる。アジア・アフリカには開発独裁型の発展途上国や社会主義の影響を受けた新興国、部族連合が発展した国家等が多くあり、そうした国々では、国民の自由と権利は思想として発展しておらず、逆に自由と権利への抑圧がしばしば横行している。ナショナリズムがリベラル・デモクラシーと結合して発達した時に、集団の権利とともに個人の権利の発達が可能となる。
以上、今日の世界の人権状況について概説した。こうした状況において、「人間的な権利」の発達を図るには、人権の基礎づけ、定義、内容、実践に関する検討が必要である。その点については、第4部で人権の理論と新しい人間観について述べる際に、具体的に書くこととする。
次回に続く。
人権は、普遍的・生得的な「人間の権利」ではない。歴史的・社会的・文化的に発達する「人間的な権利」であり、主に「国民の権利」として発達するものである。それゆえ、発展途上国において貧困・虐待・暴行・虐殺等から人々の権利を守ることは、第一義的にはその人々が所属する国の政府の責任である。その政府の権利保障の取り組みを推奨・促進するものとして、国連等の国際機関やNPO等の国際団体の活動がある。自助が基本であり、次に友好国や支援団体による互助、さらに国際機関による公助がある。
重大な人権問題が起き、当事国がこれに対処できていないか、または対処しようとしない時は、国連安保理で常任理事国が対応を決める。常任理事国が一致しなければ、国連は動かない。常任理事国が自国の利害から問題に関与せず、放置された事例は少なくない。その事例の一つが、ルワンダでの大量虐殺である。
中部アフリカのルワンダでは、1994年、民族間の対立で大虐殺が起こった。国連は、安保理常任理事国の政治的思惑から、積極的な対応をしなかった。ルワンダは、1962年、ベルギーから独立したが、クーデター、内戦等が続いた。94年の大量虐殺では、人口約730万人のうち、80~100万人が殺害されたとみられる。またこのとき約210万人もの大量の難民が周辺国に流出した。人口の約4割が死亡または国外流出したことになる。亡国に至りかねない危機だった。しかし、ディアスポラ(離散民)となって世界各地に散らばったルワンダ人は、それぞれの地で技術を身に着け、教育を受け、意識を高めた。そして、彼らは祖国の農業、観光産業、不動産等に投資し、また約半数の100万人が帰国し、祖国の再建に努めている。それによって、ルワンダは驚異的な復興と目覚しい成長を行い、「アフリカの奇跡」と呼ばれている。
ルワンダの例が示しているのは、第一にその国民、その民族の自助努力の大切さである。人民には「発展の権利」がある。その権利を生かし、経済的・社会的・文化的発展を実現するには、人民自身の努力が必要である。友好諸国の互助、国際機関の公助は、その国の人民の自助があってのものであり、補助に過ぎない。人権は、普遍的・生得的な「人間の権利」ではない。歴史的・社会的・文化的に発達する「人間的な権利」である。それを発達させるのは、主にそれぞれの国民であり、それぞれの集団なのである。
自助努力はしばしば実力行使や独立運動となる。また国民形成、成長・発展の取り組みとなる。その自助努力の中でしか、人権と呼ばれる権利は発達し得ない。人権は観念であり、理想・目標であって、それを実現するのは、各国民・各民族・各集団である。国民の権利の協同的な行使によってのみ、人権の発達は可能となる。
近年南アフリカの人種差別反対運動、中国・北朝鮮・ケニア等の権利保障の悪い国で自由や権利を求める運動が行われてきた。こうした自助努力の奨励のために、発展途上国での人権運動の指導者に国際機関が褒賞を行うことは、意義がある。ノーベル平和賞は近年、南アのネルソン・マンデラ、中国の劉暁波等、それぞれの国で人権運動をしている人物に贈られることが多い。
2011年(平成23年)は、アフリカと中東で非暴力の人権活動を続ける3人の女性が選ばれた。アフリカ初の女性大統領としてリベリアの国家再建に力を尽くしたエレン・サーリーフ大統領、同国の平和活動家リーマ・ボウイー、イエメンの人権活動家タワックル・カルマンである。これら発展途上国における人権運動を評価し、推進するため、国際的な褒賞を行うことは有効である。ただし、平和賞は、政治的な思惑が絡んでいると見られる時があり、特に先進国の指導者への授章は十分な検討が望ましい。
もう一つ、ルワンダの例が示しているのは、新興国における国民の形成の大切さである。氏族的・部族的集団の対立・抗争状態を脱し、国民的集団を形成することができなければ、近代的な武器を得た国内の政治団体の争いが高じ、せっかくできた独立国家が内部から機能マヒとなり、さらに自壊さえしかねなくなる。ここで国民形成の推進力なるのが、ナショナリズムである。人権とナショナリズムの関係については、第6章に書いたので、ここでは現代世界におけるナショナリズムについて、簡単に補足する。
先に書いたように、国際人権規約は、自由権規約も社会権規約も第1条で、人民(peoples)の自決権を定めている。「すべての人民(peoples)は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」が、その条文である。peoples は、人民とも国民、民族とも理解し得る。それらの自決権は、しばしば民族自決権と訳されるが、一般的に言うと、集団の自決権である。国際人権規約に集団の自決権が盛り込まれたのは、第2次世界大戦後、アジア・アフリカで民族解放・独立運動が高揚し、多くの独立国が建設されたことによる。集団の権利が確立されてこそ、個人の権利が保障される。その思想が、国際人権規約に盛り込まれている。人民の独立なければ個人の人権なし、という原則が、打ち立てられたのである。そして、有色人種の諸集団では、西欧諸国から独立を勝ち得た後に、国民個人の権利の保障や拡大が進められつつある。その前提は集団として持つ権利の獲得である。
集団の権利の獲得は、周辺部におけるナショナリズムの高揚によるものである。ただし、ナショナリズムはリベラリズム、デモクラシーと結合したものとならなければ、個人の権利の保障・拡大にはつながらない。ナショナリズムは、リベラリズム、デモクラシーと結合した時に、人権の観念の発達・伝播をもたらすものとなる。アジア・アフリカには開発独裁型の発展途上国や社会主義の影響を受けた新興国、部族連合が発展した国家等が多くあり、そうした国々では、国民の自由と権利は思想として発展しておらず、逆に自由と権利への抑圧がしばしば横行している。ナショナリズムがリベラル・デモクラシーと結合して発達した時に、集団の権利とともに個人の権利の発達が可能となる。
以上、今日の世界の人権状況について概説した。こうした状況において、「人間的な権利」の発達を図るには、人権の基礎づけ、定義、内容、実践に関する検討が必要である。その点については、第4部で人権の理論と新しい人間観について述べる際に、具体的に書くこととする。
次回に続く。
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