ほそかわ・かずひこの BLOG

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三橋貴明氏の経済成長理論1

2010-06-25 09:16:55 | 経済
 三橋貴明氏は、インターネットから登場した若い経済評論家である。中小企業診断士として企業の財務分析で培った解析力をマクロ経済に応用し、経済指標など豊富なデータをもとに国家経済を多面的に分析する「国家モデル論」で知られる。現在、私が注目するエコノミストの一人である。
 三橋氏は、わが国の経済について通説を覆す主張をし、日本がデフレを脱却し、新たな経済成長をするための総合的な経済政策を提案している。その政策は、「成長こそすべての解」とする積極的な経済成長路線である。
 三橋氏は、今年7月の参議院選挙で自民党の比例区公認候補として立候補した。単なる経済評論家ではなく、自らの経済成長理論をもって政界に進出し、その実現を図ろうというわけである。政界進出に当たっては、『日本を変える5つの約束』(彩図社)、『日本のグランドデザイン』(講談社)等を出版し、自らの政策・信条・ビジョンを明らかにしている。
 三橋氏の理論と主張には、これまで私の知る経済理論・経済政策とは異なる点がある。なによりデータが豊富に示され、そのデータをもとに所論が展開される。本稿は、氏の経済成長理論の検討のため、その骨子を整理することを目的とする。

●経済学と経済政策の大まかな流れ
 
 最初に経済学と経済政策についての私の認識を大まかに書く。
 19世紀半ば以来、経済思想における最大の対立は、資本主義と共産主義の対立である。根本的な違いは、私有財産制の肯定か否定かにある。思想的には、ロックとマルクスの対立である。ロックは私有財産制を肯定し、資本主義を哲学的に基礎付けた。マルクスは私有財産制を否定し、資本主義の矛盾を止揚するかのような思想を打ち立てた。資本主義と共産主義は理論的には正反対だが、私の見るところ、実態は自由主義的資本主義と統制主義的資本主義の違いに過ぎない。共産主義を実行したソ連等の諸国の経済体制は、実態は統制主義的資本主義である。そこで、私は、いわゆる資本主義を統制主義的資本主義と区別するため、自由主義的資本主義と呼ぶ。
 古典派経済学は、ロックの思想に基くアダム・スミスに始まり、リカードが完成した。古典派の経済理論は労働価値説に基く。この点はマルクスも同様である。これに対し、1870年代に限界効用の概念が登場して経済学に限界革命が起こり、新古典派経済学が発達した。新古典派は市場における需要・供給価格理論である。ワルラスの一般均衡理論が主流である。新古典派が、自由主義的資本主義の経済理論となった。
 自由主義的資本主義は、1917年のロシア革命後、共産革命の脅威に直面した。さらに1929年の世界大恐慌によって、自ら危機を産み出した。それまでは自由放任、市場決定の思想が資本主義の原理だった。しかし、その原理では資本主義の維持が難しくなった。そこに登場したのがケインズである。
 ケインズは、失業の問題を重視し、国民所得(GDP)は総供給ではなく総需要によって決まるという「有効需要の原理」を打ち出した。完全雇用実現のためには、政府による有効需要の創出が重要であると主張し、政府が積極的に経済に関与する理論を説き、「総需要管理政策」を提唱した。これを経済学における「ケインズ革命」という。
 アダム・スミスからワルラスの系統を新古典派経済学、ケインズの系統をケインズ学派という。私は前者の思想を古典的自由主義、後者の思想を修正的自由主義と呼ぶ。
 ケインズ学派の修正的自由主義は、1930年代から1980年代まで、自由主義的資本主義の基本思想となっていた。今日のマクロ経済学は、基本的にケインズの理論を発展させたものである。サミュエルソンの「新古典派総合」が広く世界に影響を与え、各国は多かれ少なかれケインズ理論に基づく経済政策を行った。
 その間、先進国の多くで社会保障費が増加、社会主義の勢力が伸張するなどし、政府による管理の度合いが大きくなった。これに対し、80年代にはサッチャー、レーガンが古典的自由主義を復活する政策を行った。そこには、大恐慌以来、資本に課していた規制を緩和し、競争原理を強化し、政府の介入を否定して市場による決定に委ねる思想があった。フリードマンは、経済政策は流通する通貨の量を一定の速度で増加させるだけでいいというマネタリズムを説いた。またルーカスは、経済主体が政府の政策を合理的に予測してしまえば、その政策は無効になるという合理的期待形成説を説いた。彼らは新古典派経済学の継承者であり、その経済思想は、新自由主義ないし市場原理主義と呼ばれる。ケインズ主義に対する反ケインズ主義である。
 1991年(平成3年)ソ連が崩壊し、相前後して東欧諸国も共産主義を放棄した。その結果、アメリカが唯一の超大国となり、世界の政治・経済・軍事に大きな力を振るうようになった。アメリカは、新自由主義・市場原理主義に基づくグローバリズムを各国に広めた。ウォール街を中心とする巨大国際金融資本が、情報通信技術を駆使して、強欲に利益を追求した。しかし、サブプライム・ローンの危機とリーマン・ショックによって、2008年(平成20年)世界は大恐慌以来最大の経済危機に陥った。ここで改めて自由放任・市場決定的な古典的自由主義の危険性が再認識され、修正的自由主義への回帰が起こった。ケインズ主義の復権である。それと同時に、グローバリゼイションに抗してナショナリズムを復興する傾向が広がっている。

●わが国の経済的課題

 わが国に目を転じると、わが国は第2次世界大戦後、敗戦の荒廃から復興し、1955年~73年(昭和30~48年)にかけて高度経済成長を成し遂げた。この間の経済政策は、ケインズ理論を応用したものだった。その後、わが国は二度にわたるオイル・ショックを乗り越え、世界第2位の経済大国として、アメリカを脅かす存在となった。ところが、1985年(昭和60年)のプラザ合意以後、わが国は敗戦後軍事的に従属してきたアメリカに金融的にも従属する関係となり、その関係の中でバブル経済に陥った。1990年(平成2年)ころバブルは崩壊し、日本経済は大きな打撃を受け、長期にわたる不況が続いた。それとともに、一層アメリカ資本の進出を許す外交が行われた。
 2001年(平成13年)に成立した小泉=竹中政権は、わが国に新古典派経済学の新自由主義・市場原理主義を導入した。その経済政策によって、構造改革が推進されたが、その反面、中小企業の倒産が多発し、経済的格差が拡大し、家庭や地域の共同性が損なわれた。これへの反省と反発が、今日のわが国の経済学・経済政策にほぼ共通して見られる。グローバリゼイションに抗してナショナリズムを復興し、競争原理に対して協同原理を回復し、マネー・ゲームではなくものづくりを重視し、経済成長と社会保障の調和を追及する傾向が強くなっていると言えよう。竹中平蔵氏の盟友だった中谷巌氏の懺悔と転向は象徴的な出来事である。
 バブルの崩壊後、わが国の経済は、低迷を続けている。不況の中で行われた緊縮財政の結果、2000年(平成10年)以降は、敗戦後初めてデフレに陥った。物価の下落以上に、所得が下がる。供給能力が巨大なのに需要が少ないため、需給ギャップが大きい。わが国はこうした日本独特のデフレから抜けられず、今年1~3月期のGDPは年率換算で480兆円。500兆円を大きく割り込んでいる。かつての自民党政権であれ、いまの民主党政権であれ、デフレを脱却するための経済政策を策定・実行できていない。政府の財政政策と日銀の金融政策が一体化していない。既成政党であれ新党であれ、こういう経済状況を打破するための具体的な経済政策をもった政治家の出現が期待される。
 本稿が主題とする三橋貴明氏は、こうした状況でわが国に現れた経済評論家であり、また独自の経済政策を提案する政治家の卵である。

 次回に続く。