ほそかわ・かずひこの BLOG

<オピニオン・サイト>を主催している、細川一彦です。
この日本をどのように立て直すか、ともに考えて参りましょう。

ソ連の不法行為を忘れるな

2010-06-21 07:10:00 | 歴史
 大東亜戦争の末期、共産主義ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄して、満州・樺太等を侵攻した。さらに、スターリンは国際法を無視し、日本人を俘虜として抑留し、シベリア等の各地で強制労働を課した。
 わが国の厚生省援護局の資料によると、抑留者は約57万5,000人、うち死亡者は、約5万5,000人とされている。また、ロシア側の研究報告によると、抑留者は約54万6,000人、うち死亡者は約6万2,000人とされる。(『はるかなシベリア・戦後50年の証言』北海道新聞社)
 しかし、実態はさらに大規模だった可能性がある。ロシア人ジャーナリストで、元イズベスチア編集長のアルハンゲリスキーは、著書『シベリアの原爆』(邦題『プリンス近衛殺人事件』新潮社)にて、日本人の抑留は軍人・民間人合わせて200万人以上に達し、そのうち40万人が虐殺されたと推計している。酷寒の地で食糧も防寒具もろくに与えられず、重労働を課せられて虐殺された日本人の数は原爆での死者より多かった。アルハンゲリスキーは、著者を「シベリアの原爆」と名づけた。

 ソ連崩壊後、明るみに出た機密文書などによれば、シベリア抑留はスターリンの指令によって行われたものだった。スターリンは、アメリカのトルーマンに、北海道の北半分の占領を要求した。トルーマンがこれを拒否すると、スターリンはその代償として抑留を強行したのである。
 私は北海道の道北地方に生まれ、育った。私の父母は、敗戦当時、まさにスターリンが占領を狙っていた地域に住んでいた。もしソ連に占領されていたら、父母は大いなる悲劇にあったことだろう。私自身、自分の存在がこうしてあったものかどうか、わからない。
 スターリンは、北海道北半分を占領する要求が拒否された代わりに、60万~200万人もの日本人をシベリアに抑留し、強制労働をさせた。その中に私の伯父二人がいた。彼らは、米ソの駆け引きの結果、親・きょうだい、郷土が守られたのと引き換えに、氷原の地獄を味わわされたわけである。

 このたび、わが国では、シベリアなどに抑留された日本人に特別給付金を支給する特別措置法が成立した。伯父二人は、特措法の成立を見ることなく、既に鬼籍に入っている。生存している人たちの平均年齢は、87歳前後だという。給付金は、いくばくかの慰労にはなるだろう。しかし、ソ連の不法行為はなんら裁かれていない。第2次世界大戦の戦後処理によって捻じ曲げられた国際法の正義は、いまだ回復されていない。
 日本人は、決してソ連の不法行為を忘れてはならない。また旧ソ連を引き継いだロシアは、ソ連の不法行為を謝罪、補償することなく、北方領土の不法占拠を続けている。そのことも忘れてはならない。
 
 以下は報道のクリップ。

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●産経新聞 平成22年6月21日

【主張】シベリア特措法 忘れまいソ連の不法行為
2010.6.21 02:47

 第二次大戦後に旧ソ連のシベリアなどに抑留された日本人に1人当たり25万~150万円の特別給付金を支給する特別措置法が成立した。
 シベリア抑留は、昭和20(1945)年8月に日ソ中立条約を破って旧満州などに侵入した旧ソ連軍によって引き起こされた歴史的な犯罪行為である。関東軍将兵ら約60万人がシベリアなどの収容所に連行され、最高11年半に及ぶ強制労働をさせられた結果、約6万人が死亡したといわれる。
 これは、ソ連も加わったポツダム宣言の日本軍人らの本国帰還を求めた規定(第9条)にも違反している。本来、ソ連(現ロシア)の責めに帰すべき問題である。
 しかし、昭和31年の日ソ共同宣言で、日本はソ連への賠償請求権を放棄した。その後、抑留体験者の一部が国に強制労働の未払い賃金などの補償を求める訴訟を起こしたが、最高裁は平成9年、「戦争被害は国民が等しく受忍しなければならない」として、原告側の要求を退け、補償の要否を立法府に委ねた。
 その結論が戦後65年たって、ようやく出されたといえる。ただ、給付金の支給対象は生存している元抑留者に限られる。帰国した46万人を超える元抑留者のうち、生存者は7万~8万人で、平均年齢は87歳前後と推定される。
 特措法は、抑留の実態調査や遺骨収集、追悼などを行うための基本方針策定も政府に義務づけた。異国の地で亡くなった人や、帰国後、特措法を待てずに死亡した元抑留者のためにも、国はこれらの義務をきちんと果たすべきだ。
 ソ連崩壊後、明るみに出た機密文書などによれば、シベリア抑留はソ連の独裁者、スターリン首相の指令によって行われたものだ。北海道の北半分の占領を狙ったスターリンの要求を米国のトルーマン大統領が拒否し、その代償として抑留を強行したのである。
 今回の特措法をめぐり、シベリア抑留は「日本の侵略戦争」などが引き起こしたとする論調が一部マスコミにあるが、歴史を直視しない一方的な見方である。
 ソ連の不法な対日参戦で、多くの日本の民間人も犠牲になった。しかも、ソ連は日本固有の領土である北方四島を占領し、ソ連を引き継いだロシアは今も不法占拠を続けている。日本国民はこうしたソ連の不法な行為を子や孫たちに語り継いでいかねばならない。
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