おとといと昨日のブログでロストロポーヴィッチのことを書いたらもうひとつ思い出した。こんどは棒ではなく本業の方。
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1983年10月19日(水)8:00pm
エヴリー・フィッシャー・ホール
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ペンション・ファンド・ベネフィット・コンサート
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ストラヴィンスキー作曲
ペトルーシュカ(1947年改訂版)
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ドヴォルザーク作曲
チェロ協奏曲
チェロ、ムスチスラフ・ロストロポーヴィッチ
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ズービン・メータ指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
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ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、ロストロポーヴィッチの独壇場であった。
後ろ向きになってチェロを弾けるものなら、彼は同時に指揮もしていたかもしれない。
今まで生聴きしたチェロで圧倒的だったのがヨーヨーマであったが、こうやってロストロポーヴィッチのチェロを聴いてみると、なんというかヨーヨーマでさえも、1000メートル後方を走っているにすぎないといった感覚におそわれる。
チェロ一個であれだけホールを鳴らせるとは。。
また、高低、強弱における音色の一様性はちょっと信じられないほどである。
音楽が完全に余裕から発生している様が手に取るようにわかる。
完璧な自信に裏づけされた自由とその開放感の素晴らしさ。そしてそれを聴衆が手に取るように理解できるその表現力の豊かさ。真の大家。
作曲家の曲の素晴らしさにならんでしまうような演奏。というよりも飛び越えてしまった演奏。
特に第2楽章の後半、ドヴォルザーク特有の弦の美しさが、呼吸といい、その音色といい、ニューヨーク・フィルのアンサンブルとともにドヴォルザークを越えてしまうような唖然とする美しさであった。
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この曲は、昔、へリオドール廉価盤ででたフルニエのチェロ、セル指揮ベルリン・フィルのレコードをほとんど擦り切れるまできいたおぼえがある。あの組み合わせの素晴らしさは、いまだに頭にこびりついている。
ここで聴くニューヨーク・フィルもまた実にすばらしく、特にホルンの音色は全くマンハッタン的でないというか、深みのある素晴らしい音色である。
アンサンブルが素晴らしくよく、語りつくされた名曲をを蘇らせてくれる。本当にフルニエのレコードを最初に聴いた時の感動を蘇らせてくれた。
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ストラヴィンスキーのペトルーシュカ。
レコードではたしかハイティンクのものをよく聴いたおぼえがある。これはあらためて?こうして生演奏に接してみると、全く奇妙な音楽であるとつくづく思ってしまう。いわゆる新古典的折衷的な音楽なのだが、そうとはわかっていても本当に変な音楽だと思う。
形式感を意識して聴く音楽ではなく、バレエ音楽だと思って聴いていれば少しは気が休まるが、かといって踊る方は楽ではないだろう。
ただ、いたるところに一度聴いたら忘れられないようなメロディーが出てくるので聴衆は少しは安心するのだが、またすぐ、ごちゃごちゃ、曖昧模糊、となるのでやっぱり全体を把握しづらいと思う。
メータはスコアなしでやっていたが、そんなに簡単ではないと思う。単旋律的ではあるが、シンプルであるがゆえの難しさがあるかもしれない。
ニューヨーク・フィルは特にブラスが安心して聴いていられる。このような曲の場合にも取り乱さない。
この手の曲で一番おかしいのはプレイヤーがトチッたとき。トチッた原因が曲そのものにあるように思える時など、本当におかしくて笑いだしたくなるもの。その点、ニューヨーク・フィルはちゃんとやっている。全くアンサンブル単位の曲なのだが、楽器ごとにばらばらになることもなく、メータの棒もしっかりしていました。
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といった、当時のまとまりのないアルコール漬けの皿と脳味噌そのものといったメモでした。
ドヴォコンの室内楽的アンサンブルが一本の線のように奏でるピアニシモの伴奏のほれぼれする美しさは、なにか単旋律的きわどい美しさ、であり一つ踏みはずすと全部だめになりそうな。
だから美しいのかもしれない。
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強靭なチェリストが去った。2007.4.27
おわり
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