1908年の元旦にトリスタンを振らなければならない。
1907年12月にアメリカに渡った。
公演はうまくいったのかしら。
メトで3シーズン棒をとることになった。
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1909年にはニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者として登場した。
1910-1911年はニューヨーク・フィルハーモニックを精力的に指揮した。
ツアーも頑張った。
ニューヨーク・フィルハーモニックとの最後のツアー、最後の演奏。それは。
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1911年2月16日(木)
コネッチカット州
ハートフォード
パーソンズ・シアター
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バッハ/オーケストラのための組曲、4曲
ハープシコード、グスタフ・マーラー
ベートーヴェン/交響曲第6番 田園
ウェーバー/舞踏への勧誘
リスト/前奏曲
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グスタフ・マーラー指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
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リストの曲は本当に、死への前奏曲。
前奏曲は死への旅立ちの準備。
思い出は前奏でしかない。
うねる波、しかし、
引き際は、輝かしくも、
空中に放り出されるように終わる。
リストの見事なスコアをマーラーはどのような思いで振ったのか。
同年、ヨーロッパにもどったマーラーは5月に圧倒的に短い51歳の生涯を前奏曲としてしまった。
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