チェリビダッケが初めて日本で指揮をしたのは、単独来日で、読響を振ったものであった。
あのときどうやってチケットを買ったのか今では全く記憶にない。
当時は「歴史が来た」という感覚。
フルトヴェングラーにつながる歴史上の人物が、日本に来た。
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1977年(昭和52年)10月18日(火)
東京文化会館
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メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」序曲
ラヴェル 組曲「マ・メール・ロア」
バルトーク 管弦楽のための協奏曲
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セルジュ・チェリビダッケ指揮
読売日本交響楽団
指揮者があらわれる前の入念なチューニングから、それははじまった。
弦が1セクションずつチューニング。
アマの音合わせのように緊張気味。
しばらくこの状態が続き、やむ。
「し~~~~ん。」
静かさが耳に痛い。
「し~~~~ん。」
「ごくり、」
誰かが緊張のあまりつばを飲みこんだらしい。
「し~ん。ごくり。」
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そして、ついにあらわれた。非常におそい足どりで。
声にならない聴衆のため息。
長い空白の後、音があらわれてきた。
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「真夏の夜の夢」は最初から最後までピアニシモの音楽であった。
音は流れるというよりも、蜘蛛の糸みたいに妖しくもつれる。
ときには止まりそうになる、ピアニシモのままで。
一瞬、感覚が麻痺した。
忘れてはいけない、ピアニシモでフルートが奏した最後の音と、拍手までのあの異常に長い空白を。
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「マ・メール・ロア」も徹底したピアニシモの音楽。
フォルテは最後の音だけ。
最後の音をフォルテで出した後、息と音と混合したようなものがすーっと残る感覚。
シューベルトの9番と同じ。
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「管弦楽のための協奏曲」
静止した印象。
音色変化のものすごさ。それもピアニシモで。
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音楽が全て終わったとき、指揮者は指揮台からゆっくりおりて楽員をたててから、深くお辞儀をする。
音楽の本当の姿。
指揮者によって、なんと音が変わるのだろう。
ピアニシモと音色の変化こそ音楽。
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労音会館ホールで見た長編音楽記録映画「フルトヴェングラーと巨匠たち」で、チェリビダッケの指揮した「エグモント」序曲。
戦争当時のがれきの山の上で指揮したあの姿。
ピアニシモのとき、ほとんど手は振らないが、盛り上がってくると昔のあの姿がそのまま、この現実と化すのである。
フルトヴェングラーとともにベルリン・フィルを振っていたあの姿が現実にあらわれた。
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しかし、演奏はなんと非現実的なのだろう。
遠い世界に行ったような気がする。
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そして、また現実。
チェリビダッケの得意の腰の横振り。
流麗な棒さばき。
入念な指示。
音楽、芸術とは真剣な演技ではないか。
舞台の上で行う演技ではないかと思う。
演技こそ本物を表現するあかし。
聴衆は演技をみて心から酔う。
現実と非現実の合体が、今の現実。
高尚な芸術もある。そして、よごれた現実もある。
自分のしたいようにする。
それでよいのだろうと思った。
チェリビダッケの演奏を聴いて、指揮姿を見て。
音楽を聴いてこんなに考えさせられたのははじめてだ。
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バルトークの一番最後の音で、ものすごい声をだした。
あれは僕の最前列を通り越し、いったいどこまで届いたことやら。
新世界のコーダを思い出す。
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さしだされた花束をもらい、その中から一本ちぎってコンサート・マスターへ。
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左足の痛そうなのが気になった。
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チェリのサインと握手をしたあの手と笑顔も忘れないでしまっておこう。
ぎこちないが、その動作一つ一つが僕には印象的だった。
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この演奏会の10日後、ベルクのヴァイオリン協奏曲などの演奏会を開いた。
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この日から日をおかず、
カラヤン/ベルリン・フィルが来日する。
おわり
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