1990年のケルンRsoによるマーラー第1サイクルがはじまった。
今後12か月の間に今回も含め3回のツアーを行い、マーラーの交響曲全部と大地の歌を演奏するというもの。
第1サイクルの最初の曲は3番。どんな感じだったのかしら。
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1990年11月23日(金)
サントリー・ホール
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マーラー作曲交響曲第3番
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メゾ、フローレンス・クイヴァー
ケルン放送合唱団(女声)
南ドイツ放送合唱団(女声)
東京少年少女合唱隊
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ガーリ・ベルティーニ指揮
ケルン放送交響楽団
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マーラーの3番の40分におよぶ第1楽章、その第1主題はブラームスの第1交響曲第4楽章の例の有名なメロディーそのものだと思うのだが、指摘した文章を見かけない。
同じくマーラーの第6番の第1楽章の冒頭の第1主題は、ベートーヴェンのエロイカの葬送行進曲そのものだと思うのだが、これも指摘したものを見かけない。
無骨で雄大といったイメージがあるのだが、ベルティーニは最初から渾身の力をこめて振る。棒は下から上に湧き上がるような感じだ。
サントリーホールの手狭さはこのような曲の場合どうしようもない飽和感がある。巨大な曲、膨らんだ楽器群、合唱群、どれをとってもキャパ不足は否めない。
ケルンの音はドライ。艶やかさがあまりない。ブラスは強力ではあるが押し込めるような音。この音、第3番には妙に合う。全面ねっとりやられたらヤニっぽくなって、ちょっと辟易するが、このサウンドだと見通しがよくドライさが心地よい。夏の歌、というだけあってビールなんか合うのかもしれない。
全部で6楽章100分の曲だが、第1楽章から3楽章まで、この迫力サウンドで押し切る。
第4楽章はアルト(メゾ)・ソロで歌われる。ここではじめてなんだかしっとりした音楽が鳴るが、弦はあくまでも、絡まない糸、のように歌わない。それでもいい感じになってきた。
この曲の場合、いつも問題になるのが唐突にはじまる第5楽章の日本人による児童合唱。
子供たちには悪いが、ここでガクッとなる。なんでもかんでも外国から来る連中の方がうまい、とは思わないのだが、第5楽章の児童合唱でガクッ。
このパートだけ日本での調達。ちゃんと練習してこの日の演奏にかけているに違いない。しかし、やっぱりいまいちだなぁ。
おなかに力がはいっていないというか、表面づらをなぞっているというか、きれいでピッチもあっているのだろうが、第6楽章まで見渡した時、第5楽章だけへこんでいるような感じなのだ。メゾの声だけがはっきりと浮き出ている。
この第5楽章は、第4楽章のゆっくりした音楽と、第6楽章のこれまたゆっくりした祈りの音楽をとりもつ気分転換的要素をもった5分なのだが、どうもいかん。
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ベルティーニという指揮者は中庸というか、わりと激しく棒を振ったりする局面もあるが、出てくる音はいたってオーソドックス。第6楽章もこれ以上の思い入れはない、ということではなくきれいに流していく。
最後のオルガン風な息の長いロングトーンも、気張ることなくブラスのブレスもそれなりに分かるような感じのなか、引き締めて、サァ、と終わった。
つづく
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