河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

PC版に一覧等リンクあり。
OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

タコ全2007 日比谷公会堂

2007-05-16 20:41:00 | 音楽

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カジモトさんからいつものように、20075月号のコンサート・パンフが送られてきた。(冊子のブローシャー)

それはいつも立派なもので、コンサートの計画を立てるときに重宝している。

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そのなかに一枚、写真のような紙切れがはいっていた。なんとなく昔を思い出す雰囲気のチラシだ。写真では、ななめに写っているが、これ、本当に切り方がななめなのだ。

遠い昔の配布チラシを思い出したが、

それはそれとして、

この下半分に注目公演がのっている。

注目公演

指揮者・井上道義が贈る

日露友好ショスタコーヴィッチ交響曲全曲演奏

プロジェクト2007/05/13

各日共 日比谷公会堂

全席指定¥3,000

いやぁー、ますます昔を思い出しますなぁ。

日比谷公会堂\3,000、ふるってますな。

.

昔であれば、なにがどうあっても聴きに行っていただろうと思う。

今のこの時代どうしよう。

行きたいような行きたくないような。

113() 123

サンクト・ペテルブルク交響楽団

114() 56

サンクト・ペテルブルク交響楽団

1110() 7

サンクト・ペテルブルク交響楽団

1111()1013

サンクト・ペテルブルク交響楽団

1118()914

広島交響楽団

121()4

東京交響楽団

125()1112

名古屋フィル

129()815

新日本フィル.

ほぼウィークデイをはずしているので、会社のあとバタバタ、ということもない。

ゆっくり演奏を楽しむことができそうだ。それに安い。

1975年バイエルン放送交響楽団を引連れて来日したラファエル・クーベリックがマーラーの9番の公演を拒否した日比谷公会堂の音を聴いてみるのもよいではないか。ここにはいったことがない人はいい機会だ。

終演後、内幸町から銀座に出ても、週末なので、夜の妙な誘惑もなく、夕方のコーヒーでも飲んで静かに帰れる。

.

ということで、聴く前からなんですが、一つ行くとしたらどれ?

河童は、たぶん、これ。

121()4

東京交響楽団

井上の振るブル8はあまり感心できるものではなかったが、このての複雑巨大系の曲の方がかえってものごとを整理しやすいのではないかと思ったりする。

6番だと踊りが先走りしそうだし。。

おわり

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トリスタンとイゾルデ ワーグナー協会10周年 1990-22

2007-05-15 20:01:00 | 音楽

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1990年はかなり濃くて、特に11月は濃厚。

4日前にベルリン国立歌劇場の魔弾の射手、

3日前は同じく第九

2日前はウェルシュ・ナショナル・オペラのファルスタッフ

昨晩は同じくサロメ、

それで、今日は、

日本ワーグナー協会創立10周年記念のトリスタンとイゾルデ。

これも、20日ぐらい前に、ベルリン国立歌劇場の同オペラを2回みたばかりだ。

.

河童は協会会員ではないが、3日にわたって上演されるようなので、そのうち一日だけワグネリアンたちの末席を汚した。

この公演は11101113日の3日間行われました。

1013日は同じキャスト。

11日は裏キャスト。

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河童潜入は最後の日。

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NISSAY OPERA SERIES 1990

日本ワーグナー協会創立10周年記念

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19901113()5:00PM

日生劇場

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ワーグナー作曲

トリスタンとイゾルデ 全曲

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鈴木敬介 プロダクション

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トリスタン/ヴォルフガンク・ファスラー

マルケ王/ハラルド・シュタム

イゾルデ/ガブリエレ・シュナウト

クルヴェナール/アイケ・ヴィルム・シュルテ

メロート/大島幾雄

ブランゲーネ/コルネリア・ウルコップ

羊飼い/小林一男

舵手/宇野徹哉

若い水夫/ -->


サロメ WNO 初来日3 1990-21

2007-05-14 20:14:00 | オペラ



サロメ WNO初来日3  1990-21

ウェルシュ・ナショナル・オペラ1989年初来日2演目のうち、昨日のブログではファルスタッフのことを書きました。
今日はサロメのこと。

1990年11月12日(月) 7:00pm オーチャード・ホール

シュトラウス 作曲 楽劇サロメ

アンドレ・エンゲル プロダクション

サロメ/キャサリン・マルフィターノ
ヘロデ/ナイジェル・ダグラス
ヨカナーン/フィリップ・ジョール
ナラボート/ピーター・ブロンダー
ヘロディアス/エリザベス・ボーン

リチャード・アームストロング 指揮 ウェルシュ・ナショナル・オペラ

ヘロデの前でサロメが極限の艶やかストリップ・ダンスを踊るのは、接吻が欲しいヨカナーンの前で脱ぐのなら比較的すんなり理解しやすいが、ストーリー展開としては違和感があるものの、オペラのように視覚にうったえるような舞台の場合、歌以外の動作もわかるのですんなりとはいってきて抵抗感はあまりないと思う。
オペラ自体はナマ臭いもので皿の上にのったヨカナーンの首に接吻するのは観る方も、2001年の世界貿易センタービルのクラッシュ後の戦争の展開などを見たあとだと、現実感がありすぎる。
でも、この上演のときは1990年。
前世紀末であり、あのときは、もう100年前の1890年あたりの世紀末芸術のことで盛り上がったりしていたのだ。

マルフィターノのいわゆるエロチックなジャケのDVDはコヴェントガーデン1997年収録のもの。
あれはクラシック音楽ファンはあまり慣れていないかもしれないが、オペラファンなら別にどうということもなく、ストリップ(またはそれに近い)ダンスは、プロダクションによっては普段からわりとある。
マルフィターノは1990年4月のベルリン・ドイツ・オペラでのヴィデオもあるはず。
WNOの今回の初来日公演は同年11月なので、このタイトルロールとしては盛んに踊り始めていたころなんだろうね。
踊りに脂がのっていたかどうか、ヘロデは正視したのだろうか、気の弱い河童はS席で、なにか、はじらいのもと斜め観していたのかもしれない。
たまにおじさん族で前から10列目ぐらいの席なのにオペラ・グラスを使っていたりするのを見かけることがある。あれはなにを観ているのだろうか。となりの奥さんにたしなめられながら。。

ところでメト座の河童は、これよりもずいぶん前にマルフィターノは拝見している。
サロメではない。カルメンのミカエラ役である。
当時のホセはドミンゴ、カルメンはユーイングが常連でした。
ユーイングというのは、(コ)悪魔であり、CDだけでは決してわからない魅力をそなえている。

ということで、マルフィターノの声はどうだったのでしょうか。
わからない。
ある程度太く、どちらかというと湿り気のある声であり、ホール全体に透き通りながら響き渡る、といった感じではなく、喉の声をそのままこちらの耳でじかに受け取るような感じ。やはり見た目にやられた。

サロメの音楽は全体が艶やかであり、劇的さも兼ね備えた素晴らしい音楽であるが、エレクトラには負けると思う。というかこころざしが違う。
サロメは全てのことがあまりにも計算しつくされており、聴衆に対してどのような音楽を書いて聴かせれば、思い通りエキサイト、感動してくれるか、といったことを計算しつくしている。そのための音楽がこの曲の作曲の第一義的目的になっているのではないのか。効果をねらい過ぎている。
それに比べれば、エレクトラの終始緊張をしいる音楽は、調を踏み外したその音楽的作為までなにもかも聴衆に迎合することなく、真摯に音楽そのものを構築している。

舞台、プロダクションは昨晩のファルスタッフ同様、現実感があり、全体が暗いけれども色彩感がある。怖い絵本をみているようだ。

WNOのこの2公演(ファルスタッフ、サロメ)は、今から17年ほど前のものであるが、両方ともかなり印象深く、細かい部分は忘れてしまったが、公演の全体感、雰囲気など今でもたまに思い出すことがある。
おわり

 


ファルスタッフ WNO初来日2 1990-20

2007-05-13 20:04:00 | オペラ



ファルスタッフ WNO初来日2  1990-20

昨日のブログで書いたウェルシュ・ナショナル・オペラの1990年初来日公演2本立ファルスタッフ、サロメのうち最初に観たのがファルスタッフ。

1990年11月11日(日) 3:00pm オーチャード・ホール

ヴェルディ 作曲 歌劇ファルスタッフ

ピーター・シュタイン プロダクション

ファルスタッフ/ドナルド・マックスウェル
カウス/ピーター・ブロンダー
バルドルフォ/ジョン・ハリス
ピストーラ/ジェフリー・モーゼス
アリーチェ・フォード/スーザン・マーフィ
ナンネッタ/ニューチア・フォッチレ
メグ/ウェンディ・ヴァーコ
クイックリー夫人/シンシア・バッカン
フォード/バリー・モーラ
フェントン/デイヴィット・オーウェン

リチャード・アームストロング指揮
ウェルシュ・ナショナル・オペラ

名の売れた人は一人もでていないが、今こうやって眺めてみて、おお、と思ったりしたのがナンネッタ役のニューチア・フォッチレ。
日本ではあまりにも名が売れなくて悲しくなってしまうが、現在の日本の表記はヌッチア・フォチレです。
パヴァロッティのライヴ・イン・モデナでの公演で、お相手役としてあまりにも可憐な歌姿に河童は皿がずれたのさ。
この公演はヴィデオ、CDのフォーマットがひっそりと発売されている。
河童のような頭の毛をなびかせて棒を振るベニーニのユニークな姿ともども忘れられない。
このヴィデオのパヴァロッティはちょっと横においといて、唯一フォチレだけみましょう。一番下にCDジャケを貼り付けておきました。

ということで、1990年のプログラムを読んでみるとウェールズ・ナショナル・オペラというのは、ツアー・オペラ(ツーリング・オペラ)のカンパニーのようだ。つまり専属のオペラ・ハウスをもたず、旅芸人一座のように各地を転々として歩くわけだ。
また、プロダクションも選任演出家をもたず一演目ごとに変えているようだ。
歴史的に育まれてきた独自文化から形成されてきたものなのかどうか非常に興味深いところだ。現在はどのような形なのか詳しいことはわからない。

舞台は、ベルリン生まれのピーター・シュタインの演出。非常に演劇性の強いもので、かつリアルスティックな舞台である。
歌い手は日本人から見ればほぼ無名な人ばかりだが、骨太でしっかりした声で歌う。オーケストラ・サウンドも同様な方向性だ。
全てがかなりのハイレベル。聴きごたえ観応え充分過ぎるといったところか。
ファルスタッフはCDで音だけ聴いていても煩雑なところがあるが、舞台を観ていると、ときとして収拾がつかないほど混乱してしまったりする。プロダクションがかわっても動きのはやい人物たちが雑然と動き回ることにかわりはない。
一度、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルのCDでも買って、耳を清らかに洗い流してみるのもいい考えだ。

ヴェルディの最後の作品らしい技は歌や演奏に敏感にあらわれるため、経験のある歌い手が大勢そろい歌わなければならないが、バタバタした動きはもっと若々しいものであり、うまくかみ合えば思いっきりヴェルディ最後の笑いを発声させることができるが、混乱してしまうとそうもいかない。
このときの公演は、舞台、歌ともに原色っぽいところがあり一見派手に思えるが、演出が明らかに演技にウェイトをおいており、それが決まっており安定感があり、観る方も安心して楽しむことが出来た。歌は最初に書いたように非常な骨太であり、アンサンブルの妙をこれまた安心して楽しむことが出来た。
WNOはそれまで日本では全くなじみのないオペラ・カンパニーであったが、この一夜でその力を知った。

ただ、河童のからだ的には疲れていてベスト・コンディションとはいかなかったようだ。
昨晩が、ベルリン国立歌劇場の第九公演だったし、その前の日は同じ歌劇場の魔弾の射手を観ていた。3日たてつづけだ。
でもこれでめげてはいけない。なにしろ明日はサロメだ。早い話が4日連続でオペラ3公演、第九公演1回となったわけだ。
つづく


ウェルシュ・ナショナル・オペラ 初来日1 1990-19

2007-05-12 23:19:37 | オペラ

 

ウェルシュ・ナショナル・オペラ 初来日1  1990-19

1990年のコンサート、オペラも、残すところ11月、12月。
この11月の時節、UK90英国祭というものがあり、その一環としてウェルシュ・ナショナル・オペラの初来日公演があった。
上演演目は2本、それぞれ3回公演であった。

1990年
11月8日(木) サロメ
11月9日(金)ファルスタッフ
11月11日(日)ファルスタッフ
11月12日(月)サロメ
11月13日(火)ファルスタッフ
11月14日(水)サロメ

オーチャード・ホール

リチャード・アームストロング 指揮 ウェルシュ・ナショナル・オペラ

11月11日と12日の公演を観たが内容は次回。

当時はウェルシュ・ナショナル・オペラと言っていたようだが、ウェールズ・ナショナル・オペラ、と表記する場合もあるようだ。(いずれにしてもWNOだ。)
WNOは1990年が初来日だが、その後来日しているのかどうかよくわからない。
このときのプログラムはA4よりひとまわり大きいもので96ページ。かなりのボリュームだ。
英国祭UK90ということもあってか、今となってはむなしいウェールズ皇太子妃ダイアナが冒頭の挨拶文を書いている。
また、英国首相鉄のマーガレット・サッチャー、日本の内閣総理大臣水玉の海部俊樹も挨拶を述べている。
渋谷の東急本店の裏にくっついている文化村オーチャード・ホールは1989年に出来ており、約1年たったことになる。

WNOは1946年に結成。
4月15日初公演。
指揮ヴィクター・フレミング
カヴァレリア・ルスティカーナ
パリアッチ

以上2本立てで行われたようです。
これに続く公演が、ファウスト、ということですから音楽的には当初から充実していたようです。このような場合、1946年結成、などといっても十分前から下地があるわけで急にポッと出来たわけではないと思われる。
例えば、メトロポリタン・オペラMETは1883年ファウスト(!)で幕を開けましたが、そもそもこのMETというのは1854年に開設されたアカデミー・オブ・ミュージックの桟敷席に座らせてもらえない新興金持ち集団が反目して作ったものでした。
理由はどうあれ、オペラは下地、それなりの歴史があってはじめてグループなりアソシエーションなりが出来てくるものなのです。
日本の場合は概ね、昔から、来日団体による上演(だけ)がメインであり、オペラの歴史はない。来日公演の歴史しかない。
歴史的にはごく最近になって初台に新国立劇場なるものが出来たわけだが、これとて専属のオーケストラがあるわけでもなく在京のオケがころころと替わりながら伴奏を務めている。従って指揮者もピットに日ごろ同じ人間がはいることはない。
キャストもロール系は外国からの呼び寄せであり、メインイベンターをとりまく連中の腕は上がったとは言えるが、オペラの歴史を作る道しるべさえまだ暗中模索で探しあぐねているというのが実態だ。
そもそも胴長短足、頭でっかち、小肺、体力非弱、などなど、オペラという西洋エンタメ系には全く合わない姿かたちと体力を有しているのが日本人であり、無理やり作っても不自然な歴史しか出来ないのかもしれない。

ということで、WNOによる公演が2本行われたが、普段もっているイギリス風なイメージとはだいぶ異なり演出にウェイトをおいたドラマティックな上演であった。
つづく。


2007-2008年 MET ホフマン物語 取りやめ

2007-05-11 22:13:00 | 音楽

Carmen

メトロポリタン・オペラ2007-2008年シーズンに上演予定の、
オッフェンバックの「ホフマン物語」は、取りやめ。
代わりに、
ビゼーの「カルメン」をやることになった。
フランコ・ゼッフレルリ プロダクション。

置きかえ理由は、
アルジェンチンのテノールMarcelo Alvarez(マルチェロ・アルバレツ)が、自分のレパートリーからホフマン物語をはずすことになったからというもの。
それで、代わりに「カルメン」のドン・ホセ役でメトでの同役のデビューをするそうな。
歌うのは同じアルバレツ。
.
こんな勝手あり?

同じこの歌手に2つオペラをあてがうことはできない、
といった理由に、駄々をこねて、すねて、
じゃぁ、やるオペラを変えてやる、
といったところが真相かどうかは不明。

もっとも、
カルメンが、オルガ・ボロディナ
ミカエラが、クラシミラ・スタヤノヴァ
という、ロシア系にはまってしまったからかもしれない。

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日本の雨

2007-05-10 19:54:00 | 音楽

59()発売の、週刊新潮517日号を320円で買って読んでいたら、こんな記事が目に飛び込んできた。

.

「クラシック鑑賞」知ったかぶり

「小倉智昭」に大ブーイング

.

小倉さんというのは例の声の大きいキャスターですが、わりと有名なわりに、知らない人が結構いる。特にサラリーマンになじみがない。

何故かというと、ウィークデイの日中にバラエティのような番組に露出しているキャスターだからだ。ウィークデイの日中に仕事をしている人にとっては全くなじみがない。

ところが、ここのところ1年前あたりから、フジテレビ土曜日の朝10時からのバラエティもどきの番組に露出をはじめたため、サラリーマンでも眠い朝の時間帯、甲高い声で起こされたりすることになった。それで知った人も多いのではないか。とにかくうるさい。

もっとも民放の番組はテンションの高さを競っているようなうるさい番組が多いので、ボリュームを殺すか、最近はスィッチオフである。

まぁ、テレビのうるささは横において。

平日のバラエティで上記のようなタイトルの餌食になるようなことを言ったらしい。

中身の文の要約としては、

.

小倉さんはセレクションCD3枚も出しているクラシック音楽に一家言ありの人間らしい。という前置きのもと、

ソプラノの独唱とかあるじゃないですか。

3曲とか4曲とか歌ってから拍手するとかってなっているけど、

いいと思ったら1曲ごとに拍手すればいいのよ。

オペラだって良い曲を聴いたらワ~ッと拍手すればいいのよ。

などと、わけのわからないことを言っている。

といった内容のことを音楽評論家のアドバイスとともに、週刊新潮は批判している。

.

ま、たわいのないことである。

なんでこんなたわいないことに週刊新潮は目くじら立てて小倉さんを痛めつけているのか逆にわけがわからない。

ただ、なんとなくうるさくてウザイ人だなぁ、といった印象をもつ人が結構いるとは思う。

こんなキーの音響を聴くと、会社の上司の小言みたいに聞こえたりするものね。

週刊新潮、もしかして、やつあたりかも。

.

どうでもいいという感じであるが、今週の週刊新潮にはもう一つクローズアップできそうなクラシック音楽関連記事が載っている。

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タイトル

中村紘子さんが挑む5時間

「ベートーヴェン」全曲演奏

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これは63日に、上野で演奏されるベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲の紹介。

リンクはここです。

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ベートーヴェン作曲

ピアノ協奏曲12345

.

ピアノ、中村紘子

大友直人 指揮

東京都交響楽団

.

個人的にはこのようなイヴェントには反対です。

なぜ、ベートーヴェンのドツキの音楽を5曲もぶっ続けで聴かなければならないのか。

紹介文では、やる方も聴く方も体力がいる。って書いてある。その通りだ。

体力が消耗するということだ。

途中から体力が消耗し始め、そのせいで、もしかして精神的な緊張感も弛み、ピアノもヴァイオリンもウィンドもブラスも弛んでしまうかもしれないではないか。

最初から、悪い方向へ向かう要素が多いイヴェントをあえて聴く意味を感じない。

それにこの指揮者だ。例の何年か前のバイロイト年末放送のゲストででて、全ワーグナーファンと司会者の音楽評論家、及びワグネリアンではないが放送を聴いていた人たちを驚愕させたトーク。あれ以来、私は参拝をやめた。といったのは昭和天皇かもしれないが、心境的にはそれに限りなく近い。

.

今日は、日本の雨、でした。

以前書いたイタリア系の雨は以下。

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077 ローマの雨

083 ローマの雨 続報

090 ローマの雨 続報の続報

151 イタリアの雨

.

おわり

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だにちゃん ことしもくるぞー2007秋

2007-05-09 20:08:00 | 音楽

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バイロイトで、はてしもないマイスタージンガーを振り終えてカーテンコールのお誘いに、どんちょうの間からヒョロッと顔を出したりしてケロッとしているらしいダニエル・バレンボイムが、自ら率いるベルリン国立歌劇場とともに前回2002年から5年のときを経て来日公演をこの秋行う。

前回2002年の来日公演では、ワーグナーのリング・サイクルを3回敢行するという日本音楽史上稀な出来事があった。

それを全部見た河童もかなり、史上稀なる河童サラリーマン。

4×312回ですね。(1)

オペラ公演以外のコンサートも全部追っかけたので、やっぱり、かなり、変。

このときの概要は以下のリンクにちょっとだけ書いたことがあります。

バレンボイム リング の DAT

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ということで、今年は3本立て。

.

モーツァルト/ドン・ジョヴァンニ

トーマス・ラングホフ プロダクション

4回 2007.9.28, 9.30, 10.2, 10.6

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ワーグナー/トリスタンとイゾルデ

ハリー・クプファー プロダクション

4回 2007.10.8, 10.11, 10.14, 10.17

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シェーンベルク/モーゼとアロン

ペーター・ムスバッハ プロダクション

3回 2007.10.15, 10.18, 10.20

.

オペラ以外に以下のコンサート

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2007.9.27

ベトピアコン4(弾き振り)

エロイカ

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2007.10.3

ドンキ

運命

.

2007.10.12

マラ9

.

以上、全部で14

.

.

うーん、どうしよう。

ドンジョヴァンは1回でいいかなぁ。

.

トリスタンは4回全部かなぁ。

(4=216,000)

ばれちゃん好みのクリスチャン・フランツ、ワルトラウト・マイヤーがタイトルロールだもんね。

さらに、ルネ・パぺ、ロマン・トレケル、ミッシェル・デ・ヤング、だって。

やっぱり4回観るしかないかなぁ。

.

モーゼとアロンはどうしよう。

キャッチコピーがすごいんだ。

「この千載一遇の機会を逃したら、生涯に悔いを残す!」

たしかにそうだなぁ。

2回は観たいなぁ。

.

コンサートの方はどうしよう。

マーラーの9番は聴いてみたいが、運命、の方がすごいですよ。きっと。

インテンポで4拍子ぎみに振るあのベト5の迫力はすごい。

エロイカも実演はたぶん、インテンポで押し切るハズ。

.

あぁ、どうしようどうしよう。

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281- ラスキン メトなつかしのプリマドンナ5

2007-05-08 20:14:00 | 音楽

 

ヴェルディ作曲
オペラ「ファルスタッフ」
ナンネッタ役

1964年メトのリバイバルとなった、ヴェルディのファルスタッフで多くの印象的な出来事の一つは、ジュディス・ラスキンのパフォーマンスであった。
目に入れても痛くないラスキン。
美しいピアニッシモ。

ニューヨーク生まれのラスキンが初めてオペラを観たのは、メト学生演奏であった。
1962年にメトにでるまでは、ニューヨーク・シティー・オペラで歌っていた。
おわり

 


280- ベーレンス メトなつかしのプリマドンナ4

2007-05-07 20:44:00 | 音楽

 

ヒルデガルト・ベーレンスは、1976年にメトにデビューして以来、メトの聴衆お気に入りの個性派歌い手。
彼女の明快で明るい声は、同時代の最も重要なワーグナーの歌い手の一人。
1986年9月22日、
ワーグナーの「ワルキューレ」のニュー・プロダクションの初日、
ブリュンヒルデ役で嵐のような熱演を絶唱した。
当日現場にいた河童は、茫然自失となってしまったが、ベーレンスはどこから湧いてくるのか無尽蔵のエネルギーで、メト4000人を全員うならせた。
客層がイタオペとワーグナーでは異なる、などと日本ではこれみよがしに言うが、メトではワーグナーに熱中するオペラファンはいつものオペラゴアーズ。
メトのオペラの長い歴史を感じた一夜であった。
おわり

 


279- シュトラタース メトなつかしのプリマドンナ3

2007-05-06 20:17:00 | 音楽

 

 

メノッティ作曲
ラスト・サヴェージ
での
サードゥラ役。

テレサ・シュトラータスはメトでの5シーズン目に、メノッティのラスト・サヴェージ、合衆国初演の際、召使の少女サードゥラを歌った。
メトのラジオ・オーディションで賞を勝ち取ったシュトラタースは、多くのレパートリーで成功をおさめ、彼女の時代の最も劇的で尊敬すべき歌い手であった。


278- トロヤノスのリサイタル1985

2007-05-05 20:55:00 | 音楽





このCDは、メゾ・ソプラノのタティアナ・トロヤノスの芸術上のポートレイトである。
トロヤノス:1938.9.12-1993.8.21

シューマン/女の愛と生涯
ラフマニノフ/4曲
ラヴェル/五つのギリシャ・フォークソング
ロッシーニ/ヴェネツィアの競艇

アンコール
ビゼー/カルメン
マーラー/誰がこの歌を作ったのだろう

メゾ・ソプラノ、タティアナ・トロヤノス
ピアノ、ジェイムズ・レヴァイン
1985年 ライヴ

VAI VAIA1187 stereo


このリサイタルでトロヤノスは、イタリア語、ドイツ語、ロシア語、ギリシャ語、フランス語、VENETO(ヴェネツィアなまり)、を駆使している。
トロヤノスの父はギリシャ人だが、ニューヨーク生まれのトロヤノスの母国語は英語である。
ドイツ語も流暢である。
彼女の母はドイツ人であったけれども母から学んだわけではなく、ハンブルク・オペラで10年間過ごしたので。
イタリア語とフランス語はあまり流暢とは言えないが話せる。
彼女は話すことが出来ない言葉でさえ、歌に関してはその「Golden Ear(黄金の耳?)」で母国語のように歌うことが出来た。
驚異的なヴォーカル・テクニックと絶対的に正確な発音は歌の理解にすばらしく貢献することとなった。

このCDはトロヤノスの初リリースもののようだが、1985年のライブということだけで、詳しい日時は不明だ。
たぶんニューヨークだとは思うが。
ピアノのレヴァインがかなり自己主張が強い。録音のせいかもしれない。
トロヤノスは太く大きく歌う。たまにオタマジャクシがダレぎみになったりするものの芯はしっかりしていて、聴衆を大きく包み込むような感じだ。
ライブ感がものすごくリアルにでている録音で、聴衆との一体感が音から伝わってくる。

この頃、メトで振りまくっていたレヴァインは、週5回ということもあれば、土曜日マチネーと夜の両方振ったこともある。
それでいてメトの唯一のお休みが毎週日曜だというのに、キリ・テ・カナワやマリリン・ホーンのリサイタルの伴奏などもしていた。
いくら脂がのっていたとはいえワークホリックもいいところだ。人間絶好調な時は休みはわずらわしいと思うことがあるものなのだ。
このトロヤノスの伴奏もそのような時代の産物だ。
おわり



277- トロヤノス メトなつかしのプリマドンナ2

2007-05-04 20:25:00 | 音楽

 

 

ベルリオーズ作曲
オペラ「トロイの人々」

ディド役になりきっているタティアナ・トロヤノス。

タティアナ・トロヤノスのあたたかくて心地よいメゾと強烈な演技スタイルは、容易にその場を支配することとなり、より広範な音楽を扱うことを可能にした。
彼女は、ベルリオーズのトロイ戦争の叙事詩におけるカルタゴの女王ディドの役で暗くて重苦しいパトスを見事に表現した。

トロヤノスはメトではいろいろな役でたくさん出演しました。
クンドリー、
ヘンゼル、
それに、
オルロフスキー
決まってましたね。
気品のある遊び人貴族っていう感じで。
彼女が出てくると「こうもり」もなにか彼女の空気になってしまうようなところがありました。
 

 

 


276- シュターデ メトなつかしのプリマドンナ1

2007-05-03 20:43:00 | 音楽

 

 

メッゾ、フレデリカ・フォン・シュターデ

この写真は、
モーツァルト作曲オペラ「イドメネオ」

イダマンテ役になりきっているところ。
1982年、イドメネオのプレミエです。

メゾソプラノ、フレデリカ・フォン・シュターデは、1970年にメトロポリタン・オペラ・ハウスでモーツァルトの魔笛の第三の侍女役で、自身のキャリアをスタートした。
自国アメリカにおいて端役で3シーズンほど過ごしたこの経験が、ヨーロッパでの成功をもたらした。
 


ドヴォコン ロストロポーヴィッチ

2007-05-02 20:14:00 | 音楽

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おとといと昨日のブログでロストロポーヴィッチのことを書いたらもうひとつ思い出した。こんどは棒ではなく本業の方。

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19831019()8:00pm

エヴリー・フィッシャー・ホール

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ペンション・ファンド・ベネフィット・コンサート

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ストラヴィンスキー作曲

ペトルーシュカ(1947年改訂版)

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ドヴォルザーク作曲

チェロ協奏曲

チェロ、ムスチスラフ・ロストロポーヴィッチ

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ズービン・メータ指揮

ニューヨーク・フィルハーモニック

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ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、ロストロポーヴィッチの独壇場であった。

後ろ向きになってチェロを弾けるものなら、彼は同時に指揮もしていたかもしれない。

今まで生聴きしたチェロで圧倒的だったのがヨーヨーマであったが、こうやってロストロポーヴィッチのチェロを聴いてみると、なんというかヨーヨーマでさえも、1000メートル後方を走っているにすぎないといった感覚におそわれる。

チェロ一個であれだけホールを鳴らせるとは。。

また、高低、強弱における音色の一様性はちょっと信じられないほどである。

音楽が完全に余裕から発生している様が手に取るようにわかる。

完璧な自信に裏づけされた自由とその開放感の素晴らしさ。そしてそれを聴衆が手に取るように理解できるその表現力の豊かさ。真の大家。

作曲家の曲の素晴らしさにならんでしまうような演奏。というよりも飛び越えてしまった演奏。

特に第2楽章の後半、ドヴォルザーク特有の弦の美しさが、呼吸といい、その音色といい、ニューヨーク・フィルのアンサンブルとともにドヴォルザークを越えてしまうような唖然とする美しさであった。

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この曲は、昔、へリオドール廉価盤ででたフルニエのチェロ、セル指揮ベルリン・フィルのレコードをほとんど擦り切れるまできいたおぼえがある。あの組み合わせの素晴らしさは、いまだに頭にこびりついている。

ここで聴くニューヨーク・フィルもまた実にすばらしく、特にホルンの音色は全くマンハッタン的でないというか、深みのある素晴らしい音色である。

アンサンブルが素晴らしくよく、語りつくされた名曲をを蘇らせてくれる。本当にフルニエのレコードを最初に聴いた時の感動を蘇らせてくれた。

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ストラヴィンスキーのペトルーシュカ。

レコードではたしかハイティンクのものをよく聴いたおぼえがある。これはあらためて?こうして生演奏に接してみると、全く奇妙な音楽であるとつくづく思ってしまう。いわゆる新古典的折衷的な音楽なのだが、そうとはわかっていても本当に変な音楽だと思う。

形式感を意識して聴く音楽ではなく、バレエ音楽だと思って聴いていれば少しは気が休まるが、かといって踊る方は楽ではないだろう。

ただ、いたるところに一度聴いたら忘れられないようなメロディーが出てくるので聴衆は少しは安心するのだが、またすぐ、ごちゃごちゃ、曖昧模糊、となるのでやっぱり全体を把握しづらいと思う。

メータはスコアなしでやっていたが、そんなに簡単ではないと思う。単旋律的ではあるが、シンプルであるがゆえの難しさがあるかもしれない。

ニューヨーク・フィルは特にブラスが安心して聴いていられる。このような曲の場合にも取り乱さない。

この手の曲で一番おかしいのはプレイヤーがトチッたとき。トチッた原因が曲そのものにあるように思える時など、本当におかしくて笑いだしたくなるもの。その点、ニューヨーク・フィルはちゃんとやっている。全くアンサンブル単位の曲なのだが、楽器ごとにばらばらになることもなく、メータの棒もしっかりしていました。

といった、当時のまとまりのないアルコール漬けの皿と脳味噌そのものといったメモでした。

ドヴォコンの室内楽的アンサンブルが一本の線のように奏でるピアニシモの伴奏のほれぼれする美しさは、なにか単旋律的きわどい美しさ、であり一つ踏みはずすと全部だめになりそうな。

だから美しいのかもしれない。

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強靭なチェリストが去った。2007.4.27

おわり

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