眼の裏に残るケルンというのは、ライン川に絡まる列車の旅、大鉄橋、首の痛くなる大聖堂。
街並みは、亡国の某街のようにアルトシュタットをぶち壊し、同じところにノイエシュタットを作るような馬鹿な事は決してせず、味わい深いもの。
そのケルンから、ドライな乾いたサウンドの味わいのオーケストラがやってきた。
放送交響楽団というのは、みんなこんな感じの匂いがが多少ともするのは気のせいか。
今回1990年11月の来日をいれて、今後12カ月の間に日本に3回ツアーを敢行し、マーラーの交響曲全曲と大地の歌を演奏するそうな。まさに、私の時代がきっとやってくる、と言ったかもしれないマーラーの予言通りのブームだ。それにバブルもお手伝いしている。クラシック音楽花盛り。
河童も11月前半は5日連続でオペラ公演など、体が疲弊気味だが耳は大丈夫だ。
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12か月で3回日本ツアーを行うその1回目のツアーのプログラムはこんな感じ。
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マーラー・第1サイクル
1990年
11月20日(火) 第3番
11月21日(水) 第3番
11月23日(金) 第3番 ●
11月24日(土) 第2番 ●
11月25日(日) 第2番
11月27日(火) 第2番
11月28日(水) 第5番
11月29日(木) 第5番
11月30日(金) 第5番 ●
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ガーリ・ベルティーニ指揮
ケルン放送交響楽団
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●は河童潜入
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11日間で3曲を9回演奏して帰るわけだ。
ケルン放送合唱団と南ドイツ放送合唱団も同行している。児童合唱は和製だ。
ガーリ・ベルティーニではなく、ゲイリー・ベルティーニと言いたいところだが、一般的なほうで書くことにする。
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ケルン放送交響楽団は今度で4回目。
最初が1980年 若杉弘 指揮
2回目1983年 若杉弘 指揮
3回目1988年 ガーリ・ベルティーニ指揮
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初来日の1980年のことは1980年まで遡らなければならない。今は1990年のことを書いているので、詳しい話はちょっと後回し。
1980年の初来日の折は、若杉がタクトをとっているオーケストラということもあり世間がかなり盛り上がった。
1983年のことは知らない。
1988年のときはこんな感じ。
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1990年の時代でも、プレイヤーに日本人が比較的多く、四方恭子さん宮本文昭さんをはじめ何人か姿が見える。宮本さんのオーボエの角度は相変わらずかなりのものだが、ケルンに比較的溶け込んだ音色だ。
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さて、今回のマーラー・第1サイクルはどんな感じなんだろう。
つづく
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