昔の記事で悪いが・・・おいらの原点はここにあり。古ければ古いほど良きものが沢山あってヒト科の真実が偲ばれる。 「指折り数えて」という言葉があるが昔は、みながみな、実際にそうしてきたのだ。それが、どれほど幸福なことだったかを現代人は忘れてしまった。
2016.12.10 産経新聞
上のような報道を見て、なにより思うのは、いったいいつぐらいから列島の人びとは言葉らしきものを使っていたのかと云う問題だ。国内において文字の最初が『古事記』と『万葉集』であることは周知の事実だが、このふたつの文書が編纂されてから今日までの日本の歴史はたかだか1300年ほどしかたっていない。
文字をもたずに「しゃべる」ことだけで、やりくりしていた歴史は、その数百数千倍に及ぶと見られる。いずれにせよ歴史とは未来にむかってなど、なんの意味ももちようがない。過去にむかって思えばヒト科の悠久な時間の経過が夢のように感じられるのである。
以下、小林秀雄の『本居宣長』からの受け売りだが、文字を持たない時代の人々の暮らしぶりや心持のことが『古事記』から随所にしのばれるという。文字がなければ見たこと聞いたことのいっさいを頭に叩き込んでおかねばならない。
現代人(江戸期)に比べても古代人とは、どれほど頭がよかったかと本居宣長は感嘆したと云う。人の名、土地の名、自然のあらゆるものの名。さらに暦と人事、また所有や政治にかかわる事柄のすべて。
文字がなければ記録もテキストも、どこにもない。いちいちを克明に自分の脳に記憶しておく以外に術はなかったからだ。