赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼とある外国人の不可解な言い訳

2018年12月13日 | ■政治的なあまりに政治的な弁証法

<以下、2016,06,27 記>

とあるサイトで以下のようなおバカな文章を見たので一言感想をば。

李信恵・・・・選挙にまつわる在日の思いをあちこちでずっと聞いてる。割り切れないこととか、複雑な気持ち。自分もやっぱりそういうものをすごく抱えてる。でも、選挙権のない自分が伝えられることは一票が、本当に大切っていうこと。一票すら持てない自分なりに、伝えられることや闘い方はいろいろあるはず。

李さんは、朝鮮の方で、「しばき隊」の一員として活動なさっている。選挙権がないことに、ご不満のようですが、これは当たり前のことではありませんか。どんな国でも、外国人に選挙権が与えられるなら。国の民主主義は滅びますよ。

わたしたち日本人が、韓国には選挙権がないように朝鮮の方である李さんは日本には選挙権がないのです。当たり前のことでしょうや。「一票すら持てない自分」と嘆いていますが、あなたの一票は、母国にあるのではないですか。探してごらんなさい(笑)。あるはずですよ。

母国にもないとなれば人権問題かつ国際問題ですが、それは母国の問題であり日本には関係の無い話です。そうした当たり前のことを、ご理解されていないようですね。外国人なら外国人らしく振舞まわなければならないのは、どこの国でもそうでしょう。李さんのサイトを見れば日本国内で激しく活動なさっているらしいのですが、日本のなにが不満なのでしょうね。実に不可解極まりないのです。


さて李さんのサイトの冒頭には次のようにある。

在日朝鮮人2.5世、フリーライターやってます。中途半端なマイノリティですがごく普通に生きてます。影書房から「#鶴橋安寧――アンチ・ヘイト・クロニクル」2015年1月17日発刊。 http://www.kageshobo.co.jp/main/books/tsuruhashiannei.html

大阪、ときどき東京、たまに韓国

在日朝鮮人2.5世とあって、その一行に、この方の自己認識のおおくが割かれている。知己でもないわたしは、李さんが自己をなんと自己認識しようと関心もわかないのだが、この人の文章などをみれば立派に生活もし自己主張もされているのに、なぜに在日朝鮮人であることに、それほど拘るのかということだ。李さんの全人格が、在日朝鮮人であることを世間に承認してほしいと請い願っている。

日本のそれも大都市で何不自由なく生活しているに違いないのに、日本のなにが不満で、そうも活動に身を入れているのか。これが、不可解の第一点なのである。選挙権が欲しいなら日本国籍を取得すればよい。

ながく日本で暮らしていながら、どうして、帰化しようとしないのか。日本国民になりたくない理由でもあるのか。日本に対するうらみつらみが凝り固まってでもいるのであろうか。

これがわたしにはさっぱりわからない。邪推の上で言うのだが、在日または在日朝鮮人という概念を、売り物にしているとしか思えないのである。在日朝鮮人は差別の対象になっているとのいかにもありそうな固定観念を、さらに拡大した上で信仰化し、さらに誇大に風評を拡散するに精を出す。これが李さんの活動と思想のすべてであるなら、わたしは笑うしかない。そして、なにより、これを飯のたねとして商売に精を出しているのであろうか。

そうとなれば、この人たちにとっては差別が完全になくなっては、むしろ困るのかもしれない。差別という認証言辞が、この世からなくなってしまっては、なにより飯のタネが消えてしまう。信仰が薄れる。敵がいなければ闘争の意味が薄れ活動目標が雲散霧消してしまう。生きる目標がなくなってしまう。

よって適当なる差別は、むしろ、あってもらわなければ困るのは、この人たちの方ではないのか。

されば、あるかなきかのかすかな差別さえも、いちいち誇大に吹聴して世間を挑発し集会を開いたりデモってみせたり、ときには標的となった集団と血で血を洗う喧嘩騒ぎを起こしたり、ネットという文明の機器を手に入れるや、見苦しい罵倒合戦に明け暮れたりとうとうと実につまらない日常を送って憂さを晴らしているところである。甘えるのもいい加減にせいと言いたい。もちろん上のような不埒な御仁は在日朝鮮人およびその関係者の中でも、ほんの一部だとは思っているのだが・・・。

 

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