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赤いハンカチ

子供は微笑することが上手である・・そして又すべての人間の美しさは子供の微笑に胚胎している・・・小林秀雄

▼古本屋の帰り道

2021年12月22日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

以下、昔の記事だが、さすが三島由紀夫だ。根源にある問題、根本的な問題から目をそらさない三島の罵倒から、そのことに気が付かされる。「きけわだつみのこえ」も最初の最初から特権階級の子弟の感傷ではないか。笑わせるな。こちとら百姓あがりだ。

 

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2015.08.08 横浜市

 

 

 

 

思うに、『きけわだつみのこえ』と名づけられらた、この一冊ほど戦後日本を象徴するものはないだろう。戦争に反対し進歩と平和を願う戦後日本の若き男女のバイブルと化して久しいのである。

発刊当時、さすがに三島由紀夫ばかりは、この偏向した偽善的特権思想を見抜き次のように罵倒している。

テメエらインテリだから偉い、大学生がむりやり戦争に狩り出され殺されたんだからかわいそうだ、それじゃ小学校しか出ていないで兵隊にいって死んだやつはどうなるんだ

 

 

 

 

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▼雨の降る東京東京東京・・・物語

2021年12月14日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

以下、六年前の記事だが、この記事で良かったのは「雨の降る東京東京東京」のタイトルだけかもしれない。


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朝日新聞

 

 

 

2015.11.26 千代田区

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 2015.11.19 東京駅丸の内

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼左足首骨折の件

2021年08月29日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

八月二十五日の夕方、自宅マンションの三階から二階への外階段を下りていたところ中ほどにある折り返しの踊り場から三段目のところに左足を着地させたところ、足の向きと、体の向きが、かなりずれていたようだ。足首を捻ってしまった。経験したこともない激痛が走り受け身のつもりだったのか全身をまるめて踊り場に転がりおちた。なんとか自室まで這うようにして戻り、とりあえず家人に救急車を呼んでもらった。救急車は間もなく来てくれた。救急隊員は親切で頭が下がった。

だが、当地の場合、近場には救急患者を受け付けてくれる病院は、ほぼなく10キロほど先の横浜市内か大和市内のほうまで運ばれてしまう。入院は不要であることは目に見えていたので、せっかく来ていただいた隊員のみなさまには、丁重にお断りした。その夜は局部が痛くて痛くて一睡もできなかった。次の日、近場のクリニックで診察していただいた。Ⅹ線をとり、どうやら踵の骨が折れていますとの所見。ギブスをあてがわれ、松葉づえを借していただき、一週間分の鎮痛剤を処方され帰宅した。ギブスが取れるのは一月後とのことなり。

考えてみれば、この場合もやはり悪いのは酒だった。その日も、かなりの「ほろ酔い状態」であったことは否めない。いい気になってスキップでも踏むように階段を下りていったのである。これにこりて酒が止められれば災い転じて福ともなろう。まっ自業自得ではある。反省。

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▼謹賀新年

2021年01月01日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

 明けましておめでとうございます。


                令和三年 元旦

 

 

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▼波打つ朝焼け

2020年05月15日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2020.05.15 04:35 川崎市 自宅付近

 

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▼街道に火事と散歩とワンカップ

2020年05月02日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2020,05,02 川崎市











 



 

 






 

 

 

 

 

 

 

 

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▼一里一時間は昔の話

2020年02月09日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法


川崎市武蔵小杉

 

本日はお日柄もよく寒くもなく暑くもなく雲ひとつない青空が広がっていた。自宅より武蔵小杉まで距離にして六キロほどだと思うのだが、二時間ほどかけて歩きとおした。

なにしろ歩く速度たるや、若い頃に比べれば、かなりのろくなっている。

昔から、一里(四キロ)一時間と聞いているのだが、それは、いまや古希過ぎた拙者には無理な話だ。

ぼちぼち行こうぜ諸君。

ぼちぼちと。

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▼古道具屋の帰り道

2020年02月04日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

下の写真は六、七年前のもので間違いなくわたしが撮ったものなのだが当時なかなか高価な一眼レフカメラを例のヤフオクで入手して狂喜の沙汰。連日持ち歩いて遊んでいたのだが故障してしまい、はや二年あまりがたつ。

 

 

2013.02.15 横浜市

 

 

 

 

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▼謹賀新年 

2020年01月01日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

明けましておめでとうございます。

 

令和二年 元旦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼動物園に行こう

2019年08月21日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2012.06.14 記

 

新しいデジカメを手に入れて喜び勇んだ。そこで、どこに行って何を撮ろうかと迷った挙句、そうだ上野の動物園に行って動物の写真を撮ってこようと算段した次第。そして行ってみたところ、つくづく思ったのだが檻の中にとらわれている動物よりは、彼らをして金を払って眺めにきているヒト種ヒト科ヒト族のほうがなんぼか動物らしいと納得した次第。

ゴリラの顔を眺めても10分ほどで飽きてくる。象の振る舞いを眺めていても15分ほどで飽きてくる。ところがどうだ。老若男女のヒト種ヒト科の成りい振る舞いと言ったら見てても見てても飽きがこない。やれ飯が食いたい。やれ小便がしたい、やれアイスクリームを買うので小銭が欲しいとうとうと不平不満たらたら。動物園の動物各種を見て回ったのだが、どうやらヒト種ヒト族ヒト科ほどの下等な動物は、ここには居ないようであった。

 

2012.06.14 台東区上野公園

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


テナガザル

  

 

 


ゴリラの赤ちゃん

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼ヴォーカル大好き<君が代>

2019年08月16日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

令和元年八月十五日の本日は夜勤明けの身なれば朝から眠くて眠くてしかたなかったのだが帰宅途上の地下鉄九段下駅に降りたてまつりてせめて英霊に対するわが心意気を示しておこうと靖国神社の大鳥居の下まで詣でしところ、その時参道の向こうから「君が代」の伴奏がながれてきたのでそのままそこで帽子をとって佇立し伴奏に合わせて「君が代」を歌ってきたところなり。

 

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▼老犬ソクラテスの弁明

2019年07月30日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 
2012.05.22  川崎市

 

 

以下、2018.12.22 記

数日前に満にして齢七十を数えた。若い頃は七十まで生きられれば御の字だと考えていたのだが、いざこの年になってみると欲が出てきたのか九十でも百でも元気ならばどこまでも生きてみたいと思えるようになってきた。願わくば最後まで言語にかかわる脳だけははっきりとさせておきたいし、その他の感覚も多少の衰えは仕方もないが最低限の明晰さは確保して暮らしていきたいと思っている。元来、わたしは計画とか目標とかいう概念が身につかず、なにもかも成り行きまかせで積算や打算を排してきたのも、ようするに無能だったからに他ならず漫然と年月を重ねてきたわけで立身出世はおろか名声を得ることも財をなすこともできずに相変わらずわが身についてはぼんやりとしたままだが、このことで悔やむようなことは全くないのであって案外にこうしたのんびりとした無欲な性格がこの先の自分を善良にして幸福な、まあまあ良い方向に導いてくれるに違いないといふ楽観的な自負のような矜持のような独善といわれようと自己中心といわれようと、今となってはこのささやかな個人的拘泥だけが頼りなのである。

 

 

 

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▼カラオケの帰り道<ロシア民謡特集>

2018年09月19日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

2018.09.19 横浜市

 

「ウラルのぐみの木」は、知る人ぞ知る名曲だと個人的にはそう思っている。

 

 

 

「川岸のベンチで」

 

 

 

なんといってもロシア民謡といえば、この曲だ。「トロイカ」。

https://www.youtube.com/watch?v=-GJBw1Ch4jk

 

 

 

 

「ともしび」も、我々世代には、よく歌われてきた。

 

 

 

 

「赤いサラファン」

https://www.youtube.com/watch?v=_y1F5cVkpns

 

 

そして現在カラオケでわたしがもっとも熱中している「黒い瞳」はバスバリトンの恋心。

 

下はおそらく戦前の録音だと思うのだが・・・・
https://www.youtube.com/watch?v=d8rXmOvVl0A

 

 

 

 

さてもカラオケから帰宅した自室にて

 

 

 

 

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▼秋の大会近し

2018年09月09日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2018.09.09 川崎市

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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▼つゆ草のうた

2018年08月11日 | ■日常的なあまりに日常的な弁証法

 

2018.06.20 横浜市

 

 

 

 

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