さてこの話題、この辺で...と致しますが、今後は“可能性”ではなく、今そこにある問題として
降り掛かってくることと思います。日本全国で人が減っているのです。そして人間の行動原則
は変わらず(快適なところに、快適なところに...)いわんや精神論で解決せず...。
話題となっている消滅とは、自治体(行政区分)のことを指し、現状の行政区分が時代に合わ
なくなってきましたので再編を...。明治の大合併から、昭和・平成...を経てこの間約150年...。
何度も繰り返してきたではありませんか...。まさに歴史に学べという事であります...。
徳川260年のその末期、長らく続いた“お家大事”...。そのお家とは、幕府とか~藩とか...。
どうもそうではなかったらしい...。物ごとの考え方が180度変わってしまうことを称して、
コペルニクス的転回と言ったりしますが“消滅”とはある種、考え方の大転換のことかも...。
動いているのは天ではなく、大地のようだ。このことが分かったとしても、それをなかなか
認められないのだそうです。昨今で言えばこの地動説はデジタル化と言ったところでしょうか。
写真、再び観音様にて。地域における信仰と産業の中心が何百年も...。歴史に学べ...と。
ダーウインが種の起源を発表してからローマ教会が、認めるまでには150年でした。
神様も科学的事象については判断期間が短く(早く)なっているのだと思います。
神様の判断も迅速化しているのですから、私たち庶民が日々じたばたすることがデジタル化で一層せわしなくなったのは当然だと思います。まさに心を亡くすだと思います。
それでも
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
を忘れないようにしたいものですね。