世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

虫籠窓の家並みの続く野里の町の近くには、お夏清十郎の比翼塚やレンガの美しい美術館もあります

2015-01-18 08:00:00 | 日本の町並み
 姫路城の西の因幡街道との分岐点あたりに古い商家が残る街並みが姫路市の青山地区でしたが、姫路城の東側に商家の町並みやお寺が連なるのが姫路市の野里地区です。町並みのはずれには、レンガ造りの美術館もあって、お城のついでに散策したくなる場所の一つになっています。

 
 
 
 
 姫路市野里地区は、姫路城の北東側に南北に走る播但線との間に南北に広がる町並みで、最寄の駅は播但線の野里駅と京口駅になります。野里は播但道沿いに開けた商人と職人の町で、土蔵造りに虫籠窓の付いた町家が1km以上も連なります。漆喰も黒漆喰のもの、オレンジ色の漆喰、そして通常の白漆喰のものありで、なかなか眺めていて飽きません。ただ、これらの町並みの上に、コンクリート作りのマンションがにょっきりと顔を出すのは、多くの町並みに共通する無粋さでしょうか。コンクリートといっても(モルタル作りかもしれません)、レトロな3階建ての建物も残されていて、こちらは土蔵造りの町屋の風景に溶け込んでいるようです。

 
 町家の中には、お寺も散在していて、中でも「お夏清十郎」の比翼塚がある慶雲寺は有名です。お夏清十郎は悲劇のカップルですが、二人を祀った塚は思いのほか地味で、見落としそうなくらい、ひっそりとしたものでした。この慶雲寺のある通りは、メインの南北の通りからわき道を東に少し入った場所にありますが、このわき道をさらに東に行くと固寧倉があります。幕末に建てられたもので飢饉に備えて穀物などを備蓄した倉庫です。
 姫路城下で300箇所近くの倉庫が建てられたようで、小ぶりに見えますが、固寧倉だけで1,400人を1ヶ月間養える量を蓄えられたそうです。

城下町には、食い違いや鍵の手と呼ばれる見通しを遮ったり、敵が一気に攻め込まないようにした道路が多いのですが、姫路城では「あてまげ」と呼ばれ、直行する道路が交差点ではなくT字路になって交わっています。敵の侵入を防ぐためといえば、のこぎり横丁の道も三角形の空き地に伏兵を隠したといういわれがありますが、諸説があって、必ずしも防衛用ではないかもしれないそうです。似たような町並みに、和歌山県の黒江があり、こちらは土地の区割りに対して道路が直角にならず、結果的に三角形の空き地ができてしまったようです。

 
 野里の町並みを南に突き抜けて少しお城よりに行くと姫路市立美術館があります。レンガ造りの美しい建物ですが、明治時代に陸軍の兵器庫などとして建てられたものです。同じような建物は、金沢(博物館)、舞鶴(イベントスペース)それに善通寺(自衛隊)などにも残っていますが、美術館として使われているのは姫路だけでしょう。常設展のスペースのほかに企画展示室とコレクションギャラリーもあり、なかなか充実した美術館の一つのようです。

 「お夏清十郎」の悲劇は、封建制度の下で、身分の格差のある二人が恋仲になったことに起因しています。現代でも、社会の仕組みとして身分を区別するものは無くなりましたが、オーナー社長の師弟は能力が無くても将来の地位は約束され、格差が固定されてしまいます。マスコミやネットの普及は、これらの格差を見えるようにしてしまって、かえって不幸を助長しているのかもしれません。見えることによって改善されればいいのですが、例えばヨーロッパのように現役の貴族が存在して、その存在は善であると主張して止まない一族に対しても、何も変えられないのには無力ささえ感じます。