世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

香住と浜坂は町名が、余部は鉄橋が消えてしまいましたが応挙の絵は大切に保存されています

2014-05-11 08:00:00 | 日本の町並み
 本州の最南端の町に応挙一門の襖絵などが残されている無量寺というお寺があるのが串本でした。この絵は、無量寺の住職と応挙とが友人関係であったことから、お寺の再建祝いに描かれたものですが、応挙が恩返しに描いた襖絵などが残る寺があります。兵庫県の日本海岸、香美町にある大乗寺で、応挙の絵が38面、長沢芦雪の絵が11面のほか一門の絵が100点近く残されています。今回は、大乗寺周辺と、お隣の新温泉町の浜坂とを紹介します。

 
 大乗寺はJR山陰線香住駅の南1kmほどのところにある8世紀創建とと言われるお寺です。いったん衰退したのですが、江戸後期の再興の祖であった密蔵が京都で苦学中の応挙とめぐり合ったことがこの寺を有名にするきっかけだったようです。応挙が大成した後に、密蔵が与えた資金の恩返しとして、弟子12名と共に数多くの襖絵などをお寺に残していきました。お寺の玄関には応挙の坐像があって、来訪客を出迎えています。

 
 大乗寺のある香住駅と、浜坂駅との間には余部橋梁があります。現在の橋梁は、コンクリート製ですが、かつては鋼製トレッスル橋で余部鉄橋の名前で呼ばれていました。日本には数少ないトレッスル橋は、日本海をバックにした姿が美しく、格好の被写体になっていましが、1986年の列車の転落事故をきっかけに架け替えが行われました。

 現行の橋梁は2010年に開通していますが、筆者は新橋梁の工事中の2008年に旧橋梁を列車で通過しました。この時は、旧橋梁を通る最後のチャンスとのことで、鉄橋のある餘部駅から香住駅までの2駅だけを乗車するツアー客がわんさか乗ってきました。ただ、列車に乗っても、鉄橋の美しい姿は見られないのですがね。したがって、ここでも写真は、レールと鉄柵だけが見えている余部鉄橋です。

 餘部駅から鉄橋とは逆の方向の西に2駅乗った駅が浜坂です。かつては香住も浜坂も独立の町でしたが、近隣との合併で町名からは消えてしまい、駅名だけが残っています。浜坂は、山陰海岸の観光船の基地として観光客に知られていますが、温泉もあることは意外と知られていないようです。駅の北の道端に源泉が噴出している源泉塔なるものが立っています。

 
 
 
 この温泉塔の近辺に、かつての北前舟の寄港地の面影を残す古い町並みがあります。その中の中心的存在が、酒蔵を営んでいた旧森家住宅で、以命亭の名前で公開されています。亭の前には、昔懐かしい郵便ポストがあり、中に入ると、高い吹き抜けに酒林が下がっています。壁のオレンジ色は、漆喰に混ぜたベンガラの色と思いますが、すごくモダンな感じを受けます。そのモダンな部屋の隣の部屋の鴨居の上には、神棚が祭られていたりで、面白いコントラストです。

 余部鉄橋から落下したのは回送列車で、重量が軽いので風にあおられ易かったことも原因の一つとされています。首都圏でも、1978年に地下鉄東西線が荒川橋梁上で突風のために脱線転覆する事故がありました。この列車は乗客が乗っていたので、余部のケースより車両重量は重かったと思いますが、竜巻状の風に持ち上げられてしまったそうです。周りに遮るものが無く、風の通り道になることが多い川という地形を横切る橋梁は、鉄道にとっては、最も危ない場所の一つのようです。事故を防ぐために、風速計を設置し、風速が一定値を越えると警報で知らせるシステムが導入されていますが、局所的な突風検出には限界があるようです。超音波の伝わり方が風に影響されることを利用して、測定結果をコンピュータで解析して風速を割り出す超音波風速計も導入されていますが、これとてもピンポイントの測定です。CTスキャンのように超音波風速計を組み合わせコンピュータ解析によって、空気の流れ(風)を面的に捉えるシステムってできないんでしょうかね。