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わが国で5番目の自然遺産は登録を1年待たされましたが、指定地域の一つの西表島は自然がてんこ盛りです(日本)

2021-07-11 08:00:00 | 世界遺産
 2020年の世界遺産会議はコロナ禍で中心になり、2021年は2年分をまとめて承認することになり、わが国からは文化遺産と自然遺産を各々1件づつ登録がなされることになりました。このうち自然遺産は本来は2020年に登録されるはずであったわが国では5件目の自然遺産の「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」です。今回は、登録エリアのうち訪問をしたことのある西表島を紹介します。

 西表島は八重山群島の中で西寄りに位置し、東京などからの場合は石垣島まで行って、石垣港から高速船で20kmほどを40分かかって渡ることになります。面積的には石垣島よりも広いのですが、島の大部分がジャングルで空港を作れそうにはありません。行政区域は石垣島のすぐ西にある竹富島などのいくつかの島をひっくるめて竹富町なのですが、竹富町の役場は竹富島ではなく石垣島にあります。それぞれの島はすべて石垣港を起点とする船で結ばれているので、中継点の石垣島に役場を置くのが合理的との判断だったようです。筆者が訪問したころは、新石垣空港はまだ開港しておらず、東京や関西との便は往路は直行しますが、復路は宮古や那覇を経由しました。滑走路が短いため、満タン状態では離陸できず、とりあえず宮古などまでの燃料を積んで離陸し、滑走路の長い宮古空港で満タンにして東京まで飛んだようです。



 



 
 
 ジャングルばかりの島には一周する道路は無く、東南の大原と西の白浜とを結ぶ西南側には道路が無くが、白浜港から船でしか行けない舟浮集落という集落がありますが、ここには小中学校もあるようです。また白浜港近くには北回帰線の位置を表す三角形の標識がありました。

 
 
逆に、南東端の大原港の近くの行き止まりの道路の先の浜は、第2次大戦時に波照間から西表に強制移住させられ上陸した場所で、忘勿石の碑が建っており、悲劇とは裏腹に眺めの良い海岸が広がっています。 

 大原港から白浜までの島の東半分の道路は、海岸にそって付けられていますが、この道路を走る路線バスがあるんです。筆者は車は運転できないので、一日に6本(現在は減っているかもしれません)走っている公共輸送機関の路線バスが頼りでした。大原港に上陸したあと、白浜や由布島などに行くには、バスダイヤとにらめっこをして移動することになりますが、川を遡って内陸に入らなければならないいくつか滝は、海岸線を走るバスでは遠くって訪れるのは時間的に無理でした。この路線バスの運転手の方の言葉が印象的でした、「僕は、西表島に来て病気になり、移住してしまったんだ。病気というのは、西表島の虜になる病気だよ。」それくらい、西表島は魅力的だったということです。

 
 
 

 仲間川には滝はありませんでしたが、大原港から出て川を遡上する遊覧船は、乗船のために大原港から移動する必要が無いので楽しむことができました。この遊覧船に乗ると、マングローブの林を眺めながらサキシマスオウノキの群生があるジャングルの所まで連れて行ってくれます。ちなみに、マングロブというのは特定の樹木の名前ではなく、汽水域に生息する樹木の総称で、15種類ほどもあるとのことです。サキシマスオウノキといのはアオイ科の常緑高木で、15mほどの高さにもなる記ですが、板根と呼ばれる平らでウネウネとオーロラのように曲がった根っこが特徴です。

 
 
 
 
 由布島は、西表島と東にある小浜島の間にあり、300m幅で長さが1kmくらいの楕円形の小さな島で、島との間は300mぐらいですが遠浅のために水牛の牛車で渡る西表島きっての観光地になっています。取り立てての観光施設は無く、蝶の温室のほかは、島全体が植物園といった感じで、天気が良ければ、のんびりと散歩するのにもってこいの場所かもしれません。

 白浜港近くを通る北回帰線は地球の自転軸が23.5度ほど傾いて夏至の時に太陽が真上に来る場所です。地球の自転軸は現在は23.5度ですが、およそ4万年の周期で22.1度から24.5度の間で変化しているそうです。自転軸はこの程度の変化ですが、地場の方は南極と北極とが度々入れ替わり360年の間に11回も逆転し、77万年前の逆転の証拠が千葉県の断層に残り、その地層がチバニアンと命名されて有名になりました。地層の堆積物の磁性体から開明されたのですが、これは一種の磁気記録と言えるかもしれません。コンピュータなどの記憶媒体は半導体が主力になっていますが、大容量分野では、まだまだ磁気記録が幅を利かせています。現在ではGBを超えるメモリーが手のひらに乗ってしまいますが、筆者が研究所に入所した頃は、磁気コアメモリが使われ1MB程度で天井までの搭載架を占領していました、この分野の技術発展はびっくりします。


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