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水郷の町の蘇州の庭園は、どの庭園も水との調和が図られています(中国)

2013-11-10 08:00:00 | 世界遺産
 北京から200km以上も離れた場所に建てられた離宮が承徳の避暑山荘でした。中国の北の出身であった皇帝があこがれたのが中国南部江南の風景で、造園の参考にしたのが蘇州の庭園群でした。避暑山荘は中国四大名園の一つですが、残りの三名園のうちの二つが蘇州にあります。今回は、蘇州に広がる数多くの庭園や寺院、それに水郷の風景を紹介します。

 蘇州は、上海から高速列車で西に30分くらいと簡単に行ける場所で上海の郊外のような感じです。上海も市内に七宝などの水郷がある水の都ですが、蘇州は東洋のヴェニスと言われ、水路や池など水の面積が大きな町です。世界遺産に登録されている庭園は、蘇州市内に7箇所、蘇州からバスで1時間ほどの同里古鎮に1箇所の計8箇所あります。

 八箇所の庭園すべてを紹介できればいいのですが、残念ながらその半分しか訪問していませんのでそれらの庭園を紹介しましょう。

 
 まずは、四大名園の一つ拙政園からです。蘇州の庭園の中で最大の広さを誇る、明代に造園された庭園です。庭園内は東、中、西園に分かれていて池の面積が広い庭園です。中には、新宿御苑の台湾閣のような建物があり、通路の礎石のも手が込んでいて、小さな石を組み合わせて模様が描かれています。柳の木が多くて、日本の庭園のような感じですが、日本が中国を真似たのかもしれません。

 
 四大庭園のもう一つの庭園が留園で、こちらも明代に造園されたものです。この庭園の特徴は、庭のあちらこちらに置かれた太湖石で、この石は蘇州の近くの太湖で取れた穴だらけの奇岩です。ただ、この奇岩は「街道を行く」でおなじみの司馬遼太郎氏の江南の道には「まことにわずらわしい」と述べられていて不評です。

 
 留園の西には、西園と呼ばれるお寺があり、世界遺産には登録されていませんが、運河に囲まれた境内には、黄色に塗られた楼閣やお堂が並んで、池泉式庭園とは違った美しさがあります。

 
 お寺と言えば、蘇州で一番有名かもしれないお寺が寒山寺かもしれません。寒山は拾得と共に禅画の画題に取り上げられることの多い唐時代の伝説的な僧ですが、その寒山が僧さんを結んだという故事に加えて、漢詩でも有名です。
月落ち烏啼きて霜天に満つ
という漢詩を聞かれたことがあると思います。張継の七言絶句「楓橋夜泊」で、この漢詩の後半に寒山寺の鐘が出てきます。境内には、この漢詩の石碑があり、拓本をとる人でにぎわっていました。

 
 庭園群の中で最も古いものが滄浪亭で、灯台末期の造園になります。この庭園も運河に囲まれた中にあって、白い壁の回廊と、起伏のある庭園が特徴ですが、やや小ぶりです。ただ、現在の広さは、かつての広さの1/6とのことで、できた当時は他の庭園に勝るとも劣らない規模だったようです。

 
 庭園の周りなどを囲む運河ですが、町のあちこちに運河が張り巡らされ、特に夕暮れ以降は回りに灯が点って幻想的です。暗くて見苦しいものなどが見えないのもいいのかもしれません。運河沿いには、夜店も立って、人気の店には長蛇の列でした。



 
 世界遺産の庭園で、蘇州の市街地から唯一離れた場所の同里にあるのが退思園です。清朝に造園され、住宅と庭園を兼ねたものでさほどの広さはありませんが、庭園の池と建物との配置が絶妙で蘇州市街にある庭園より見ごたえがあります。また、同里は狭い範囲に水路が縦横に張り巡らされて、少々間延びをした感のある蘇州の水郷風景より、これぞ水郷!といった感があります。

 
 水路が多いので東洋のヴェニスと言われる蘇州ですが、傾いた石塔があって東洋のピサのようなところもありです。この塔は、虎丘公園に建つ八角七重石塔で、ピサの斜塔と同様に、建設途中から傾き始めたのだそうで、現在は15度ほど傾いているのだそうです。

 
 塔と言えば、蘇州で最も古く規模も大きな寺院に、76mと最も高い八角九層の木造の塔があります。内部には階段があり、最上階からは蘇州の風景や、規模の大きなお寺の境内がよく見えます。

 塔はヒンドゥー語のストゥーパーが中国に伝わって卒塔婆になり、卒塔婆の前後が省略されて「塔」という単語になりました。中国の塔は、八角で多層のものが多く、木造より石造りが目立ちます。平面が正方形で軒の深い木造の塔は、日本独自のもので、凍れる音楽の言葉のように、軽やかなリズムのある建築物になっています。この軒の深さを支えるための木組みは複雑を極め、地震大国の日本で倒れない高い塔を建てるのも並大抵の技術ではないようです。薬師寺の西塔が再建されましたが、各層の屋根は東塔に比べて反って高く作られているのだそうです。やがて、重力の作用で次第に下がってきて、東塔と同じような外観になるとのことですが、そこまで予測して作られているんですね。コンピュータ解析で、古い仏像の作られた頃の色彩が再現されていますが、古色になれた目には違和感を覚えます。建築にしても仏像にしても、どちらの姿が本来の形なのでしょうか。


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