世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

日本には少なくなった戦前の洋風の建物が現役で使い続けられている台湾です(台湾)

2013-08-04 08:00:00 | 世界の町並み
 丘の上の廃墟となったお城が存在感を示すハイデルベルクは、旧市街に散らばった大学施設に多くの学生を抱える大学の町でもありました。日本でも、大都市の中心に広大なキャンパスを持つ大学は多いものですが、台北にある台湾大学も緑豊かな広々としたキャンパスの中に建っています。その建物の中のいくつかは、旧日本統治時代に建てられたものも残されています。今回は、台湾に残る日本統治時代の建物をいくつか紹介してゆきます。

 
 
 台湾大学は、日本統治時代の1928年に旧帝大の一つとして設立され、戦後は台湾の国立大学として引き継がれています。その本部は、台北市の南部の町並みの中に、東西1km、南北500mほどの広大なキャンパスを擁しています。東大の本郷キャンパスの2倍くらいでしょうか。日本統治時代の建物を探してみましたが、内部が広すぎてなかなか判りません。煉瓦作りの図書館があったので、この建物かと思って尋ねてみたら、「これは新しい図書館で、かつての図書館が統治時代の建物で、記念館になっている」ということが判りました。訪ねてみると、運悪く休館日で、そうでなければ内部が見られたようです。隣に建っている学舎も、作りからして統治時代の名残のようです。

 
 台湾大学は、本部のほかに、市内のあちこちにキャンパスがあるようで、その一つが医学部とその付属病院です。この建物も日本統治時代の建物で、台北駅からも近い、東京で言えば丸の内のような便利な場所で外来の患者さんでいっぱいです。外観はレンガ造りで温かみがあり、エントランスの吹き抜けも贅沢な感じがします。

 
 
 台湾大の付属病院の近くにあるのが、台湾博物館で、ギリシャ神殿風のエントランスの奥にドームを乗せた建物です。このドームの下部が吹き抜けになっていて、エントランスから入った広間は、台湾大の付属病院と似ていますが、さらに華やかです。博物館の別館が、通りを挟んで筋向いにありますが、こちらは銀行の建物を流用したもので、内部には金庫も健在です。こちらは、まるでギリシャ、ローマの神殿です。

 
 博物館の南西には台湾総統府があります。これは統治時代の総督府を、台湾政府が行政府として使っているものですが、太平洋戦争末期に空襲を受けて、内部は全焼、外壁も随分と損傷したそうです。こちらもレンガ造りですが、さすがに権力の中枢ゆえか、装飾が多くて華麗で、どことなく威圧的でもあります。業務に影響をしない範囲での内部見学ができ、9時開始前にかなりの行列ができ、入場までも手荷物検査などもあって、時間がかかりますが、内部もなかなか見ごたえがあります。ただ、内部は中庭以外では写真は撮れませんが。

 
 
 台北からMRTで北に行くと、新北投温泉があり、水着で入る露天風呂もあります。ここの温泉博物館は、昭和天皇も着たことがあると言う、旧温泉施設で、この建物も統治時代の建物です。こちらは、がらっと雰囲気が違って下部がレンガ造り、二階部分は下見板張りの山小屋風です。かつての浴室であった所には、ステンドグラスもはめられていて、上諏訪の片倉館の浴室を思い浮かべます。

 
  統治時代の建物は、台北に多いのですが、他の都市にも残されています。その中から、台中と高雄にある行政府の建物を紹介します。台中では、駅の北西部にある旧台中州庁の建物です。正面には噴水があって、真っ白の建物は、シンガポールにあるコロニアル・ホテルと見まがう豪華さです。現在は台中市政府の庁舎として使われていますが、門衛の方に声をかけて内部を見学することはできるようです。もちろん、部屋の内部などは無理で、廊下や中庭などですが、庁舎の煉瓦色と中庭の芝生のグリーンの対比が見事です。この庁舎と道路を挟んで市役所があり、役所は普通のコンクリートのビルですが、その前に独立して建っている玄関がギリシャ神殿風なのです。
 
 高雄では、高雄駅からMRTで西南西に行った高雄歴史博物館で、統治時代の旧高雄市役所の遺構です。この建物もコロニアル風ですが、旧台中州庁とは違って、オリ-ブ・グリンに塗られていて、華やかさは抑えられています。四角な建物の中央に寄せ棟の塔屋が乗っていて、ちょっと北京西駅の幹事に似ている感じがします。博物館の展示も見るべきものが多く、建物ともども訪れる価値が十分です。

 台北市内には、鉄道管理局(工事中でした)や賓館(公開は年に数日)など、まだまだ日本統治時代の建物が残されています。台中でも時計塔がある台中駅や台中教育大学に統治時代の名残の建物が残されています。高雄でも旧高尾駅の建物がそうでしたが、新しい駅舎の完成により、保存建築物として手入れがされていました。戦前の日本の建物を見るなら、明治村か台湾に行けばよい、といった感じすらします。

 日本では新規のレンガ造りの建物はほとんど見かけなくなりました。レンガ造りかな?と思う建物も、コンクリートの躯体に煉瓦タイルを貼り付けたものがほとんどです。レンガは地震に弱いと言うのは誤解のようで、レンガ造りが消えたのは、手間がかかってコスト高になるのが理由では内科と思います。ところで、「煉瓦」とは英語の当て字のように思われますが、中国語由来の日本語です。英語ではbrickですが、これは外来語のブリキ板の語源です。明治期の日本では、外国語のカタカナ表記は避けて、できる限り日本語化を行ったようです。現代では、流入する外来語の量が増えて、日本語化するのは無理かもしれませんが、カタカナ表記は、似て非なるものとして、原語の発音から遠ざかるようにも思います。かつて、アマチュア無線の試験問題では、アンテナは空中戦、アースは接地、コンデンサーは蓄電器などと日本語表記されていましたが、現在はどうなっているのでしょうか。鉄ちゃんは、トンネルを隧道と言いますが、街中の信号機はシグナルではなくtraffic lightsが正しい英語です。


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