前回は台湾中部のお茶の産地の鹿谷を紹介しました。鹿谷は台中を起点に東の山に分け入りますが、同じ台中を起点に西南西に海の方に行くと同じように鹿で始まる鹿港(ルーカン)鎮があります。こちらはお茶の木はありませんが、清朝統治時代からの天然の良港でした。18~19世紀に全盛期を迎え台湾第2の都市となりましたが、河川の土砂の堆積で港の機能が失われ、鉄道駅も内陸にできて繁栄に終止符を打ちました。ただ、そのために古い町並みが冷凍保存にように残り、観光客で潤う町の一つになったようです。





鹿港鎮は台中市と川を挟んで南の彰化県に属し、バスも台中駅からより彰化駅都の間が多いようです。およそ40年ほど前に、台中駅からバスに乗ったように思います。2度目の訪問は、本数は少ないのですが、台北からの直行バスもあり時間はかかりますが乗り換えなしで運んでくれて便利です。眠ったように人の気配がなく崩れかけたような町並みが面白くて昨年に再訪したところ、同じ町かと疑うくらい人であふれていて、少々がっかりしました。(上部の写真は40年前の街の様子)




バス停は老街と呼ばれる古い町並みや天后宮などの中心街の北599mほどの運動場の所にあり、暑い時に行くと木陰のない道を歩くことになります。2度目の訪問の時には老街にあるホテルに泊まりましたが、これはあまりお勧めではありません。昼間にあれだけ人であふれていた町は、潮が引くように人がいなくなり、夕食を食べるレストランさえありません。台中や彰化に泊まって往復するのがよさそうです。(上部の写真は現在の街の様子で、なるべく人が映らないようにしたもの)


天后宮は老街の北野外れにあって、400年の歴史があり最もsン系客の多い寺院の一つです。

一方、文武廟は鴎外の南端で、武帝としては関帝が祀られています。

文武廟の少し北西には龍山寺があり、17世紀の創建で台北にもある龍山寺などの中で最も保存状態の良い建物が残っています。

これら仁建築に加えて、レトロな洋館が民俗文化博物館として残されています。台湾の名家の私邸として大正年間に建てられ、台北にある台湾総督府等とも似た外観です。内部は博物館で、服や生活用具などが展示されているようですが、時間外で入り損ねました。
40年ほど前に鹿港鎮を訪れた時には、スマホなどはまだなく、ガイドブックの地図と磁針を頼りに迷路のような老街を散歩しました。京都とはくべ物にならない狭い道にオーバーツーリズム気味の観光客があふれていて、みんな申し合わせたようにスマホに操られて歩いています。おそらく、京都と同じで土産物屋などが潤うだけで、民家には太刀らないでくださいの表示のように住民は迷惑なだけのように思います。大部分の観光客は、スマホに導かれて町並みを通り抜けてお土産を買って帰っていくのでしょうか。地図を頼りの散歩では、町並みを注意深く観察しないと、すぐに迷ってしまうので、観察眼も養われ、町並みの観察も深くなりそうです。次の町並み散歩では、スマホを置いて歩いてみてはどうでしょう。










鹿港鎮は台中市と川を挟んで南の彰化県に属し、バスも台中駅からより彰化駅都の間が多いようです。およそ40年ほど前に、台中駅からバスに乗ったように思います。2度目の訪問は、本数は少ないのですが、台北からの直行バスもあり時間はかかりますが乗り換えなしで運んでくれて便利です。眠ったように人の気配がなく崩れかけたような町並みが面白くて昨年に再訪したところ、同じ町かと疑うくらい人であふれていて、少々がっかりしました。(上部の写真は40年前の街の様子)








バス停は老街と呼ばれる古い町並みや天后宮などの中心街の北599mほどの運動場の所にあり、暑い時に行くと木陰のない道を歩くことになります。2度目の訪問の時には老街にあるホテルに泊まりましたが、これはあまりお勧めではありません。昼間にあれだけ人であふれていた町は、潮が引くように人がいなくなり、夕食を食べるレストランさえありません。台中や彰化に泊まって往復するのがよさそうです。(上部の写真は現在の街の様子で、なるべく人が映らないようにしたもの)




天后宮は老街の北野外れにあって、400年の歴史があり最もsン系客の多い寺院の一つです。


一方、文武廟は鴎外の南端で、武帝としては関帝が祀られています。


文武廟の少し北西には龍山寺があり、17世紀の創建で台北にもある龍山寺などの中で最も保存状態の良い建物が残っています。


これら仁建築に加えて、レトロな洋館が民俗文化博物館として残されています。台湾の名家の私邸として大正年間に建てられ、台北にある台湾総督府等とも似た外観です。内部は博物館で、服や生活用具などが展示されているようですが、時間外で入り損ねました。
40年ほど前に鹿港鎮を訪れた時には、スマホなどはまだなく、ガイドブックの地図と磁針を頼りに迷路のような老街を散歩しました。京都とはくべ物にならない狭い道にオーバーツーリズム気味の観光客があふれていて、みんな申し合わせたようにスマホに操られて歩いています。おそらく、京都と同じで土産物屋などが潤うだけで、民家には太刀らないでくださいの表示のように住民は迷惑なだけのように思います。大部分の観光客は、スマホに導かれて町並みを通り抜けてお土産を買って帰っていくのでしょうか。地図を頼りの散歩では、町並みを注意深く観察しないと、すぐに迷ってしまうので、観察眼も養われ、町並みの観察も深くなりそうです。次の町並み散歩では、スマホを置いて歩いてみてはどうでしょう。