世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

マテーラの洞窟住居群は灰褐色の岩肌の色しか見えず、最も景色の地味な世界遺産の一つかもしれません(イタリア)

2023-08-06 08:00:00 | 世界遺産
 フエの建造物群の世界遺産は広域に広がっていて、観光客が通常訪れるのは、新市街から橋を渡ってすぐの王宮跡」ですが、阮朝の行程の廟は新市街の南に広がる田畑や森の中に散在していました。りっぱな廟もありましたが、廃墟のような廟もあって、人影もありません。ところが、イタリアには廃墟が世界遺産に指定され、観光客が数多く集まるようになり、さらには廃墟をお土産屋さんにしている場所もあり、今回はそのような変わった世界遺産のマテーラを紹介します。

 マテーラは、イタリアの南部に位置していて、鉄道で行く場合はイタリア国鉄のバーリ駅から私鉄の乗り換えて1時間半ほどマテーラ中央駅から歩いて1.5km程の場所です。バーリ駅からは世界遺産のアルベロベッロに行く私鉄も出ていて、無理をすれば午前と午後で2か所を訪問できますが、電車の本数が極めて少ないので、事前に綿密な計画をしていないと無理かもしれません。バーリ駅では、国鉄の線路を挟んで奥がアルベロベッロ行き、手前がバマテーラ行きですが、筆者が訪問した時には、列車編成が途中駅で分割され、マテーラに行くのは最後尾の1両だけ、乗客もほとんどいませんでした。状況が変わっていないとすれば、気を付けたほうがいいかもしれませんが、マテーラの中央駅も2019年にリニューアルされているようで、状況は変わっているのかもしてません。

 
 
 マテーラは、先史時代から自然の洞窟に人が住むようになり、人工的に洞窟を掘って住むようになったのは8世紀にギリシャ正教の修道士たちだったといわれています。やわらかい凝灰岩でできた岩山は洞窟を掘るには公的だったようです。やがて修道士の数が減り、あとからやってきたのが農民で、修道士の生活をまねて、洞窟を掘って暮らしました。しかしながら19世紀にもなると豊かな農民たちは不通の住居に移住し、残ったのは貧しい農民ばかりとなり、衛生状態も治安も悪くなり、イタリア政府は残りの農民も強制移住をさせ、マテーラは無人の廃墟になってしまいました。ところが、人々が作り上げた住居遺跡は文化的な価値が高いということで1993年に世界遺産に登録され、お土産屋さんをはじめ観光客目当てと思われる施設が戻ってきて、息を吹き返したという状況です。

 
 
 
 洞窟住居はイタリア語の岩を表すサッシと呼ばれ、洞窟の前に岩を積んでいる住居も見られますが、居住空間は岩壁に掘られた洞窟です。マテーラ中央駅から歩いて来ると、これらの住居がある岸壁の上に出て、グラヴィーナ川によって浸食された深い谷が見渡せます。この岸壁のほとんどすべてに穴があって洞窟住居になっているという感じです。見える範囲はすべて岩なので、住居群というよりは、なんなる岩山に見え、世界遺産の中では最も地味な風景の一つに思います。見学は上から順に降りていくので、深追いをすると帰りがつらくなります。崖の上の町並みは、普通に車が走っていますが、洞窟住居群に降りていくとかなり車が走っています、大量に住居を作るようになって、移動のために幅の広い道路が作られたのでしょうか。


 洞窟といえば、ノーベル賞をもらったニュートリノの検出が行われたのがスーパーカミオカンデという上岡鉱山の廃坑の洞窟でした。スパーカミオカンデは、地下1000mに5万トンの超純水を蓄えて、宇宙から飛来したニュートリノが水分子と衝突してほのかに光ることを検出する装置です。光るといってもきわめて弱いもので、この光の検出に1万3千本もの光電子増倍管が使われています。世の中のIT危機は、ほとんどが半導体になってしまいましたが、光電子増倍管はかつて電子回路の中心的役割をした真空管の一種です。真空管といってもカミオカンデで使われる物は直径が1m近くもある巨大なもので、我が国の浜松ホトニクスでしか作れません。この会社は、世界で初めてテレビ開発をした高柳健次郎の血筋を引くもので、光にまつわる真空管の製造技術では世界的で他の追随を許さない企業です。