世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

日本標準時の子午線がとおる明石には、城跡だけでなく宮本武蔵や柿本人麻呂の名前の付いた遺構もあります

2019-03-17 08:00:00 | 日本の町並み
 秀吉の頃に播磨から有馬温泉に通ずる街道として整備され江戸時代には宿場町であったところも、現在では人通りの見かけに集落になってしまったのが淡河でした。有馬温泉には、秀吉のおひざ元の大坂かkら六甲の裏を廻る街道もあったようですが、湯乃山街道の名前が残るのは明石あたりの播磨地区から三木あたりを東北東に横切っていく街道です。明石には標準時の子午線が通るからというわけではないでしょうが、今回はこの日本標準時子午線が通る町の明石の子午線の周辺を紹介します。

 日本の標準時は東経135度に太陽が南中する時刻で決められています。この東経135度の子午線が通過するのが明石で、その子午線上に天文科学館が建ち、日本標準時子午線表示柱なのです。ところが、この東経135度という線、実は2本あり、天文科学館の建つのは天文経度の135度上で、地理経度の135度は西に120mほど西にずれています。このずれは、地球の形が真球ではなく楕円球のためで、天文経度は重力線から決められた南を太陽が通過する時間で決められ、地理経度は、地球を北極と南極を通る面で切り取った時にできる面とグリニジを通る面との角度で決められます。

 
 
 
 JRや山陽電車の明石駅の北側には、旧明石城の石垣や櫓があり、その南には公園が広がります。公園の入り口付近にはとき打ち太鼓の遺構があり、公園の中には武蔵の庭なるものがあります。さらに、標準時の町とお城とをあわせもつことから、兜と槍とを組み合わせた日時計も作られています。公園からは明石城の石垣の上に2つの櫓が望めます。明石公園とJRの線路との間には堀があって、その堀の南西角あたりには旧織田家長屋門があります。現在の場所から西に1kmほどの旧船上城の門を移築したと言われています。明石公園を抜けて、明石城の石垣の間を上って櫓まで行くと、足元には明石の町並み、その向こうには淡路島、そして東には明石架橋が望めます。

 
 
 
 明石城跡の東側には、小高い丘の上に寺や神社、それに教会まであります。明石城の本丸跡を東に行くと明石博物館の裏に出ます。東に坂を下って広い通りの向かい側の道を行くと、大聖寺で、本堂の上に日蓮の像が立っています。その隣は上ノ丸教会で、さらに行くと妙見社の南側にでます。元は本松寺の鎮守社で、神仏分離で神社になっていますが、どことなく御寺っぽい建物です。道は右に曲がって、本松寺があり、本堂の裏に庭園があります。

 
 
 
 本松寺の角から急な石段を上ると月照寺で、本堂の左手には石庭風の庭が作られています。月照寺の住職が夢野お告げを受けて柿本人麻呂を祀るために人丸社を作り、これが現在隣にある柿本神社です。こちらも、明治の神仏分離の際に神社とお寺に分かれました。月照寺と柿本神社の間の向かい側には標準時を示すトンボの標識があり、その向こうのがけ下には天文科学館があります。また、柿本神社の東側の参道を天文科学館の東を通る道路側に降りて、北に行くと人円山公園で、こちらには「時のふるさと明石」の群像が建っています。

 時刻の標準は、地球の自転から決められましたが、現在は国際原子時計の刻む時刻が世界の標準となっています。これは、地球の自転速度が微妙に揺らぐためですが、原子時計の時刻が地球の自転が示す時刻と乖離しないため、何年かに一度うるう秒を挿入したりして調整をしています。一方、長さの基準は、メートル原器から、真空中を光が一定時間で進む距離に置き換えられています。さらに、質量は最後までキログラム原器が使われてきましたが、昨年の秋にプランクの定数を基にした基準に置き換えられました。これらは、まず日常生活には影響をしませんが、厳密性を必要とする物理などの議論では重要な定義変更になるそうです。とこrで、国際原子時計の精度ですが、1億年に1秒以内なのだそうですが、誰が測ったのでしょうね。