世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

松山市郊外の南斎院には、新興住宅街の中に5連のものなど多くの長屋門が並んで壮観です

2015-04-26 08:00:00 | 日本の町並み
 西行戻の松公園は、多島海の松島を背景にした桜の花の眺めが見事でしたが、日本には島の多い場所は多く、瀬戸内海はそれらの中でもポピュラーな場所のように思います。瀬戸内海でも、全面的に島が散らばっているわけではなく、播磨灘のように淡路島から小豆島まで島の無い比較的広い海が広がっています。逆に、西の方の愛媛県と広島県の間は島が多くて、景色もいいように思います。今回は、その海からちょっと陸に上がって、愛媛県松山の田んぼの海の中に散在する家々の長屋門が見事な南斎院(みなみさや)の近辺を紹介します。

 
 
 松山市の南斎院は、松山駅と空港のちょうど真ん中あたり、駅からバスで空港通りを西に15分ほど乗って下車します。農地が点在するのんびりとした風景が広がりますが、このあたりまで松山市のベッドタウンになっているらしく、アパートやマンションの家々に飲み込まれつつあるようです。バス通りから1本北の東西の通りを行くと、取り残されたような田んぼに面して、途轍も長さの長屋門が東西に伸びています。よく見ると、1軒の門ではなく、5軒分の長屋門が連結して、通りの端から端まで繋がっているようです。

 
 長屋門は、歴史的には武家の門として、門の両側に門番などを住まわせ中央部に開口部を設けた建物でしたが、時代と共に農家にも広がったようです。南斎院の長屋門も農家のもので、開口部の両側は農作業や納屋として使われてきたようです。ただ、どう見ても農家の門というより、中に武家屋敷がありそうですが、開口部から見える母屋は農家のものでした。これだけの門構えですから、かなりの豪農であったのではと想像しますが、記録によれば、このあたりには裕福な農家はなかったとのことで、不思議です。

 
 
 裕福ではないという農家の点在する地域なのですが、5軒の長屋門のほかにも、単独の長屋門がいくつも残されており、白壁の続く路地の向こうには土蔵が顔を出しています。長屋門も、それぞれ少しづつ顔が違うような気がします。

 長屋門は、武家屋敷の周りに家臣を住まわせる長屋を建て、そのいくつかに通行のための開口部を設けたものです。門のそばに人が住んでいるのですから、防衛上も便利だったのではないでしょうか。門を通すか阻止するかは、長屋門の住人の判断に任されていたのでしょうが、マニュアルのようなものはあったのでしょうか。サーバーや個々のパソコンを、悪意のある外敵がネットワーク経由で進入するのを防ぐのがファイアウォールなどの仕組みですが、外敵の手口も巧妙になりすり抜けてしまうようです。阻止しすぎると使いづらく、緩めると攻撃され被害に遭う可能性があり、長屋門の門番より大変な仕事かもしれませんが、コンピュータ・システムの方では、現在のところ人命には直接被害は及ばないかもしれません。