世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

白川郷より素朴な山里の五箇山では昔は火薬の原料を生産していました

2011-09-04 08:00:00 | 日本の町並み
 人の流れが変わってしまい、人の気配の少ない山村が鳥取県の板井原集落でした。もともと板井原は平家の落人伝説もある山の中の村落でしたから、村を通る道路が街道として役割が終われば、もとの落人集落になってしまったのでしょう。平家の落人伝説の集落で有名なところは、すべて山奥で人の行き来の少ない交通の便が悪いところです。今回は、それらの中で、世界遺産にも登録されている五箇山集落を紹介します。

 五箇山は、白川郷とともに特徴的な合掌造りの集落が世界文化遺産に登録されており、白川郷が岐阜県に属していますが、五箇山は富山県の南部に位置しています。現在は、高岡から城端を経由して白川郷まで走るバスに乗れば簡単に着いてしまいますが、かつては庄川を遡上して道なき道を山奥に分け入る必要があったのでしょう。それだけ、不便なところなので、平家の残党が落ち延びた里との言い伝えがうまれたものと思います。バスで簡単にとは書きましたが、このバスは一日に4本という少なさなので、途中下車をして次のバスまでは2~3時間も待たされてしまいます。合掌造りの集落は相倉(あいのくら)と菅沼の二箇所にありますが、白川郷で宿泊することにしていた筆者は相倉しか訪ねることが出来ませんでした。

 

  相倉の集落は、バスが五箇山、梨谷の両トンネルを抜けて坂を下った所にあるバス停から少し下ったところにあるので、バス停に降りると集落の全体が俯瞰できます。周りを山に囲まれて、すり鉢の底のようなところに合掌造りのとんがり屋根の家々が並んでいます。白川郷は、かなり大きな集落ですが、五箇山の相倉地区は全体で21棟という小さな集落で、そのうちの大部分が合掌造で残されています。これだけ小さな集落にも、お寺や神社があり神社の前には狛犬が番をしていました。もっとも、明治期には50戸を越える集落があり、過疎化よって現在の規模となったようです。それにしてもお寺と神社とは日本人の生活から切り離せないのでしょうか。

 
これだけ戸数が少なくなってしまうと、日常生活は大変だなーと、思ってしまいます。集落内には、お土産屋さん以外に商店は見かけませんでしたから、日用品はおろか日々の食料品も車で砺波あたりまで出掛けてまとめ買いなのでしょうか。以前に、白川郷の屋根を葺き替える映像を見たことがありますが、みんなで協力し合っても片側だけ葺き替えるのがやっと、と言われていました。比較的人の多い白川郷でもこのような状況ですから、五箇山では外部のボランティア頼みということなのでしょうか。

 五箇山では江戸時代には塩硝という特産品がありました。塩硝は黒色火薬の原料の一つで酸化剤として使われます。通常は日本の古民家の囲炉裏下で自然に出来ていたそうですが、五箇山ではヨモギや蚕の糞などを使って生産をしていました。これを江戸幕府に対抗する勢力を持つ加賀藩が独占的に召し上げていたようです。五箇山が人里はなれた山奥にあったということで、秘密裏に事が運べるという利点もあったのでしょう。明治期以降は、安いチリ産の硝石が輸入されるようになり、この特産品の生産は廃れてしまったようです。火薬の原料の生産が輸入で廃れたのはいいとしても、IT分野で国内生産がどんどん廃れていくのは、技術立国の日本としては困った現象です。