世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

倉敷の土蔵の壁は軽やかな真っ白です

2010-07-11 08:00:00 | 日本の町並み
 東京から40分程度という近さに土蔵造りの家並みが連なり、休日にはたくさんの観光客が訪れ、日本三大蔵の町の一つが川越でしたが、残りの2つのうち今回は名前にも倉が付く岡山県の倉敷を紹介します。川越の土蔵造りは、黒漆喰で塗りごめられたものが多く、まるで火事に遭ったような感じで、落ち着いてはいますが、町全体が重い感じがします。黒壁が連続する風景は、滋賀県長浜市の黒壁スクエア(名前どおりの場所ですが)とも似ています。これに比べて、倉敷の土蔵は白漆喰で仕上げられてありますから、明るくって軽やかな感じがします。

 倉敷は、皆さんご存知のように岡山県南部やや西よりに位置し、岡山県で2番目に市制を引いた都市です。倉敷市は合併により瀬戸大橋の起点の児島などにも広がっていますが、狭義に倉敷というとJR倉敷駅周辺にある美観地区あたりを指すようです。ただ、この美観地区がどこからどこまでを指すのか、曖昧のようにも思います。倉敷河畔伝統的建物群保存地区とイコールということかもしれません。
 
 
 倉敷観光の目玉は、ほとんどこの地域にかたまっているようで、日本で最初の西洋美術館の大原美術館、民芸館、考古館それに大原邸などが川沿いに集中的に建っています。川沿いの喫茶店のEL GRECOも40年以上前に初めて倉敷を訪れた時にも見かけました。大正末期の建物なのだそうですが、昔に比べてツタの葉が増えたでしょうか。倉敷川から少し離れた場所ですが、大原美術館を生んだ倉敷紡績の旧工場跡のアイビースクエアなどが観光客が大勢集まるところです。

 ゴールデンウィークの後半には、この倉敷川で「瀬戸花嫁川舟流し」と呼ばれるイベントが、毎年なのかどうかは不明ですが開催されていました。舟による嫁入りは潮来が有名で、アヤメの咲く中を花嫁を乗せた田舟が行く様子は絵になり、観光用のイベントになっているようです。倉敷では、運河を取り巻く白壁の建物の中と周りの風景が違っておもむきも違うようです。



 その前夜には、十二単のような装束の女性を乗せた川舟の運行もあって、こちらも数多くの観光客が運河の周りに集まっていました。また、この時期には、背後の鶴形山の阿智神社の藤も見ごろでです。この阿智神社は倉敷の町がまだ海で、鶴形山が島であった頃からの歴史を持つのだそうです。




 多くの観光客が集まる倉敷川の周辺ですが、白壁の町家が微妙にカーブをする道に沿って並んでいたり、土蔵に囲まれた細い路地があるのは、川の東側、鶴形山の南の本町あたりになります。細い道にも車が入ってきて、それがちょっとうっとうしいのですが、観光客の姿はあまり見かけません。アイビースクエアに行く途中に、ちょっと遠回りにはなりますが寄り道するだけの価値のある町並みです。美観地区が、演出過剰でよそよそしい感じのある町並みであることと比較して、本町の方は生活くささが残る、生の町並みといった違いでしょうか。

 美観地区はJR倉敷駅の南側ですが、駅の北側には2008年の暮れまでチボリ公園がありました。デンマークのチボリ公園のコピーで、どうも倉の町のイメージとは合わないような感じもしますが、そのためかどうか11年という短命で閉園されてしまいました。それでも、開園当初はディズニーランドを越える入場者数の日があったそうですが、良く言えばヨーロッパ的な落ち着いた大人のムードの公園ですが、悪く言えば派手さに欠けリピート客を呼び込む魅力に乏しかったのではないかと思います。

 倉敷市の南部には水島があって、戦前から工業地帯で軍需産業も数多くあったそうです。このために、第二次大戦では米軍の攻撃を何度も受けたのですが、その北に位置する倉敷は一度も空襲を受けなかったそうです。これは、倉敷には大原美術館があったからという説もあるようですが、実際には攻撃の優先順位が低かっただけで、戦争が長引けば被爆していたであろうと言われています。東京大空襲や広島、長崎での無差別殺人の冷酷さを思えば、虚偽に美化されたようにも思います。兵器産業に携わる人は、戦争によってIT技術が進化すると平気で言う人が居ますが、これとても兵器産業を弁護するためのまやかしに過ぎないように思います。