世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

かつては県名にもなった城下町の小幡ですが、綺麗な水の小川の近くにも人の気配は少なかったです

2010-01-17 08:00:00 | 日本の町並み
 お城から八丁はなれた味噌倉でできた八丁味噌で作られた味噌田楽が美味しかったのが岡崎でしたが、味噌田楽で田出ると美味しい材料がこんにゃくです。こんにゃくの名産地は、北関東に多いのですが、その中でも下仁田はこんにゃくのブランド的かもしれません。今回は、その下仁田ではなく、高崎から下仁田まで伸びている上信電鉄を上州福島で途中下車をして南に3kmほどの小幡(おばた)付近を紹介します。

 小幡は群馬県の聖な部に位置する甘楽(かんら)町の一部で、現在は知る人も少ないところですが、江戸時代には小幡藩として、また明治の初めの一時期は小幡県を名乗ったほどの城下町でした。前述のように、高崎から下仁田まで走っている上信電鉄に乗り、世界遺産暫定リストに載る富岡製糸場の少し手前の上州福島で下車します。駅前からワゴンを使った日に数本の乗り合いタクシーで10分ほど走ったところです。町の中は、観光客も少ないし、そもそも住んでいる人も少ないらしく、ほとんど人の姿を見かけないのんびりした感じです。

 小幡の中心を南北に流れるのが雄川堰で、この流れ沿いに古い町並みや、
 
気持ちのよい並木道があります。

この流れは、古くから灌漑や生活用水として使われていて、日本百名水の一つだそうです。町並みの中を流れる水としては、随分と清冽なのは、そもそも住んでいる人が少ないからかもしれません。古い町並みが残る一郭は、流れに沿って国道があり、さらに国道とは反対の川沿いには砂利道があって町並みはこの砂利道に面しています。写真で切り取ると、背面に交通量の多い道路があることを忘れてしまいますが、車の喧騒さには少々興ざめします。

 雄川堰の西側には、いくつかの観光ポイントが、歩いて回れる範囲に散らばっています。武家屋敷や庭園など、どれもこじんまりしています。松平家の大奥の跡という庭園も大奥というには小さすぎる庭園です。名主の家が移築復元されていて、囲炉裏のある内部も見ることができます。

また、近くにはて、「喰い違い郭」という石垣に囲まれた道があり、戦時の防衛上のために造られたという説もありますが、下級武士が上級武士に出会うのを避けるため隠れる場所になったという説の方が真実味があるようなこじんまりした郭です。

さらに、西に行くと楽山園という大名庭園跡があり、信長の次男が小幡に城下町を築く際に作ったとされていますが、

初めて訪れた時にはブルーシートが被った工事現場って感じでしたが、現在もまだまだ工事は続いているようです。

 磨崖仏もあったのですが、この仏様がどこにあったのかは正確なところは記憶から消えてしまっていて定かではありません。武家屋敷などがある中心地区から、少し南に行った町外れであったようです。大きな岩に、顔だけが彫られたものですが、どことなくユーモラスな感じを受ける仏様でした。また、町中には、お顔の形もはっきりしないような石仏も立っていました。
 
 群馬県は乗用車の普及率では全国でトップクラスと言われています。小幡への公共輸送機関が不便なことも、そのあたりにも理由があるのかもしれません。車が多くて人の少ない土地を走るローカル私鉄の上信電鉄もなかなか大変なのではないかと思います。ただ、この上信電鉄は、かつては下仁田から、さらに西へ延ばして、県境の峠を越えて長野県の小海線の駅と接続する計画があったそうです。上信の社名もその計画にちなんだものでした。開通していれば、上州と信州とを結ぶ経路として、北の碓氷峠越えのJRと、南の余地峠越えの上信電鉄との2つのルートの競演だったのですが。計画断念の理由は知りませんが、コンピュータを使った、需要予測でないことだけは確かでしょう。どこかの空港の需要予測は、計算はコンピュータで正確かもしれませんが、入力するデータが人間の手で加工されたのでは正確な値も出せませんね。