世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

岡崎城から873m離れた味噌倉でできた八丁味噌で食べる田楽は美味しかった

2010-01-10 08:00:00 | 日本の町並み
 阿波踊りにも負けないような活気のあるお祭りがあるのが上田でしたが、故郷の上田城にこもって宿敵の家康を苦しめたのが真田幸村です。その宿敵の家康の故郷は岡崎で、こちらも城跡が公園となった城下町の一つです。城下町らしさはあまり残っていないようですが、城跡公園から北に少し行ったあたりや八丁味噌の蔵元の味噌倉が並ぶ周辺に少し古い町並みも残されているようです。

 岡崎市は、愛知県のほぼ中央にあって、海には面していない内陸の市です。JR東海道線に岡崎駅がありますが、市の中心部は名鉄の東岡崎になります。「東」の文字が余分についているほうがメジャーな駅というのも面白い現象ですが、横須賀駅もJRの横須賀より京急の横須賀中央の方が中心街に近くメジャーかもしれません。徳川家康の生まれた岡崎城跡も名鉄の東岡崎駅の一つ西よりの岡崎公園駅から1kmほどの所です。

 岡崎城は、15世紀に作られた平山城でしたが、江戸時代初期に松平氏により改修され複合連結式望楼型3重3階の天守を持つ平城になっていました。しかし、明治の廃城令により天守をはじめすべての建物が取り壊され石垣と堀などのみを残して岡崎公園となりました。その後、1959年に鉄筋コンクリート製の天守や大手門が再建され市のシンボルとなっています。
 
建物を失った城址は、宗教団体の本部になっているところもありますが、岡崎城址のように、緑豊な公園となっているところが多いようです。また、民謡に「五万石でも岡崎様は、城の下まで船が来る」と歌われている様に、城跡のすぐ南には乙川の流れがあります。陸上の輸送より、水上の輸送がはるかに有利であった江戸時代において、城のそばに船が付けられるということは、大きな利点であったのでしょう。

 この岡崎城から八丁の距離(約873m)の所で作られた味噌が八丁味噌です。現在も「カクキュー」と「まるや八丁味噌」の二軒の味噌倉が伝統を引き継いで八丁味噌を作り続けています。八丁味噌の御園特徴は、米や麦を使わず大豆のみを原料としていることで、麹ももちろん大豆から作るまめ麹が使われます。赤黒い辛口の味噌で、赤出汁はこの八丁味噌を使って作られるのが一般的です。筆者は「まるや八丁味噌」の工場を見学させてもらいましたが、薄暗い工場の中に並んだ桶の上に随分とたくさんの石が積まれていたのが印象的でした。
 
実はこの味噌倉は、今をときめく宮崎あおいが主演をしたNHKの朝ドラ「純情きらり」のロケ地になったところで、中庭に面した壁にはロケにまつわる写真が並べて展示されていました。ガイドをしてくださった方が、ここが宮崎あおいが演ずる主人公が、味噌の桶の中に落っこちたところだよ、と面白おかしく説明をしてくれました。一方の「カクキュー」は、歴史は新しいのですが、古い味噌倉が残されていて有形文化財になっており、
 
オフィスの建物の正面も個性的です。

 味噌倉の見学の後には、八丁味噌で作った田楽をご馳走になりました。関東で田楽、おでんというと、大根や練り物をお出汁で煮たものを指しますが、関西で田楽といえば味噌田楽、こんにゃくなどを煮た物に味噌だれをつけて食べるものでした。関東のおでんに相当するものは、関東煮と呼ばれてきました。ただ、最近はテレビの影響もあってか、この呼び方はすたれてきたようです。ただ、うどんの出汁など、関東と関西ではまだまだ食文化の違いが残るようです。これは文化の違いなので、どちらがよいかという議論ではなく、その文化の背景などを議論すべきでしょう。ところが、世界には食文化の違いを認めず、鯨はかわいい顔をしているから食べるのはかわいそうという議論をする人種が存在するようです。自分たちの文化が絶対で、他の文化を認めない、一種の人種差別につながる主張のように思えます。インターネットが発達して、世界中のコミュニケーションの障壁が減ったといわれますが、それだけでは差別は減らないんでしょうか。