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地震で被害に遭うもボランティアの手で修復されたサン・フランチェスコ聖堂のあるアッシジ(イタリア)

2009-02-14 14:34:16 | 世界遺産
 エヴォラの大聖堂には、500年以上も前に訪れた日本の少年使節団一行が弾いたとされるパイプオルガンが残されていましたが、800年ほど前の13世紀に建てられ20世紀まで引き継がれてきた聖堂が、突然襲った地震によって一瞬にして壊滅してしまったのがアッシジのサン・フランチェスコ大聖堂です。幸いにも、その後ボランティアの手によって再建が進みもとの姿に修復された年に世界遺産に登録されました。今回は、サン・フランチェスコ聖堂とそれが建つアッシジの町を紹介します。

 アッシジは、ローマの北100kmほど、サッカーチームで有名な町ペルージャの20kmほど手前にあり、ローマから列車で2時間程度の町です。町は小高い丘の上にあって、鉄道駅からはバスで15分程度乗ると、サン・フランチェスコ聖堂の東側の広場に着きます。丘の上の町は、民家やホテルそれにお土産屋の間に数多くの聖堂が建っていて、その中で最大のものがサン・フランチェスコ聖堂になります。アッシジは、ローマ帝国時代からあった城壁都市でしたが、アッシジで生まれ、死後に聖人に列せられたフランチェスコの功績を称える聖堂が13世紀に完成したことでカソリックの巡礼地として脚光を浴びるようになりました。

 さてそのサン・フランチェスコ聖堂ですが、町の西の端に突き出すように建って居ます。北側には森が迫り、南側の眼下には田園風景が広がっています。聖堂の中は二層になったいて、上堂はゴシック、下堂はロマネスクと様式が異なりますが、そのどちらの壁面にも数多くのフレスコ画が描かれています。特に奥行き方向の壁という壁はフレスコ画で覆われていて、その数に圧倒されます。上堂はジオットによりフランチェスコの生涯が28枚の絵になっていて、なんとなくストーリが解るように思います。上堂は天井の高い通常の聖堂に入った感じがしますが、下堂は天井が低く地下室のような圧迫感がありました。この聖堂が1997年にこの地方を襲った地震によってる崩落してしまいましたが、たまたまその時に撮影された映像を見ると、すさまじい砂煙と共に壁が崩れていく様子が映っていました。2000年に再建され、筆者は再建後に訪問したのですが、被害にあったということを聞かないと解らないくらい美しい聖堂でした。フレスコ画を含めてよくぞもとの形に戻せたものだと思います。

 サン・フランチェスコ聖堂と共に有名な修道院が、丘の東の方にあるサンタ・キアーラ修道院です。聖フランチェスコの精神に従って財産を放棄して修道院を作り清貧に生きたキアーラが作った女性たちのグループが作ったもので、聖堂は彼女の死後13世紀に建てられたものです。こちらの聖堂は、ピンク色の外壁に装飾の少ないシンプルな聖堂です。

 この2つの聖堂の間は、上ったり下ったりの曲がりくねった道が続き、

道を曲がるとその向こうに聖堂の尖塔が見えたり、突然に広場に出たりします。

その広場で、子供たちが持っている旗を回したり、投げ上げたりするマスゲームをやっていました。お祭りの様子でもなかったのですが、何かの宗教行事の一環だったのでしょうか、時々落としたりもするのがご愛嬌で、かわいらしいものでした。

 地震は突然にやってくるので厄介ですが、その地震の予知や、地形の正確な把握のためにGPSの高精度な測定が役に立っているようです。かつては軍需目的のために、民需用にはわざと精度を落としていましたが、現在では高精度のものも使えるようになったので、小さな地殻変動も捕らえることができるのだそうです。それによると、日本の3,000m級の山々は少しずつ低くなっているそうで、数万年後には日本には3,000mを越える山が無くなってしまうかもしれないとのことです。ただ、山々が3,000mより低くなるまで人類が生き延びているかどうかはわかりませんが。