世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

隠れキリシタンのふるさとにお寺と教会が重なった風景画があります、平戸

2006-08-06 14:19:25 | 日本の町並み
 佐原が生んだだ偉人、伊能忠敬が作成した伊能図をシーボルトが持ち出そうとして物議をかもしたことは有名です。シーボルトがやってきたのは出島ですが、その出島にあったオランダ商館は平戸にあったものが移されたものです。今回は西洋と日本が溶け合ったような景色が出現する長崎県の平戸を紹介します。

 平戸は九州の北西端から海を渡った平戸島にあり、対岸の「たびら平戸口」は沖縄のモノレールが開業するまでは、日本最西端の鉄道駅でした。かつては平戸口駅近くの港からフェリーに乗って島に渡っていましたが、1977年に平戸大橋が完成して佐世保からの長距離バスも島内まで直通しています。バスの終点はフェリー乗り場で、現在は平戸島を経由してさらにその先にある島々に人や車を運んでいるようです。

 フェリー乗り場の先に突き出た岬には、かつてオランダ商館が置かれた頃の遺構が集中的に残っています。岬の突端には常灯の鼻と呼ばれ、かつての防波堤の名残の場所に常夜灯が立っています。そのそばに商館跡がありますが、ほとんど草むら状態で、往時を想像するのは難しいかもしれません。フェリー乗り場の方へ戻る途中に、オランダ井戸、オランダ埠頭、オランダ塀の遺構が残ります。その中ではオランダ塀が長崎のオランダ坂を思わせる坂道に沿って残っていて、湾を挟んで平戸城を望むこともできポイントが高いようです。

 ポイントが最も高い景色を望める場所は、町の後方の丘に登る坂道にあります。平戸はポルトガル人宣教師による、キリスト教布教の中心地となりましたが、あのザビエルも1550年に平戸を訪れています。それを記念した淡いグリーン色の聖堂が昭和6年に丘の上に建てられています。一方、丘の中腹には2つの寺院があって、こちらも渋い山門や鐘楼が残っています。お寺の前を通って聖堂に上る坂の途中からは、手前のお寺の鐘楼などの建物の上に聖堂の尖塔が天を突いてそびえる景色が見れます。鎖国によってキリスト教は禁教、隠れキリシタンの歴史を歩んだ平戸にとって、お寺と聖堂が重なる景色というのは意味深い感じがします。

 平戸からオランダ商館が移転した出島は、鎖国時代に日本への出入りを一点に絞り、オランダ人を日本人から隔離するというセキュリティポリシを実現するための設備であったように思います。当時は物理的な脅威に対しての防御が主だったものであったでしょうが、出島の年間使用料が現在の貨幣価値に換算して1億円以上であったそうです。日本では安全は只という価値観があったと言われますが、そうばかりでもなかったようです。現在のセキュリティは、物理的な防御に加えて電子的な脅威、例えばコンピュータシステムやネットワークなどをいかに守るかが重要になっています。安全を守るためには、守る対象に見合った費用をかける必要がありそうです。