世界遺産と日本/世界の町並み w/IT

世界遺産と日本/世界の個性的な町並みをITを交えた筆致で紹介します。

近江商人のふるさと五個荘にはかつての繁栄を垣間見る家々が残されています

2006-01-22 14:58:32 | 日本の町並み
 美濃はうだつのあがる町並でしたが、うだつをあげる商家といえば、天秤棒一本で日本中をかけ回り現在の商社の基礎を築いたといわれる近江商人、そのふるさとは滋賀県の近江八幡、日野、五個荘(ごかしょう)などが中心です。近江八幡は琵琶湖の水運に恵まれ、畳表、蚊帳、灯心などを中心に、原材料と製品との双方を流通させる「三方よし」の商法が有名です。日野は、行商に加えて小型店の経営にも力を注ぎ、「万病感応丸」と呼ばれる漢方薬を製造販売したことで知られています。三番目の五個荘は、呉服・麻布など繊維関係を主に扱い、現在の商社の基礎を築いたとされています。
 この中の五個荘の名前を最初に聞いた時には、熊本県の平家の落人伝説で有名な五家荘(ごかのしょう)を思い起こしてしまいました。似て非なるものの例でしょうか。五個荘のほうは近江八幡と日野との間に位置し、近くを新幹線が通り抜けていますが、足としては京都と米原の間に位置する能登川駅からバスで10~15分くらいの集落です。
 中心の金堂と呼ばれる地区は、周りを田んぼに囲まれ、旧商家の古い建物や、鯉の泳いでいる水路など、絵になる風景が広がるところです。旧外村邸などいくつかの商家が保存公開されていて、五個荘の商人の歴史などの資料が展示されている建物内部や天秤を担いだ近江商人像がある庭を見ることができます。外から見たのでは、普通の民家のように見えますが、中に入ると、太い木組みや広々とした続き部屋などに、往時の繁栄を垣間見るような気がします。
 現在の五個荘は新幹線などの通過地点に過ぎませんが、江戸時代の近江は東海道、東山道、北国街道などが集まる交通の要所でした。当然ながら物や人の行き来も多く、市がたつようになり、その市を核にして商業が盛んになってきます。五個荘の商人は、北の若狭へは琵琶湖を渡り、東の伊勢には鈴鹿山脈を越えて商品を運んだようです。
 新聞やテレビなどのマスメディアの無い江戸時代には、行商人が情報伝達の役割の一部を担っていたのではないでしょうか。商品と共に情報をも天秤棒で担って運んでいたのかもしれません。彼らは情報を商売にも利用していたと思いますが、商売をしていく中での情報の重要さのルーツは商社のルーツである行商にあるかもしれません。ケータイからでも、あらゆる情報が、いつ何処にいても簡単に引き出せる現代では、いかにして多くの情報の中から有効な情報を手際よく選択できるか、が課題なのかもしれません。