くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「ちはやふる」末次由紀

2010-06-16 00:05:18 | コミック
出ましたね、9巻!
「下の句かるた」、知ってます。でも、そういうルールがあるとは知らなかった。わたしが見たのは会津の資料館でしたが、確か「白河かるた」と呼ばれていたような。札も一枚だけ持ってます。「しろきをみれば夜ぞふけにける」。
新入部員が加入して、新たな曲面を迎えたかるた部。太一の本気ぶりと新の真剣さがよかったので、ついコンビニで掲載誌を立ち読みしてしまいました。坪口さんが顧問! なんだか楽しい部になりそうですね(笑)。
つい気になって、1巻から続けて読み直してみました。
そしたら、おぉっ、という発見が結構あって驚きです。北野先生、こんな前から出てたんだ! 周防久志が挑戦者の回もある!
なんていうか、わたしは単行本と本誌の立ち読みを平行して続けてきたのですが、ゆっくり読むのと一気に読むのでは、やっぱり流れが違うんだな、と。こちらの受け取り方なのかも知れませんが、とてもすとんと胸に入ってきたような気がします。
1巻の巻頭から考えると、千早は今年挑戦者になるのですよね? 六年前とたしかに書いてある。末次さん、破綻なく物語をすすめているので、これから先の展開も楽しみです。
で、読んでいて思ったのは、わたしは太一が好きだなあ、と。実際に同級生だったら苦手かもしれませんが、すごい頑張り屋で、見えないところで地道に努力をしているのがわかるのです。例えていえば姫川亜弓タイプ?
それから、「受け継がれていく大切さ」のようなものも感じます。今回ではかなちゃんが百人一首は短歌の型があったからこそ残ってきたのだといっていますが(表現は違いますが、わたしはそう解釈しました)、それに加えて北野先生がこう言っているのが印象的です。
「師を持たない人間はだれの師にもなれんのだ」
師から弟子に伝えられるかるたへの思い。そう、技術には思いが伴うものだと思うのです。
それから、物語全体を通して西田優征の存在感がいい。段々丸っこいタッチになってきてますが。小学生の頃の方が書き込まれているよね(笑)。
でも、いいところで締める。渋いキャラだと思います。
それとね、今回、「いまひとたびのおおこともがなー」と読みが出ていて嬉しいです。「あふ」は「おお」だよね。でもそう思っていない人もかなりいるので、かるた界できちんと伝えてくれていることが分かって、感激しました。
それからそれから、と語り出すと次々出てくるんですけど。そして、ふとページをめくるとこりもせずにまた読んじゃうんですけど。
あー、新、早く太一や千早と対戦したいよね。もう本当に気になってならない物語です。カバー見返しの一首もいいよねー。
って、やっぱりとまらなくなりそうです。すみません。

「新体操ボーイズ」荒川栄

2010-06-15 05:54:02 | 芸術・芸能・スポーツ
すっごいおもしろかった! オススメします。熱血先生の情熱的なお話をみっちり聞かせてもらったような感じでしょうか。
荒川栄「新体操ボーイズ~熱血先生、愛と涙の青春奮闘記~」(青志社)。
このタイトルはもう少しなんとかならんのかと思わないでもないですが、新体操をなんとかメジャーにしたいという荒川さんの熱い思いは伝わってきました。
男子新体操。よく知らない人にとっては、女子の華やかな世界のイメージと重なって、リボンやループによる演技なのかと思われることでしょう。
わたしが仙台で講師をしていた時代、新体操部がありました。女子は顧問も経験者だったのでかなり盛んだったのですが、男子部員は一年生が一人。で、この子がいつも黙々と一人で練習していたのです。
実は、今まですっかり忘れていました。記憶が蘇るのって、すごい。
筆者は青森山田高校で新体操部の監督をされています。かつては国士舘大学でインカレ三連覇を成し遂げたとか。
学生のころ、男子新体操の団体演技を見て、その統率のとれた身体表現に息を飲んだものです。わたしは器械体操が好きなのですが、床運動を集団でやっているようなイメージでした。
スター選手だった荒川さんですが、ほかのスポーツと違って、卒業後に実力を活かす場所がないことに気づき、愕然とします。
縁あって盛岡の高校で指導することになるのですが、なかなか部員が集まらずに苦労したり。
ダンスとの融合やら新しいユニフォームを着ての大会やら、教え子の夢を引き継いでの挑戦やら、非常にドラマチックです。
わたしは、奥さんの直美さんがすごいなーと思います。貯金を切り崩しながらも荒川さんを支えようとするところ、大手に就職したのに、いつの間にか岩手でダンスを教えているところ、加えて二人三脚で山田高校のコーチを引き受け、選手の体調管理を掌握しているところ、などなど。なかなかできることではないですよね。
監督の目から見た選手たちのひたむきさもいい。チームとしての高まりを作るために努力する姿が恰好いいです。
ただ、気になるのは中田さんはまだ売店勤務なのでしょうか。尊敬する先輩と郷里で最高のチームを作りたい。自分は高校、先輩は大学の指導者というプランで母校に戻ったのに、用意されたポストは予想と違っていた……というくだりは結構印象的でした。香川県で教師をしていた中田さんは、素人を基礎から育てていいチームを作る方だったのに、自分の夢に付き合わせてしまったために辛い思いをさせた、という悔恨。自分も新しいチームと合わず、この選択でよかったのかと迷いが生じます。
生徒たちと向き合ううちにそれも解消されていくのですが。
わたしは、盛岡時代の荒川さんと青森に戻ってからの彼では、選手の育成に差ができたのではないかと感じました。
盛岡では、体操部のある中学校のコーチとして出発。自分が高校教師になるとついてきてくれる生徒がいたので、後輩を指導者として依頼するなど、中学生からの育成につとめたわけです。でも、青森では「人買い」と噂されるほど、全国から有力な選手を集めてきている。
で、考えたのです。一流といわれる強豪校に入るには、その前段階で既に名をなした選手でなければならないのか、と。中学生で選んだ部活に例えば新体操がないのであれば、彼に才能があったとしてもスカウトの目にはとまらないわけです。
裾野を広げるにはスター選手の存在が必要だと荒川さんは言います。でも、はじめからその部がないところに、一から作りあげるのは難しい。おそらく指導者として教員を選んだ選手たちの大半は、違う部の顧問をさせられるケースも多かったでしょう。
そう考えると、彼が巡りあった中学の体育の先生はすごい。新設した部で、しっかり育成してくれたんですね。

「小暮写眞館」その2

2010-06-14 05:51:31 | ミステリ・サスペンス・ホラー
地に足の着いた物語だと思います。みんな実直に暮らしている。その中で心霊に関わる部分をどう処理するか。そのために宮部さんはこつこつ伏線をはっているのです。前半の二章はそういう異世界の存在を、英一と読者に覗かせる構成でしょう。
でも、わたしは一見心霊的でありながら、実は子供の心の闇を浮き上がらせる三章の方が好きなのです。あ、物語では二章がいちばんバランスがとれているかな。
婚約者を裏切る形になってしまった男性の悔恨話です。彼にたいしてある女の子がそんな態度のままでいるのはよくないと説教する。そこで彼は、意を決して会いに行くことになるのですが。
ごめん、この結末で本当にいいのか、わたしには割り切れないものが残ります。
いいんですよ、ハッピーエンド。でも、なんだか本当にそいつでいいのか、と。亡くなったお父さんとともに問い詰めたくなるのですが。
さらに。
ふと、後半、英一が父の家族にたんかを切る場面に違和感のようなものを覚えてしまうのです。七年前のことがいつまでもわだかまりになっていたことを解放するための場面なのはわかりますが、それは必要なことなのかなー。
どうも細部にちぐはぐなものが残るというか。
光はうちの息子と同世代。比べものにならないほどに優秀なお子さんですが、いくら心理的に夜尿症ぎみになっていても、高校生のお姉さんと女子トイレには行かないでしょー。だいたい、夜尿症と昼間のトイレが近いこと、関係ないのでは。内緒で霊園に行ったり、一人で自分の部屋で寝られる子なんだよね?
わざわざ高校生の息子に、弟のトイレに気をつけさせる母親。わたしは京子さんのことが好きではないのかもしれません。発熱した四歳児を目の届かない場所に寝させるなんて、怖くてできないよー。
最後に、寺内千春について。
「コゲパン」とあだ名される彼女の人柄、さっぱりしていていい子だと思います。ただ、小学生のころの蔑称が高校生になっても続いといて、それを周囲がただのあだ名として捉えている状況というのはどうなのか、と。かなり仲のいい英一やテンコにもそう呼ばれているのですね。でも、本人の内実としては忸怩たるものがあるのではないかと思うのですが、考えすぎでしょうか。
この作品、幽霊をテーマにしていますが、直接的には家族の前に姿を現すことはありません。そこが宮部さんらしいともいえますが。
でも、わたしとしては、結局「犯人探し」をしていながらそちらの方面ではない部分を綴った「誰か」で肩透かしを食ったような気になったので、これもその点では残念ではあります。
偏見が続いたせいかもしれませんが。

「小暮写眞館」宮部みゆき その1

2010-06-13 06:14:00 | ミステリ・サスペンス・ホラー
ここは正直に言いましょう。新刊を書店で発見したとき、まあ、今回も図書館の順番待ちでいいだろうと思ったのです。いかに宮部みゆき三年ぶりのエンターテイメントであろうと、間違いなくどこの図書館にも入るだろうし、わたしは待つのは嫌いではないのです。
でも、わたしが本読みとして信頼している方が絶賛していて。さらに帯が「小説史上最高に愛おしいラスト」なんてあおるし。前作の「英雄の書」がすごくよかったので、ここは期待して買ってみました。
ところが、どうもこれが、わたしの苦手とする○ものらしい。表紙に電車がある時点で見抜けなかったわたしが悪いのです。わたしは○に偏見があるので、この本もいまひとつのめりこめなかったのかもしれません。
いや、それほど比重があるわけではないのです。それに、それだけならそれほど違和感は感じなかったでしょう。
「小暮写眞館」(講談社)。はっきりいえば、詰め込みすぎだと思いました。宮部さんは枝葉を大事にする作風だということはわかっていますが、これは刈り込んだ方がいい。例えば「模倣犯」のような充実感が、この作品では得られなかったのです。
ヒヨコちゃんのエピソードって、必要ですか? 長沢妹と同じ学校云々とあると、どこかでまたからんでくるのかしら、と思うのですがそんなこともなく。
逆に、〈しおみ橋〉のエピソードは回想でいいの? ぜひ目の前のこととして描写していただきたかったのですが。
垣本順子が、テンコ父を評して言う言葉をはじめとして、伏線はものすごくいいと思います。彼女の人生が浮かび上がる構成も、花菱家がこれまで目をそらしてきたことに気づかされるのも、考えさせられます。
わたしは橋口くんが好きですね。テンコもいいんですが、服装センスがどうかと。
あれこれと考えたのですが、宮部さんの言語に対する感覚はすごい。テンコのシャツを「朱肉色」というのがまずいいですが、ピカのパーカが「サンタや赤頭巾ちゃんの赤」というのがまたリアル。ため息ものです。
わざとやっているのかもしれませんが、今回はわりと「慣用句」が多く使われていたように思います。ネタバレ承知でいえば、この物語全体が「白紙に戻す」物語でもあります。
つらつら書いているので、なかなかあらすじっぽいものにたどり着きませんね……。
主人公は花菱英一。高校生です。最近、両親が購入した一戸建てに引越してきました。ところが、この家、もともとは写真館で、なんとそこの主だった男性の幽霊が出るというのです。
英一の弟・光(ピカ)は、小暮さんの幽霊にどうしても会いたいと願うようになります。それは、数年前に四歳で亡くなった姉の風子に会いたいから……。
幽霊なんて非現実的なことは信用していなかった英一ですが、写真館の看板をそのままにしていたために、ある女の子から「心霊写真」をあずかることになり、その事件を解決したことで「心霊写真バスター」と噂されることに。
このあたりのくだりが、多分わたし好みではないのです。
どうも長くなりそうなので、続きます。

「種蒔きもせず」星野富弘

2010-06-12 10:18:21 | 芸術・芸能・スポーツ
表紙の犬が、なんとも愛らしい。星野さんの愛犬「みしん」でしょうか。
星野富弘「種蒔きもせず」(偕成社)。最新画集です。いつもながら、美しい。「きれい」という言葉では足りない気がします。
花の絵を描き続ける星野さん。どの絵も、細部までよく観察され、添えられた言葉には味があります。
以前、巡回の作品展を見に行ったことがあったのですが、ペンタッチが本当に細やかで、印刷でもそれは美しいのですが、肉筆はもう胸に迫るような力をもっていました。
自分なりに気にいらない部分があったのでしょう。紙を貼り直して修正した部分などもありました。
まつぼっくりのペン画の、繊細さが忘れられません。

おとなしい「郁子」を心配する画や、いつもながらの繊細な花たち、みしんの姿。添えられた字のタッチも、毛筆風あり細字ありで、そのときそのときに違います。
エッセイを読んでいたら、学生時代の友人であるKさんのことが書かれていました。
雪深い彼の実家にスキーに行った話です。彼との交流を思い出したのは、テレビニュースで、今は校長先生をしているKさんの姿を見たから。
ふと、星野さんが体の自由を失ったのは、新任教師のころだったことに気づきます。同期の友人たちは、退職の時期にさしかかっている。かなり長い年月の流れを感じました。
わたしの場合、退職まであと二十年ほどです。これまで勤めてきた時間と比べると、折り返し地点でしょうか。
それほどの時間。
星野さんの詩画を見ていると、教育者としての視点を感じることがよくあります。今回だと若者たちの服装に関わる部分とか人生について諭すような言葉とか。
もちろん、キリスト者としての視点も含まれるのですが。
時間を忘れてしみじみと見入ってしまう、そんな画集でした。

「踊る産科女医」吉川景都

2010-06-11 05:51:44 | 雑誌
やーっと、髪を切りました。卒業アルバムの写真もどんとこい。
美容院に行くと、女性誌を立て続けに読んでしまいます。そこで気になったのがこれ。吉川景都「踊る産科女医」(単行本になっていません。掲載は「女性セブン」)。
産婦人科医師の□美玄さんに、吉川さんが取材してレポートするまんがなんですが、さすがは「お疲れさまです!」(日経新聞社)の吉川景都、非常によくわかります。女医さんがピコピコハンマーを持ってつっこむのが、また可笑しい。
出産に関する不安、危険、安堵、そのほか諸々の情報を伝達してくれます。
女性誌を買うことは滅多にないわたしなのですが、この前、ハンセン氏病に関わる記事が載っているというので、数年ぶりに買いました。学生時代のアイドル、斉藤由貴の記事もあったし。
だいたい読み流すことが多いものですが、このまんがと出会えたのはラッキーだったと思います。単行本化してくれますかね?
自分が子供を産んで、様々な人の出産体験に共感できるようになりました。わたしは結構軽い方で、二人ともすんなり誕生しましたが、苦労している人の話を聞くと、大変だよなーと思います。
でも、わたしの体験をサラっと話してすら、生徒は「出産って苦しいんだ」「親は大変な思いをして実力を産んでくれたんだ」と思うようです。(道徳とか保健の先生との合同授業で、結構話すチャンスがあるのです)
吉川さん自身は、妊娠した「つもり」になってみるという回も書いていたので、まだうら若き女性と予想されますが、この女医さんから聞いたお話をぜひ続けていただきたいですね。
助産婦さんの話もおもしろいです。男の人では難しい……という考察も頷けました。
わたしは一人めと二人めは違う病院で産んだのですが、やっぱり助産婦さんのタイプもお医者さんのタイプも違いましたねー。
と、書いていて思い出しました。一人めのときの総合病院で、女医さんがものすごくぶっきらぼうな人だったので、検診のとき当たらないように祈ったことを。出向されていた先生だったので、途中で非常に柔和なお兄さんに変わり、安堵したものです。
結構ナーバスになる時期なので、やっぱり側にいてくれる人は、ホッとする方がいいですね。いや、内面はいい人なんでしょうけど。
続きも読みたいのですが、今度美容院に行くのはいつでしょうか。半年後あたり?

「変わる家族変わる食卓」その2

2010-06-09 05:18:44 | 社会科学・教育
この前、あるネットの相談コーナーを見ていたら、「友人がマックで夕食を食べたそうですが、わたしには考えられません。これって普通のことですか」という主旨のトピックがたっていて、投稿者がものすごいブーイングをあびていました。普通のことだし、人が何を食べようと勝手ではないか。お高くとまっているのか、との激しい意見もありました。
でも、わたしも夕食にファストフードはないなあ。
「食べる」ことにたいする習慣は、多分その家ごとに違うのでしょう。世間的な「常識」も変わってきているかと思います。
知り合いの家庭科の先生が調査したところ、朝から焼きそばとかハンバーグというメニューも少なくなく、きちんとした献立で野菜もバランスよく出る家は三十件のうち一件だったそうです。
うーん……。
わたしはいつもワンパターンなので、あんまり強いことは言えないかもしれませんが。とりあえず、ご飯、焼き魚、おひたし、漬け物、味噌汁、納豆、ヨーグルト、時々豆乳。
朝からパン、というのは嫁にきてから二回しかありません……。
これはうちに親世代という監修者がいることが大きいと思います。夕食に焼きうどんもNGですから。
「変わる家族変わる食卓」では、主婦が結婚する前段階で家庭料理の手助けをしていなかったことが指摘されています。
生肉を触れない、魚をおろせないという主婦も多くなっているそうです。
でも、そのためのツールを、ステップを踏んで与えていかなければ、子供にできることというのは制限されてしまうのです。
料理ができるようになるまでに、どの段階で「包丁」を使わせるのか、火を扱えるようになるのはいつごろか、ある程度考えて仕込まないと。
まだ早いと思っているうちに時間がたってしまうのかも。
しかし、この本は何も料理というものをしなくなった主婦たちに説教をしようという本ではないのです。料理の概念が崩れ、家庭でのしつけが崩れ、世の中の考え方が昔とずれてくる。
それを昔に戻そうとするのは難しい。ひとつの要因をなんとかすればよいというものではないからです。
だから、父親の復権とか一家団欒で食事をとか言われても、根本のところ、現実はかなり「理想」からずれている。
理想? それは誰にとっての理想なのかということも、提起されているように思います。主婦たちも、最初のアンケート調査ではかなり模範的な回答をしていますから。
野菜中心の食事。栄養のバランスを考えている。
でもそういいながら、実際に食卓にのぼる食べ物に反映されていない事例がほとんど。指摘されると、「今日はたまたま」などとごまかす。
遅い時間まで出かけていたので、夕食をきちんと作れなかったという人の帰宅した時間が、3時くらいだったなどのアンケート分析が、おもしろいと思います。

「変わる家族変わる食卓」岩村暢子 その1

2010-06-08 07:21:12 | 社会科学・教育
以前岩村暢子さんの本がおもしろかったので、これも読んでみました。「変わる家族変わる食卓 真実に破壊されるマーケティング常識」(中公文庫)。
朝の読書の時間を使ったので、非常にスローリーに読んだのですが、考えさせられました。
1960年代以降の主婦が家庭で作る料理について調査した結果をまとめたレポートです。
この調査は、アンケート紙・実際の食卓の写真一週間分・主婦からの聞き取り(乖離や矛盾点などについての質問)で構成されているのですが、主婦たちの意識のありようが様々な形で出現していて、読みごたえがあるのです。
レポートされる食事内容は、おそらく自分の親世代が見たら怒り出しそうなものも多く、もはや、「献立」とはいえないような取り合わせすらあります。
例をあげると、「おはぎとチョコパンととうもろこし」「おでんと味噌汁とジャムトーストとミルク」「宅配寿司とキムチ豆腐チゲ」「オクラとウインナーとトマト、刻み海苔が載った冷し中華」……。目玉焼きや焼き魚も大皿に盛り付けられ、夕ご飯なのに鯵の開きが出る……。
うちでこんなことをしたら、考えただけでも恐ろしい。
でも、このメニュー、何となくカリスマ主婦の料理本から影響を受けている面もあるような気がしました。
ワンプレートに様々な盛り付けをしたり、自分の好きなものをチョイスできるスタイルにしたりするのは、栗原はるみ「すてきレシピ」あたりでよく紹介されていたような?
でも、実際に作るとなると、どうしても「亜流」になっていくものです。材料や家族の好き嫌いに合わせているうちに形骸化していく。
この「好き嫌い」にたいしても、現代の家族は頓着しないということも書かれています。無理に直そうとはしない。食べられないままでもいい。ストレスをためるのはよくないんだそうです。
中には、苦手な食物をみじん切りにして気づかれないように食べさせるという人もいますが、年々減少傾向にある。
「グルメ」を自称しながら、単に「新製品をチェックしたい人」だったり、「手作りにこだわる」というのは趣味のお菓子だったり、「みそまで自家製」といって、味噌以外は既製品がメインだったり。
そんな事例が報告されるなか、ふと佐々木倫子の「忘却シリーズ」の一話を思い出しました。その人は、「上」と「極上」の区別がつかないことを嘆くのです。でも今や、「上」すらわからない人が増えているのではないか。というよりもそういう味の捉えに拘泥しない人が多くなったような気がしてきました。中には面と向かって、食べるものにはこだわらないという人もいる。いや、食べ物にうるさく言う人は品がないなんて言う人すらいるらしいです。
続きます。

読書ではないのですが……

2010-06-07 05:51:53 | 〈企画〉
もうずっと、中総体のために掛かり切りになっていた毎日でした。延長練習、練習試合、直前にエースが骨折、チームシフト変更……。
冷静に思い返してみると、なんだかこの半年でいろいろいろいろあったのです。
皮切りはインフルエンザによる新人大会辞退。
そして、春の大会前に第二ダブルスに出ることになっていた子が骨折。入院して手術することになり、パートナーを変更。
大会では第一ダブルスのペアが頑張ってくれたのですが、市中総体一週間前の練習試合でこの子がこれまた骨折してしまい、みんなで悲嘆にくれました……。出場すれば県大会間違いなしのダブルスだったこともあり、もうどうしたらいいのやら。連載まんがなら、ここで「次号クライマックス」くらいの緊迫感です。
さらに事前情報として、最近部員不足だった強豪校に実力のある一年生が六人入り、ライバル校には名のあるクラブチームからスーパー一年生がやってきたという話が聞こえてきました。
とにかくチーム戦のメンバーを変更するしかないのです。いちばんは、第一ダブルスのもう一人をどう出すか、ということ。
仕方なく別パートナーと組んだばかりの第二ダブルスをまた解体。県大会までにはけがも治るだろうから、みんなで県大会を戦いたい、ととにかく練習に励みました。
県大会出場枠はひとつしかないので、団体戦は一戦も負けるわけにはいかないのです。
一回戦は問題なく勝ち、二回戦は例の強豪校です。第一ダブルスは敗れたのですが、第二に起用した二年生ダブルスと部長が奮起して、フルセットにもつれこみました。あわや、というところまでいったのですが、ジュースの末負けてしまいました……。

でも、一夜あけた個人戦で、部長が優勝しました! ベスト4を決める試合で、新人大会で優勝した子とスーパー一年生とが対決したのですが、フルセットのものすごい試合で、結局スーパー一年生が勝ったのです。
その子と準決勝を戦ったのですが、やはりフルセット、ジュースの白熱した試合展開でした。
ラインぎりぎりのショット、コート中央へのスマッシュ。ラリーが続き、一ポイントごとに歓声がわきます。
部長は去年、足のケガでこの大会に出られなかったのです。さらに肩を傷めていて、だましだましプレーしてきました。
二人とも連戦して、かなり疲労がありましたが、なんとか部長が勝ちました。よかった!
その後の男子個人戦も、すごくいい試合でした。詳しくは書きませんが、男の子の「意地」を見せてもらったような気がします。長いラリーの応酬にため息が出ました。
各校、大会の裏には様々なドラマがあるのでしょうね。しばらく本を読む暇もない日々でしたが、彼らの活躍を見ていて、とても楽しかったのです。

「クリック」佐藤雅彦

2010-06-03 21:49:47 | 総記・図書館学
「ポリンキーポリンキー 三角形の秘密はね ポリンキーポリンキー おいしさの秘密はね
おしえてあげないよ。」
佐藤雅彦 超・短編集「クリック」(講談社)。わはは、懐かしくもおかしいネタが満載です。
「だんご三兄弟」に関わるものもありますよ。歌とは大分違います。潔く食べられる長男次男、串に刺さる順番などがネタになっている。
発想の転換のようなものがおもしろいですね。例えば、「ミニ力士」小さな手形が紙の中央におされています。あとは、箱の絵があって、「左の立方体の図に 一本だけ直線をつけ加えて 上のフタの部分をはずしてください」というもの。答えを見たら、目から鱗でした。
「事実」もいいですね。「ポテトチップスの湖池屋の お正月のおそなえには、 みかんの代わりに じゃがいもがのせられている。」
じゃがいもつながりでもう一つ。「しゃかいも→ざづもいも 濁点の貸し借りを禁止します。」
佐藤さんのものの考え方は、言われてみれば誰もが納得するのに、なかなかその現象を発見するのは難しいようなもののような気がします。ひとつのものを、あらゆる角度から見る。たまには内外をひっくり返しても見る。
そして、目に映るものを蔑ろにしない。他の人が見過ごすようなものでも、よく気がつくのです。
「席がえ」というシリーズもおかしい。小文字のアルファベットが整然と並ぶ1ページめ、次のページでは並ぶ順番がまぜこぜになっています。そうそう、座席表を記号化するとこうなるよねーと思っていると、今度のページは「父兄参観日」。アルファベット大文字が後ろの方に並びます。
このところずっと忙しい日々が続いていて、ゆっくり本を読む暇が少なくなってしまいました。こういうちょっとひねってある笑いって、なんだかホッとしますね。
「分離」は、「吾輩は猫である」をひらがな部分と漢字部分に分けただけのことなのですが、妙におかしい。「  は である。 はまだ い。」「吾輩 猫 名前  無 」
ふりがなも、ひらがなのいちいんです。漱石といえば、ルビに特徴がありますよね。「のみならず」の部分、「加之顔」と書いてあって、奇異な感じがしました。「のみならず顔の」ということなんですが、漢字の並びって、熟語でないものがくっついているところを、それだけ取り出されることはないので、一瞬混乱するのです。
日常のふとした一場面。冷蔵庫のマヨネーズのように逆立ちしたら見えてくるでしょうか。