くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「紅はこべ」山崎洋子

2018-01-11 05:45:03 | 外国文学
 オルツィの古典的名作「紅はこべ」! なのですが、今回は講談社の世界の冒険文学シリーズから、山崎洋子の翻案で。
 というのも、文庫本を入手できなかったのですよ……。
 「ペリーヌ」のときに書きましたが、先生方おすすめの本を展示することにしたので探しまわったのですが、何しろ「中学時代に感動した本」が最初のアプローチだったため、挙げられている書名が古い……。「氷点」とか「僕の音楽武者修行」とか(前の学校にはありましたが)。
 そんななかで英語の先生が挙げていたのが、これ。
 確か数年前に文庫が出ていたし(当時買おうと思ったのに!)、どこかの古本屋に山崎洋子版が売っていたなーと思って探しに行ったのですが。
 十件回って、全くないんです!
 古本屋はおろか、新刊書店にも。仙台まで行ったのに!(駅前ならあったのかしら……)
 創元社と河出から文庫が出ているらしいのですが、見つからない。
 でも、ここまで探してないのだから、とりあえず図書館で借りようと。
 そしたら、これしかありませんでした……。

 実はこの本、二十年近く前にも読んでいます。というより、「紅はこべ」はこれしか読んだことがない。
 山崎洋子が好きなので、当時の勤務校から借りて読んだものです。
 どのくらい原作に忠実なのかもわからない。(確かこのシリーズ、著名な作家が執筆していて、好みに応じたある程度のあらすじ調整をしていたような記憶が)

 フランス革命の最中、貴族たちを密かに逃がしてくれる「紅はこべ」という謎の一味がありました。
 マルグリート・ブレイクニーは、夫のパーシーとのすれ違いに悩んでいます。情熱的な恋人だった彼は、マルグリートの何気ない一言から捕まった貴族がいたことを知って距離をおくようになったのです。
 彼女はもともと、兄のアルマンと共和党に加わっていましたが、最近の党の風潮についていけず、夫とイギリスに渡ったのです。
 親友のシュザンヌが「紅はこべ」の手引きでイギリスにやってきて、協力した男性と恋に落ちます。
 その男性は「紅はこべ」の手下ですが、フランスの全権大使ショーヴランによって次の計画を書いた指示を奪われてしまう。
 さらに、マルグリートの前に現れたショーヴランは、兄の逮捕をちらつかせて「紅はこべ」の正体を探るように迫るのでした。

 ……再読して思ったのは、マルグリートって浅はかだなあ、と。
 なんだかどんどん自分で墓穴を掘っていません?
 アルマンが恋をした女性の父親から袋叩きにされたのを恨んで、噂に聞いたこと(フランス革命の制圧を図っている)を口に出したために、サン・シール一族は処刑。
 ショーヴランに脅されたから、秘密のメモを覗き見して伝えたため、パーシーがピンチに陥る。
 さらにはショーヴランたちを追跡してまんまと捕まる……。
 それにしても、ショーヴランの命令に従った部下たちの行動が余りにもマヌケでびっくりなんですが、原作通りなの??
 背の高いイギリス人が現れるまで、何もしないように言われて、アルマンたちが脱出するのも黙って見てるんですよ!
 ああ、気になる。文庫二冊持っているという同僚から借りて読むべきでしょうか?

「ペリーヌ物語」

2018-01-07 05:59:08 | 外国文学
 教頭先生から、中学生のころに好きだった本を聞かれました。
 「『家なき娘』ですね! マロの。アニメ『ペリーヌ物語』の原作です」
 「それは『家なき子』じゃないの?」
 「『家なき子』は男の子が主人公で、これは女の子なんです。読むたびに泣きます」

 ところが、教頭先生はおたよりに載せるのを断念したというので、わたしがまるまるパクって特集本棚を作ることにしました。
 どうせ売っていないのはわかっています。学生時代から本を探していたのです。古本屋で見たら即買いし、たまに岩波文庫で復刊されたり(旧字で)、偕成社から出たりしたので、5冊くらい持っていました。
 偕成社のを展示しようかと思ったら、先日天袋に入れてしまったため、竹書房文庫で十年くらい前に出たアニメ名作劇場シリーズの「ペリーヌ物語」を。
 以前は毎年読み返したものですが……。
 息子の産休のときにアニメを一気に見たらなんとなく気が済んだようで、ずっと読んでなかったのですね。(この本はその後に出ているので、読んではいます)

 予想通り、泣きました。
 分かっていたので、早々に布団に入って、じっくり物語に入り込みましたよ。
 特に弱いのは、乳母だったフランソワーズ(ロザリーのおばあさん)がペリーヌの顔を見て、どこかで会ったことがあると考える場面と、弁護士さんが調査をした結果の報告で、パリカールについて質問する場面。
 それから、工場で働くことにしたものの下宿の劣悪さに耐えられず狩猟小屋で寝泊まりして、自給自足の生活をするところもいいですね。

 解説は和田慎司。ビデオを再編集して繰り返し見ていると語り、ペリーヌはまだ十三歳なのだというのです。
 十三歳……。
 うちの娘、まさに今十三歳です。一人でこんなにやっていけないよなあ。しかし、本当にペリーヌ健気だよなあ。
 と思う反面、同じ母親としてマリの無念さがつらいのです。
 彼女はイギリス人とインド人のハーフで、エドモンと知り合ってペリーヌを産みます。二人の結婚にビルフランは激怒し、エドモンは勘当されてしまう。
 でも、やはりビルフランのもとに帰ろうと決意したエドモンに説得されて故郷を離れるのですが、旅の途中でエドモンが亡くなり、アルプス越えの疲れがたたって自分も寝込んでしまう。
 残された日は少ないと悟ったマリは、ペリーヌに「人を愛すること」を諭し、祖父から許してもらえないかもしれないけれど、マロクールのビルフラン邸に行くように話すのです。
 受け入れられないかもしれない。娘のことを考えると、今手を離さなければならない運命は残酷です。
 昔はそこまで思わなかったなあ。母親の年齢の方が近い年(時代背景からいえば、マリはわたしよりずっと若そう)だからでしょうか。
 ふと、アニメの影響もあるけれど、自分の母が若い頃この話が好きだったと話していたことを思い出しました。

「ブロード街の12日間」デボラ・ホプキンソン

2015-09-05 05:10:18 | 外国文学
 これもまた、課題図書。帯には「『青い恐怖』の謎を解け! タイムリミットは4日間!!」とあります。
 えー、デットエンドもの? だって課題図書だもん、ミステリじゃないでしょ?(わたしにとってこういう作品の代表格は「暁の死線」なので)
 と思ったら、コレラ発生の秘密を解き明かした実在の博士をモデルとした創作なんですよ。主人公は、訳あって博士の助手を務めることになった少年イール。(「うなぎ」という意味だそうです)
 イールは、ビール工場のメッセンジャーボーイ。川をあさって石炭とか貴重品を拾い集める仕事とか、仕立て屋さんの仕事場の掃除とか、実験動物の世話もしています。どうも、両親は亡くなったらしい。そして、「フィッシュ」という男を出し抜いて死んだことにして姿をくらましたらしい。ところが、それが最近ばれてしまい、見つかったら大変なことになるらしい。さらには彼には秘密があって、それを守るために毎週まとまった額のお金が必要らしい。
 と、推定「らしい」のオンパレードですが、そのあたりのことが少しずつ分かってくるのがおもしろい。
 せっかく見つけたメッセンジャーボーイの仕事を、冤罪で失いそうになったイールは、自分が他の仕事をしていることを証明してもらおうと、仕立て屋さんの家を訪ねますが、仕事場には幼い子どもたちと飼い犬がいるばかり。お父さんは熱を出して寝ている。
 不審に思いながらも階段を上がったイールは、仕立て屋さんがコレラに罹患してもう長くないことを知ってしまうのでした。

 いろいろとピンチに陥るイールですが、持ち前のひたむきさと知恵で切り抜けます。なぜ執拗に追われているのか。弟を隠しているのはなぜか。コレラの謎を解こうとする人々とのやりとりの中で、その疑問はずっとついてきます。
 現代の我々の目から見ると、常識であろうこともまだ知られていなかったり、反対にどういう感じなのかイメージしにくい部分があったり。(川をさらう仕事って?)
 イールを取り巻く人々の優しさと、勇敢に仕事をやり遂げた彼の姿にほっとさせられました。

「少年の日の思い出」ヘッセ

2015-01-25 10:49:10 | 外国文学
 ヘルマン・ヘッセ、高橋健二訳「少年の日の思い出」。
 東京書籍国語教科書中学一年版です。教材として扱うのは三回めですが、読めば読むほど深みが感じられる作品ですよね。
 教科書展示会で他社の教材も読みましたが、ちょっと驚いたことに、同じ高橋健二さんの訳でも、表現が違うところが何カ所かあるんですよ。
 東京書籍は、全部「チョウ」で統一してあるのです。が、A社は数カ所「チョウチョ」になってる。「僕」と「ぼく」、「粉々」と「こなごな」のような表記も違います。
 まあ、たいしたことではないんですが。でも、与えるイメージは違いますよね。
 さて、今回読んでみて、「僕」にとって「チョウ=宝」である比喩が全体に散りばめられていることに、改めて気づかされました。もう自明のことなんでしょうけど、比喩として書かれる部分は全部チョウかエーミールを表現しています。
 わたしは後半から少年の気持ちを想像していって、最後に前半の伏線を読む授業をしているのですが、ほかのチョウではなくワモンキシタバを手にとっているところからも、クジャクヤママユを彷彿としたのではないかと感じました。
 ところで、図書室の蔵書に「おもしろ国語学習法」()という本を発見。パラパラめくっていたら、「少年の日の思い出」についてふれてあったのです。そこには、「ふうさんが」と……。
 ふうさんって、何者? なんか緊張感に欠けるんだけど、と一瞬考えてしまったわたし……。もともとは「クジャクヤママユ」ではなく「ふうさん蛾」だったってことですよね。

 ……ここまで、昨年書いてすっかり忘れていました。
 今年も一年生を担当しているので、同じようにやっていますが、生徒によって少しずつ提示の仕方は違うなと感じています。
 わたしは短篇小説は書かれていない部分をどう読みとらせるかを教えなければならないと思っているので、「僕」の家族構成とかエーミールの家を訪ねるときの気持ちとか考える時間をとります。
 コムラサキを見せにいくとき、エーミールから羨ましいと思われたいと読む子もいます。
 今年感心したのは、「僕」の話を背後で聞き続けている「私」の存在を読み取った子ですね。わたしは後半から授業をすすめるので、なおさら気づきにくいところです。
 短篇は細かいところからバックボーンを読み取らせなくてはならないのですが、わたし自身なかなか精読できずに終わってしまうこともあります。この作品は、読み重ねるほどに新しい発見があって、おもしろいと思います。

「語りつぐ者」パトリシア・ライリー・ギフ

2014-10-07 04:57:04 | 外国文学
 「語りつぐ者」(さ・え・ら書房)。26年の課題図書です。
 筆者はパトリシア・ライリー・ギフ。(もりうちすみこ訳)
 父親の出張のあいだオーストラリアの叔母の家に預けられることになったエリザベス。母親は早くに亡くなったため、この叔母リビーと会うのも初めてなのです。
 その家に飾られた古い羊皮紙の肖像画を見て、エリザベスは愕然。だって、自分にそっくりな少女が描かれていたのです。
 わたしは翻訳ものが苦手でして。この本も結構とっつきにくいな、と感じていました。特に、過去のパーツ。独立戦争前のことなので、誰がどちらの味方なのかわかりづらくて。
 ただ、最後まで読んで、この過去の部分はエリザベスの想像としても読めるのではないかなと思いました。
 彼女は作家志望なのですよね?
 生き抜いて、子孫を残す。その子孫が自分のことを考えてくれる。そういう連綿とした時代のつながりのようなものを感じました。

「サラの鍵」タチアナ・ド・ロネ

2014-03-08 20:36:31 | 外国文学
 「サラの鍵」(新潮社)とてもよかった。
 数年前にも読んでみたいと思ったのですが、なにしろ翻訳小説苦手なので、読まないまま忘れていました。今回ブックガイドに取り上げられているのを見て本気で探しましたとも。
 文庫にはなっていないらしい。
 単行本は2010年の出版で2300円もします。そりゃ図書館で借りるでしょう。ネット検索したら、映画化したものが真っ先に出てきました。
 近くの図書館で探したけれど見つからなくて、ちょっと足を延ばしました。普段大人向けの外国文学の棚を覗かないためでしょうか。新潮社セレクトブックスの一冊と聞いたので背表紙で探したら発見できました。
 大戦中のフランスで行われたユダヤ人狩り。少女は、弟を納戸に隠して鍵をかけます。ここなら決して見つからないから。戻ってきたら出してあげる。
 ところが、両親とともに家畜列車に乗せられたサラは、パリから遠くに連れて行かれてしまうのです。
 わたしが感じたのは、生き残った者の悲しみでした。両親はおそらくアウシュビッツに送られ、弟は納戸でどうなっているのかわからない。サラの胸にある焦燥。
 これだけでも読み応え充分なんですが、平行してある女性ジャーナリストの現実が描かれます。「ヴェロドローム・ディヴェール」から六十年の節目の年。ナチスだけではなくフランス警察もユダヤ人迫害に加担していたことを知ったジュリアは、自分がこれから住むことになるアパートで、かつてあった事件を知ります。
 サラとはどんな少女なのか。弟はどうなったのか。
 全体に溢れる緊迫感から、ページをめくる手が止まりません。
 後半で明かされるサラの願いとその破綻が、つらい。
 彼女はサバイバーとして、自分ひとりが生き続けることに罪悪感を持っていたのかもしれません。
 ジュリアのアメリカ人としてパリに生きる違和感のようなもの(夫婦関係もそうですが)と、サラの苦しみがリンクしていく感じがします。
 娘のゾーイがいいです。健気で。
 生きるということ。
 フランスにもこのような虐殺の事実があったことを、大概の人は知らないと言います。それを知ること、そして忘れないことが、大切たと思いました。

「わが父魯迅」周海嬰

2013-10-04 21:31:43 | 外国文学
 ものすごくおもしろいんです。
 でも! よみおわらない……。
 五百ページ近い単行本。一気に半分読んだところで力尽きてしまい、このまま返してしまうことが予想されます。忘れないうちに、覚え書きをしないと!
 「わが父魯迅」(集英社)。十年ほど前に翻訳されたようです。なんと、岸田登美子、瀬川千秋、樋口裕子と、三人もの翻訳者が分担したんですって。
 さらに日本の読者に対するメッセージを、筆者である周海嬰氏のお嬢さん・周寧さんが訳している。出版当時いろいろと物議を醸したようなんですが……。まあ、魯迅といえば近代最大のビッグネーム。海嬰氏は名づけを誇って改名しませんでしたし(子ども向けの名前なので、大人になったら改めて名前をつけるように言われていたそうです。ちなみに、上海で生まれた子という意味なんだとか)、お子さんの誕生に際しても魯迅の孫にあたる血筋はできるだけ多い方がよいと言われたそうです。
 海嬰氏のお母さんは許公平。よく図録に魯迅と彼女と、幼い子どもの写真が載っていますよね。あの子どもさんです。北京大学で物理を学び、この当時は電影電視総局の副部長級。テレビ局ってことですか?(違うかな?)
 わたしが読んだ範囲には「藤野先生」については触れていましたが、「故郷」はないですね。海嬰氏は親日家で、魯迅展の折などに来られることもあるそうです。
 何しろ、幼い頃に亡くなっているので、魯迅の交友や親戚関係を語るも、海嬰氏自身の当時の年齢は非常に幼い。しかも許公平さんは逮捕されてしまう。混沌とした中、なかなか中国の方の名前が覚えられないわたし。
 でも、前から気になっていた周作人と羽太信子夫妻の件が詳しく書いてあって、はらはらしながら読みました。時期としては、紹興を引き払って北京に移った頃でしょうか。弟の作人とともに魯迅一家が暮らすことになります。しかし、引っ越しの最中に夫妻は日本に遊びに行ったまま。細々としたことはみんな魯迅にのしかかります。
 魯迅には形だけの妻朱安がいるのですが、読み書きができないために一家を切り盛りすることはできません。そこでかわりに信子がやることになったのですが、予算を湯水のように使ってしまい、魯迅とは険悪に。しかも、その下の弟健人に自分の妹を嫁がせながら、彼の赴任先に同行させないなど、非道のかぎりをつくすような書かれっぷりに目が離せません。
 信子サイドからみるとどうなのかと気になるのですが、ネットで検索すると中国版しか出てきません。後年、海嬰氏がこの地を訪ねると、住んでいるおばあさんにこっぴどく怒られる。これが羽太信子だそうですから、ずっと中国社会で生きていたのかもしれません。
 あぁ、あとは何を書いておけばいいでしょうね。いろいろ気になるのですが。

「フェリックスとゼルダ」グライツマン

2013-06-06 21:09:11 | 外国文学
 ……これ、どんな感想を求めればいいんでしょう。
 課題図書じゃなきゃ読まないよ! 続編が出るっていうけど、きっと読めない。あと数ページで、一体どんな結論が出るのかと読み進めたのに、すっかり肩すかしを喰らいました。
 モーリス・グライツマン「フェリックスとゼルダ」(あすなろ書房)。訳は原田勝。
 冒頭は孤児院の場面から始まります。確か課題図書のもう一冊も児童養護施設が描かれるのですよね。意図的なの?
 フェリックスはユダヤ人で、ヒトラー全盛のポーランドが舞台。とすればホロコーストがテーマなのかな、と予想がつきます。どの章も書き出しは同じ。「昔、ぼくは、」という字が八倍くらいのポイント数で書かれ、その後が承前のまとめみたいになっています。
 「昔、ぼくは、ナチスの町で、七人の子どもたちと地下室で暮らしていた」
 「昔、ぼくは、ある話をしてゼルダを泣かせた」
 「昔、ぼくは、物語が大好きだった。でも、今は大きらいだ」
 途中まで、これは大人になったフェリックスが過去を振り返って語ったものだと思っていました。でも、これは「今」からほんの少しだけ前のことを言っているのではないかと思うようになったのです。フェリックスは自分のつらいことを物語風に語ることで客観的に(またはフィクションとして)受け止めているのかもしれない、と。
 作品の中で物語は非常に価値のあるものとして描かれています。フェリックスはもともとは本屋の息子で、ナチスがユダヤ人を迫害するのは焚書のためだたとすら思っています。両親からもらったノートに、彼は自作を綴り、いつか再会する日を願い続けるのです。
 フェリックスを救った歯医者のバーニーは、そのノートを読んで、子どもたちに物語を話してやってほしいと言います。さらには、彼を連れて往診に行き、痛みに耐えるために患者に物語を聞かせてやるように促す。
 ある将校はその話が気に入り、紙に書いてきてくれるように頼みます。フェリックスは代償にゼルダを逃がそうとするのですが、彼女の方がいうことを聞かない。乗り込んだ列車の中で、フェリックスが大切にしていたノートを提供する場面は、物語の力から離れていくことのメタファなのでしょうか。
 翻訳ものを読むとき、非常に混沌としたものを感じることがあるのですが、この話は最後まで漠然としたものが残っているように思いました。ゼルダの両親のこと、フェリックスの両親のこと、孤児院の仲間たち、バーニーの友人など、描かれないまま放り出されてしまったようにも思います。
 わたしもなかなか納得がいかないからか、文章がとっちらかっていますね。ゼルダの説明を全くしてないぞ。
 でも、これでも書いているうちに少しは整理されてきたのですよ。感想文、どんな作品が多いのでしょう。戦争の悲劇がメインになるのかしら。とりあえずサリンジャー監督の「サバイバー」を読もうかな、と思ったわたしなのでした。 

「太陽の東・月の西」カイ・ニールセン

2012-06-15 21:31:57 | 外国文学
 わたしが小さかった頃、母は県図書館からの委託で「文庫」をやっていました。近くの人借りにきて、一定期間で返すのです。多分一般用と子供用、それぞれ百冊ずつ。これがわたしには非常に魅力的で。暇さえあれば読んでいたものです。特におもしろかったのはさねとうあきらさんの絵本。「かっぱのめだま」とか「おこんじょうるり」とか。
 おそらくこの本も、そういう一冊として出会ったのだと思います。カイ・ニールセンの挿し絵が豪華な絵本「太陽の東・月の西」(新書館)。
 北欧の民話を採録したものなのですが、非常にロマンチックで少女のわたしにとっては夢のような本でした。
 先ほど「絵本」と書きましたが、本文は細かい文字が三段組み。ちらほらと絵も入るものの、それまで自分の親しんできたものとは違っていました。
 最近知ったのですが、同じタイトルの本が少年文庫の形でも出ているようですね。内容は同じなのかしら。
 表題作「太陽の東・月の西」は、故あって熊に嫁いだ娘が、夜になると現れる男の顔を見たいと思って母に相談したことから、約束を破られたと嘆いた男(熊にされた王子)を追って行く物語です。北風に案内してもらったその城で、王子はトロルの姫にとらわれているのでした。
 どの話も、悲劇にみまわれた恋人たちがお互いを取り戻す(物語なのですよね。
トロル退治が描かれることが多いように思いますが、禁忌とされた部屋を覗き見てしまったり醜いかつらをつけて外見を隠したり、日本民話で聞いた覚えのあるエピソードがかなり描かれています。語り伝えられる物語って、世界に共通するのかな。
 で、この本のことを長い間忘れることができなかったわたしは、学生の時分にふと同じものを発見して買ってしまったのでした。当時1800円は、わたしにとって大金だったのですが。(まだ消費税導入前の表示でした)
 で、今も部屋の本棚にあります。読んだのは実に十数年ぶりなのですが、自分の好みってこういうところなんだろうというのがありありと感じられるのですよね。
 文章は岸田理生です。今気づいた。

「耳なし芳一のはなし」小泉八雲

2011-10-20 01:09:38 | 外国文学
「平家物語」のまとめをしてから、「耳なし芳一」の話でもしようかな。そう思って図書室に行って探したのですが、ないじゃないのよ「怪談」。前任校には数冊あったので油断していました。
うちの図書室、六千冊しか蔵書がないので(数えられたのが悲しい……)しかたないのかもしれないけど、ちょっとあんまりですよね。
その足でTSUTAYAに探しに行きましたら、新潮文庫の「小泉八雲集」しか見つからなくて、これまたがっかり。「新訳で」と書いてあるけど、訳されたのがもう三十年も前というのに愕然です。(昭和五十年初版。訳は上田和夫)
しかし、今回ちゃんと読んでみて、この話は「過去」を語っていることに気づきました。つまり、なぜ芳一は耳を失ったのかその理由の物語なのです。
住職が「力になってくれるよい友」と書かれているのも意外というか。
寺には働き手もいるようですから、それなりの年齢かと思いますが、「この少年」(!)の芳一と友達なの? ハーンは「friend」と書いているのでしょうか。
それじゃあ、タイトルはどうなっているのか。No ear とかなんとかいうのかなと思ってみたら、単にローマ字でした。
他の本ではどうなっているのか気になって探したのですが、地域の図書館にはアニメ版とまんが版しかない。なんとも辛いです。
人口に膾炙している作品ほど原典にはあたりにくいのかしら。
とりあえず、こちらでは和尚さんとは「知り合い」になっていました。
ちょっと用事があったので、前任校から金の星社版を借りてみました。こちらは「知己」になっています。訳は平井呈一。
こうやって比べてみると、八雲の文は、やはり英文なんだなというのが、ちょこちょこ感じられるのです。日本語の文学的な表現は、英文を日本語訳したものとはニュアンスが違います。
「女はいった」「これは奇妙なことであった。というのは、道の状態が悪かったからである」「かわいそうに、かわいそうに、芳一!」「彼は金持ちになった」(以上、上田訳)
もとの英文が浮かぶような訳だとは思いますが……。ちなみに平井訳は同じ箇所をこう表現しています。
「老女はいった」「いかにもこれは不思議なことであった。だいいち、道もわるいときている」「おお、やれやれ、ふびんな、ふびんな!」「たちまちのうちに裕福になった」
もっと比べてみたいものですが……。
そうそう、芳一のところにやってくる武者が、自分たちはこの付近にしばらく滞在しているということを言うのですが、上田訳は「泊まる」平井訳は「たむろする」だったのもおもしろいと思います。
「平曲」についての描写が結構細かくて、八雲自身も聞いたことがあるのかもしれないとも感じました。
中学生のとき、わたしは怪談ものが好きだったのでこの本も結構読んだと思うのですが、なんとも懐かしい感じがしました。当時好きだったのは、「青柳物語」。有名なのは「雪女」や「むじな」ですね。
「ろくろ首」や「食人鬼」のイメージが、昔読んだときと違うんですが……。訳のためか眠くて朦朧としていたせいかはわかりかねます……。もう少し読んでみよう~。