くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「国語ぢから」小林朝夫 その1

2011-06-30 05:23:29 | 社会科学・教育
この本を買った書店、もう今は営業していません。そして、この方も現在の肩書は地震予知研究家なんだそうです。東日本大震災を予知していたんだってさ。
小林朝夫「国語ぢから」(KKベストセラーズ)。ずいぶん前に買ったのですが、なかなか読まないまま月日がたち、処分する前に一回読んでおこうと手にとりました。
ごめんなさい。筆者の否定する「斜め読み」による読み取りなので、誤読しているかもしれません。でも、こういう実用書は拾い読みでいいとわたしは思うんですけどねぇ。
速読について、この方も映画を引き合いに出します。四倍速で見てもおもしろいといえますか? また、美術館で名画の前を素通りしただけで鑑賞といえますか?
まー、そうなんでしょうけど、そのあとに紹介されている「文学をこよなく愛する主婦Kさん」の実話が、なんとなく胡散臭い。
Kさんは売店でアルバイトすることになったのですが、時間に余裕があるので合間に読書をしようと思いたち、本屋に行ったそうです。そうしたら、文庫本の値段がかなり高くなっている。三百円くらいと思っていたのに、倍近くする。で、古本屋で「暗夜行路」と宮本輝の本を買ったそうです。
Kさんは毎日少しずつ読んではぼんやりと空想の世界に入り、一ヶ月で三十頁くらいしかすすみません。夫や友達に冷やかされた彼女は、速読を始めるのですが、内容がさっぱり頭に入らず、結局本を読むのをやめてしまいます。仕事もコンビニに移り、忙しいので読書からは離れていったようだというんですが。
不思議です。「文学をこよなく愛する」根拠が全く見えません。
文庫本の値段の移り変わりを知らない。それは彼女が主婦として多忙だったからなんでしょうが、そんなに長いこと本を手に取らない人をそういうふうに言えるのでしょうか。久しぶりに読み始めた本も読み終わらないままやめてしまったのですよね。一体どのへんがこよなく愛しているの?
想像の世界に没入することをすすめているようですが、読んでいる最中に限らず、読み終わってからいろいろと考えることだってできますよね。むしろ伏線をたどるなら読後の方が構造を見渡すこともできていいと思うんですが。さらに、これを映画にたとえてみたら、上映の途中でいちいち外に出てほっと一息つくような人のように思いませんか。
世界にひたるのは、幸せな読書の一形態ではありますが、それがすべてではない。そして、「こよなく愛する」という語句の用法に差異がある。
国語は語彙を培う学問、意味をきちんと読み取ることで芸術性を高めるといっていた前半部分と、矛盾しているようにも思います。だいたいこの主婦の方はどういった知り合いなのかしら。塾生のお母さん?
こういう話題を語る場面を「想像」してみますと、
「先生、わたし文学が大好きなんですよ」
「でも読むのが遅くて、一ヶ月で30ページしかすすまないの」
という具合に話されて、速読をしないで自分のペースで読むべきですよとアドバイスしたら、
「でも今はコンビニだから忙しくて読む暇がないんですよ」
と言われたのでは。違うかな?

「天のシーソー」安東みきえ

2011-06-29 20:07:48 | YA・児童書
教科書閲覧会に行ってきました。センスのいいA社、マニアックなB社、ちょっと幼いのではと思うようなC社等々、各社の品揃えもそれぞれです。そのうち詳しく書きたいところですが、今回は教科書のための書き下ろしがわりと多い感じがしました。
中でも必見は光村の「星の花が降るころに」! 書き下ろしでなければ、即単行本を買いに走るところですっ。
金木犀の木の下で友情を誓った友達とのすれ違い。クラスの男の子を意識し始める時期。長編小説の一場面のようなみずみずしい短篇。これを授業するのは難しいかもしれませんが、心の底にそっとしまっておきたいような素敵な作品です。
著者は安東みきえ。会場が図書館の二階だったので、もちろん探しましたとも。とりあえず「天のシーソー」(理論社)。これ、前任校にあったなあ……。
小学生のミオが、妹のヒナコや周囲の人々と成長していく物語です。一話一話エピソードを丹念に重ねています。
子供たちの間で流行するピンポンダッシュ。ターゲットは燃えるようなシクラメンの花鉢をたくさん並べる「マチンバ」です。
山に住むのがヤマンバならば、町に住むのはマチンバだというネーミングには笑ってしまいました。
奔放なようでいて結構まじめなミオは、知り合いになった男の子たちの面倒をみたり、電話で脅されてクラスの子の連絡先を話してしまい自己嫌悪に陥ったりします。
なんというか、日常生活の中にふっとありそうな話なんですけど、それがとてもきらきらしているんですよ。この年頃の女の子にはたしかにあるきらめき。ガラスみたいな繊細さと切なさが感じられます。
ひとつひとつの物語のあらすじを書くのは意味がない気がします。そのくらい語りで読ませます。
「ひとしずくの海」と「天のシーソー」はとくに好きです。
ちなみにあと二冊借りてきました。ふふふ、楽しみです。

「爆笑と愛憎の結婚式劇場」

2011-06-28 20:42:39 | 総記・図書館学
本を読むうえで、わたしが重視するのは語り口だということがよくわかりました。同じような内容でも、おもしろいかどうかは文体による。もう少し品がある方がいいなあとは思いますが、なにしろ宝島文庫ですからね、多少はしかたないかなと思って買ったんですが。
「爆笑と愛憎の結婚式劇場」別冊宝島編集部・編です。
冒頭で、結婚式の下ネタがどんなに嫌かを書いていたお姉さん。でも、その後もちらほらそういう話題があったので残念でした。
結婚という新たな第一歩を記すなかで、どんなふうに道を選択していくのかが、とても気になります。
世の中様々な人間模様があり、結婚式はその関係が凝縮している場ですから、いろいろなことがあるわけです。
式場のキャンセルにしても、「詐欺だった」「親が新興宗教にかぶれていた」などありますが、結婚式直前に海外の留学先から帰ってきた弟の方がいい男だと、母親と姉が盛り上がり、当の花嫁もポーッとなっているのを知った新郎が、黙って式場を後にするエピソードは悲しいです。
また、この話題どこかで聞いたことがあるなーというものが数点あって。
例えば、さほど親しくもない友人(A)の友人(B)から式に招かれ、ちょっと迷っているというと、Aから「Bはあなたのことを素敵な人だと言っていた。これを機会に仲良くしたいんだよ」といわれ、納得して参加する意を伝えたところ、AとBが二人で「ご祝儀目当てなのにまんまとひっかかった」と語っているのを聞いてしまったというもの。
それから、名家に嫁ぐことになって舞い上がる友人から、「お祝いは最低でも七万円」「○○家の式に出られるのは名誉なこと」などと言われ、怖くなって出席を取りやめると次は電話攻撃というのも。
うーむ、「読売小町」ですね……。こういう相談、読んだことがあります。世の中にはよくあることなのでしょうか。(というより、あれがネタもとなのかも)
当然のように文体は違うのですが。同じようなことを語っていても、全体的に読ませる項目もあれば、品のない項目もあり、これはライターさんのせいなのでしょう。
あと、二三印象に残るものを紹介すると、まずは略奪婚の末の披露宴で「お母さんを返して!」と小学生の娘に泣かれるエピソード。二年生なんだって。かわいそう……。
男っぽい外見の花嫁を余興(二次会なので、誰かが女装していると思ったとか)と勘違いしてげらげら笑う友人たちの話も印象的でした。悪のりしすぎて新郎に睨まれ、「男だと思って……」と言い訳。泣き崩れる花嫁。これも気の毒です。
それから、仲の悪い妹が自分より先に結婚なんて許せないからと式をめちゃめちゃにした姉。一年たたずに離婚……。数年後に姉の結婚式に喪服で現れたという顛末には、なんとなく頷けるものがあります。
全体的に、話題としては結構おもしろい。だから、もう少し語りが落ち着いていたらもっと読ませる造りになったのではないかと思うのです。ちょっとゴシップ色が強い。趣味の問題ではありますが、わたしはもう少し考えさせるようなものの方が好きだな。書き方次第で、そうなる可能性はあると思うんですが。

「国語の力を親が伸ばす」高濱正伸

2011-06-27 21:41:18 | 社会科学・教育
最近非常にショックなことがありまして。
中学生がことわざとか慣用句を知らないということを知り、そういう普段使うような言葉を知らないというのは、日常から抜け落ちていく言い回しがかなりたくさんあるのではないかと思った次第です。
だって「鶴の一声」も知らないっていうんだよ! 「嘘から出たまこと」も! 「やにわに」とか「見てくれ」とかも!
この子たち、成績は悪くありません。でも、語彙は少ないのかなと感じました。
ものを考えるには言葉を介在しますから、自分に「わかる」言葉しか使えないのです。知らない言葉が含まれていれば、文章を理解することも難しい。
わからないことだらけの文章を読まされて、なおかつ質問に答えなくてはならないのは苦痛なことだと思います。
言葉は日常に溶け込んでいるのですから、それを摂取して語彙力をつけていくしかない。本を読むとか調べものをするとか、方法はいろいろあるのですが、まず幼少期に少しずつ鍛えていくことが必要ではないかと、著者は言います。
高濱正伸「国語の力を親が伸ばす」(カンゼン)。「全教科の成績が良くなる」「プロが教える! 小学生の学力アップ親子作戦」これが全タイトル。ゴージャスですね。
相手にたいして一言しか言わない人が増えています。「水」「ラーメン」「明日」等、身内であればある程度の確率で伝わるところですが、少し察しの悪いお母さんになって、それをどうしてほしいのか聞いてみることが大切です。
家庭での母親の態度や、具体的な学習についての示唆が書かれていますが、実に納得できる内容が多く、おもしろい。
とくにこれはぜひやってみたいのですが、「音読打率ゲーム」。40字くらいの文を50用意してチェックしていくそうです。つっかかりや間違いを細かく見る。
正しい音読のできる子は、成績の伸びもいいそうです。
音読について、わたしがよく思うのは、初読でどれだけ完成された読みができるかということでしょうか。誰かに新聞や絵本を読んであげるとき、とくに練習しなくても丁寧にすらすら読める。そういう訓練を積ませることが必要だと思っています。
聞き取る力が読み取る力に直結するとして、文章を音読後に描写に関わるクイズを出すという方法もおもしろそう。イメージとして思い浮かべることが大切なんですって。
そして、とにかく漢字だけは強制してでも覚えさせるしかないという意見には、全く同意見です。漢字が書けないのは、国語学習ではかなり不利。言語事項50パーセント出題というものすごい人も世の中にはいらっしゃる。作文を書くにしても、語彙力ない漢字も書けないでは話になりません。
かつて仕事に必要なものを買ったので領収書をお願いしたところ、レジのお兄さんにひらがなで学校名書かれたよなー(小学校中学年くらいで習う簡単な字なのにー)。
この本の中に、百人一首や古典を与えて、「日本語の宝石を体に埋めておく」ことが大切だと書かれていました。
先日会議で配られたプリントに、国語の学力が低下したのは、十年ほど前に流行した「暗唱・朝読書・漢字ドリル」のせいだという文章が載っていて、わたしはかなり腹が立ったのです。筆者は体育教育をされている方で、暗唱はできても発表の声が小さいことを嘆き、この十年できちんと国語を指導できる教員が減ったとまで言っていました。
流し読みなので真意はわかりませんが、大きな声で発表したら、国語力がついたといえるのか。だったら、演劇部に参加させたら?
もともと暗唱が流行したのは、斎藤孝の影響が強いと思うのですが、彼の主張はもともと国語を体育としてみる手法だったはず。
暗唱は暗唱で必要だし、その他のエッセンスも「国語」として不可欠だと思います。言語化言語化言われていますが、一朝一夕では言葉は身につかないのです。
それを家庭教育で意図的に学習させたいという高濱さんの考えには納得です。「思いやり」を育てる教科というのは賛同しかねますが。(これについては、石原千秋先生伸び考えに近いので)
「なぞぺー」も好きなので、よく見たら本棚に高濱さんの本が数冊ならんでいました。

「モップの精は深夜に現れる」近藤史恵

2011-06-21 04:19:01 | ミステリ・サスペンス・ホラー
キリコのシリーズの二冊め。ずっと見つからなくて、最近やっと文庫になりました。一冊め「天使はモップを持って」は前任校に置いてきてしまった……。
「モップの精は深夜に現れる」(文春文庫)。大介と結婚し、おばあさんの介護をしながら掃除の仕事も続けるキリコ。しかし、どうしても深夜の仕事のため、朝起きることができないこともあり、ヘルパーさんを頼みながら活動しているのですが、大介の不用意な発言から誤解を受けてしまったらしいのです。
キリコはしばらく旅に出たいというのですが、そこにはある秘密が……。
腕利きの掃除人キリコが、オフィスの謎を解くシリーズですが、わたしは掃除が何より苦手なので、もうその手際のよさに感心しきりです。
ひらひらの服を着ていても、仕事をするのに困らない。ちょっとしたことをヒントに全体を見渡せる。気がきいて、労働を厭わない。
そんな彼女が今回は三つの事件を説き明かします。(大介視点も加えると四つですね)
新しい上司はやり手で評判だけれど、何かそこによくないものを感じさせ……。不安要因に呼び水を加えて、膿を出してしまおうと考えるその思考に驚くキリコたち。
タウン誌の編集長が亡くなった原因になったのは、意外にも……。

モデル仲間に彼を奪われた葵。昔は冴えない女の子だったのに、自分を磨いてやっと自信が出てきたのに。
この作品、「オーバー・ザ・レインボウ」というんですが、一人称なのに突然一カ所「葵はなにが起こったかわからなかった」という表記になっていてびっくりしました。もともとは三人称で書くつもりだったのでしょうね。
次々にトラブルを解決していくキリコですが、掃除同様に頭の中も整理されているのでしょう。勘が冴えています。
さて、旅に出たキリコの足どりをつかむために大介が思いついたことは? そして、彼女の目的は?
わたしも久しぶりにコーヒーショップに行ってみたくなりました(笑)
この本が手に入らなかったものですから、実は三冊めの「モップの魔女は呪文を知っている」を持っているのです。新書で。おばあさんとの別れを知っているから、ちょっと辛い気持ちになりました。
当時からどうしても発見できなかった本なので、やっと文庫になってうれしい。
でも、知らない間に四冊めが出ていたらしいです。いつの間に! 「アルマジロ」って、一体なに?
新書ではもう見つからないと思いますので、気長に待ちたいと思います。

「悪夢の棲む家」小野不由美

2011-06-20 05:53:38 | ミステリ・サスペンス・ホラー
処分する本を整理していたら、発見しました。小野不由美「悪夢の棲む家」(講談社ホワイトハート)上下巻。
三人称。SPRその後ですね。登場人物は共通しているけど、タッチは違います。
いつも一人称の麻衣をみてきたので、依頼者から見てこんなに落ち着いて好感のもてる人だとは意外でした(笑)。
まあ、読みすすめるうちにいつもの面々が揃って、なじみやすくなっていくんですけどね。
OLの翠が母と引越してきたのは、何かしら不吉な感じが残る家。玄関を開けると誰もいないような寂しさを感じ、出ていくように警告を受ける。
すぐにブレーカーが落ち、誰かが窓を叩き、いたずら電話が続く。
母はノイローゼ気味になり、翠自身も不安にかられます。友人の咲紀に相談したところ、二つの提案を受けます。
自分の同僚である広田を、用心棒として泊まらせること。そして、渋谷サイキックリサーチに依頼すること。
広田は武道を一通りこなす熱血漢ですが、心霊的なものを全く信じていません。だから、ナルや麻衣のことを胡散臭い目で見る。詐欺師と罵倒し、事あるごとに食ってかかるのです。
この本は、ゴーストハントの一冊でありながら、発売されなくなって結構時間が経つうえ、まんがにも今回のリライト版にも含まれないという不遇な存在です。
ネタバレしてしまいますが、この家に嫌がらせをしているのは隣の笹森家。敷地の境界をめぐってごたごたしているのです。
なにしろ、この家の近隣は軒下がもう隣の家の壁というくらいぎゅうぎゅうに建てられていて、窓を開けても景色なんて見えません。そのせいか、窓という窓に鏡がはめこまれていて、一階には大きな姿見まであるのです。
麻衣はその姿見の前で、「コソリ」がくると予兆を受けます。
霊的存在を受け入れられない広田は、翠が「鉈を持った血だらけの男」に襲われたときいて、SPRの仕組んだ芝居だろうと考えます。その現場となった浴室を調べるうちに、血糊を見つける。調査してもらおうとハンカチに染み込ませ、なお観察するうちに、決して人が覗けない場所から見ている誰かと目が合うのです。
慌てた広田は風呂の縁から転げ落ち、浴槽の中に血の海に浮かぶ男の首を見るのでした。
叫び声に駆け付けてくれた人がくると、そのような状態はすっかり消え、彼のハンカチにも血のあとは残っていませんでした。しかし、頑なな広田は、それをナルに話すことをためらいます。
この家で何があったのか。安原の調べで、一家惨殺の現場であったことがわかります。たった一人、修学旅行に行っていた娘。死にゆく家族は娘の無事を祈りますが、この娘も殺されてしまう。彼女の思いが、この家には「悪夢」として残っていたのでした。
ずいぶん前に読んだのですが、ナルが鏡の中のジーンと同調する場面の印象がかなり強くて、いつ出てくるかと思っていたらクライマックスシーンでした。
やっぱり小野さんは「家」「母親」「呪い」がキーワードのような気がします。

「山へ行く」ほか 萩尾望都

2011-06-09 20:59:53 | コミック
たいした被害ではないと思っていたのですが、震災で柱にかなりひびが入ったため、自室に重いものは置けないことになりました。
泣く泣く本を処分しています。学校、古本屋、実家など、引き取ってもらえそうなところには地道に運んでいます。学校に二百冊、古本は四百冊程度売りましたが、それでも勘弁してはもらえず。
かなり大切にしていた本まで手放したのですよー。何冊なら残してもいいのー。
ということで、手放す前に読み返してしまう毎日を送っています。
萩尾望都「山へ行く」「スフィンクス」「春の小川」(小学館)。「ここではない★どこか」というシリーズなのですが、今回まとめて読んでみて、すごくおもしろかった。
狂言廻し的な役割を担う生方正臣を中心に、家族や周囲の人々を描きます。それにフォーチュンテラーらしき男が、歴史上の人物に運命を説く短編が交じる。
正臣は作家で、妻・娘・息子の四人家族。妻の実家は青森。正臣の母は再婚して、夫(千田巴)と娘(天海)とともに嵯峨野で暮らしています。さらに、巴の前妻の息子のテルヒ、死んだ弟の雄二。
こうやって書くだけでも結構複雑かと思いますが、実は雄二の死因については明確にされていません。十四歳だったことと、正臣がそのことをずっと引きずっていることがわかるだけ。宇宙に憧れ、兄を慕っていた快活な少年だったようです。
「春の小川」では、中学生の雄二が、友人の光一と語る場面学校描かれます。亡くなった光一の母の姿を、雄二も目撃するのでした。
このテーマ、「柳の木」とも共通するような気がします。たとえ命がなくなっても、母親はじっと我が子を見つめているのだと。
わたしがもっとも心ひかれたのは、「世界の終わりにたった一人で」。九十一歳を迎えた女流画家・大津ちづ。弟子として気に入られていたテルヒから、個展の案内状が届きます。
かつて日本画を描いていた画家は、洋画で名声を得ており、今でも精力的に作品を仕上げています。発表した作品にはそうそうに高額の値段がつき、会場のBGMは情熱のタンゴが選ばれている。
彼女の描いた「海」を見て、自然に涙がこぼれる正臣。画家はそれを見て、作品を正臣に譲ると言い出します。
口約束は気まぐれからきたものだと正臣は思いますが、彼女の死後、なんとその絵を義父の千田巴に譲るという遺言が出てきます。千田は彼女の弟子だったことがあり、世話になっておきながらモデルだった女性と駆け落ちをしたということがわかります。
彼女の心の中にある海。日本画からの作品転向。そして、地球最後の日に自分に声をかけてくる人、いちばんに会いたいと思う人は誰なのかという問いに、誰にも会いたくはないと答える孤独さ。
絵のコピーを持って嵯峨野を訪ねた正臣は、なぜ彼女がタンゴにこだわっていたのかを知ります。
自分の心に秘めた思いを、言葉にすることがないまま「海」に沈めたと語る彼女。テルヒを可愛がったのも、そこに面影があったからでは。
受け入れられることのない圧倒的な孤独。若い頃に夫を亡くし、戦後の引き上げで息子たちも失った彼女にとって、千田巴は心のよりどころだったのでしょう。しかし、彼は結婚に失敗し、その義姉だった人が同年代とあっては、ためらわないわけがありません。
自分ではない人を選んだ千田。その女と別れても、違う女と寄り添う千田。大津ちづは自殺をはかります。
波のように押し寄せる過去の事実に、読者はただ言葉をのむばかりです。彼女の思いは、報われないまま海に沈むのでしょうか。
過去の物語でありながら、今に影を落とす、美しい悲しみが圧巻です。
続きも読みたいよぅ。
今欲しいものは、秘密の書庫です……。

「ベストセラーだけが本である」永江朗

2011-06-03 22:39:02 | 総記・図書館学
本を愛する永江さんが、こういうタイトルを?
そう思わせるような衝撃的な本、永江朗「ベストセラーだけが本である」(筑摩書房)。
これ実は反語なのです。書店では売れる本しか置かなくなりつつあり、どの本屋のラインナップも「ベストセラー」ばかり。大型書店はともかく、小売り店は売りたいときに本がまわってこない。中には独自の経営路線を確立する店もあるものの、生き残るためには「売れる」本を入荷しなくてはならない書店が大多数。
中には入荷した翌日には返品扱いになる本もあり、読者にとっては辛い現実を説き起こします。
じゃあ、ベストセラーになるためには何か条件があるのか。そう考えた永江さんは、タイトル・文字数の分配・カバーの色配置(白っぽいものが好まれたそうです)というような条件で売れた本を眺めていきます。ある年はひらがなの本が多かったそうですが、それはさくらももこの一連のシリーズ(「もものかんづめ」等)だからでは……。
ソフトカバーかハードカバーかとか、類似本の頻発なども言及されます。
わたしとしては斎藤美奈子がベストセラーの奇妙な点を指摘した書評に近いものを期待したのですが、そういうタイプではありません。ただ、永江さんが本というものに対して熱い思いを抱いていることはよくわかります。
わたしはあまりベストセラー的な本は読みませんが、かといって避けているわけでもないので、何点かは目を通しています。ただ、リストアップされている数からいくと、やはり少ないかもしれません。
数年前、広報紙の原稿で愛読書を聞いたら、「チーズはどこへ消えた?」をあげている人が何人かいてびっくりしたのですが、今同じ質問をしたら皆さんどう答えるのでしょうか。
この本、読んだことはないですが、形態はわかります。非常に薄い本でしたよね。でもって寓話的な物語なのです。
こういう本を手に取るとき、読者はどういう興味を抱くのでしょう。純粋に書物としてのおもしろさ? それとも、話題の本だから?
ベストセラーは好機の波に乗るラッキーな本なのかもしれません。でも、自分にとっておもしろい本が駆逐されていくようでは、書店に足を運ぶ意味がなくなってしまう。
本を読むという行為は、かなり具体的に細分化したジャンルを愛好するということです。ミステリを読む趣味の人は携帯小説は読まないでしょうし、小説は好きだけれど自然科学的な本は手に取らないという人も少なくない。様々な分野の本を網羅して、同じような配分で読むという人は滅多にいないはずです。
わたしもビジネス書は読みません。好きな分野の好きな作家でも、好みに合わないことはあります。
ベストセラーはどうして売れるのか。本当にみんなおもしろいと思って読んでいるのか。
疑問は残ります。

「ラブオールプレー」小瀬木麻美

2011-06-02 05:27:31 | YA・児童書
大矢博子さんの解説に力が抜けました。「愛がすべて」って……。
それまでおもしろく読んでいたので、ちょっと残念。装丁から解説からひっくるめて本だと思うのです。
非常に高揚感のある小説でした。「ラブオールプレー」(ポプラ文庫ピュアフル)。作者は小瀬木麻美さん。
当然タイトルはバドミントンの試合コールからきています。バドミントン部での活動をまっすぐに書いた作品で、大矢さんのいうように喧嘩とか陰謀とか、そういうものはなく、仲間たちとの友情を通して物語は軽快にすすみます。
主人公水嶋亮の一人称。
一年先輩でカリスマ的実力をもつ遊佐、彼のダブルスパートナー横川。同期(文中では「タメ」)の榊、松田、太一と陽次(双子のダブルス)、そして参謀の輝。水嶋の姉・里佳や顧問の海老原など多彩な登場人物たちが織り成す部活小説です。
指導者もいないような中学でバドミントンを始めた水嶋は、自分たちで練習方法を研究するなど努力して県大会を勝ち上がります。そんな彼に県下有数の強豪横浜栄から声がかかるのでした。
目標はもちろん全国優勝。しかし、関東には埼玉光という名門高があり、その壁はなかなか厚いのです。
イケメンで頭脳も優秀(特別進学科に在籍)、バドミントンでは負けなしの遊佐というエースを中心に、メンバーたちが力をつけていく様子がおもしろい。
水嶋は相手の技術を吸い上げ、冷静に試合を振り返ることができますが、流れを一瞬で変えるような強烈なショットを打ったことはないタイプ。けれど、仲間たちと過ごすうちにプレーに厚みが出てきます。
みんなバドミントンが大好きで、毎日やっていても飽きることなく自主トレまでしてしまう。いや、合宿とか過酷なことはありますよ。でも、年末年始さえ部活をやりたいと思うような集団なんです。
このメンバーの中で、わたしが気になるのは横川さん。ダブルスにかける意気込みがたまりません。気さくで頼りになる先輩そのものです。読み進むうちに結構遊佐が意地悪だということがわかるので(笑)、彼を支えつつも自分のプレーを振り返られる面が素敵だと思うわけです。
中学ではシングルスとダブルスが明確に分けられてしまうので、結構どちらのタイプなのかはっきりしているんですよね。でも、高校では両方できる。最高のダブルスは、質の高いシングルスの二人を組み合わせたペアだと聞きますが、水嶋と榊はどうでしょう。この二人、シングルスの癖がとれなくてダブルスローテーションがあわないために、ずっとトッパンバックでやっているようです。うーん、上位校ならそれでもいいのかしら。バックの疲労はかなりきついよ。攻撃も付け入りやすいし。
最終的には水嶋はシングルスのエースになっていきます。もちろんダブルスもやるんですが。
こういうスポーツものを読むときのネックは、試合の場面だと思うのです。とくに対戦相手。次々と出てくると名前だけでもまぎらわしい。でも、意外とわかりやすかった。岬省吾なんか冒頭にしか出ないと思っといたら、高校生になって登場したからびっくり。
二複一単(複はダブルスで単はシングルスのこと)など語句説明もあって、実際にはバドのルールを知らないという人でも楽しめると思います。

「つくも神さん、お茶ください」畠中恵

2011-06-01 02:49:55 | エッセイ・ルポルタージュ
畠中恵エッセイ集。昨日図書館に寄ったのでつい返してきてしまいました。内容がずれていたらすみません。
「つくも神さん、お茶ください」(新潮社)。畠中さんが引き受けた文庫解説や雑誌の特集で書いた原稿を集めたものです。坂木司や「三銃士」、「シャーシャンクの空に」「なめくじ長屋捕物騒ぎ」「鬼平犯果帳」、杉浦日向子、といった本に関する文章が多かった。
ウェブの連載をまとめたページもあり、忙しいときは三月くらいから年末まで更新がなかったり(笑)。
ここで畠中さんは「畠屋」と名乗り、できるだけ江戸言葉を使って語る努力をしておられます。「かーりんぐ」を「氷上の西洋将棋」と説明しているのには爆笑しました。家鳴をつれて電気屋に行ってみるとか、「あいすくりん」について語るとか、発売されたカレンダーを使っていい初夢をみようという誘いをかけてみるとか(二回も)。
普段、小説を読むときには、作家の人となりを知ることはあまりできないわけです。畠中さんのような人気作家ともなると、「活字倶楽部」や「しゃばけ読本」のようなファンブックでインタビューがありますが、どんなことが好きでどんな生活をしているのか、普通はわからない。エッセイといえども、隠されている部分はあるのですが。
そういえば、畠中さんは元まんが家なのですよね。当時のペンネームは絶対明かさないと決めているという噂ですが。この時代にアシスタントに行って、みんなで餃子を作るエピソード、忙しい中の華やぎや抑圧のようなものが見える気がします。
中国にコース料理を食べにいくのもおもしろい。西太后が食べたようなお料理をたらふく食べたそうです。
畠中さん自身が、本の中の料理の魅力をよく知っている。文章でそれを描きたいと考えてらっしゃることがよくわかります。
たしかに皆川真次郎(「アイスクリン」「若様組」)の作るお菓子はやたらとおいしそうですね。この時代よりも現代の方が技術として高いとは思うのですが。
朝読者としてちまちま読みましたが、楽しゅうございました。