くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「働く女の胸のウチ」香山リカ

2010-04-30 20:49:37 | 社会科学・教育
香山リカ本を初めて読みました。てっきり人生相談ものだと思ったんですがね。コラムというかエッセイというか。
「働く女の胸のウチ」(大和書房)。この前本屋に行ったら文庫も出ていました。
いろいろと悩んだりストレスに苦しんだりしている女性たちについて、香山さんが精神科医としての立場で見つめる文章です。新聞連載をまとめたものだとか。ちょうど一回が見開きで収録されていて読みやすい。
巻末には読者案内もありますが、香山さんはわりと日常的にジェンダーの視点で物事を見ている人なんだな、と思いました。本を読んでも映画を見ても、そこにつながっていく。
例えば、辻仁成の「刀」を読んで、モデルであろう中山美穂の仕事を巡る内面に思いをはせる。小倉千加子や大田垣晴子のエッセイから女性の生活や「レディースセット」について考える。
人と話したことからの発見もかなりあって、おもしろく読みました。アメリカやスウェーデンのイメージと現実とのギャップとか。
あまり自己啓発ものが好きではないので、その道では有名な方なのかなと思って遠慮していたのですが。考察の仕方がいちいちうがっていて、日頃から熟考していないと、こんなふうにはつなげられないのではないかな、と思います。
なんというか、多分わたしは「見せつけられる」ことが好きではないのだと思うのですが、香山さんは押し付けがましい感じがしなくて、結構すっきり読みました。
個人的に安野モヨコが好きでないので、扉にひっかかるものはあるのですが……。

「コイノカオリ」

2010-04-29 05:01:36 | 文芸・エンターテイメント
宮下奈都を痛烈に読みたいっ。と思って借りました。「コイノカオリ」(角川書店)。
そう思いつつ最初に読むのは栗田有起「泣きっつらにハニー」。栗田さん大好きなので。
相変わらず語りのテンポで展開するのがうまいな、と。このうねりのある文体が好きなんです。世界観も独特だよね。閉鎖された女たちの世界だとわたしは思うのですが。
この作品もいろいろあってマッサージの店でアルバイトしようと決めた高校生の物語なんですが、この店、アロマオイルがわりに蜂蜜を使うのです。野趣にあふれた蜜と、経営者である「ママ」(でも若い男性)との出会いに焦点を当てた小説。
母も自分も、まだ十代のうちに大切な人を失う。その遺志を継ぐにはどうすればいいのか。彼らは真剣です。様々な模索と葛藤が背後にしのんでいる。
「泣きっ面に蜂」ならふんだりけったりですが、「ハニー」だったらとろけそうなあまさがあるようにも感じられます。辛い気持ちでいるときにこういうマッサージに出会えたら、楽になりそうな気がしますね。
で、宮下奈都「日をつなぐ」。高校時代からの恋人と結婚し、娘も生まれたのに、多忙の中で絶望していく女性を描いた作品です。食べものを通して再生するものの、やはり心が離れてしまう。間の悪いことが重なって疲弊していくのです。
彼がどんな話をしようとしているのか。その結末は書かれないままです。でも。
わたしは、この主人公が全く娘に関心をもっていないように思えるのです。名前も出てきません。
育児で疲れるのはわかるし、環境が変わって救いを求められないのもわかります。とても細やかな人なのでしょう。完璧にやろうとしてつまずいているのかな。続きが気になる……。(もしかして「太陽のパスタ、豆のスープ」とかいうのがそうですか? でもあらすじを読むとそういう感じじゃないですよね)
角田光代「水曜日の恋人」。今まで読んだ角田さんの作品では最も読みやすかったです。いつも思うけど、この人の書くヒロインはいらいらしているよね……。ひりひりというか。
習字教室をだしに若い恋人と逢う母親。娘と彼と三人での食事。娘は母親と彼とのシャンプーの匂いが同じであることに気づいていた……。
なんていうんでしょう。ずるさ全開? あ、ほめてるんですよ。
エンディングでは娘自身の恋人について書かれていますが、自分がそういう(不倫です)恋を選ぶのは、この件があったからというような因果応報的な構成にヒロインの身勝手を感じます。
次の島本理生「最後の教室」と多少似ている部分もある。でも、梨本さん……。
彼女の秘密には結構後を引かされています。きっと彼女から見ると、この物語は違う側面をもっているんだよね。彼の見方と彼女の見方は違うのだろうな、という感じ。
あと二編あるんですがまだ読んでいません。とりあえず今日は大会なので行ってきます~。

「ドードー鳥の小間使い」柏葉幸子

2010-04-28 01:28:54 | YA・児童書
柏葉幸子「ドードー鳥の小間使い」(偕成社)を読みました。
朝の読書タイムを使って読んでいたのですが、途中で学年が変わり、荷物を違う部屋に入れたまま忘れていました。そういえば、ドドピスドドはどうなったのかしら。そう思って続きを読んだのですが。
やられました(笑)。こういう結末は予想していなかった。どういう結末なのかは遠慮して書きませんが。
ドードーという飛べない鳥。絶滅し、ほんの部分的な標本と数多の図版にのみその姿を残す彼ら。一昨年絶滅した動物たちについての本を何冊か読んだので、絶滅に至るあらましは記憶にありました。
人を恐れず、逃げ足も遅い。何匹叩き殺せるかゲームに興じたということもあったそうです。
そんなドードーの完全な剥製が発見されたら、ものすごいことになりますよね。実は、鳥類学者だったおじいさんが、ガラスケースに入った剥製を持っていたのです。そのおじいさんが亡くなったあと、部屋を使いたいと思って片づけているとき、誤ってケースを壊してしまい……。
あらわになったドードーの剥製が、なんと動き出したのです!
それがドド。自分の婚約者だったドドピスドドが魔法を使って会いにくると信じています。
でも、彼女が生きていたのはかなり昔。もはや骨はオカリナに、肉は燻製に、血は貴石に作り変えられているのです。
愛の力でドドピスドドを生き返らせたい! そう願うドドたちを付け狙うバンパイア・カバニア。彼の連れている猫のレーダーは敏感で、「アリス」の絵本にさえ反応します。すごい。
ドードーの小間使いとして指名されたタカは、反感を覚えながらもともに過ごすのですが。
コミカルなドドが、どんどん憎めなくなっていくのがおもしろい。「と」という言葉が出てくると「どど」といってしまうんですよ。例えばこんな感じ。
「魔法の力どど、わたくしどどドドピスドドの愛の力です」
ふはは。

「間違いだらけの少年H」山中恒・山中典子

2010-04-27 05:41:08 | 書評・ブックガイド
妹尾さんの「河童が覗いた」シリーズがすごく好きだったわたし。でも、「少年H」は読んでいません。どうしても食指が動かなかったのです。戦争ものもなるべく読むようにしているのに、冒頭でもう関心をなくす。装丁もいいのに。
多分文体が気に合わないのでしょう。没頭できない。
それからしばらくして、高島俊男さんが「お言葉ですが…」でこの作品について触れているのを読みました。戦時中の世界観が違うというのです。あの戦争のさなかにこんなことを考える少年はいない。この思考は現代のもの。今の視点でさも当時自分の家族だけが先進的なものの考えをしていたように描くのはいかがなものか。
そこで紹介されていたのが、山中恒・山中典子「間違いだらけの少年H」(辺境社)でした。
その後図書館で発見したのですが、ものすごく分厚い。先送りしているうちに随分経ってしまいました。
意を決して借りてみたのですが、二百五十ページ読んでまだ四分の一くらい……。スピンをはさんだ部分がなんとなくあわれです。
でもこれ、おもしろいよ!
山中恒さんが、なぜこの作品を「間違いだらけ」と評するかというと、戦時中の思想のみならず、時系列が間違っている。しかも、その章の中だから接近した事項なのだろうと思うとさにあらず。冬なのに入道雲が出ているわ、まだデビュー(?)していない力士の絵をブロマイドにするわ、とにかく山中さんの目からみるとおかしなことだらけなのですね。
二宮金次郎の像を供出するのは戦争末期のことなのに、時系列でたどるとかなり早いうちに学校から無くなったように書かれている。どこから読んでもいいように書いたということなんですが、非常に曖昧な設定であり、いつのことなのか書かれていない。だから、Hの年齢で判断するしかないのですが、そうすると時代が合わない。とにかくそういうことが続くのだそうです。
うー、残りもすごく読みたいのですが、そろそろ返却しないとまずいようです。また近いうちに借りたいと思います……。

「チルヒ」「縁側ごはん」河内遥

2010-04-26 05:32:42 | コミック
料理に関わる本、その二はこれです。河内遥「縁側ごはん」(芳文社)。
なんか最近フェアしてますね。でも全く気づかずに二冊買っていました。これと「チルヒ」(小池書院)。
江戸ものにも滅法弱いのですが、んー、これを時代ものにする必然をあまり感じなかった。天狗やらの怪異や舟まんじゅうは、妙にバタ臭いというか。すみません。
空気、なのだと思います。作品を取り巻く世界が、時代を映しているようでなんだか違う……。
でも、読み返してみると、「ハスネ」はすごくいいんですよ。「チルヒ」と「サクヒ」が呼応しているのもやっとわかりました。でも、なんか物足りないものは残ります。
さて、「縁側ごはん」は、祖母が遺した家に暮らす姉と弟の物語。弟の友達や、猫を探すことで知り合った中学生「ヒカルくん」がしょっちゅう出入りしてご飯を食べていかます。妙に渋いお子様ランチだったりおでんだったりお弁当だったり。あ、ヘキセンハウスも作っていたな。
どうなんでしょう。この「縁側」はひとつのコミュニティなのかしら。
なんだか、いわゆるグルメまんがではないです。すごい日常的。キー坊(弟)は多分料理上手なんだろうけど、「これいい! あたしも作りたい!」という感じではない。
好みの問題だとは思うのですが。でも、「新しい」感じはします。渡辺ペコにしてもそうだけど。自分の作風が確立しているのはいいことではないでしょうか。

「おとうさんがいっぱい」三田村信彦

2010-04-25 06:11:29 | YA・児童書
ひげうさぎ先生のおすすめに従って読んでみました。三田村信彦「おとうさんがいっぱい」(理論社)。
わりと読みたい本があっても、いざ図書館にいくと思い出せないことが多いのですが、これはしっかりインプットされていました。検索したらすぐ出てきたし。読み切るのも早かったですよ。
感じとしては「奇妙な味」の物語だと思います。小学生でこれを知ったら、阿刀田高やら小松左京やら星新一やらにつながっていくのではないかと思わされる。
日常が、ふとしたきっかけで歪む、のです。急にお父さんが三人に増える。しかも、どれが「本物」なのかわからない。すっかり同じ、というわけではなくて、彼らの記憶は少し違う点もある。でも、それでも家族にさえわからないのです。どの家でもお父さんたちは自分が本物と主張して喧嘩を始め、やがて登場順にナンバリングされます。
どうすれば事態は収まるのか。でもそれは「解決」といえるのか。そんなことを考えさせられ、オチも見事です。
ほかにはこんな話もあります。「ぼくは五階で」。
自分のアパートから外に出られなくなるナオキ。ドアを開けると自分の家が目の前に現れ、戻ろうとしてもそこに、ある。
様々な作戦をたてて脱出を試みますが、結局は部屋からは出られない。ベランダからは、両親がどこか別の空間に帰っていくのが見える。孤独と不安が浮き彫りになる物語です。
わたしがいちばん気にかかったのは、「どこにもゆけない道」です。結末が、辛い。でも、彼にとっては両親が溶けてしまうよりもこの方がいいのだと思うと、かなしくて胸に迫ります。
何にせよ一話一話の「かたち」が確立していて、非常におもしろい。三田村さんの本、結構ありそうなのでウキウキと借りに行ってくるつもりです。

「高校生のためのメディア・リテラシー」林直哉

2010-04-24 05:30:45 | 社会科学・教育
「私たち高校生の目から見れば、部活動の中に価値の差はありません。野球でも、音楽でも、高校生活のなかで活躍の程度に差はあっても、一人ひとりにとって同じ価値があります。それなのに、なぜ私たちの活動の価値について、大人の眼で優劣を決めなければならないのでしょうか」
高校生の活動について報じた新聞記事を一年間採集して検討したところ、野球に関するものがなんと八割。「高校野球ばかりがなぜもてる」疑問を感じた放送部員たちは、取材を通して情報にふれ、それをどう伝えていくかディスカッションする中で、メディアの役割について考えを深めていきます。
これ、映画化希望です! すごいおもしろいのよ。ぜひ文科系部活動の物語として、そうでなければ改革する高校の全体のうねりを描く作品として作ってみてほしいのです。映像文化には疎いわたしではありますが……。それほどドラマ性のある本なのです。
林直哉「高校生のためのメディア・リテラシー」(ちくまプリマー新書)。この題名この装丁で、一体誰がこんなに勢いのある「物語」だと思うでしょう。わたしも、てっきりオカタイ本だとばかり思っていました。森達也の「」()の類書みたいなもんなんだろうと予想していたのです。これは結構ためになりましたが、文中から抜き書きして整理し直さないと理解出来なかったので……。
随分前に買ったのに、手をつけずにいたのはそのせいです。でも、メディア・リテラシーをとりあげなければならない日はやがてやってくるのだから、今のうちに知識を拾っておきたい。修学旅行の新幹線の中で読もう、と鞄に突っ込みました。
ところが、読み出したら止まらない。ほー、ひゃーっ、へぇー、といちいち納得しながら読んでしまいました。
中でも圧巻は、生徒たちの手で「卒業式」を変えていく場面です。
全体がなんとなく盛り上がらずにいた文化祭。映像で準備期間を振り返り、全員が「歯車」として関わってきたことを追体験することで共感が生まれる。これは「伝えたい内容と結びついた表現」が、彼らの心を動かしたということなのでしょう。
学校は変わっていきます。その中で、「卒業式とは、卒業生から在校生に、積み重ねた実践の精神を引き継ぐ場である」という基本理念を打ち出し、それを具現する場として生まれ変わる。実践までを支えるのは「三年有志」の熱意です。
学年会で否定されても、何度も何度も、自分たちの卒業式を自分たちで創りたいと訴える。
そこに助け舟を出すのは生徒会顧問団。結局、二十分の枠をはみ出さない約束で、生徒会主催の第二部を行うことになるのです。
泣きそうになりました……。林先生、放送部と生徒会の指導をされているのです。自分たちの「伝えたいこと」を表現させようとする思い。それをいかに伝えるか、そのためにどうすればいいのか。
「メディア使い」を育てるために林先生がどのように工夫されているかがよくわかる、すばらしい著作です。リテラシーのことについても事例をもとに書かれています。声を大にしておすすめ。

「お一人様二つまで」内田春菊

2010-04-23 05:06:08 | コミック
旅行の楽しみといえば、そりゃ食べることですよね?
もともとわたしは「食」についてのコミックが大好き。旅行前に二冊読んできました。
まず、内田春菊「お一人様二つまで」(バンブーコミックス)。
内田作品は評価に悩むことが多いのでちょっとためらいはあったのですが、レシピも載っているというので買ってみました。どうもそういう付加価値に弱い。
でも、これは貧しいなかでも工夫していく物語ではないと思うのです(手元にないので正確に引用できませんが、キャッチコピーはそんな感じのがついていたと思います)。確かにジンジャー・エールや甘夏柑で作るピール、塩辣韮といった手作り感は満載ですが。でも。
恐らく元夫ユーヤの父をモデルにしたのであろうと思われる「おじいちゃん」と、実の娘でありながら彼を毛嫌いする母親との板挟みになる娘ミツバの視点で展開されるのです。
母親は和裁で身を立てながら三人の子供を育てているのですが、もともと父とはそりが合いません。自慢ばかりで人の話を聞こうとしない。セクハラ発言と心のない褒め殺しを連発。自分のことが最優先で、周囲のことにはお構いなし。策略が好き。
幼いミツバなら自分のもとにとりこめると考えたのか、母親が留守の間にたびたび家にやってきます。でも、その発言は、ミツバの心を傷つけていくのでした。
でも、この作品の恐ろしいところは、内田が意図するようには読めなくなる後半ではないでしょうか。
「俺は一匹狼だから」といいながら、群れることが好きなんだ、と母親は嘲笑します。気に入っていた店員がいなくなり、傷心のおじいちゃんはカラオケに通うのですが、なんと、そこからCDデビューの話に! 商店街の皆さんも同じノリで賛成し、即売グッズが押し寄せて……。
でも、商店街の皆さんの姿に、この母親が嫌うほどおじいちゃんは世間に疎まれている訳ではないことがわかるのです。かなり暖かい目で賛同している。それが母子には奇異にうつるのですが、そういう視点で考えると、「社長」としてもそれほど嫌われてはいないのではないか、という気になってしまう。夏祭ではかき氷を担当し(祭の中ではいちばんの人気だから)、冬祭ではおでんを作る(理由は同じ)。これはちやほやされていたい心理のなせる業だということが語られますが、なんだかんだで働くのだし、本当に嫌なんだったらコミュニティとして成立しないのでは。企業の論理というものもあるとは思いますが、主人公たちの目に映る「おじいちゃん」と社会で認められた彼とに差異がある。地域の人々にしてみれば、愛すべき人物であるのかもしれない、ということが、非常に怖いと思いました。
いや、好かれている人なのだから意見を変えろと言っているのではありませんよ。わたしもこういう発言をする人をみると嫌な感じがするし、それを受け入れる世間の人々は本当のところどう思っているのだろうと勘繰ってしまいます。それが、人気のある人ならなおさら。視野が狭いせいでこの人のことを不当におとしめて見ているのかしら、と。
結婚当初の親族の見方についてもかつて読んでいるので、内田春菊の思考の変遷は何となくわからないでもない。この「嫌な部分」というのは、先に「嫌」という気持ちがあるのです。どういうところが嫌なのか。それはこういうところああいうところ、と数えあげているうちにますます嫌になる。そして、その部分をクローズアップしてなお嫌になるのでしょう。
「食」についてのコミックのはずだったのに、なんだか違う読み方をしているのかしら。うーん……。

「またたびトラベル」茂市久美子

2010-04-22 05:08:31 | YA・児童書
茂市久美子さんの「招福堂のまねきねこ」を読んだとき、短編連作としてすごくおもしろかったので一作めを読みたいと思ったのですが、なぜかどこの図書館にも書店にもなくて(「招福堂」は結構あるのですが)諦めかけていたときにジュンク堂で発見。小躍りして買いました。ここの棚をまるごと買って児童図書館にしてもいい品揃えはナイスです。
読んでみると、また続編を見直したいような気持ちになります。木綿さん。こんな人がいたなんて。つい読みとばしていたのですね。
猫と食べものをめぐるストーリー展開は相変わらずですが、ロールキャベツが効果的に使われているのを見て、作品世界がさらに身近に感じられました。
「ラング・ド・シャ」に行ってみたいですね。ビーフシチュー風味のロールキャベツ。確か「招福堂」でもエピソードがあったはず。そう考えると、シリーズの途中でシフトチェンジみたいなものがあったような感じもします。この本「またたびトラベル」(学研)では、旅行代金はのらねこに餌をやることです。そのためにトラベルの社長(アーモンドのような目をした男の人です)は旅行を企画しているのですが、なんというか、彼はこの仕事自体がおもしろくなってきたのではないかな、と思わされるのですね。
確か遠洋漁業に行く女性もいたはずだし。始めのころはトラベルの近くの路地だったり一瞬でサフランの咲く町に行ったりしていたのですよ。
わたしも修学旅行引率です。有意義な三日間でありますように。

「弁護士カモくんのちょっと休廷」加茂康隆

2010-04-21 04:54:35 | 社会科学・教育
おぉっこれは、わたしの大好きなお仕事ものではないですか。「弁護士カモくんのちょっと休廷」加茂康隆(角川書店)。弁護士の仕事についてのエピソードが紹介され、とても興味深かった。
必ず勝てるはずの裁判に予定外の発言をしてしまうおばあさん。事故のおきたのは北海道なので、公費を使って現場検証に行こうと誘う書記官。
困惑してしまうほど図々しい申し出があったり、とにかく力になってあげたい人がいたり、加茂さんのお仕事の中のワンフレーズがコミカルに紹介されています。ときにはじっくり考えさせられるようなものも。
秘書として雇った女性が実はとんでもなく非常識だったり、事故で傷ついたのは顔よりも心の方だったり、うーん、と唸ってしまうものもありました。
裁判沙汰になるくらいですから、どうにも我慢できないものがあるんですよね。人間って些細なことだと思うようなことでも、場合によっては許せないものになる。うん。
晴れの日のウェディングドレスがサイズ違いで、結婚式が台なしになったという花嫁さんのエピソードが印象的でした。