くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

2009年ベスト

2009-12-31 06:17:05 | 〈企画〉
2009年読んだ本のベスト10です。

1 「お母さんは勉強を教えないで」三尾美保子
2 「獣の奏者」上橋菜穂子
3 「京大芸人」菅浩文
4 「英雄の書」宮部みゆき
5 「偽書『東日流外三郡誌』事件」斉藤光政
6 「甲子園への遺言」門田将隆
7 「黒百合」多島斗志之
8 「空をつかむまで」関口尚
9 「消える人たち」斉藤弘
10 「百瀬、こっちをむいて。」中井永一

大急ぎで一月からの日記を読み直しました。その結果がこれ。しかし、初期に比べて最近どんどん文章が長くなっていますね……。何故かしら。

やっぱり、「獣の奏者」の魅力はすばらしいな、と武本糸会さんの漫画を読みながら思い返したわけです。しかも、これに「探求編」と「完結編」のエピソードが重なってきてしまい、何度も泣きそうになってしまいました。やっぱり、物語は続いているのですね。
で、それよりも上位につけたのは、三尾塾を運営する先生の本。勉強ってなんだろう、と深く考えさせられ、その真摯な思いに打たれました。わたしも「お母さん」としても子供たちの勉強をサポートしないと。
それから、やっぱり学習が絡んできますねー。「京大芸人」。この本のいいところは、主人公たちのことを知らなくともおもしろいこと。同僚に貸したら、「この人たち、どんな活動してるのか見てみたいー」と言われました。
あとは、今年読んだ本を系統立てて見ていくと、わりと関連のある作品を読んでいることもわかりました。「偽書」のテーマは「英雄の書」と通ずるものがあるし、「発掘捏造」も俎上に上っています。やっぱり次は「岩宿の発見」を読むべきなのか……。
「甲子園」では、教育にかける熱意に感銘をうけました。

さて、年末になって、非常にショッキングなニュースが飛び込んできましたね……。「黒百合」のような傑作を、もうわたしたちは読めないのでしょうか。多島さん、もっと物語を紡いでほしいというのは、読者のわがままかも知れません。でもファンの一人としてたいへん残念です。多島さんの本はもっといろいろな人に読んでほしい。

今年は小説が結構おもしろかったですね。わたしは年間ベストを選ぶとフィクション以外が上位に入ることが多いのですが、さわやかな青春小説も、じんわりと怖さが浮き上がる物語も、とてもよかった。力を感じました。

今年の目標は、「毎日更新」だったのです。来年はもう少しマイペースになるかもしれません。
たくさんの方に来ていただいて、本当にうれしい一年でした。コメント、トラックバック等、とっても励みになっています。
ほとんど携帯しか使えないので、固有名詞の漢字が出てこないことなどもあり、読書ランキングにも参加できないのでたいへん地味に活動しているので。
今年読んだ本は、250冊余り(漫画・絵本・実用書除く)。
では、よいお年をお迎えくださいませ。

「嘘をもう一度だけ」東野圭吾

2009-12-30 06:45:20 | ミステリ・サスペンス・ホラー
再読でした。おそらく第二次東野圭吾ブームのときに読んだのかと。まとめて何冊も読んだので、タイトルを混同したものと思われます。
それでも、すっかり内容を忘れていて、結構新鮮に読みました。どれもほとんど視点人物かその周辺の人が犯人で、それを加賀恭一郎が崩していく、というパターンだったのですが。
どうも加賀シリーズは、彼の内面に踏み込んでいきませんよね。クールというか。唯一ラストの「友の助言」がホットでしたが。
これを読んでやっと、以前手に取ったことを思い出したのですが。それは冒頭からあからさまに出てくる伏線に、前回も気がついたからでした。
加賀と待ち合わせをしていた友人の萩原は、居眠り事故で入院します。でも、彼はそんな事故を起こすような人間とは思えない。家族と連絡をとろうとした加賀は、彼の妻・峰子の行動に不審を感じるのです。
これを、萩原から見た物語、なのです。他の四つに比べて、加賀は仕事ではなく友人として動いているため、事件としては立件していません。でも、気づかないふりをしてやりすごそうとしている現実を壊していくのです。
彼のような刑事に事件を担当されたら、じわじわ真綿で首を絞めるように真相に近づいていくのでしょうね。犯人にとっては辛いわ。
印象に残っているのは、「第二の希望」です。ヒロインの娘の心情を考えるとやり切れない。
体操のオリンピック代表になる。母娘二代での夢でした。それにむかってまっすぐ走ってきたはずだった。熱心な母は父とも離婚。そこまでしても夢に賭けようとしていたのに。
母に恋人ができます。若い女の子には到底理解できないような交際です。長続きするとも思えない、だらけたような関係です。
ただ結末で動機を尋ねる加賀に、「あたしの裏切りに対する報復かもしれません」と母は答えますが……。本当にそうなの? そんな理由で将来を嘱望された少女が殺人を犯します?
わたしの勝手な思いこみかもしれませんが、東野さんはわざと真実をぼかしたのでは。
というのもこの男、娘のベッドでうたた寝しているんですよ。それが我慢ならないのではないか、と。そういうただれた関係に嫌悪を覚えるという方が、この年頃の女の子にはありかなあ、と思いました。もしかすると嫌らしい視線を感じたこともあるのかも。
考えすぎかもしれませんが、その場の思いつきでできるようなトリックではないような気がして。
ああでも、東野さんは何通りにも考えられることを提示していても真相は一つに絞っていますから、素直に読むのが正しいのかもしれません。
個人的には建築士の中瀬さんがナイスキャラでした。

「再会の日々」曳地正美・曳地豊子

2009-12-29 06:02:07 | エッセイ・ルポルタージュ
これが自費出版でいいの?! 是非たくさんの人に読んでもらいたいっ!
と思うので、いまさらですがご紹介します。もう三年も前に買ったのですが、この前まだ流通していることがわかったので、自信を持ってお勧めしましょう。曳地正美・豊子「再会の日々」(本の森)。(すみません、仙台以外で入手できるかどうかはわかりません……)
副題「犯罪被害者の親として」。じっくり読むうちに、筆者の苦しみや苦悩がしみてきます。わたしも、五日かけて読みました。流し読みにはできません。
出版から五年前の冬、一人の女性の遺体が、雪山で発見されます。リンチ殺人。テレビニュースから流れたその場面を、わたしも覚えています。
当時二十歳だった女性は、中学時代の先輩やその交際相手、さらには面識のない八人もの人間から、いわれのない暴行をうけて死亡。グループは、冬の山に埋めた……というもの。
娘の死の真相を知りたいと願う両親は、加害者との面談を希望。願いは聞き入れられ、主犯格Oとの対面の時が……。
新聞記事にもなったので、一応その「結末」は知っていました。曳地さんは、この対面で満足する答えを得ることはできなかったのです。なぜ娘は殺されたのか。どうしてOは嘘をついてまで娘を呼び出したのか。理由らしい理由もない中で、彼らは死ぬまで娘を殴り続けたのか。
知りたかったことは何一つ解明されず、今でも薮の中。苦渋の思いを抱きながら正美さんは亡くなり、その遺志を引き継ぐ形で、豊子さんが執筆を続けたのです。
ニュースや新聞記事だけでは知りえないことも伺えます。Oの家族が流した嘘の噂、供養の品を送ってくる加害者もいること、少年院に送致された少女は、もう社会生活を送っていること、等々。
娘の得られなかった「幸福」。親として彼らに味わってほしくない。更生してもらいたいと願う一方で、子供を持ってほしくはないと感じているといいます。
カバーを外すと、父と娘の写真が配置されていました。今はもういない二人に手向ける本としての造りのように思いました。
「犯罪被害者」の家族の悲しみ、加害者とその家族への思い、様々な問題提起があり、考えさせられます。
読み終わったあと、圧倒されてしまい、次に何の本を読んだらいいのかすらわからない状態でした。

「京大少年」菅浩文

2009-12-28 05:37:01 | 芸術・芸能・スポーツ
うーん……。ちょっと期待外れかなあ。
前作の「京大芸人」がすごくおもしろかったので、続編「京大少年」(講談社)を買ったのですが、いまひとつという感をもちました。
エピソードが羅列になってしまい、切れ切れの印象が残るせいかと思うのですが、なんだか、「勉強」の部分を意図して組み込んでいることが裏目に出ている。
いや、勉強についてはおもしろいんですよ。でも、「芸人」はもっとのびのびと二人の青春群像が感じられたし、「宇治原」という個性を描くのに勉強は不可欠だというイメージがあったのに、今回は「芸人になるために京大に入った『京大芸人』ではなく、京大に入る頭脳を持った『京大少年』」というテーマに縛られすぎかな、と思って。
そんなに期待された宇治原少年を、芸人に誘ったということで、泊まるときに客用布団だったのが子供用布団を出されるなど彼の家族からの待遇が下落してしまいます。
菅さんは構成も文章も結構きっちりしているので、ウケを狙いすぎない方がいいんじゃないかなと思ったわけです。
なんとなく、芸能人の出す本って、「口述筆記」が多いように思うのです。でも、この本はそうじゃない。きちんと文章の書ける人なので、仕事のこととかほかの芸能関係者のことが盛り込まれている中、随所に二人の様子が感じられてすごくいいんです。
テレビ出演が決まったとき「出れる」と書いてしまっているのも、まあ、許せます。日常の言葉を選んでいる気がする。
この本は、厳密にいって「芸人」の続編ではありません。同じテーマで前作には書いていなかった部分を書いている感じがします。
宇治原の大人としての勉強方法は参考になると思いますよ。特に、「知識を人に伝えることで覚える」というのは非常に納得です。
菅さん、結構観察力あるし、構成も上手いから、エッセイ書いてはいかがでしょうね。おもしろそうな予感がします。
ところで、宇治原家の菅さんへの対応、今はどうなんでしょう。ちょっと気になります。

「落窪物語」氷室冴子

2009-12-27 06:43:10 | 古典
こ、これが本当に氷室冴子の文章なの?
古典翻案のためなのか、全くいつもの勢いがない。期待してたのになあー。もっと「古典文学館」の枠を取っ払って、話を盛り上げてほしかったです。勝手な意見なんでしょうけど。
でも、ですよ。ここで氷室冴子を起用したのは、原文に忠実というよりも、「ざ・ちぇんじ!」(コバルト文庫。「とりかへばや物語」を翻案したコメディ)みたいな作品を、ということじゃないの?
「落窪物語」を氷室冴子で。いい選択だと思います。でもなんかもの足りないんだよー。講談社的にはこれが正解なの? 嵐山光三郎の「徒然草」のほうが自由度は高い気がします。
「落窪」をはじめて読んだのは小学校の図書室です。よく言われるように、平安を舞台にしたシンデレラストーリーなのですね。
中学生のときも何度か読み返し、田辺聖子の翻案「舞え舞え蝸牛」(だよね?)も読みました。子供心に好きな古典だったのです。
氷室さんにしても、まずは「クララ白書」の漫画版(みさきのあ)に出会い、当然のように「アグネス白書」に進み、「さようならアルルカン」だの「ジャパネスク」だの「シンデレラ迷宮」だの「ヤマトタケル」だのを読んだのです。もちろん「ライジング!」(漫画・藤田和子)も!
氷室さんはあとがきで、後半は割と自由に脚色したということを書いています。確かに中盤からおもしろくなってくる。でも、なんかくすぶるんですよ。
考えるに、平安ものだから仕方がないのかもしれないけど、落窪の姫がなんだかふがいなさすぎるのが原因ではないか、と。周りに流されて、よよと生きている。見初められても忍んでこられても、北の方に意地悪をされても、とにかく受け身。二条殿でやっと幸せをつかみ、夫が今までの仕返しとばかりに北の方に意地の悪いことをしかけても、なーんにも気づきません。
対して阿漕(姫の女房)はものすごく気のきく、活発な女として書かれています。三日餅の準備をしたり、姫を典薬の助から守ったり。
さらに、氷室さん本人も言ってますが、いちばん存在感があるのは北の方なのです。
この二人の前に、姫は全くかすんで見えます。いいのか?
で、夫である左近の少将も何だかひどいんですよ。いくら恨みがあっても、やりすぎだろ、と思うような復讐を敢行します。婿になると約束しておいて、従兄弟にあたる「面白の駒」を通わせたり参拝の邪魔をしたり、こんな奴が主上のお気に入りなわけ? と、困惑することしきりです。
昔はおもしろく読んだのになあ。やっぱり当時とは違う価値観になったのでしょうか。
ただ、氷室さんが物語の中で人物の混乱を避けるためか、阿漕が最初からその名前で登場するのは不満ですね。巻末に原文がありますが、この人ははじめ「後見」と呼ばれていたのです。姫が落窪の間におしこめられるときに、「ずるい」という意味の名前に変えられてしまった、というエピソードが、子供心に気になったので、こういうところはいかしてほしかった。この時代、名前は意味をもつのです。「落窪」というのも姫を蔑むことで一線を画し、優位を保とうということの現れですからね。何しろ元は身分の高い生まれでしょう。北の方一派は格下なので、継子いじめでもありますが、敢えてそうしたのではないかと思われます。

「偽書『東日流外三郡誌』事件」斉藤光政

2009-12-26 06:12:58 | 歴史・地理・伝記
読みたくてずっと探していた本なのです。最初は小説かと思い、さいとうさいとう、と図書館で順次探したのですが、見つからない。そうか、日本史か! と気がついて、よく見ようと思ったら、文庫になってました。
斉藤光政「偽書『東日流外三郡誌』事件」(人物往来社)。「東日流」は「つがる」と読み、青森県五所川原市のとある旧家から発見された大量の古文書がもとになっている、という触れ込みで編集されました。
しかし、この「古文書」、どうも胡散臭い。筆跡鑑定をしたところ、「発見者」である和田氏の筆跡としか思えないことがわかります。しかも、紙は昭和に作られたもので(障子紙)、字は筆ペンで書いたものらしい。祖父らが江戸時代の原本を写したものだというのですが……。
真偽の程を知りたい学者や地域の人々を巻き込んで、論争が起こります。
この「外三郡誌」、どこからどう見ても疑惑の塊なのですが、擁護派の方には非常に魅力的なようです。中央である都ではなく、青森から歴史を問い直す、というロマンチックな側面があるからでしょうか。
でも、この書を世に出すことに関わってきた人ですらどうも怪しいと思ってたというのです。例えば、古文書が二つあった場合、間をつなぐような資料がないかどうか見てほしいと頼むと、次回にはぴったりのものが「発見」されてくる。
何度も都合よくそういうことが続くのです。
また、文字には独特の誤字があり、発見者も同じ間違い方をしている。「聖地」であるアラハバキ神社では、そこからも古い資料が発見されたというふれこみなのに、調べてみると神社が作られたのも最近のことだとわかる。なにしろ、隣家に住む従姉妹すら、信じている節がない。
それなのに、某大学教授の古田氏は頑として譲らず、それを疑問視した弟子はたもとを分かち、さらに「偽書」である根拠となった資料は別の人が模写したものと発表して、その家族から名誉毀損で訴えかけられた……というエピソードが、なんとも言えません。
著者は青森の地元紙東奥日報の記者。偽書疑惑に継続的に取り組んできた方です。
実は以前、原田実さんの本を読んだときにもこの疑惑については書かれてありました。一緒に「発見」された現場である民家を訪ねるのですが(その屋根裏から落ちてきた古文書ということになっているのです)、そんな造りになっているようにはどうしても思えない。
原田さんとのやり取りも時々出てきておもしろいです。
文中、高橋克彦が、創作として読むのであれば、差し支えないだろうと考えているようだ、という部分もあって、フィクションと事実との違いについて考えさせられます。
wave本の雑誌で連載していた「読書相談室」が大好きで、東えりかさんがこの本をプッシュしていたのですよ。
おすすめ通り、たいへんおもしろかったです。
長山靖生さんや工藤雅樹先生といった、今まで読んできた本の著者が顔を出しているのもおもしろいところ。

「きのうの神さま」西川美和

2009-12-25 05:39:56 | 文芸・エンターテイメント
映画には毛筋ほどの興味もないわたし。子供につきあうほかは、三回しか映画館に行ったことがありません。
だから本来なら、この作家の本を手にとることはなかったはずなのです。でも、声を大にして言いましょう。いいですよ西川美和!
松田哲夫さんのプッシュで読みたいと思ったのですが、いざとなると作家も作品名も思い出せないという情けない癖がわたしにはありまして。読んでみたいけど、苗字は何だっけ? と思いながら本屋に行ったら、「きのうの神さま」(ポプラ社)が平積みになっていました。そうそう、そうだった! でも、そのあとに行った図書館で借りたんだけど。
何でしょう。はじめの「1983年のホタル」でノックアウトされました。
「トイレの窓の磨りガラスからやわらかく差し込む午後の光が、目の前に立つ匂坂さんの髪の毛を明るい栗色に染め上げていた」
この描写! ゾクッとしませんか。
主人公のりつ子は、塾に通うためにバスを利用している小学生。村の中では優等生で通っていたのに、塾ではあまりぱっとしません。
その塾でりつ子の目を引いたのは、匂坂月夜という女の子。サキサカツキヨですよ! 自分の周囲にはいなかったタイプです。(当然ですがもちろんわたしの周囲にも、いません)
バスの運転手・一ノ瀬時男のことが、なぜかりつ子の気持ちにひっかかっています。
バスに一人残ったとき、彼が話しかけてきて、自分の姉がある私立の学校にいたことを語ります。どうもその姉は亡くなったらしいのですが、りつ子は勉強が思うようにいかず、苛立ちをぶつけます。そして、ある事故が……。
これは「過去」の物語であることに意味のある小説だと思います。
私立中学に進んだりつ子は、匂坂月夜とも同級生になり、手の届かないような遠い人、と思っていた彼女を「ツッキー」と呼ぶようにもなります。
一ノ瀬の姉のこと、なぜ亡くなったかを知りたいと思い教師に尋ねますが、「思い出したら必ず教える」と言われるのです。
とても、ありそうなエピソード。同じような経験をした人も多いような気がします。だけど、それを一編の小説に仕立てあげる手腕が見事。

この短編集は、映画「ディア ドクター」の取材から生まれた物語を集めたものだそうです。映画のあらすじも知らないし、松田さんが言うには映画のノベライズのようなものではないそうなので、どう言ったらいいのかわかりませんが、とても多彩。
ここに登場するのは、診療所の老医師です。湿布を貼ったり注射をうったり、というような仕事をしている。
同じような立場で、「ありの行列」の離島に暮らす老医師も、人々の愚痴や悩みを聞くことが、仕事の大きなポジションを占めている。
取材を通して西川さんが目にした「医師」の姿を捉えて、描いた短編たちです。
特に好きなのは、「ノミの愛情」。これは大病院で中心的な役割を果たす夫をもつ、その妻の物語です。かつては看護師として医療に関わってきた彼女は、献身的に夫を支えることでその思いをつなげています。彼の見栄に辟易としながら。描かれる日常の風景に、手放した過去が二重写しになって、しみいります。
松田さんは、文章で映画を見ている気持ちになってくると言っていましたが、文体よりも視点が映画的な感じがしました。
普通小説は、中心人物の視点からぶれないように書くわけです。でも、「満月の代弁者」を見ると、島を離れようとする医師と、やってくる医師との見方が重なることがあって、はじめはどちらが主人公なのか悩んでしまいました。
でも、それが非常にうまく書けているので、気にならないといえば気にならない。カメラワークのようなのですね。
西川さんの視線、もっと見てみたいと思いました。

「扉守」光原百合

2009-12-24 05:31:41 | 文芸・エンターテイメント
おぉっ、光原さんの新刊! 小躍りして借りてきました。スピンの感じからいって、初読みですね。初々しい感じの連作でした。
「扉守」(文藝春秋)。サブタイトルが「瀬ノ道の旅人」である通り、海辺の町「瀬ノ道」を舞台にした都市小説です。
この町は、光原さんの故郷・尾道をモデルにした架空の町ですが、さすがにリアリティがあり情緒豊かで素敵なのです。短編連作ですから、つなぎ役として持福寺の住職・了斎さんが登場しますが、場所が共通してもヒロインは毎回違います。
伯母の営む店を手伝う大学生、母親と二人暮らしの高校生、コンサートスタッフのボランティアをしている社会人。
それぞれ悩みながらも、この町で生きることを選んだ女性たちです。
瀬ノ道を訪れる芸術家と彼女たちとのふれあいを描くのですが、この旅人たち、なかなか一筋縄ではいかないというか、特別の才能をもった方々なのです。 エナジーから写真を撮るカメラマンや、様々なもの(例えば月の光)から編み物作品を作る女性。
中でもわたしが講演を見たい! と思ったのは、ピアノと演劇です。
まずピアノですが、王子様の外見、紳士の振る舞いながら、ステージを降りると急にずぼらになってしまう零さん。でも、ピアノの腕は最高です。日本の調べを奏でる曲を聴いて、涙ぼろぼろになったというのがいいなあ。
コンサートスタッフの静音の家には、戦前からアップライトピアノがあるのですが、これが鳴らないピアノなのです。ピアノ線を供出してから、いくら張り直そうとしても切れてしまう。
そこで、マネージャー兼調律師の柊さんが張ってみることになるのですが……。
背後から曲が聞こえてきそうな、素敵な作品でした。
演劇の方は、「場」の因縁を聞き、そこで上演することで浄化させる、という一種のお祓い集団のような。ですから、ホールではなくて野外での公開になります。今回は、化け物がいるのではないかと噂される洋館。取り壊すための工事をしようとすると、瓦が落ちてくるのです。この場を救うにはどうしたらいいのか。
出てくる俳優さんたちもとっても魅力的。薙、鈴、樹。特に看板役者サクヤさんは、男なのか女なのかもわからないそうですよ……。
この瀬ノ道という場所には、様々なものが影響を受けやすい場であり、そのために不思議な出来事がたくさんあるのだそうです。
どれも繊細で優しい物語です。
恋愛模様はさらりと廃除されている感じですね。ただ、それが余り気にならない。
この町の空気、ぜひ吸ってみてほしいと思います。

「頭の体操 BEST」多胡輝

2009-12-23 01:49:41 | 総記・図書館学
「探検家のフジタニ氏は、荒野で一人、キャンプをするのを趣味にしている。暗闇の晩にテントを離れて荒野を歩くと、右も左もわからないほどの暗さだが、そんなときのためにフジタニ氏は必ず懐中電灯を二つ持っていくのだという。電池切れに備えてのためでないとすれば、いったい何のためだろう」

多胡輝といえば「頭の体操」、「頭の体操」といえば多胡輝です。
子供の頃、家の本棚に確か七集までありました。おじさんが読んだらしい。当然わたしも読みます。中学生くらいかな。文字通り「頭の体操」となるようなクイズがたくさん紹介されていて、何度も繰り返して読みました。
問題を解く、というのは、類似のものに慣れるということでもあります。クイズにはある種のパターンがある。それをつかみます。とにかく、根底にあるのは、「本当にそれでいいのか疑ってみる」「違う見方ができないかどうか視点を変える」ということだと思うのですよ。
先日本屋に行ったら、「頭の体操」(光文社)のベスト版が出版されているではないですか。これまでの本から厳選した問題なんですって。
早速買いました。
読んでみると、覚えのある問題もかなり多く、答えページのイラストまで思い浮かぶものもあります。
各問には制限時間が示されていますが、わたしは考えずに答えを見て「なるほど~」と感心しているタイプなので、あまりよい読み手とはいえないかもしれません。
ちなみに冒頭の答えはわかりましたか? 制限時間は三十秒です。

「人生案内」野村総一郎

2009-12-22 05:04:12 | 哲学・人生相談
わたしが「人生相談本」を好きになったきっかけとして、一時讀賣新聞を購読していたことがあると思います。紙面を流し読みするうちに、このコーナーに気づきました。
「人生案内」。
担当者は曜日ごとに違います。ここを読むのが楽しみだったのですね。
いろいろな人がいて、いろんな悩みがあるんだな、ということ。それから、回答者のユーモア。わたしが読んでいたころは、出久根達郎さんや藤原正彦さんが答えていました。藤原さんの本は去年発見して購入。おもしろかったので、こちらも手に取ってみました。
野村総一郎「人生案内 もつれた心ほぐします」(日本評論社)。
精神科のお医者さまだそうです。相談と回答が見開きでになっていて、さらさらっと読めます。
いくつかの選択肢の中から答えを見出だしているような気がしました。
わたしたちは、つねに心と向き合っている訳ですから、くよくよしたり一喜一憂したりと、気持ちも変わります。ただずっと心を占めるような悩みがあると、つねにそこに気持ちが戻ってしまって苦しいですよね。
職場のこと、家族のこと、性格のこと、いろいろな悩みが紹介されます。
なるほどーと思いながら読んでいたら、終盤でものすごいのにぶちあたりました!
「人の幸せすぐねたむ-他人の孫の自慢話が苦痛(50代・女性)」。
すごいですよこの方は。人のことが羨しくてならないそうなのですが、「20代の頃、親友が玉の輿に乗ったのをねたみ、絶縁状を送りつけたこともありました」
「幸せな人はすべてねたみます。五輪の金メダリストの親が憎らしい。野球のWBCで優勝した選手の妻たちが憎らしい」
「宝くじの高額当選者のことを考えるだけで憎らしい。売れっ子の芸能人の親や、東大合格者の親も憎らしい」
そして、自分の子供たちはまだ独身なので、孫の自慢話を聞くのが辛いんだそうです。「年賀状に赤ちゃんの写真が印刷されていると破いて捨てます」。
この方のお悩みは、「こんなにねたんでばかりいたら、地獄に行くのではないでしょうか」
す、すごい、すごすぎる。
そう思ったわたしはまだまだですね。野村先生は、「これを読んで『わかる!』とひそかに声を上げる方も多いのでは?」とおっしゃいます。えっ、わかるの?
解決方法としては、自分を楽にするような考えを出していくこと、だそうです。プラス思考ということですかね。