くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「チュウガクセイのキモチ」あさのあつこ

2009-03-31 05:47:23 | 社会科学・教育
んーと。昨年、「チュウガクセイのキモチ」(小学館)という本が出版されていたのをご存知でしょうか。あさのあつこが、中学生と語り合うというコンセプトで、俳優の神木隆之介くんや一般の生徒と座談会をするのです。
発売当時すごく読んでみたかったのですが、実際本屋で手に取ってみると、この厚さこの内容で千二百円は払えないかも……と、やめてしまいました。
しかも、本屋で見たのはそれ一回。ヒットメーカーあさのあつこものとしては、かなり冷遇されていませんか?
でも、今回図書館で借りてみて、わたしにはこれは必要ない本だと思いました。うーん、なんと言ったらいいんでしょう。中学生がセンシティブでまっすぐで混沌としていて思春期真っ只中の複雑な精神状態で……というような、既に持っているイメージを別に覆させることもなく、ただ中学生との交流が、あさのさん自身の納得につながっていくだけの本ではないかと思うからです。
だから、あさのさんはこういう本を出すよりは自分の作品にこのことを反映していく方がよろしいんではないか、と。
でも、あさのあつこファンジンみたいな側面も持っていることを考えると、実際中学生でもの書きになりたいと願っている子供たちには素敵なプレゼントだと思うのです。
大好きな作家が自分(たち)の気持ちを理解(しようと)してくれ、文章を書くポイントを伝えてくれ、作品の背後にある「思い」を話してくれる。
中学生だったわたしが氷室冴子や新井素子の本を読みあさったように、その時代に相応しいヤングアダルトは存在する、というようなことをぼんやり考えました。

「47都道府県女ひとりで行ってみよう」益田ミリ

2009-03-30 05:38:13 | 歴史・地理・伝記
流し読みです。すみません。益田ミリ「47都道府県女ひとりで行ってみよう」(幻冬社)。
新刊で出たのを見たとき買おうと思ったんです。でも、「宮城県」の項目を立ち読みしてやっぱりやめたのでした。
今回は例によって図書館で見つけたのですが、うーん、わたしが期待したような本ではない、というのは確かです。益田ミリ、ダ・ヴィンチ連載の短歌ものはおもしろいんだけどなー。
最初順々に読もうと思ったのですが、なんだか益田さんのやる気のなさが辛くて。「旅」って日常空間にないことを求めていくものではないかとわたしは思うので、「はっきりいって、もう飽きている」という四回めの書き出しに、ちょっと気持ちが冷めました。
で、自分が行ったことのある県の記述と、添えてある四コマまんがだけ読んだのです。
これ、ウェブでの連載だったそうなんですが、なんだろう、「仕事」だと思うと旅もおもしろくなくなっちゃうんでしょうか。
ひとり旅というと、わたしは学生時代に大阪まで出かけたことを思い出します。友人のアパートでお世話になり、東大阪市をふらふら歩きました。「アドルフに告ぐ」を買って帰ったなー。
あとは、社会人になってから行った三島。とてもいい町でした。わたしは地方都市を散策するのが好きなのですね。
この本に出てくる場所で行ったのは、北上鬼の館とか鶴岡のアマゾン館とか。あ、描写はなかったけど、秋田で栗駒ファームのソフトクリームを食べたとのこと。うまいですよ!
今ではひとり旅なんて無理でしょうが、わたしはひとりで食事をするのもぶらぶら歩きまわるのも嫌いじゃないです。そういえば、行ったことのない県の方が多分多いですね、わたしは。関東より南には、三回しか行ったことありません。

「光とともに…」ほかまんが数冊

2009-03-29 05:21:39 | コミック
まんがばっかり読んでましたー。
まず、「光とともに… 自閉症児を抱えて」(秋田書店)。自閉症について詳しく知りたいという方に強烈におすすめです。特別支援学級の先生にも読んでもらったことがありますが、こういう作品を読むと「知ること」「理解すること」の大切さをつくづく感じます。
今回は光くんの妹花音ちゃんが、差別的なことを言われて傷つくという事件を中心に、「思春期」を迎えた彼らが直面する悩むを多方面から取り上げています。
幼なじみのエリちゃんは、両親の不仲(暴力)に苦しんでいて。ある日産婦人科の前で小学校時代の養護教諭とばったり。そして、アイドルになったかなたくん(田中海七太っていうんだよ!)と仲良しだった太田さんは……。
子供の悩みというのは、小さい頃の心配だけではないんだな、ということがよくわかります。青年になっても結婚してからも、親としての思いは途切れないのでしょう。うーん、うちのちびすけたちも、べたべたできるうちにべたべたしておこう。
このまんがは、母親である幸子の視点で描かれています。彼女がえらいなーと思うのは、終始一貫して「息子のことを理解してもらえるように努める」こと。おとなしそうな人なのに、行動力がありますよ。特担なのに自閉症を理解できない人には、アプローチの仕方だけでも変えてもらいたいとがんばるし、妹のクラスの子供にもわかってほしいと手紙を書きます。一年生に伝わるような手紙。
この作品は、自閉症の子供を持つ母親たちの体験から始まったものだそうですが、よくわからないのに中傷することの危うさを考えさせてくれると思います。自分もちょっとした言葉や行動で誰かを傷つけていないか、その人個人の持つ輝きを大切にしなければならないのだということを、振り返ることが必要だと感じました。


年に一度は古い本を始末しないといかんのではないかと、売りに行ってきました。70冊で 4700円。
でも、売っただけでは済まないんだよね。何冊か買ってきましたよ。
読みたいと痛烈に思っていた荒井裕子のコミックスが二冊あって。「双子座のふたり」「まわり道ひとつ」(りぼんマスコットコミックス)を入手です。
昔「真夜中の虹」を持っていたので、また読みたかったのですね。この時代のりぼんは何しろ「乙女ちっく」ですから、もうすっかり胸キュンです。
「道草寄り道帰り道」とか「シャドーロマンス」とか、読んだ覚えがある!
また地道に他のコミックスも探そうと思います。

咲香織「やまとの羽根」(アッパーズKC)①だけ発見。ここまで「スマッシュ!」に出てくるインドネシア人のパートナーは現れていないので、このあとどう続くのか気になってなりません。

今市子「五つの箱の物語」(朝日ソノラマ)。オムニバスです。でも今までたとえ今さんの作品でもBLは避けていたわたしが、買って読むようになったのは間違いなく「萌えの死角」の影響でしょうねー。
どの箱も個性的な中身でした。「笑わない人魚」も買うべきかしら。

「女が嫌いな女」週刊文春編集部

2009-03-28 05:49:38 | 総記・図書館学
文春のアンケートというと、古くはOL委員会。今は千人アンケートというのをやっているらしいです(過去形かもしれないけど)。
今回は新書の「女が嫌いな女」(週刊文春編集部・編)を読んでみました。なんか下世話なものを読みたくなるとき、あるよね。幻冬舎文庫のOL委員会でも似たような企画をやってたような。(そういえば、最近出てませんね、新刊)
もう、今、しか流通しないと確信を持ったようなツクリで、読者アンケートした500人とか1000人とかの意見をもとに「嫌いな芸能人」「嫌いなイケメン」などを紹介しているわけです。
「嫌いなイケメン」「好きなイケメン」ともにトップは木村拓哉。
時代劇なのに、トレンディードラマと変わらない台詞まわしに対して、「時代は牽引できても、時代劇の牽引は無理か」! 笑いました。
有名人だけではなく、対立する関係にある立場の方々がどんな意見を持っているか、も紹介されます。
例えば、嫁・姑、上司・部下・OL・派遣、教師・親、店員・客。
違う視点で見ると、こちらが「被害者」ぶっているばかりでは終わらない、ということがよくわかります。いつ、加害者になっても、おかしくはないのだと。それほど「当たり前」と感じる価値基準は異なるのですね。
アンケートの中でインパクトがあったものを、二三紹介しましょう。
真空パックの梅干しにハエが付着していたというクレームがあり、お詫びにいくがどこにもその形跡がない。
「そしたらその女は『ハエは飛んで行った』と言う。真空パックの中でハエが生きていられる訳ないだろうがと怒りが込み上げてきました」
高校卒業後、担任教師から「お前がいなくなって寂しい。付き合ってくれ」というメールがきて、誰にでも同じようなことを言っているのだろうと、裸の写メを送るように返信したところ、本当に送ってきた。
「バレたら懲戒免職だぞ。それを賭けて送った。俺は本気だ」
その後付き合い出して近々結婚とのことだけど、これってハッピーエンドなの? ちょっと、こういう考え方の人とは仲よくできないような気がします、わたしは。

白石一文って……

2009-03-27 05:18:19 | 文芸・エンターテイメント
ごめん、やっぱり駄目だ白石一文肌に合わない! 読むべく努力しているのに、きぃーっ、この主人公、何様?! いらいらして仕方がない。だって不倫相手の女の子が新しい生活をしようとすれば、手放したくないとか言うし、しかも自分の家庭を壊さずに存続したがるし! さらに別な話では、妻が昔の恋人のもとに走ったのだけど、この男がDV! 暴力がエスカレートして、「金属バットを持って押しかけ警察沙汰にまで発展」したり、婚姻届けに無理矢理判を押させようとして「腕を捩じり、それで由利子の肩の骨が外れるという大騒ぎが起きた」りするんだよ!
しかし、いちばん許せないのは、そんな男に対して「そういう純粋さを持つ男だということぐらいは分かった。そんな人間でなければ、愛した女を本気で殴りつけたり肩をへし折ったりできはしない」! などというふざけた表現が現れたりするのよ! なんだそれは! そういうのは純粋とは言わないだろう。
ではなんと言うのか。
だめんず、だよねーどう見ても。もう、驚くほどあのまんがで展開される男女関係に似ています……。男の側からセンチメンタルなガラスを通して見るとこうなる感じ?
この人の作品について、トヨザキ社長が「正直書評。」で鉄の斧(ブックオフで百円で売っていても読むべからず?!の判定)を下していたけど、同感です。あー、この先読みたくないよー、さらにもう一冊借りているんだけど、そっちも五十ページ読んでやっぱり嫌になった。まったく共感できない!! こんなに感嘆符ばかりの文章、はじめて書いたよ……。
あ、言い忘れていましたが、タイトルは「不自由な心」(角川文庫)です。読まずに返すのは、失礼でしょうか……。

ここまで、昨年十二月に書いたものです……。しかし、あんまり罵倒しては、貸してくれた友人にいくらなんでも悪いと思ったのでブログには書きこみませんでした。
あれから三ヶ月半、当然のように読んでいません。
けれどわたしの良心が、つい彼女に告げてしまいました。
「借りた本、読み終わらなくてごめん。でも、白石一文の書く男が本当に嫌でしかたないんだけど……」
友人爆笑。そして、こんなことを言ってくれました。
「もしかして、わたし、ダメ男の出てくる話が好きなのかも! わー、なんか思い当たる節があるわー」
心の広い友人の言に感謝して、もうちょっと読んでみようかなーと思いました……。

「銭湯の女神」星野博美

2009-03-26 05:33:47 | エッセイ・ルポルタージュ
ほ、星野博美さん、女性だったのですね……。硬派な語り口から男性だと思っていました。すみません。職業写真家、も惑わされる要因になっていたかもしれません。いかんですね、固定観念に捕われていては。
ということで「銭湯の女神」です。帯には「掌編」と書いてあるけどエッセイだよね。もう固定観念ぶち壊されまくりの開眼エッセイです。
赤木かん子の「ポプラ・ブック・ボックス」で紹介されていて、すぐ本屋に走ったけど文春文庫版は見つからず。でもぜったいこのタイトル見たことあるから! と探しましたよ。よかった、図書館にあって。
でも、目次と本文の一部に書き込みがあって、ムッとしました。公共のものを大切にできない人がいるのは腹立たしいですよね。見つけたら消しゴムかけています。
星野さんの考え方は、いろんな側面から見つめた上で導き出されているような気がします。写真を撮ることと共通するのかな。
とにかくいろいろなものについて考えます。ゴミ捨て場、テーブル、擬装結婚……!
星野さんが憂えているのは自分が「大女」であること。ショートカットなのでしょっちゅう男に間違われ、なぜか日本国籍の人とは思われず、困惑しています。
あーっ、わかるよー! わたしも大女なので……。身長、「高い」とは言われません。「デカイ」と言われるのです。くぅっ……。
銭湯に通う星野さんには顔見知りがたくさんできますが、話したことのあるのは「美人母子」だけ。常連の「ふき子」の生命力あふれる裸体に圧倒され、フリースペースの荷物を見て考察する。そんな日常もおもしろいです。
後半に行くにつれて、自分の駄目駄目ぶりを嘆く内容が増え、うどんに溶き卵を入れようとして沸騰するまで待てずに、白濁したつゆをやり切れない思いで見つめ、一生夏ならいいのに……と呟いたり(冷たいうどんしか作らなくてすむからです)、いざとなれば実家に帰ったり他の場所に引越したりして「リセット」できてしまうことを「エセ貧乏」と表現したりもします。
わたしが今考えていることにいちばん近いのは、その二つに挟まれた「新しい歴史教科書」かもしれません。
中学一年生のころのことです。
星野さんのクラスの担任であったF先生は、生徒に教科書をしまわせてこう言います。
「教科書をうのみにしないでください。そして、歴史をうのみにしないでください」
「世界の何千年の歴史が、このたった一冊の教科書の中に入っているんです」 「ある場所で何かが起こる。それを誰かが記録する。そして大勢の人間が集まって会議をし、これは教科書に入れよう、これは削除しようと話し合う。自分たちに都合のいいことを入れたり、都合の悪いことを消したりするわけです。そうしてできたものが教科書です。皆さんには、そのことをいつも覚えていてほしい」
「なぜそんなことが起きたのか、ここで書かれていないことは何なのか、それを考えてください」
わたし自身、新年度の変わりめに、ちょっと落ち込むことがあって、それが刺のようにどこかに刺さったままだったのですが、いろいろ考えるうちに「他のひとと比べる必要はない」ということに気づいて少し楽になりました。この思いにたどり着いたのは、中一の女の子が「小学校のころは国語が苦手だったけど、みんなと同じ意見じゃなくていいんだと思ったら楽になった」と書いてくれたことが大きいと思います。
教育というものがもつ力は、それを支える人のものの見方で大きく変わります。何を大切にしているのか。何を切り落とすことになるのか。そして、受け取る方はまた、自分の持っている視点によって一人ひとり違うのです。
星野さんはF先生のこの言葉を、二十年たって振り返るのです。
「今思えば私が受けた義務教育期間中の最大の事件だった」
時が経たないと見えないものもあります。
見る・語る・読む。星野さんの鋭い洞察力に、読者は多分いろいろなものを発見できると思います。でも、目を留める部分は一人ひとり異なるはずです。それでいいんだし、それがいいんだとも思うのです。

ところで、これによく似た題名があるような気がしてずっと考えていましたが、やっとわかりました。杉浦日向子「入浴の女王」。

「ふたつの名前」杉村比呂美

2009-03-25 05:19:31 | ミステリ・サスペンス・ホラー
わたくし、物語中盤でたいへん不安にかられまして。
もしかして、これは今わたしが想像した通りの真相? このまま話が続いていくの? いや、でもまだ半分残っている訳だし、どんでん返しがある可能性……と思ったけど、なかったです。
見方を変えました。
わー、これはずばり「ワイドドラマ」でしょう。探偵役の梶村さんを主人公にして、その捜査の過程を探るのはどうでしょうね。そうでなければ、保奈美が自力で真相にたどり着いてもいいんですけど、うーん、難しいかな。この間「逢わせ屋」で似たような境遇の人を取り上げていましたよ。
松村比呂美「ふたつの名前」(新風舎)です。ある書店に行くたびに何度も何度も目に入ってきて……。つい買ってしまいました。結構サラっと読めます。でも、わたしが漠然と考えていたストーリーとは違っていたし、話の展開がすっかり読めてしまうので、お勧めできるかどうか。
いや、ワイドドラマとしてなら充分楽しいですよー。伯母や顧客のサナエさんもいい味出してます。エンディングが急ぎ足なのも、そう考えれば納得がいきます。
でも、パッケージ買いするには過大広告だよね。帯の惹句「読み終えたとききっと家族の優しさを疑う 平穏な家庭に潜むふたつの優しい殺意」。そうかぁ? 殺意は潜んでないでしょう。衝動的な行動なのではないですか。
しかも、タイトルがこうなんだから、てっきり保奈美には隠されたもうひとつの名前があって……と考えるのが人情ではないですか。あの人の「ふたつの名前」だったとは。
わたしが題名から漠然と予想した物語は、幼いころの記憶を失った少女が周囲の違和感に過去を取り戻していくサスペンスだったのです。「ガラスの仮面」でいえば姫川亜弓がテレビドラマで演じていた「虹の追憶」みたいな。
登場人物が書き割り的であることも気になります。母親の美紀がPTAの仲間たち(広報を作ったメンバーだそうです)と、保奈美の中学卒業後十年近く月一で会ってランチを食べているというのも、なんのために設定されているのかわからなかったのですが。美紀の性格を伝えるため? ラストでの伯母の登場のため?
母と娘の交互視点にしていく必要性もそれほどは感じなかったし、波多野氏が結構けろりとしていますよね?
すみません。でも、楽しんで読みました。ドラマの鍵は茨城だそうです。ところで、今ワイドドラマって何曜日に放映しているの?

「つくもがみ貸します」畠中恵

2009-03-24 05:27:44 | 時代小説
何かに凝っているとき、ふと冷めてしまうと継続はなかなか難しいものです。
あ、そんなにたいしたことではないのですが。去年の三月、近藤史恵作品にどっぷりのめり込んで、ものすごい勢いで読んでいたら、四月にはまるで本を読む気力がなくなりまして。十日くらい読んではやめ、別の本を手に取り、やっぱりやめ、というのを繰り返していたのです。
あらー、わたし、このまま読まなくなるのかしら。他に趣味なんてないんだけど……と思っているときに、すっと入ってきたのが、畠中恵さんの「まんまこと」(文藝春秋)だったのです。
その後、ペースはもとに戻りました。よかったよかった。
考えてみると、畠中作品はほとんど読んでいます。ほぼ借りて、ですが。
今回は「つくもがみ貸します」(角川書店)を借りました。章題が凝っています。「利休鼠」「秘色」「蘇芳」など。色、モチーフ、扉と揃えてあるのが楽しかった。
古道具屋兼損料屋出雲屋を切り回すのは、お紅と清次。出雲屋の古道具の中には長年の間に生命を得て「付喪神」となったものが多く、口々に噂話をするのです。いわく「鶴屋には女が化けて出る」、「蘇芳の香炉は不思議にも、消えてしまった」等々。
お紅はその蘇芳の香炉を探していて、清次にはそれが気にくわず、付喪神たちはそのことをしばしば噂し合います。
その背後には、蘇芳という俳号を持ち、現在行方知れずになっている男の影があるのですが……。
しかし、この人の印象が、最初と中盤で変わったように感じたのですね。もっとぴりっとした感じをわたしは持っていたのですが、結構本人とは違う感じだし。展開を見た後では、始めのころにどうしてお紅がこんなにも執着しているのかがわからない。ただ負けず嫌いだから?
それから、ひとつ許せないことが。「なので」に対して敵愾心を燃やすわたしとしては、江戸時代のしかも付喪神が「なので」と語っているとむらむらと怒りがわいてくるのです。
お前のことだよ、黄君!
「なので」は付属語ですから、語頭にはつきません。文節を作ることもできません。ですから、「なので、心配していた」なんていう用法は間違いです。
でも、宮部みゆきも矢崎在美も平気で使っているのですよね……。さらに某有名大学附属小学校の、漢和辞典に付箋を貼る指導を提唱しているF先生も使っていたのでがっくりです。
わたしが思うに、この誤用が始まったのはここ七八年のところではないかと感じるのですが、あっという間に書き言葉まで席巻していますね。十年くらい前、「ですよねー」という相槌が流行り出して、その流れで「そう」「こう」といった副詞が省略される言葉が出てきたのではないかと推察しています。
まあ、それはともかく。
この話も「しゃばけ」もそうですが、妖と人とが非常に近しく、互いに助けあって問題解決にあたるあったかさみたいなものが好きです。読んでいると自分もその「お仲間」になったような気がしてきませんか?

「たったひとつの」斎藤 肇

2009-03-23 05:46:10 | ミステリ・サスペンス・ホラー
最初は、なんかすごく読みにくいと思ったのです。台詞の背後の気持ちをロジックで説き明かすような話ばかりなのかと正直不安だったのですが、一話一話違う構成で、だんだん読みやすくなっていきました。
斎藤肇「たったひとつの 浦川氏の事件簿」(原書房)です。図書館で何となく目について借りてみました。結構凝った作りをしています。各表題に表紙の一部と本文からの引用があって、通して見ないと部分も全体もわからないというメタファが隠されているように感じました。
浦川氏は神出鬼没。あるときは人を探して、あるときは占いめいたことをしています。不思議な人です。連作をつないでいるのは、町で起きた「たったひとつの」殺人事件。これが重低音のように流れていくのです。
わたしが好きなのは「どうでもよい事件」。人々の会話の断片から真相を解きほぐすという傾向のミステリが好みなのでしょう。
「閉ざされた夜の事件」も、結構おもしろく読みました。
そして最後の「浦川氏の事件」ですべてが明かされるのです。作者がここまでいかにミスリードを誘うような伏線を張り巡らしてきたかがさらりとほどけて、「やられたっ」という驚きが残ります。
わたしは連作短篇の形態が大好きなので、この作品はおもしろかったと思います。でも、読んでいると無性に眠くなるのは何故なのでしょう……。頭から読み返してみて、朦朧として読み飛ばした場面をいくつか発見しました……。

「新参教師」熊谷達也

2009-03-22 06:38:35 | 文芸・エンターテイメント
昨年の宮城県公立高校入試、出題の小説文は、熊谷達也「はぐれ鷹」だったそうです。
熊谷さんも地元の作家なんですが、「新参教師」しか読んだことありません。いや、これは結構おもしろかったんですけどね。こういうコメディーばかりじゃないんだろうなーと思いつつ。また今度試してみようとは思っています。
熊谷さんも、もともとは東京で数学の教師をしていたのですよね。だからかなりリアリティがあり、納得させられます。
もともとは支店長だった主人公が、教員として採用され、今まで自分が培ってきた「民間」との違いに戸惑う、というのが中心ですかね。なにしろかなり前に読んだので。読書ノートに残っているので、それを見ながらご紹介しましょう。
まず、はじめに職員室にきた彼が驚くのは、一人ひとりに末端がなく、「パソコンは自腹で購入」! あー、そうかも……。今でこそ学校備品が入っているところが増えてきましたが、この当時はそうでしょうね。
クラス分けの資料に書いてある記号も笑いました。ハートマークは「色気づいている女子」、タコみたいなのは「宇宙人」(考え方が理解できない生徒という意味だと思います)だなんて!
でも夏休みはもっと仕事あるでしょう。
わたしはこれ、熊谷版「坊ちゃん」だと思うんですけど、気のせいですか。
主人公の視線が生徒をまるで見ていないことがまず気になります。これは小野寺先生の言う通り。「裏リーダー」の少年がこれからどう関わってくるのか期待していたのに、肩透かしをくらいました。同僚のことばかり目を向けてああだこうだ言ってるし、結局退職してしまうというところも似ています。
でも、彼の見方が正しいとするなら、この学校の人事はめちゃくちゃです。三年担任で研究主任に使えない人を据えているわけでしょう。「給料ドロボー」って話だけど、どうなんでしょう。調査書書けない人でいいの?
支店長あがりで「数学が楽しい」と生徒に言われるのは、やっぱりやり手なんでしょう。今度の学校(再び教採試験を受けるのです)ではきちんと生徒に向き合ってほしいですね。
一話ずつの連作で、読みやすかったです。気取らないコメディーだと思いました。表紙の学校、見覚えがあるように思ったのですが、どこの学校も似たようなエッセンスがあるということでしょうか。