くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「動物園をまるごと楽しむ!」今泉忠明・石和田研二

2013-01-31 05:31:04 | 自然科学
 動物園の本、ふたたび。今泉忠明・石和田研二「動物園をまるごと楽しむ!」(新風舎)。
 絶滅動物の本などでおなじみの(わたしにとっては、かもしれませんが)、今泉先生に加えて、オカピの繁殖で名を馳せた金沢動物園の石和田さんが執筆。わたし、余程動物園が好きなんでしょうか。
 実は、隣席の美術の先生が、動物をモチーフに作品作りをさせたいというので、少し借りてきたんです。昨今、なかなか調べものの宿題をやってこない生徒が多いので、できるだけ資料はほしいとのこと。
 写真がメインの図鑑も借りたんですが、作業終了後にこの本を読んでみたらおもしろい。ついつい読みふけってしまいました。
 カバが血の汗を流す。聞いたことありませんか? これは、汗腺が消失してかわりにピンク色の体液を分泌するようになったため。汗ではなく乾燥しやすい皮膚を覆って、紫外線や細菌から身を守るんだそうです。
 孫悟空のモデルといわれるキンシコウという猿。トルコ皇帝の愛妾だったロクセラーヌの名にちなんで学名がつけられたとか。ソマリアで豹の子をもらった寄生虫学の権威が帰国。豹もペットとして飼われていたけど、やがて多摩動物公園に預かってもらうことに。数年ぶりに訪ねたときには遠くから彼の姿を見つけて喜んでいたそう。アルマジロも縄張りを主張する動物で、檻をきれいにしすぎるのは駄目。マーキングのために脱水症状になることもあり。
 群れで狩りをするドールという種が気になります。ズーラシアではその特性を生かして多頭飼いしているんだって。アジアのアカオオカミとのことで、写真を見ると犬に似ています。
 動物は家畜やペットではないので、野生の特色も残しておかなくてはならない。一見可愛らしく見えるホッキョクグマの檻に入り込んだ二人の少年は、クマにころされたそうです。危険な動物の檻に直接入って世話をするのは自殺行為です。飼育員も間接的に関わっているんだって。
 それぞれの動物に特性があって、さらに個体ごとの違いがある。興味深いなあ。
 実際に動物園に行っても、さらっとしか見ないんですけどね。全国各地に意匠を凝らした施設があるのでしょう。いろいろみたいものです。

「ありがとうの詩」3・11大震災復興支援企画

2013-01-30 05:15:09 | 詩歌
 恩師菊田郁朗先生の作品が、曲をつけてCDに収録されているというので、なんとか聴いてみたいと思っていたのです。授業にいったら、A先生の本棚に「ありがとうの詩」が置いてあって、お願いして借りました。教え子のおばあさん(新聞店経営)からいただいたとのこと。そう、河北新報社刊なのです。募集作品の発表も紙上で読みました。菊田先生の詩が選ばれているのも、それで知っていたんです。
 わたしがCDを聞ける環境といえば、通勤の車の中しかないので、BGMのようにかけながら聴きました。菊田先生の「この風の向こうに」は、合唱曲のような一曲に仕上がっていて、繰り返し聴いて覚えています。
 雄勝中の太鼓演奏をはじめ、バラエティに富んだ楽曲が楽しい。八曲のあとに、今回の最優秀作品五編の朗読がついています。
 本当になんとなく、運転しながら聞いていたのです。
 その詩は、いただいたものへの感謝の言葉で綴られていました。
「花のなえありがとう/お母さんとはちに植えました/花が咲くのがたのしみです」
「やきそば作ってくれてありがとう/おいしくいっぱい食べました」
「応援の言葉ありがとう/心が元気になりました」
 そのあと、朗読の渡辺祥子さんの声が詰まります。「最後に/おじいちゃん見つけてくれてありがとう/さよならすることができました」
 耳に残った声に、なんともいえない哀切。このときは全くの誤読だったのですが、わたしには海辺を、孫を探して歩くおじいさんの姿が浮かんでいたんです。
 震災で身内を亡くした方の詩は多かったのですが、この一節が頭から離れず……そのあとすぐに冒頭の歌「ふるはな」が流れ出して、ぼろぼろ泣きながら運転しました。 
 「ありがとう」。作者は菊田心。菊田先生と同じ苗字なので耳に残ってたんですね。血縁ではないと思うんですが。
 職場に着いて、ふと新聞の地域別紙を見たら、「気仙沼の菊田心くん(六年生)」がアイデア貯金箱のコンクールで表彰されたことが載っていました。偶然なんですが、なんだか不思議ですね。
 家で「ありがとうの詩」を読み直したら、心くんはおじいさんを震災で亡くし、2ヶ月後に遠くから応援にきてくれた警察の方に遺体を見つけてもらったと書いてありました。胸の奥が痛みます。
 何度も書店で見かけてはいたのですが、この本、自分の本棚に置きたいと思いました。A先生、貸してくれてありがとう。

「はぶらし」近藤史恵

2013-01-29 05:27:27 | 文芸・エンターテイメント
「三十代の女性です。もう十年も会っていなかった高校時代の部活仲間が、急に子供を連れてやってきました。離婚して、仕事もないそうです。一週間居候させてほしいと言われて、断れませんでした。彼女にはぶらしを貸してほしいと言われたので、引き出しにあったものを渡したのですが、翌日コンビニで買ったといって、そのはぶらしを返されました。わたしの常識では、普通なら買った方のはぶらしを返すのではないかともやもやしています。心が狭いのでしょうか」
 読売小町なら相談のレスが殺到しそうな、近藤史恵「はぶらし」(幻冬舎)。
 そんな女、早く追い出してしまえぇっー、と読んでいるわたしもいらいらしてしまいます。もう、一週間といいながら、仕事が決まらないといい、息子が熱を出したといい、知り合いが仕事を世話してくれそうだと話せば、断りたいという。な、何様? しかも、独身でシナリオライターとして稼ぐ主人公は恵まれているのだから、自分たちにくらい親切にしてもいいではないかとか、なんかこう、嫌ーなところをついてくるのですよね。さすがは近藤さん。
 いろいろ悩んでいるときに、やはり高校時代の友人から、その子は万引きで有名だったんだよ、と知らされる。仕事が決まるまでいていいなんて言うんじゃなかった! という後悔なんて、絶妙です。
 だんだんと暮らしていくうちに、価値観がゆらいでくる。お風呂は追い炊きをした方がいい。食事はきちんと作るべき。
 息子というのは、七歳のわりにはおとなしい、耕太という子なんです。主人公はこの子を不憫に思っているけど、ずっと一緒に暮らせるわけはない。結果的に父親に引き取られていきます。
 このときの耕太は、母と暮らしたい、父は嫌だと悲しみます。
 わたしはてっきり、七章で終わったと思っていたんですが、ラストに十年後の再会が描かれています。そういうことだったのだな、と思う場面がいくつか明かされる。成長した耕太の言葉は、あの少年が高校生になったらこう話すだろうと感じられますね。この部分があることで、生活の奥行きのようなものがあるように思いました。
 スカイエマさんのカバーなのに、なんだかぴんとこない。それが残念です。

「白ゆき姫殺人事件」湊かなえ

2013-01-28 05:28:58 | ミステリ・サスペンス・ホラー
 読み終わって、悪夢から覚めたような気分です。
 アカホシ許せねえ! と夕子ちゃんのごとく怒りがわいてきますね。
 湊かなえ「白ゆき姫殺人事件」(集英社)。ベタなワイドドラマみたいなタイトルですが、なんといいましょうか、証言の恐ろしさを感じさせられる小説です。
 事件名は「しぐれ谷OL殺人事件」。白ゆき石鹸で人気の化粧品会社の美人OLが滅多刺しの遺体で発見されます。同期の女性が、母の危篤を理由に休んでいますがそれは嘘だとわかる。同じ会社に務める後輩の友人であるフリーの記者が、その同期の女性を疑って取材をする、という構成です。表面的には。
 これ、前半が台詞を主体とした小説(雑誌連載)、後半がネット環境と週刊誌記事を羅列した読み物(Web掲載)になっているんですよ。どちらも読むことによって、特ダネを狙う余りアンフェアな記事を書くライターが浮き彫りになる。その記事を読んで衝撃をうける同僚女性は、いつの間にかネット上で本名も経歴も曝されている。よく読むと、彼の交流ページで、最初に「城田さん」と名指ししているのが、最初に出てきた友人であることがわかります。
 とすると、事件の犯人が「城田さん」であると思い込ませるような状況に引っ張っていくのが見えてくる。読者にとっては、犯人が違う人であることは自明な訳です。最初の立ち位置とつてのあることから、「城田さん」の取材を続ける記者ですが、真犯人が発覚すれば当然名誉毀損です。しかも、おもしろおかしく証言をねじ曲げる。正論を語ったり彼女をかばったりした人の言葉からは、いちばん抜き出してほしくない部分を取り上げるのです。
 自分を信じてくれる人、と思っていたのに、裏切られた思いを抱く城田さんは、故郷も友人も信じられずに姿を隠します。メディアに曝された自分は知らない人のよう。でも、他の人から見るとそうなのだろうか。
 なんだか恐ろしいですね。いや、湊さんだから恐ろしいのはわかっていたのですが。
 小説のパートとメディアのパートと、合わせて読むとわかることはありますが、なんだかすっきり解決とはいえない。典子に対しての人々の思いとか、典子本人はどうだったのかとか、もっと読みたい気がします。
 うーん、でももっと気になるのはこのあとですよね。書かれないけれどつながっていく未来。悪辣な捏造記事、夕子ちゃんの復讐、そして、城田さんがどうやって自分を取り戻していくのか。書かれない物語の明日が読みたい。
 現実も、ニュースやワイドショーの陰に隠れて見えてこない、誰かの苦しみがあるのかもしれません。

「あんじゅう」宮部みゆき

2013-01-27 06:41:48 | 時代小説
 二三日前には読み終わっていたんですが。
 どうも再読だと似たような感想になってしまうんですよね。先日、娘が生まれたときの読書日記を見つけて読み直したんですが、今同じ本を読んでも感想は変わらないであろうと。ちょうど「くらのかみ」と「過ぎる十五の春」の感想があって、びっくりするくらい同じことを言っている……。
 前回「あんじゅう」を読んだのは二年前。もうこの日記を始めております。被るところがあるかもしれません。
 ただ、わたしはそのあとに青野利一郎の過去を読んでいます。(「ばんば憑き」も読み返そうと思っています。ただ、図書館にいったら貸し出し中だった)
 かつて仕えた那須請林藩のことを語るとき、ふと苦渋が滲むのを感じました。宮部さんが「あんじゅう」を書くとき、もう青野の過去は出来上がっていたのだと感じました。
 前回読んだときと印象が変わった部分といえば、越後屋の清太郎さんがこちらではそんなに目立ってないと思ったことでしょうか。前は、清太郎さんと青野の若先生のどちらがおちかのお相手候補なのだなと思ってたんですが。あと、意外におちかが「よしすけ」という名前にこだわっていることに驚きました。
 そうですね、今回もっとも心ひかれたのは「疱瘡神の嫁」と呼ばれるお勝さん。もがさにかかって生き残ったことで、「縁起物」としての人生を送ることになった経歴を、なんとなく前回は受け入れられずにいたように思います。でも、お勝自身がその人生を全うしようとしている姿、いたずら坊主三人組にも優しい姿に、ほっとするといいますか。
 おしまさんの毅然としたところもすごい。若先生や行念坊をも恐れない三人組が、おしまさんを「鬼婆」なんて……。
 それから、くろすけがとろろをかぶってしまう場面が本当に可愛くて。人嫌いだった大先生が子供と関わっていこうとするところもそうなんですが、しんみりとした優しさとか情けとか、そういうものが伝わってきました。
 このところ、宮部さんの記事に触れることが多いような気がします。借りてきた「評伝ナンシー関」の冒頭、宮部さんのインタビューが。それによると、「テレビ消灯時間」の解説を書いたとある。その巻持ってますっ。というより、先日掃除したときに見つけて、読もうと思って出しておいたんです。読まなくては。「ボツコニアン」も借りたから、読まなくては。
 あ、「おそろし」とは出版元が違うんですね。同じシリーズでも。前者は角川でしたが、「あんじゅう」は中央公論です。

「聞く力」阿川佐和子

2013-01-26 10:08:42 | 言語
 昨年図書室に配架しました。もっと話をきちんと聞く力をつけさせたいなと思って。
 年間ベストセラーでしたね。でも、本校では誰も借りていきません。くぅっ、それならわたしが読んでPRしなくては、と読みはじめました。阿川佐和子「聞く力 心をひらく35のヒント」(文春新書)。
 勘違いしていました。どうすれば講義内容を自分なりに整理できるのかが書いてあるもんだと思ってた。インタビューを通して阿川さんが感じた会話の仕方がメインです。予想外ではありますが、楽しい本ですよ。対話はやっぱり授業でも生活でも基本です。
 先年研修で「インタビューゲーム」を習ってきました。四人一組になります。一人が質問される役、残りの三人は質問者です。この三人に順番をつけます。最初の人は自分の気になることを聞きます。次の人はその答えから質問を考えて聞きます。さらにそこから派生した質問を最後の人が聞く。順番をかえて何回かやります。おもしろいよ。
 職場体験とか高校見学とか、中学生が質問を考える機会は結構あるんです。でも、それを事前に用意した順番でしか訊けない。広がっていかない。
 阿川さんは自分の体験から、「質問の柱は三本」とおっしゃいます。相手の話したいことを楽しく聞くのが、彼女の姿勢のように感じました。
 遠藤周作さんの話が最後にあるのですが、楽しい話をたくさんしたあとに、
「一見、躁病的軽薄に見えるこの話のなかに、実は奥深い意味と象徴を見つけることのできる読者と、それができない読者とがいるでしょう」と話された。
 わたしも遠藤さんのエッセイをよく読んだ時期があります。果たして自分にはそれが読み取れていたのか。
 また、遠藤さんはインタビューでは具体的な話を大事にしていたとも話されます。「わかる!」と書きたいところですが、安易に「わかります」と言わないことと本文にあるのでぐっと我慢して。
 具体のおもしろさは本文全体にちりばめられています。ショーケンのお遍路さんの話、渡部篤郎の受け答えに自信を失いかけていたら「話しやすい」と言われた話、浜口京子のお母さんからの言葉、河合隼雄の精神科医としての話(アドバイスをするよりもじっくり話を聞く方がよいそうです)、時には作り話をしてまで(笑)、例を出しながら伝えてくださる姿勢。読者としては、やっぱりいろいろなエピソードがある方が、その人を理解しやすいですね。作文もそうですが。抽象を書くには、やはり具体が必要なのです。
 「慰めの言葉は二秒後に」「先入観にとらわれない」「オウム返し質問」「観察を生かす」「知ったかぶりをしない」などなど結論もわかりやすい形で示されていて、勉強になります。
 阿川さんのインタビュー、テレビや雑誌で見る機会が多いのですが、まとめて読みたくなりました。
 

「幕が上がる」平田オリザ

2013-01-24 21:51:23 | 文芸・エンターテイメント
 あああ、すごいおもしろかった。読み出したら止まらなくなって、一気に読みました。平田オリザ「幕が上がる」(講談社)。舞台は高校演劇。普通に部活をやっていた高橋さおりは、三年生引退後部長に選ばれます。五人の演劇部員と、とりあえず県大会出場を目標に、ちょっとだけ公演のチャンスも増やそうと決めました。
 三年生に進級し、顧問の溝口先生が新任の美術教師吉岡先生に副顧問になってもらおうと言い出します。ものすごく美人の吉岡先生は「学生演劇の女王」の異名があり、その指導で部員たちはめきめきと腕を上げるようになるのです。
 この「稽古」の様子が楽しくて! あー、わたしも演劇部に入ってエチュードやってみたい、と思わされてしまうんですよね。
 誰かと出会う、とりわけ良き指導者と出会うことは、人生を変えるほどの出来事になりうるとわたしは思います。この物語も、さおりが演出家としての視点を獲得してからどんどんスピーディーな展開になって。
 いや、あの、転校してきた女の子を演劇部に誘うとか、講習会に行くとか芝居を見るとか、台詞を考えるとか、ずーっと演劇のことしかしないんですけど、それが滅法おもしろいんです。みんないきいきしていて。中心に吉岡先生がいて。
 仲間たちの輝きで舞台が完成を迎えていく。地区大会を抜け出せなかった部が、県大会出場を決めたその一瞬後に突きつけられる裏切り。この展開。
 でもね、なんとなくこの先生は、「風の又三郎」なんだろうと思ってはいたのです。よそからやってきて、何かを残して去っていく。
 吉岡先生の語る劇についての言葉が、ざくざくと胸に迫るんです。
「一人ひとりの俳優の個性を見て、きちんと指示を出してくれるの。抽象的なイメージの指示だったり、具体的な動きの指示だったり、それは演出家それぞれなんだけど、でも、それが一つ一つ、その俳優に合ってるの」
「戯曲を書くってことは、たぶんにじみ出てくるものがあるって信じることなんだよ」
「答えは稽古場に転がってるよ」
 魅力的です。
 劇中劇もいい。メインになるのは、「銀河鉄道の夜」です。読んでいて、そういえば五年くらい前に芸術鑑賞会で見たなーと思い出しました。鳥取りの台詞に「今こそ渡れ」というのがあって、「そうか、これは係り結びになっているんだ!」と突然気づいたんですよ。
 学生の頃は野田秀樹さんが好きで「野獣降臨」とか見に行ったんですが、最近はご無沙汰ですね。あ、三年に一回くらい学年の行事で「わらび座」に行ったり「劇団四季」でミュージカル見たりはしています。
 この作品も非常に演劇的だと思いました。小説だともっとディテールがあるような感じになるのでは。人物の登場の仕方や会話、動き、それから台詞まわし。本番に向けての準備すらも。この懐かしいような熱気があるからでしょうか。
 とにかく読んでよかった。小道具のクルミとかキューブボックスによる舞台装置とか、自分も部員になったようでわくわくします。わび助もユッコもガルルも中西さんももう仲間みたいです。わたしが彼らの中の誰かを演じられるのなら、二年生の明美ちゃんがいいなあ。
 それから、ほんのちょっとしか出てこないんだけど、袴田くんという後輩の妹が存在感あって好きです。公演を見てクルミのシーンに号泣。翌年一年生ながら新しいジョバンニに抜擢されます。
 高校演劇の全国大会、翌年なんだそうです。だから、予選に出ていた三年生は卒業しちゃう。それでも彼らは演じるのですね。
 秋田県の有力顧問で、社会問題を取り上げつつ、恋愛や進路について話した話題がそこに絡まりついてくるシナリオを書く人がいる、というエピソードが好きです。自分も主宰する劇団があり、全国大会常連。そんなのずるいという人もいるけど英語教師をしながらなので規定を無視しているわけではない、という。
 ああ、まだ語りたいことはいっぱいあるのに!
 いい本に巡り会えてよかった。 
 

「怖い本と楽しい本」1998ー2004

2013-01-22 21:43:04 | 書評・ブックガイド
 わたしが間違っておりました。
 数ヶ月前、仙台の書店で発見してよっぽど迷った結果買わなかった本があります。「毎日新聞『今週の本棚』20年名作選」(毎日新聞社)。
 執筆者が豪華で、高島俊男先生をはじめ、杉浦日向子、三浦しをん、池澤夏樹……。買うかどうか逡巡して、でも3500円もするような本は手が出ないと諦めたのです。
 今日、部活がなかったので図書館にいったら、その本があるではないですか。おおおっ、と思って借りてきたんですが。
 あれ? 高島先生も三浦しをんもいないぞ? 杉浦さんは一カ所しかない。あれれ? 立ち読みしたときに索引を見たら結構あったような記憶があるのに。と思って索引みたら、ここには項立てすらありませんでしたよ。どういうこと?
 冒頭の、池澤さんの文章を見て想像するに、どうもわたしが逡巡した本と今回借りた本は違うらしい。なにしろ「20年名作選」ですからね。そのうちの1998ー2004ですから、七年分しかない。三巻本みたいです。多分これは二冊めでしょう。丸谷才一・池澤夏樹の編集「怖い本と楽しい本」。
 学校では地方紙と毎日新聞をとっているので、ときどきスクラップして掲示板に貼っております。学習とかスポーツ選手の講演の概要とか、本に関わる情報ですね。そのときに書評欄も読んでいます。
 ただ、こうやって一年をダイジェストでまとめると、これがもう「ほとんど読んだ本がない」んです。
 最近、自分の書評の読み方は「読んだことのある本の感想を知る」であることに気づきまして。これから読みたいような本を求める機会が少ないように思いました。新聞紙上ならまた違うんでしょうけど。
 一枚一枚タイトルと評者を見て、読んだことのある本をチェックしていくと、あらら、ただ開いただけのページのなんと多いこと。困ったな。「漢字と日本人」「半七捕物帳」「似顔絵物語」くらいしか読んでないんですよ。
 だから、この本自体を「読んだ」とはとても申せません。あ、一応この記事以外にも「苦海浄土」とか「東電OL」とか井上光晴やイサム・ノグチについてなどちょこちょこは目を通したんですが、自分の読む範囲の狭さを感じています。まあ、狭く深くの精神でいきたいところですかね。
 三冊めをなんとか探したいと思っています。

「旅猫レポート」有川 浩

2013-01-21 05:31:54 | 文芸・エンターテイメント
 あらすじを聞いたときには、猫が飼えなくなった少年が、新しい飼い主を探して旅に出るものと思っていました。サトルって三十歳なのね。だってこの表紙、村上勉さんなんだもん。コロボックルシリーズの印象が強いのです。(実は読んだことないけど)
 このシリーズについても文中で紹介され、児玉清さんや「子猫物語」などにも触れてあります。有川さんがいろんな想いを込めて書いているのだと感じました。今回はあとがきがありませんね。なんとなく、有川さんはこの物語が生まれる背景を書かないでおいたのではないかと思うのでした。
 「旅猫レポート」(文藝春秋)です。やっぱり仙台でサイン本を買っておけばよかった。新聞の書評欄でも「ハンカチのご用意を」と書いてありましたが、最終章を読みながら涙が止まらなくて。わたし、猫を飼ったことはありません。ただもう、このナナという猫と、サトルとの絆が。ホスピス(だよね?)に入ったサトルとの最後の時間を過ごすために叔母の家から逃げ出していく果敢な姿が、愛おしかった。
 野良猫だったナナは、サトルと出会って五年間を過ごします。でも、事情があって飼えなくなる。そこで、改めてナナを託すことのできる人を探すことに。小学生で両親を亡くし、叔母に引き取られたサトルは、何人かの友達を選んでメールします。
 「僕の猫をもらってくれませんか?」
 幼なじみのコースケ、中学時代の友人ヨシミネ、高校で同級だったスギとチカコ。それぞれ大人になって、自分たちの道を歩いている彼らのもとへ、サトルはナナを連れていきます。海の潮騒に怯えたり富士山の壮大さに感心したり、ブラウン管テレビの寝心地にうっとりしたり。
 ナナを託すといいながら、サトルにとっては古い友人に会うという目的も大きかったのでしょう。訪ねていきサトルの背後に、彼の人生を浮かび上がらせる。
 結構前の方で、なぜナナと別れなければならないのか予想はつくのですが、わかってなおぐっぐっと読まされる。サトルと友人たちとの関係、事件、心情、そしてナナへの想い。
 わたしはチカコが出てくるパートが好き。ここだけは富士山の近くと明示してありましたが、小中学校がよくわからないなあ。修学旅行先がそれぞれ京都と博多だから、関西圏とか中国地方? 四国?
 北海道の自然描写もいいですよね。ナナカマドのあたりや馬のあたり。鹿はわたしも見たことがあります。通勤途中で……。田んぼの畦道を走っていました。
 そうそう、ときどきナナの語りが「くるねこ」っぽくなるんですよ。須藤真澄さんを通じて親しくなったということなので、そのせいかな、と思いました。

「鬼の跫音」道尾秀介

2013-01-20 06:26:24 | ミステリ・サスペンス・ホラー
 実家にいます。娘を矯正に連れていったら、雪道のため先生が遅れているから3時過ぎるって言われました。くーっ。でも待ち時間に読んでいて、すごくおもしろかった。道尾秀介「鬼の跫音」(角川書店)。
 六編収録の短編集です。素直に読むと足をすくわれますよ。
 まず「冬の鬼」。ある女性の日記が淡々と綴られています。でも、不思議なことに日記はさかのぼって示される。

 一月八日
 遠くから鬼の跫音が聞こえる。
 私が聞きたくないことを囁いている。
 いや、違う。そんなはずはない。
 
 ここから、七日、六日、とさかのぼって元日までの八日間。「私」は「どんどや」と言われる正月の飾りを焚きあげる行事に出かけていき、願いがかなった証にだるまを火に投げ入れます。
「目ェは右も左も、ちゃんと入れたっちゃろ?」
 隣に立っていたお爺さんに言われるこの一言が、ラストで戦慄に変わる。
 「ありがたいことに、私は周囲から向けられる視線にはむしろ鈍感に育った」
 これも、意味合いが変わります。すごい。全編にわたるこの価値観の転換が非常に揺さぶられます。願いがかなったといいながら、七日で終わりにせず、冒頭の八日を加える辺りが全体に緊張感を与える。静かに近づいてくる鬼の跫音。二人のかくれんぼうは、終わりを迎えるときがくるのです。
 「春琴抄」を思い出しました。(ネタバレですかね?) Sさん執着心強そうだし。
 あ、そうそう、どの作品にも「S」という男性が主要人物として登場し、不吉な印象を与える鴉が現れます。こういう小道具のしかけ、好きですね。
 ある事実を隠して展開する物語の裏側を、読み終えたあとに考えてしまいます。