くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「みなさん、さようなら」久保寺健彦

2009-11-30 05:51:08 | 文芸・エンターテイメント
やっぱり、ナイトだったねぇ、悟くん!
久保寺健彦「みなさん、さようなら」(幻冬舎)。飲み会から帰ってきて、一気に読み終えました。
デビュー作にはその作家の全てがあるといいますが、確かに確かに。語り口やエピソードがその後の作品に反映しているような気がしました。
渡来悟という主人公の一人称で物語は進みます。どうやら、過去を振り返っているらしい。
とある団地に住む107人の同級生について、彼は語ります。この団地から同じ小学校に通っていた仲間です。六年生のときに一人いなくなり、残った子供たちも引越しや進学で団地を巣立ちます。櫛の歯が欠けるようにいなくなる同級生。彼らの動向を、悟はつねに気にかけ、毎日団地内を巡回しては詳細なメモをつけます。
この記録魔ともいえる性癖、「すべての若き野郎ども」の主人公とも通ずるものがありますね。おそらく作者もレポートを書いたりまとめたりすることが好きなのだろたうと思います。年ごとに団地を離れた同級生の名前が羅列されていますが、思うに一人ひとりの引越し理由やどんな人物なのかということを書いたメモがあるのではないかと考えました。悟の話の中には、突然同級生が登場し、どんな人なのかもわからないまま消えていくことがあります。それに不自然を感じないのは、悟には「当たり前」の光景であること、そんな小さな場面なのに、何となく顔が見えるからでしょう。
デビュー作とあって、人物紹介には少し説明不足の面もあります。最終的に回収されなかった問題もある。(中一のときに現れて面談した男は誰なのかとか、事件を起こした少年のこととか)
でも、それをさしおいても余りある魅力があります。まず、悟を取り巻く人物が魅力的。わたしはタイジロンヌの師匠が好きですね。ガールフレンドの松島さんもいい。
物語の構成も。実は悟、あきらかに語っていないことがあるのです。それを中盤まで気づかせないのがすごい。ひっかかっていたことが、ぱらりとほどかれます。あとは、大山倍達のエピソードの取り込み方がうまいですね。
これは、悟の話であると同時に、団地そのものの衰退を語る話でもあるのです。いなくなる同級生。空き部屋が目立ち、不審火がおこります。
この団地での物語で、いちばん美しいのは、停電の夜の場面でしょう。敷地内にあるグラウンドに、同級生たちが集まってきます。(ほかの人たちもいますが) たくさんの仲間と語り合い、笑い合い、悟はここで緒方早紀と再会します。わたしは、キューちゃんが叫ぶシーンが好き。
「みなさん、さようなら」
最後に、これは母親たちの物語でもあるのではないかと感じました。悟を心配し続けたヒーさん、薗田の母親、そしてマリアの母親。子供のことを案じていても、それぞれの行動は異なります。また、団地に住むたくさんのお母さんたちも、作品に色濃く存在します。
久々にちょっと遠い本屋さんに行ったら、この本がおすすめ本の棚にありました。そうかぁ、以前その本屋でもらったチラシを読んで、この本に興味を持ったのでした、そういえば。
ルートは違うけど、無事読めてよかった。

「あるキング」伊坂幸太郎 その②

2009-11-29 06:11:34 | 文芸・エンターテイメント
さて、「あるキング」続きです。

読んでいる間、前半では「善」と「悪」という概念では語り切れない対立が目につきました。それはジャイアンツとキングスであり王求と世間でもある。戦闘ヒーローもののような一元的なものではない、というイメージを感じました。
でも、後半で色濃く浮き出てきたのは、シェイクスピアの戯曲です。①でもちょっと書きましたが、様々なメタファがそれを表している。暴君の比喩、執拗に届けられる手紙、そして黒い魔女。
だから、伊坂さんがこの作品で意図しているのは「悲劇」なのではないかと思うのです。預言や幽霊も、それをもり立てる小道具になっていますね。
そして、ラスト。ああ、そういうことかー。
南雲慎平太、という人の人生と、これから生まれてくる幼子の将来とが、パノラマのように一気に見えてくる。これが伊坂幸太郎の力量だと思いました。

それにしても、「あるキング」ってどういう意味なのでしょう。
この小説の中で、「王」として書かれているのは王求ですが、彼の両親にとってはキングスそのものでもある。
王の悲劇。これもカリカチュアライズされているように思いました。
で、言葉自体を聞いた感じとしては、「歩く」という語もイメージされます。現在進行形(笑)。
王求の人生とともにキングスの球団としての歴史も描かれてきました。南雲慎平太の死が、「事件」から「エピソード」になっていくように、王求のこともやがては忘れられるのでしょう。

ところで、この話で気になる存在といえば、駒込良和ではないでしょうか。王求が余り心情を表さないのも父のおこす事件も、すべては終結部に向かっての伏線であることがわかります。そして、彼の腹心である「トラック」。駒込は決して自分の手を汚す訳ではありませんが、王求を追い詰めていきます。
「何人かの人間が命を落としている」ことが、駒込の王求に対する嫌悪感の一つだと書かれています。でも、 駒込自身ももしかすると南雲慎平太が落命した試合に関係していたのではないかと思うのです。
試合に関する描写にはそのような説明はありません。でも、彼は現役時代、ジャイアンツの「犠打の名手」であり、コーチにも就任していました。少なからず関係していたといえるでしょう。

「あるキング」伊坂幸太郎 その①

2009-11-28 06:13:19 | 文芸・エンターテイメント
なんだかだまされているような気がするんです。本当にこれすかっと終わるんでしょうか。
伊坂幸太郎「あるキング」(徳間書店)。
読んでいる間中、ずっと残る違和感。背後に漂う暴力と血のにおい。わたし、伊坂さんの本を数作しか読んでいませんが、これまでの中では最も疑問を感じる作品でした。
情報として、主人公が地元の弱小プロ野球チームで活躍する話だということは知っていたのです。伊坂さんも何かのインタビューで「伝記のつもりで」書いたと言ってたような。
でも、これが伝記だとは思えないです。これは、戯曲を意識しているのではないか。(しかも舞台で上演されている戯曲ではないか、と思われます)
象徴的に現れる三人の黒い魔女、自分の役割を演じようとする王求、次第にカリカチュアライズされていく両親。
そう、この親は異常です。最初は「ワケルくん」(仙台のゴミ分別に関するキャラクター)をイメージさせる父親なのに、なんだかどんどん常軌を逸していくような。おそらくそれは王求に関わる部分だけなのでしょうけれど、非常におかしい。母親は最初から片鱗を見せていますが。
狂気ともいえる両親の期待を背負い、自分を「ガンダム」に例えながら野球をする王求少年。友達はほとんどいません。彼はいわゆる「野球バカ」ではない。ひまわりの種からひまわりが咲くように、王求は野球選手に「なる」のだと両親は言います。でも、彼らも「親バカ」ではないのです。
この作品、一体どういう着地をするのか。それが気になってぐいぐい読むのですが、ここでちょっとピークがきてしまい、小休止。103ページです。

……決勝戦のことを話した。すると母親は、「野球もまあ大変だよね(略)」と言われた。

これは……。単なる誤植なのかそれとも伊坂さんのミスなのか。主語述語がねじまがっていますよね。うーん。
気を取り直して読んでみます。でもすぐにまた困ってしまいます。王求たちの野球部は、県大会決勝で惜しくも敗れ、この場面の視点人物である乃木(「俺」)は、中学校生活は「終わりだ」と感じます。
でも、ですね。
伊坂さんは多分、中学校野球の取材はしていないのでしょう。県大会で二位のチームは、東北大会に出場できるのです。でもって、その前に乃木は、「全国大会の目前まで」きたのは「予想外」だとも言っています。
全中は、ブロック代表制です。県で勝ってもブロックで勝たなければ出場できません。甲子園より狭き門だと言われています。この大会で、乃木が最後を意識するのは、ありえないのです。
ま、まあ、小説ですからね、盛り上がりを意図してのことなのでしょう。現実の野球世界とは異なると、伊坂さんもあとがきで言ってるし。もう一度気を取り直して読んでみましょう。

「いちばん好きなお菓子だけ」長尾智子

2009-11-27 05:21:58 | 工業・家庭
料理本、いっぱい持っていますが、特に好きなのはこれ。長尾智子「いちばん好きなお菓子だけ」(NHK出版)。
この巻頭に載っている紅茶バナナケーキを何度作ったか! あ、でももう十年は前のことになりますね……。最近はホットケーキくらいしか作ってないなあ。反省反省。でもミックス粉は使わずにちゃんと材料まぜて作ってますよー。

長尾さんがこの本で紹介しているような、30分くらいで作れるケーキって、いいですよね。手軽にトライできる。
ほかにはカトルカールとかバナナケーキを作りました。結構型がないとためらっていまいがちになるものですが、天板に流し入れて焼くものも多いので、焼けたら切り分ければOKです。
それから、水だし煎茶を夏にはよく作りました。ピッチャーに茶葉を入れて水で湿らせって氷を入れて溶けるまで冷蔵庫に。ゆっくり抽出されておいしいですよ。うちでは急須で作っていました。あっという間に飲み終わっちゃうけどねー。
しかし、長尾さんはバナナの入ったケーキを作るのが好きなのですね。パイ皮で包んだり、バターで焼いたり。もう一冊お菓子の本「スイートヒットパレード」(学研)も持っていますが、そのトップもバナナのお菓子です。
作りやすいからかな。うちの子たちもバナナの入ったホットケーキ、喜びます。
そういえば、ホットケーキをおいしく焼くコツ。テレビで見たのですが、粉と卵は一気にまぜない方がいいみたいですね。まずは半量を、泡立器ではなくゴムベラなどでゆっくり、丁寧に合わせていくのがポイントみたい。
うちにはしゃもじしかなかったのですが、おいしくできました。
手づくりのお菓子って、素朴でおいしいですよね。今度また何か作ってみます。押し入れからハンドミキサー引っ張り出さなきゃ。

「今朝子の晩ごはん 嵐の直木賞編」松井今朝子

2009-11-26 04:08:07 | エッセイ・ルポルタージュ
わたしの朝読書の定番、「今朝子の晩ごはん」(ポプラ文庫)です。「嵐の直木賞編」。
二冊めです。「吉原手引草」で直木賞を受賞した直後の松井さんの慌ただしい様子が随所に感じられます。あちらこちらからお祝いをいただくのですが、「亀」にまつわる品が多い。飼い亀(っていわないか……)「俊覚」を模して作られたブローチとか。
相変わらずご飯はとてもおいしそうで、今度丸善に行ったらハヤシライスを食べなきゃ! と思ってしまいました。あとは、長芋と肉を炒めたものとか茄子と鶏の香味醤油とかがおいしそう。
個人的には、松井さんの見た劇についてのレポートも気になっています。片桐はいりがどんどん輝いて見えるというエピソードがおもしろい。あと、段田安則さんのお名前が出てきたのもファンとしてうれしいです。並べて木場勝己さんが出ていたのも。
木場さんのご家族とわたしの祖父が友達だったので、デビュー当時から応援していたのですよ。

「文字による表現は享受者にとって映像よりもはるかに多様性があり、小説は読むこと自体がすでに表現に参加していることに近い」という考えに感心し、メールなどの通信は発達したのに、時間に余裕がなくなってきているという主張にうなずき、「生き物としての連帯」を断ち切った人間は、しっぺ返しを受けるのではという説にため息をつき……。
わたしは普段本は丁寧に読む方だと思うのですが、チェックしたいことが多すぎてページ端を折りながら読みました。これは実用むきですよー。
さて、最後に松井さんが疑問に感じてらっしゃる「伝記」。今の子供たちはどんな人の伝記を読むのか、ということですが、わたしの見たところでは、スポーツ選手が多いです。イチローとか。図書室には棚一つ分伝記がありますが、古いせいかなかなか「偉人」を読む子はいませんねぇー。あ、戦国武将はいるかな。あとは杉原千畝を借りていた子がいましたね。

「ニッポンの子育て」井上きみどり

2009-11-25 05:22:24 | エッセイ・ルポルタージュ
先日、息子のリクエストでお好み焼きを食べたのですが、カウンターの隣に常連らしき男性が坐り、お店の方と親しげに話している。どうも大阪出身のようで、仙台との価値観の違いを喋っているのですが、これがおもしろくてつい聴き入ってしまいました。関西弁だと交通事故にあっても加害者だと思われてしまうとか、スーパーで値切り交渉をしたら、「他の方にご迷惑になりますので」と言われたとか……。すみません、わたし、「アバンティ」の客みたいですね。(FMで週末の夕方やっている番組。ジェイクやスターンがいるイタリアンバーで、お客さんたちが様々な経験談をするのです)
ふとその方を見て、「もしや、ひーちゃん?」と思ったのですが、気のせいでしょうか。
ひーちゃんとは。
仙台在住の漫画家井上きみどりさんの旦那さんです。わたしも写真を見たのは一度きりなので、もしかしたら間違いかもしれません。でも折角ですから、今日は井上きみどり「ニッポンの子育て」(集英社文庫)を。
すみません、本来なら「子供なんか大キライ」なんでしょうけど……。飛び飛びに読んでいるので。
この本は、きみどりさんと担当の山本さん(現代洋子「ともだち何人なくすかな」や芳成香名子「カンタン超うま! 手抜きクッキング」にも出ている編集さんですね)と、日本で現在「子育て」をしている方にお話を聞く、というコンセプトです。いろいろな人に取材に行くわけです。そう、本当にいろいろな人に……。
わたしにとってインパクトが強かったのは、「受刑者の子育て」……。かなり、かなり過酷ですよね。
そして、その中で「母」になるということも。
最長一半年。その期間は母子同居が認められています。でも、生後二三ヶ月で、赤ちゃんを外の世界に出す人が多いんですって。
二三ヶ月……。かわいい盛りだって。(うちの子供、かなり長いこと「今が一番かわいいのよ」と言われましたが、結局一番かわいい時期っていつなんでしょうかね)
とにかく、しんみりしてしまいます。
続いて、「SM女王の子育て」。きゃーっ。そうかーと思うような知識満載です。(役に立つかどうかは、保証しませんが)
さらにどたキャンされまくったという「十代夫婦の子育て」もおかしかった。
どのケースにもまんががついて、対談形式で進み、ラストに井上さんのまとめがついているので読みやすいです。
さて、最後に井上さん自身の「漫画家の子育て」がついています。
これを読み返したら、あの、ひーちゃんなのかどうか自信がなくなりました。今度もう少しマンガを読んでみます。

「新宗教の素敵な神々」松沢呉一

2009-11-24 05:35:45 | 哲学・人生相談
「空とセイとぼくと」の参考文献に、松沢呉一さんの名前をみつけました。もうすっかりわたしの手の届かない人になっちゃいましたが、昔はもっといろいろなジャンルのお仕事をされていたのです。文章がすごくよくて、着眼のおもしろさに夢中になりました。「松沢堂の冒険」の続刊を出してほしいよ……。
ということで、松沢さんの本で二番めに好きな「新宗教の素敵な神々」(マガジンハウス)を引っ張り出してきました。出版は95年です。
わたしは特定の宗教に興味はないのですが、松沢呉一というファクターを通して見える世界は、何だか身近なのです。松沢さんが、宗教をすごくおもしろがっているのがわかる。適度な距離を保ちながら、紹介しています。
これは多分、雑誌連載というのも大きいのでしょう。彼は時々けなしが入ることがあって、いつだったかファンレターの文章についてよくないと思ったことが延々書いてありました。
あー、この人に直接賛辞をおくるのはよろしくないのだな、と感じたことを覚えています。
ただ、これ内心では余り感心していないな、というのは文の奥からなんとなく漂ってくることもあり、「新宗教」とうたいながらも一くくりにはやはりできない気になります。
案外、女教祖様が統べる宗教が多い。そして、開祖の人間的な魅力を、実際に目にしてそれを伝えようとしている人がいることも感じます。
わたしが学生のときのこと、郵便受けにある新興宗教のビラが入っていたことを思い出します。自分と同年代の人が、そこにコメントを寄せていて、奇異な感じがしました。(でも、文中に「疑間」と書いてあって笑いました)

この本、出版直前にオウムを巡る事件が表面化して、そのためラストに大幅な加筆がされています。さらに、発表当時のオウムについての原稿もそのまま載せてある。
宗教というモチーフを飽くまで中立の立場で捉えていこうとする松沢さんの主張。宗教にとどまらず、それは大切なことだと思います。
彼の特異な体験談もおもしろいですが、独特の語り口がやっぱりいいですね。
現在では、ここに紹介された宗教、どうなっているのでしょう。特に少人数でやっていたところ、気になります。信者が33人って……。

「明日もまた生きていこう」横山友美佳

2009-11-23 06:40:44 | エッセイ・ルポルタージュ
本についてのブログをやりたいなあと思ったのは、去年の秋口。読書日記をつけてはいたものの、誰かと気持ちを分かち合うことをしたくなったのです。
それまで、簡単な感想は友人宛ての手紙にちょこちょこ書いていました。でも、彼女が亡くなって、手紙を書く習慣も消えてしまい……。
これは昨年読んだ本なのですが、読みながら何度も何度も彼女のことを思い出したので、ここで紹介したいと思います。
横山友美佳「明日もまた生きてゆこう」(マガジンハウス)。オリンピック前後から書店で平積みになっていたので、読んだ方も多いのでは。
横山さんはバレーボール選手として将来を嘱望されながら、病におかされて短い生涯を終えました。この本は、書くという行為を通して、彼女が病気と闘う記録です。
中国生まれ。巻末に手紙を寄せた木村沙織さんとは、日本の学籍なら同級生にあたります。でも、中国では学年の区切りが一月からなのですよ。だから、一学年下ということになるわけです。
とても文章がうまい。整理されていて、読み手に配慮したいい文章なのです。後半に書いてありますが、表現することに興味を持っていて、いつかエッセイを出版したいという夢があったそうです。
読んでいる間、治療のこと、再発の苦しみが深く胸に刺さりました。悪性リンパ腫で亡くなった友人も、抗がん剤の副作用で苦しみ、果物やシャーベットを食べたいとも言っていたな、と、いろいろな場面で思い出すのです。
自分は健康だと思って生きているけど、「死」は考えている以上に近い場所にあるような気がしました。北京オリンピックを目指していたという横山さん。夢を目前にして諦めざるを得ない苦しみ。それでも挑み続ける強さを、大切にしたいと思いました。あしたという日々は永遠に約束されたものではないのですから。

この本を中学生に読んでほしい。そう思って学級の文庫においているのですが、常に誰か読んでます。感想文、ブックトーク、紹介されていました。
今日は、友人・みえっちさんのお墓参りに行くつもりです。
最後に、恩田陸「まひるの月を追いかけて」から、いちばん突き刺さった言葉を。
「人生の中で、濃厚な時間を共にできる人間はごく限られている。その人間を失うということは、そういう時間も失うということなのだ」

「学べる 変換ミス」漢研

2009-11-22 06:22:56 | 言語
「ゴロゴロマンが呼んでたよ」
こんなメールがきたら、びっくりしちゃいますよね。本来は、「ゴロゴロ漫画読んでたよ」とするつもりだったのに。誤変換って、結構笑えます。
「学べる 変換ミス」(漢研)。「変換」は、まず「変漢」としてあって、漢を×で消してあります。

ふと目に入るとつい買ってしまう。国語教師の性なのでしょうか。言葉に関する本、本棚にあふれています。
いつの間にか④が出ている! 学習参考書コーナーに並んでいました。
①と③も読んだのですが、どんどんコンクールを意図して応募してきた作品が増えているように思いました。
というのも、初期は「実際に送られてきた」「自分が送ってしまった」というものが多かったような気がするのですよ。(今手元にないので確かめてはいませんが)
今回は、「このまま送ったら誤解されそう」「変換して出た文字に笑ってしまいました」というコメントが目につくのです。
うーむ。
それから、日本語として不自然な表現なのではないか、と思うようなものもあり、妙な変換になってしまうのも仕方ないのでは? と思わされることも。
例えば……。
「お商売として」
「今日はタンゴ会した」
こういう表現。個人的な用件とはいえ、ちょっと理解できないのですが。
だから、「和尚バイトして」「今日破綻五回した」になっちゃうんだよ!

わたしが目にした変換ミスで記憶に残っているのは、「新若林」が「神話化林」になっていたことくらいでしょうか。
うーん、「チクリ苦情大会」(もとは「地区陸上大会」。①より)のようなものはもうお目にかかれないのですかね。

「空とセイとぼくと」久保寺健彦

2009-11-21 06:09:45 | 文芸・エンターテイメント
「零はわたしのこと、好き?」
「うん」
「セイとどっちが好き?」
「セイ」

予想を裏切る展開。犬とホームレスの少年の物語と聞いていたので、なんか懐かしの「名犬ジョリー」みたいなのかと思ってたんだけど、十四歳でホストになるわブレイキンダンスで世界を目指すわ、名作劇場とは大違いのストーリーでした。
いや、おもしろいですよ。気がつくともう単行本の半ばくらいまで読んじゃって、さらに読めども読めども眠くならない。冷静に読んでいるつもりでも高揚していたのかもしれません。
久保寺健彦「空とセイとぼくと」(幻冬舎)。感動作と聞いたのですが、余りそういう感じはしませんでした。
セイというのが、「ぼく」と一緒にいる犬の名前です。セイと出会ってから別れるまでの物語と言ってもいいでしょう。少年時代、父を失い、入所した施設を飛び出した零(「ぼく」)は、犬のセイとともに各地を転々とします。自分の年も分からず、ゴミを漁りながら暮らすうちに、リョウという青年に出会います。彼に誘われてホストになった零の前に現れたのは、ボーイッシュな「リカさん」でした……。
物語を通して描かれるのは、セイと零との生活ですが、それに加えて仁木優子の人生が浮かび上がってきます。それが見事。彼女に執着する兄。守ろうとする零。ダンスの練習。そんな日々、セイはいつも傍にいます。
わたしは犬好きなので、セイの気配が愛しいと思いました。大きい犬です。人見知りしてなかなか慣れない。見た目は不細工らしい。でも、一緒に寝ると温かい。
この物語、零のものの見方や価値観が変わっていくところが見所だと思います。セイと幼少期を放浪して過ごしたため、零は一般的な常識に欠けます。だから知らないものがたくさんあります。文字、駄洒落、。
始めの方に出てきた零の計算能力が、その後に全くからんでこないのが不思議でしたが。
セイが一番だった生活も、次第に優子の位置が大きくなっていく。
セイと優子のいる生活。食べるものと寝るところのある暮らし。これが零にとってのパラダイスです。
作品に不穏な影を落とすのは、優子の兄・仁木です。すごい執着心。
久保寺さんは、エンディングに「その後」を書くことが多いみたいですね。それで、「過去」を描いていたことがわかる。
全体的に、メルヘンの色が強いです。リアルなストーリーというよりはお伽話。幼少時代をさらりと書いて、ラストはお姫様と幸せになる、みたいな。そこに至るまでの小道具は過激ですが、零の意識が小さい頃とそれほど変わらないのでそう思うのかもしれません。語っているのは十七八かと思いますが、それにしては子供っぽい気がしました。