くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「科学は今、どうなっているの?」その2

2010-11-30 05:36:55 | 自然科学
そしたら、これ、AERAのムック「工学がわかる。」に寄稿されたものなのですね。教科書にとられているのは、そのうち三十パーセントくらいです。しかも中盤。
前段には床下暖房を例にとって、テクノロジーを有効に使いこなすためには物事のプラス面とマイナス面とを比較検討して、マイナス部分が多いのであればその使用を中断することも必要だということが書かれています。「マイナス面への想像力を持ってテクノロジーを見る癖を身につける必要があるのではないだろうか。テクノロジーを有効につかいこなすには、その欠点を知り尽くすことが大事なのだから」
そして、「あえて手を出さない」「あえて開発しない」ということが本当の智恵だとおっしゃいます。
そこで、教科書本文にある「人間」(原文は「ひと」です)と「ヒト」の能力についてが語られる。「ひと」が失った能力は、テクノロジーでは代替できない、さらに便利な世の中とはいえ「時間」はかえって失われているのではないかという問題が提起され、「決意せる消費者」(「ある製品を購入するとき、何を評価ポイントにして選択するかを、はっきり決意している消費者」「あえて手を出さないと決意する(消費者)」のこと)であれと呼びかけるのです。池内さん自身が自家用車や携帯電話を持たない主義であることが、結びには書かれています。
そして、この項目のひとつ前には、「二十世紀の予言」についての考察も収録されていたので驚きました。わたしがこの記事を授業の冒頭にもってきたのは四年前のことなので、その時点ではこういう配列になっていることを知らなかったのです。
さて、生徒の予想にはこんなのもありました。「家事はすべてロボットが受け持つようになる。だから、もしかすると人間は料理の腕前が落ちるかもしれない」
池内さんの言う、人間の能力の衰えですよね。
わたしがロボットに代わってほしいのは整理整頓です……。

「科学は今、どうなっているの?」池内了 その1

2010-11-29 05:39:28 | 自然科学
やっと「テクノロジーとのつきあい方」に入りました。遅い……。
骨子をさらっとまとめて「テクノロジーと人間」との比較をして、話し合いをして反論を交えた作文を書くのが一連の流れです。で、その前段階として「百年後の予想」と「百年前の預言」(1901年の新聞記事)読み取りをしました。
生徒たちの予想「ロボットが当たり前の世の中」「ドラえもんの便利道具が実現」「カラオケボックスは映像が飛び出して、アーチストとデュエットできる」「自分の体を使ってバーチャルなゲームができる施設」(おぉ、「クラインの壷」だ!)
なんてのが出てきて結構おもしろかったのですが、中にこんなのがありました。
「遺伝子操作で子供を好きなようにデザインする、みんながイケメンな世界」
えーっ、じゃあそうなったらどういう子供にしたいの?
「青い目金髪の子にしたいですー」
とすると、みんなそうなっちゃうの?
「だってかわいい方がいいじゃないですか」
わたしはしたくないんだけどなあ。
「みんなしてたら、その子だけ浮いちゃいますよ」
そう言われるとわたしとしては悩んでしまいます。だって自分と夫のどこを受け継いでいるのかわからないのは、先祖からつながってきた血縁を切ってしまうような気がする。間違いなくわたしならしないと断言できますが、思春期を迎えた子供がどう考えるのかはわからない。
そうしたら、この本に池内さんが似たようなことを書いてらっしゃるじゃないですか。
「遺伝子を切ったり貼ったりできますから、好みのタイプの人間になるようDNAを変えてしまうかもしれません」「もっとおぞましい想像は、各人の遺伝子情報が管理されるようになり、『劣っている』と断定された遺伝子を持つ者が排除されたり差別される危惧があることです。その時代が持つ一時的な価値観で、人が選別されたり差別される可能性が生じるのです」
そうかー。もしも遺伝子操作で自分好みの顔を作るとしたら、やっぱりその年にブレイクしたタレントやアーチストの顔が流行るんですかね。すると、制服着て教室にいる子は区別できなくなるのかな。うーん、嫌だ。名札を大きくしてもらわなきゃ。
池内了「科学は今、どうなっているの?」(晶文社)。とばし読みですみません。「テクノロジーとのつきあい方」の出典くらい確かめておこうかと思いまして。

「にょっ記」穂村 弘

2010-11-28 05:34:33 | エッセイ・ルポルタージュ
「にょっ記」についてお話したいと思います。読んだのは七月なのに、本がどこかにいってしまい書けませんでした……。穂村弘著、文春文庫。フジモトマサルの挿絵が愛着を誘います。表紙をよく見ると、「123」の数字が文字としてはめこまれ、おっ、と見る人を楽しませてくれます。
どれが実話でどれが創作なのか、戸惑いつつも、そのシュールな世界と語り口に、思わず笑ってしまう。
戦国OL、いいよなあ。
「電車の中で話し声がきこえてきた。
『あたしが、高知城を建てようと思ったとき、場所的にはベストだったんだけど、実はそこ、ひどい湿地で、もうめちゃくちゃ苦労して、でも、あきらめちゃ駄目だ、ここしかない、と思って……』
驚いてそっと顔をみる。
高知城と云えば長曽我部元親。
だが、どうみてもOLだ。」
穂村さんのエッセイは以前にも結構おもしろく読んだのですが、シュールで不思議な感じのするジャンルを感じました。近いのは岸本佐知子かな。
だから、超短編としても読めるし、その中でのシリーズみたいになっている部分もある。天使とか。
ところでこのタイトルは、イタリア料理の「ニョッキ」にかけてあるんですか? なんか「にょっ」て、不思議な感触のある語ですよね。
続編も出版されていますね。気になる。だって「にょにょっ記」っていうんだよ。

「獣王星」樹なつみ

2010-11-27 05:39:22 | コミック
やっと②を見つけたんですゥ。樹なつみ「獣王星」 完全版(白泉社)。①と③を先に買ったので、我慢できずに読んでしまい、あーっ、このカリムって女の子はどういう存在なのかしらとか、どうしてエンディングで本来の姿に戻ったトールはサードと似ているのかしらとか、ユウキはどこに行っちゃったんだろとか、そんな謎がいっぱいあったのです。あ、でもいまだに真ん中のことはわからないんですけどね。
地球からの移民星系タイタンの中枢コロニー・ユノで、大統領の側近の息子として幸福に暮らしていたトールとラーイ。双子でありながら全く性格の違う二人は、いつの日か地球行く船のパイロットや科学者になりたいという夢をもっていました。ところが、ある日帰宅すると両親は殺害され、二人は何者かに意識を奪われて、気がつくと小型のシップに載せられて宇宙を漂っていたのです。
二人が落とされたのは、極秘の処刑星キメイラ。長い夜と長い昼が続くこの星の生活環境は過酷で、生き残れる者は少ないのです。
茶・黄・白・黒の輪(リング)と呼ばれる組織では、トップ・セカンド・サードのリーダー格が取り仕切り、そのグループに入ることが夜を無事に生き残る手段となります。それほどに夜は辛い。
また、この星は非常に女が少ないので、パートナーの選択権は男にはありません。子供の父親になる男を、彼女たちは真剣に選びます。ある程度の年齢になると子供たちだけのグループ(野童)を作るので、家族という概念もないようです。
ユノで育ったトールにとっては考えられないことの連続なのですが、ラーイを失い、この星の支配者である「獣王」となってキメイラから脱することを目標に着々と力をつけ、数年後には「白鷹」と呼ばれるほどの実力者になっていくのです。
トールは瀕死の怪我を負いながらも生き残ります。実は、③にこのへんのことは描かれていたので、それを巡るサードの台詞などから考えさせられるものがありました。例えば、サードが焦がれる女性というのは、地球の比喩ではないかと思うのですが。うーん、①③を押入に突っ込んじゃったのでまだ通し読みをしていないのです……。
やっぱりティズが好きですね。あのバイタリティも一途さも、存在感があっていいんです。

「砂漠の悪魔」近藤史恵

2010-11-26 05:36:30 | ミステリ・サスペンス・ホラー
くーっ、あと30分あれば読み終わるのに、タイムリミットが!
というところで夕食を作りに行ったので、その間二時間半、ずっとこの物語のエンディングを考え続けていたのでした。
近藤史恵「砂漠の悪魔」(講談社)です。なにしろこのタイトルですから、わたしはてっきり主人公が雅之たちの独立支援グループに加担し、「砂漠の悪魔」の通り名で恐れられる存在になるまでのピカレスクロマンかと(笑)。
いや、全く違いましたけどね。でも近藤さん、「薔薇を拒む」でゴシックロマンに挑戦されたので、今度はハードボイルドなのかなーと勝手に思ってしまいました。なんというか、これは「社会派」かもしれません。
主人公橋場広太は、親友ぶる榊原夏樹が気にさわり、彼が憧れる上級生桂に気のあるふりをさせます。しかし、彼の執心が怖くなった桂が実は広太と付き合っていること、はじめから二人でからかうつもりだったことを話し、衝撃を受けた夏樹は自殺します。
そのことをきっかけに、あるやくざたちから運び屋として利用されることになる広太。中国で知り合った鵜野雅之という男と、奇妙な友情が芽生えます。
二人で食べる北京ダックの旨そうなこと!
いやいや、中国でありながら中華ではない様々な料理が興味をそそります。トマトの麺とか羊の串焼きとかユウが作ってくれる家庭料理とか。
広太のイメージする中国から、どんどん逸脱していき、最後にはウイグル自治区にたどり着くのですが、街の様子とか放牧とか、とてもいきいきとしていていいんです。近藤さん、もしかして「シルクロード」シリーズ好きですか?
わたしはウイグル自治区というと、ロス五輪で活躍した李寧選手を思い出すのですが、彼の出身地でこのような横行がまかり通っていたとは知りませんでした。漢民族のあからさまな支配。逆らうものへのみせしめ。ユウのように美しい女は支配階級にもてあそばれ、辛い思いをする人々が増える。
かつて業田義家がチベット問題を漫画にしていましたが、同じです。異民族が自分たちの文化を守ろうとすることのどこがいけないというのか。憤りを禁じ得ません。
近藤さんがこの作品を、自分と同世代の時代背景にしたのは、やはり「砂漠の悪魔」のためなのでしょうけれど、ウイグルの方々の難民問題は今どうなっているのか。とても気になります。
わたしがこの作品で好きなのは、やはりユウとシィの親子でしょう。投獄中の妊娠について、広太はそれでも女は「母親」になれるのだなと感じます。ユウは決して自分から死を選ぶような女ではありません。砂漠で生き抜くことでしょう。
もしもあの事件がなければ、ユウは雅之と結ばれる日がきたのではないかと思います。雅之のプロポーズを断るのは、中国国籍がほしいからとうそぶくからでは。
緊張感をはらんだ素晴らしい小説です。ただ、連載雑誌のカラーなのかもしれませんが、広太が佐々の事務所を訪れるラストはわたしの好みではなかったのです。うーん、たんかを切る場面がないとやっぱりだめなんでしょうか。
この小説の舞台からもう二十年近い時間が流れています。果たして広太は生きているのか。
広太が自分の苦境のなかで、こんなことを考える場面が好きですね。
「もちろん、今の方が幸せだとは絶対に思わない。だが、不幸の中にもモザイクのように美しいものは織り込まれているのだ」

「100㎞!」片川優子

2010-11-25 05:19:55 | YA・児童書
で、Y中学校の新刊棚にあったのがこの本です。片川優子「100㎞!」(講談社)。
「ヒャッキロ!」と読みます。高校生のみちるが、100㎞ハイクに挑戦する。三十時間ただただ歩く、それだけの物語なんですが、これがおもしろい。
えーと、恩田陸の「夜のピクニック」でも同じようなことが言われていましたよね。長い道のりを歩き通すというのは、結構ドラマチックなのかもしれません。
もともとみちるは、こんなイベントに参加するつもりはなかったのです。なにしろマラソン大会でも最下位でしたからね。それなのに叔父のけんちゃんが勝手に申し込んでしまい、しかも自分は当日用事ができて不参加。
でも、ある事情を胸にみちるは歩き出します。途中でリタイアしてもしかたないと思いながら。
道連れになったおじいさんやマッサージしてくれたボランティアのおじさんのおかげで、みちるは歩き続けることができました。ある出会い。そして、悩みごとの劇的な解決。
ああ、「佐藤さん」からずいぶん成長されたんだなあ、と片川さん自身の余裕のようなものも感じさせられますね。実際に片川さんが「三河湾チャリティー100㎞歩け歩け大会」に参加し、その感動感激感謝を衝動的に物語にしてしまったもののようです。
弟の智と、意地っぱりの陽一少年がいい味出しています。彼らの存在がなければ、みちるは投げ出していたかも。結構たくさんの偶然に支えられて、完歩することができたのですよね。
わたしはせいぜい二十キロくらいでしょうかねー。高校を卒業した日に十二キロの道を自宅まで歩いて帰ったり、学生のころに始発の新幹線に乗るためアパートから仙台駅まで歩いたりしたことはありますよ。家から100㎞だと、仙台を通り越してしまいますね。

図書室見学

2010-11-24 05:39:09 | 〈企画〉
先日、故あって仙台市立Y中学校の図書室を見学させていただきました。日当たりのよい場所で、壁面にずらーっと本が並んでいます。回転式の書架もあって、なるほど、これならスペースを気にしなくてもいいですね。図書委員が直接買い付けたという本(百冊くらい)やまんが(「玄米先生の弁当箱」があった!)、ヤングアダルトなどもまとまっていて参考になりました。
先月だったか、ある中学生が「図書室にもっといろいろなジャンルの本を入れてほしい」と投書をしていましたが、君きみ、今どきの図書室は堅苦しいわけじゃないんだよ、と語りかけたくなるほどの充実ぶり。一般書も「チームバチスタ」とか「中学んとき」とか「三匹のおっさん」とか中学生も興味をもてて、大人も読みたいようなものがずらりと揃っていました。
雑誌は「オレンジページ」とか「ニュートン」とか。うわー、予算がいっぱいありそう……と、わたしなぞは羨ましくてしょうがない。
新聞投稿生徒さんの学校、おそらく予算が少ないのです。十数万円では課題図書や調べ学習のセットを買ったらあっという間に底をつきます。でもって、見積もりすると値引きがあるために次の年にはさらに削られるのではないかと。
図書担当者がどういう本を入れたいのかは人によって異なるので、提案にあったようなライトノベルや、はたまたケータイ小説を入れる人もいれば、文学にこだわる人もいるわけです。
でも、ジャンルというよりは作品内容で決めることの方が多いのでは。ライトノベルだから入れないのではなくて、その予算内で購入して、数年先まで読まれていくかどうかだとわたしは思います。三年前くらいに売れたケータイ小説、誰も読まないでしょ。
この学校、そういう面でも見事でした。ラノベはないのに、話題に上った一般書はほとんどある。青い鳥文庫や講談社のYA!シリーズがある。あまり借り出されないような本は上の方にまとまっていましたね。
かつて知り合いが、「ベストセラーを検索して買う」と言っていたのですが、「図書館戦争」と「図書館革命」しか買わなかったり(中二冊はリストになかったらしいです)、まんがのノベライズがかなり混じっていたりして驚きました。
結構よその図書室を見せていただく機会はある方だと思うのですが、業者に整備まで依頼する学校はカバー別添にしてしまうことも多いように思います。新刊紹介に貼り出すにはインパクトあるけど、それだとせっかく新しいのにくすんで見えるし、本も傷みやすくなりますよー。
さて、投稿生徒さんは、ラノベは自分で買うように(または借りるように)言われ、そんなに簡単には買えないと言っていたように思いますが(すみません、うろ覚えで)、やっぱり自分にはまりそうな本は買った方がいいのですよ。借りるのとは距離感が違います。とくに中高生の場合は、そういう没入する場面があるべきだと思うのです。
図書室はオフィシャルな場なので、あまりそういう本は買えません。入口くらいまでかな。
でも、いろんな本の中にいろんな出会いがある。中学生にはまず本を好きになる機会が必要です。
各学校でその機会を作るために、図書担当者が工夫していることを、こういう図書室に感じさせられますね。わたしも頑張らなくては。
ところで、新刊紹介のところに貼ってあった帯に興味を引かれて、帰りに地元図書館である本を借りてきたのでした。

「この想いを伝えて……」大沼えり子

2010-11-23 05:50:45 | エッセイ・ルポルタージュ
大沼えり子さんと電話でお話したことがあります。電話を通してもものすごいバイタリティを感じる方。一度講演会を逃してしまった(日付を誤解していました……)ので、今回はまず本で。
「この想いを伝えて…… 人間って本当は優しいんだよ」(KKロングセラーズ)。保護司として割烹料理店の若女将として、FMラジオのDJとして、多忙な日々を送る大沼さんが、少年院にラジオ放送を制作して届ける活動を軌道に乗せるまでの奮闘を描くこの作品、出版当時から気になっていたのですが、やっと読みました。
例えば荒れた学校の辛さはよくわかるつもりです。大沼さんのように体当たりで接してくれる大人と出会うことで救われる少年たちは多いでしょうね。すごい。とてもこんなふうにはできません。
大沼さんの愛情に触れて、反社会的なグループから抜ける決意をした少年もいます。家族の無理解に腹を立てて暴れる少年を説得したことや、愛情を知らないままの少女に粘り強く語り聞かせたこともあります。
誰かのために何かができるなら。そんな思いで突っ走る大沼さん。
明るくパワフルな彼女も、自分がどうしてあげたらいいのかわからない隘路に迷い込んだことがあります。それは、お嬢さんがいじめにあったこと。ほんの小さなことから始まったいじめは、彼女から笑顔を奪い、それでも心配をかけてはいけないと学校に通い続けます。熱があっても。班活動でグループに入れなくとも。
「私が死んだらお母さんどうする?」
そう尋ねる彼女に、
「私も一緒に死ぬよ」
と答える。その言葉に、お嬢さんは救われたのだと思います。
大沼さんの行動には「覚悟」がある。だからいかつい少年たちの心をも動かすのでしょう。
彼らがもつのは「ガラスの牙」だと大沼さんは言います。どんなに牙をむいたとしても、優しさの前では溶けてしまう。彼らは寂しがりやなのだから。そんな大沼さんのあたたかさ。
二十代で大病を患い、死を意識したこと。保護司として見学に訪れた少年院で院生と出会い、どうにか彼らを励まそうと誓ったこと。リクエストカードを見たら、自分の知らない歌手ばかりで困惑し、ラジオが機能し始めたころにパートナーが脱退。それでも新たな仲間たちと模索する様子は、とても元気づけられます。
今度また講演の機会があるので楽しみにしています。だから、この本は「予習」になりますね。その日が待ち遠しいわたしなのでした。

「年収150万円一家」森川弘子

2010-11-22 19:03:52 | コミック
二冊めの「毎日のこんだて編」から読みました。森川弘子「年収150万円一家」(メディアファクトリー)。
SF作家の旦那さん(北野勇作さん?)と娘のコハルちゃんと暮らすの日常を綴るイラストエッセイです。
正直に申し上げると、多分一冊めを先に読んでいたら、二冊めは買わなかったと思います……。あとがきで「賛否両論だった」ということが書かれていたのでどうかとは思っていましたが、うーん、ひっかかるものは残ります。
節約するのはいいよ。わたしも、学生の頃は一ヶ月三万円(家賃は別)で暮らしていたものです。働くよりも切り詰める方がいいタイプだったので。
でも、おさがりをいただいてもらいっぱなしって、もういい年の主婦としてどうなの、と。相手が不要にしているものだから、うちにはたいしたものがないから、というのはいいわけだと思いません? たまーにはお返ししようよー。切り詰めて海外旅行に行けるんでしょー。わたしなんて新婚旅行しかいかないままパスポートの期限切れちゃったよ。
少ないお金でどのように過ごすか。パンの切り落とし(耳)だと安く手に入るので主食はもっぱらこれ。フリーマーケットで欲しいものを探す。(デロンギのエスプレッソメーカーまでみつけたそうです)
懸賞に応募。五年越しでホームベーカリーをゲット。毎月かなりの賞品を手にする。
旦那さんは「第二の職場ミスタードーナツ」で働いています。
甘いものは手づくりするため、ケーキは贅沢品。でも、海外に行ったときはずいぶん食べるのだとか。
我が家の食生活とはかなり違うので(筆者・豚肉はほどよく脂身がないと嫌。我が家・脂身を捨てないと怒られます。ラードも使わないのよ)、実際に作れるものは少ないのですが、何か楽しみながら作っている感じはいいと思います。
あ、かにかまとセロリで作るサラダを作ってみました。たしかに歯ごたえがおもしろい。セロリが大量にないと、大人四人前は物足りないかも。
そういえば、鴨肉も十年くらい前はよく食べていました。今は義母が苦手というので食卓にのぼりませんが。わたしは鴨鍋が大好きなので、また食べたいなー。肉をゆですぎないのがコツですよ。

「その子を、ください。」鮫島浩二

2010-11-21 21:24:24 | 工業・家庭
読み返しちゃいました。
鮫島浩二「その子を、ください。 特別養子縁組で絆をつむぐ医師、17年の記録」(アスペクト)。鮫島先生が長年尽力してきた特別養子縁組に関わる本です。
結婚詐欺にあった女性や、若すぎる出産、どうしても子どもを育てることのできない人がいる一方で、子どもを熱望しながら叶わない人もいる。
鮫島先生は「さめじまボンディングクリニック」を運営されているのですが、「ボンディング」とは「人と人の絆」を意味するのだそうです。
養子。望まれた赤ちゃんとして託されるのです。
中にはシングルマザーとして育てようと考えた人もいるそうですし、今度は祝福された出産としてクリニックの門をくぐる人もいるそうです。
鮫島先生は、その子たちが大人になって自分の出自を知りたいと思うようになったら、応えたいとおっしゃいます。養親は、彼らが養子であることをいつ知らせるかずいぶん考えるようです。「ママの赤ちゃんで生まれたかった」と泣く子もいるとか。親子の絆は、血のつながりだけではないのですね。
でも、自分がどこの誰なのかがわからない、依って立つことができないと悩む子もいると思います。オープニングしか見られませんでしたが、体外受精で誕生した子たちが悩んでいるという特集をやっていました。
わたしにとっても、子供は宝物です。わたしたちを選んで生まれてきてくれてありがとう。
同じように、わたしも両親を選んで生まれたのでしょう。思春期には反抗したり喧嘩をしたりもありましたが、今子供がわたしを愛してくれるように、わたしも親を大好きだったのだろうと思うことがあります。離れているからそう思うのかもしれませんが。