くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「鉄のしぶきがはねる」まはら三桃

2011-05-31 05:17:41 | YA・児童書
やっぱりよかった。まはら三桃さんの本を見つけて借りてきました。「鉄のしぶきがはねる」(講談社)。工業高校機械科に在籍する唯一の女子三郷心(みさと しん)が、ものづくりコンテストを目指して奮闘する物語です。
実際に工業高校を見学に行ったとき、一般的に学科の内容がよくわからないまま進路を選ぶことはできないと感じました。例えば、電気科と電子科では学ぶことが違うのだそうです。機械科に入ってから、どういう興味をもっているのか聞かれて、「自動車を作りたい」という生徒がいて唖然としたという話も聞いたことがあります。
機械科は旋盤を使ってねじや工業部品を作ります。職人としての基礎を学んでいくのですね。
心の家はかつて町工場を営んでおり、幼い頃は毎日のように通って、祖父たちの仕事ぶりを眺めていました。けれど、ある裏切りがおきて、祖父は倒れ工場は倒産したのです。そのことから、プログラミングの方が信頼できると思った心は、コンピューターの研究部に入部します。
けれど、切削実習での心の作業の様子に目をとめた<ものづくり研究部>の中原先生から手伝いを頼まれ、なりゆきで参加することに。
もともと断るつもりだったのですが、講師役の小松さんの技に引かれてしまったのです。旋盤の音に祖父を思い出し、言われるままに作業をするうちに、心は<ものづくり>に魅了されていくのでした。
もう冒頭から涙腺が緩みそうで。
祖父の工場への思い入れの様子に揺さぶられます。そして、旋盤の鬼のような顔をした原口の、「ものづくりは、楽しいからだ!」というまっすぐな言葉。
次第に仲間たちとの活動に夢中になり、自分もものづくりコンテストに出たいと考えはじめた心ですが、集中力を欠き、思わぬけがをしてしまいます。職人にとって手は命。祖父も口癖のように「大事なものは体の中に詰めておけ」と言っていた。(この前に小松さんの「測定器もセンサーも自分の体の中に入れろ」という言葉があります。この対をなしたせりふ、二人が旧知の仲と知ったあとだと印象深いです)
さらに女子であることから傷つくような一言を受けて落ち込みます。
仲間たちも着々と力をつけ、とくに亀井くんの技術の確かさに羨望することもありますが、心はひたむきに目標に向けて歩んでいくのです。
「何かに一生懸命になっとる時、それが本物かどうか、人は時々試されるんよ。本物になりたかったら、そこで踏ん張れ」
大山先生の言葉も胸にしみます。
揃ってコンテストの代表に選ばれた心と原口ですが、なんと別れた彼女から原口にメールがきます。友人吉田の話によると「めっちゃかわいい」らしい。医大生と付き合うことにしたので、原口は振られ、そのショックで昨年のコンテストを棒に振ったという噂。
またもや揺れている様子の原口を見て、心は自分の気持ちに気づくのですが……。
はじめは無愛想に思えた原口ですが、どんどん恰好よく見えてきます。彼の選択もちょっと意外でした。
魅力的な物語です。まはらさん、旋盤まわしたことがあるんですかと尋ねたくなるほど機械と「近い」。
<ものづくり>に関わる皆さんにエールを送ります。

「ゴーストハント④ 死霊遊戯」小野不由美

2011-05-26 02:07:17 | ミステリ・サスペンス・ホラー
今度は黒。
前回までがビビッドカラーだったので、一瞬気づきませんでした。小野不由美「ゴーストハント④ 死霊遊戯」(メディアファクトリー)。
そうだったそうだった。タカと笠井さんもSPRに加わって活動しているんだった。まんがではカットされているので、忘れていました。
そう考えると、いなだ詩穂さんのまんがは結構このシリーズ全体に影響を及ぼしているな、と。
元本「悪霊がいっぱい?」のタイトルではなくて、アニメも今回のリライト版も、「ゴーストハント」として統一されています。キャラクターデザインも、カバー画もいなださん。それに、読み返したせいなのか、結構まんがの場面で思い浮かんでくるのですよ。安原さんが椅子に座るところとか、坂内くんが校舎を眺めて喜ぶ場面とか、LL教室の男の子とか。
……LL教室って、昨今の読者にはわかるのでしょうか。今も活用されているの? わたしの知っている範囲では、ほとんど視聴覚室かコンピュータ室に改装されているのですが。
カセットテープに自分の声を吹き込みながら、英語の発音練習をするのですが、たしかに古い設備だからといって、この小説ではカットするわけにはいきませんよね。麻衣が男の子の霊に遭遇するこの場面、とくに怖いです。
テープといえば、ナルが高い機材を使って録画しているのも、記録媒体はビデオテープです。
やはり時代背景としては、出版当時の90年代なのでしょう。西原さんの進路希望は、「カッコ文部省」です。文科省じゃない(笑)。
四冊めも学園が舞台ですが、気になることがひとつ。宿直室に泊まることになった麻衣が、自分の学校には「宿直室なるものは存在しないので(大昔はあったようだけど)物珍しい」というのですが、一冊めで宿直室に行って悲鳴をあげるシーンがなかったっけ? 自殺した先生の噂があってさ。あれ、麻衣の学校だと思うんだけど、違う?
今回の調査には、「ヲリキリさま」という降霊術が流行した千葉の県立高校で、自殺、怪談騒ぎ、集団ヒステリー、ぼや事件と次々にマスコミを賑わすような事件が起きたことから、SPRが駆り出されるという物語です。
霊の常識を覆すような怪異の連続に、おなじみの面々は振り回されます。
払うはずだった霊は場から逃げていきますが、別の場所でまた騒ぎをおこします。普通は、霊の恨みは場に結び付くので、よそで怪異を起こすなんてことはないそうです。
霊たちは融合をして次第に大きくなっていく。
そのことに気づいたナルがとろうとした道は……。
麻衣が本当に無謀で、ラストで仲間たちに犬にたとえてからかわれていますが、まあ、これが主人公たる所以かな。
それにしても、この学校、教師と生徒との関係が劣悪。とくに学校の象徴のように描かれる「松山」が、SPRを目の敵のように攻撃してきます。進学校で落ち着いているからか生徒たちは適当にかわしているようですが、小野さんの目には当時の生徒指導がこういうふうに見えたのでしょうか。
「僕は犬じゃない」と書き残して命を絶った坂内と、自分もそのように感じることがあると考える女生徒。でも、教師側とすると複雑です。
たしかに松山はやりすぎです。しかし、彼はカリカチュアライズされているわけで、背後には「学校」体制への批判があるように感じました。
同じように拘束されることへの不満と捉えられると思うのですが、統率のとれない集団って、軌道修正するのはものすごく大変です。まとめる側だけではなく、苦しいのは流されてしまう「普通」の子たちだと思う。それは、いとも簡単に「ヲリキリさま」に乗せられてしまうこの集団にもあてはまるのでは。
ただ優しくするのは簡単ですが、厳しいのにも理由はあるのです。「松山」からは脱線してしまいますが、ちょっと苦いものが残りました。

「若様組まいる」畠中恵

2011-05-24 01:55:54 | 時代小説
長瀬と若様組の皆さんが、なぜ巡査を目指したのかが明らかになる「若様組まいる」(講談社)です。
このところ朝読書は「付喪神さん、お茶ください」(新潮社)なので、畠中さんづいていますね。
「アイスクリン強し」よりもちょっと前にあたるのでしょうか。美貌の武道達人・園山や落ち着いた福田、商業に向いている平田など、元旗本の若殿様たち八名が、大将格の長瀬の提案で巡査になろうと志す物語。
入学試験を受けて、巡査の資格をとるための学校に入ることになりますが、当時は採用が再開になり、学校も開校したばかり。さらに、薩摩出身の者、御維新の折に徳川家の所領に移った家臣の子息たち、平民だけど金持ちの商人の息子といった面子が揃い、騒動をおこすなという方が間違っています。
初日から「幹事」に目をつけられた長瀬、二週間の外出禁止を申し渡されます。片や平民組は、同様のことがあってもお咎めはほとんどなく、受験問題も漏洩していたのではと疑ってしまいます。
居眠りしないように苦労したり、毎週の試験に一喜一憂したり(不可だと補修があるために外出禁止)、福田さんは恋人の縁談に悩み、園山さんが暴れないように若様たちが目を光らせ、武道の心得のない同級生に頼られたり、世間ではピストル強盗が話題になっていたり。
まあ、要は「学園もの」です。しかも寮生活。
おなじみのミナこと皆川真次郎がお菓子を持ってきてくれますよ。うまそー。
「アイスクリン」のときは若様たちがやたらと登場して、その割りに存在感がないと思っていたので、この本でようやく背景がつかめました。こういう長編づくりの方が好みです。
秘密の通路あり、だんだん深まる絆もあり、なんといっても「梯子」の場面が圧巻です。
ただ、文中の台詞に、長瀬にたいして「むかつく」とあるのは、ちょっと納得いきません。まだこの時代の語彙にはないと思います。
もうひとつ。ラストで園山さんの家は両親揃って警察学校の卒業式にくると言っていますが、それは現代の感覚であって、明治初期にはないのではないかと思うのですが。わたしの周辺だけのことかもしれませんが、二十年くらい前は卒業式に両親が出席という例は珍しくて話題になりましたよ。(二百人余りの規模で、座席は指定でした)
しかも、旗本のお内儀だった人が、成人を過ぎた息子の式に出席するものでしょうか。
この物語の時代背景は、現在とは思想の上で異なるものだと思うので、そういう面では首をひねります。
若様として育った彼らが、維新のために地位を失う。しかし、家来衆には寄る辺のないために頼られるし、なにかしら新しい道を模索しなければならない。
このような状況で苦労したのは、若様たちよりも寧ろ親の世代ではないかと思います。文中にも商売に失敗した例や、仕事で排斥されたり激務に体を壊したりする武士たちの姿が描かれていますよね。長く生きていた分、価値観はなかなか変わらないように思うのです。しかも、家の大黒柱として構えていなければならない。
昔の卒業の場面を描く作品というと、余り思い浮かびませんが、うーん、両親で参列はないと思うなあ。文明開花の時期とはいえ、思想は簡単には変わりません。例えば、話題のいろはの牛鍋を女性が食べに出ていたか。
そういう気風だとしたら、大正期に女性開放運動はおきないのでは。
ああ、でもおもしろいのですよ。表紙カバーも素敵です。わたしは長瀬が好きですが、園山も結構気に入っているので、若様たちのきりりとした姿にわくわくしました。

「俺だって子供だ!」宮藤官九郎

2011-05-20 18:53:43 | エッセイ・ルポルタージュ
気づいたことがあります。わたしは宮藤のエッセイをほとんど読んだのですが、別に彼の文章を買っているわけではないのだと。
考えてみれば、好きなのは、中学時代を語る対談「妄想中学ただいま放課後」と、お母さんと共著の「宮藤官九郎の小部屋」。正直、地元に関わるネタばかりなのでした。
単行本が文庫になったけど、買うふんぎりがつかないなーと思っていたら、用事があって出かけた図書館で発見。早速借りてきたのですが。
……どうして買うのを躊躇したのか、よくわかりました。だって、お母さんと地元ネタ、全部合わせてもほんのちょっとなんだもの。
わたしは、彼の育児に全く興味をもっていないのですね。
大体にして、三十半ばを過ぎた男が、初めてのこどもをもつことで右往左往する様子を書くにあたって、タイトルが「俺だって子供だ!」(文藝春秋)。
いやいや、もういい大人なんだから、もう少しなんとかならないものなんでしょうか。なんとかしろよ週刊文春!
このエッセイが始まる頃に、わたしの敬愛する高島俊男先生の連載が終了したため、「文春読者は本当にこういう連載を望んでいるのか」と思ったことも、いまさらながら思い出しました。
育児日記って、需要は限られていますよね。子育て真っ最中で自分の体験と比較しておもしろいと思う読者と、または著者のファンといったところでしょうか。
うちの娘は、ここに出てくる「かんぱ」嬢と一つ違いです。んー、でも別に読んでも感慨はないなー。
お正月に実家に帰った話題が、いちばんおもしろかった。
妙にテンション高い文章が苦手なんです。
この方はどうも最近自己模倣というか、ウケ狙いというか、そういう傾向があって、ちょっと辟易してしまいます。自分のことならオールオッケーみたいなところが、はなにつく。
かんぱちゃんの名前は明らかにされないまま連載は終了しますが、本文によると「……ふーん」という反応をされてしまいがちなんだとか。
でも、父親側の育児日記って、考えてみると珍しいかもしれませんね。

「図書分類からながめる本の世界」近江哲史

2011-05-18 20:49:03 | 総記・図書館学
著者は、本を「読む本・おもしろい本・9類」と「調べる本・役に立つ本・その他の類」に分けて考えるそうです。
さらには、前者を「読書・アナログ」「ゆっくり味わって最後までこだわって読むべき」、後者を「図書・ディジタル」「速読も可、飛ばし読みも差し支えない」と語ります。
この方は分類学から発展して図書のNDCに目を向けるようになったそうですから、そういう考え方もむべなるかなとは思いますが、分類で読み方を変えるわけではないわたしには、その部分がちょっと疑問。
でも、不満があるわけではないのです。楽しかったし、役に立つ。自分で一冊欲しいほどです。巻末にNDCの一覧がついているのも便利。
「図書分類からながめる本の世界」(日本図書館協会)。図書館実践シリーズの一冊です。著者は近江哲史さん。
NDCの分類に従って、図書館の本を実際に読みましょうという講座を書籍化したもののようです。
ですから、当然0類から始めて9類まで、近江さんが読んだ本を紹介しながら代表的な分類を学んでいくのです。
三色ボールペンあり漬け物あり文法あり家系図あり聖書あり囲碁ありオカリナあり薬あり……。
わたしとしては、9類(文学)にこだわらず様々なジャンルを読もうと思っているので、このような試みは興味深いものを感じます。
図書の仕事をしていると、9類を借りる人が圧倒的に多いのもよくわかります。ただ整理してみると、他の分野にも意外と読みものに近い書籍も少なくない。
例えば斎藤美奈子の仕事などは、文学批評(0類及び9類)、社会科学(3類)、歴史調査(2類)というようになるのですが、どれも文章としておもしろい。
でも、こういう類別の読み方をするのは、「読書家」の方でも珍しいようです。というよりも、あんまりNDCを意識して読む人はいないですよね。普通の本屋さんではそういう分類はもっとおおまかだし、読む方も作家読みが多い気がします。
最もうなずかされたのは、「ヤングアダルト」の取り扱いです。中学生に向けた本は、書架でも出版分野でも少ない。本を読むことで将来の夢を育んでほしい世代に、このような本をと奨める幅が狭いということですよね。
近江さんは星新一をはじめとして、何点か紹介してくれます。とくに自分についての劣等感や、未来への漠然とした不安を取り上げているのが特徴ではないかと思われたようです。
中学生に向けての書架づくり。わたしの課題でもあるので、日々模索しています。
いろいろと刺激になりました。図書館実践について、こういう視点もおもしろいですね。

「続微苦笑俳句コレクション」江國滋

2011-05-16 05:46:15 | 詩歌
江國滋「微苦笑俳句コレクション」の続編です。
江國さんはノートにこれはと思う句をメモしているらしい。で、その中からの紹介だそうです。
個人的には前作の方が楽しかったのですが、今回もバラエティがありました。
坪内さんの句が採られているのを発見。「大根の好きな夫婦になりました」。
余裕を感じる素敵な句ですね。奥さんとの温かな生活が感じられると思います。
俳句結社を主宰する方から一般の方まで、江國さんの選択は融通無碍。
声優の白石冬美さん。
「猫立ちて指揮者のように蝿を追う」白石茶子
好きな声優さんなので、この句に巡り会ってなんかうれしい気がします。冷静に考えると、前作の巻頭も白石さんだったのに、流して読んでいたようです。失礼しました。
情景が目に浮かぶおもしろい句ですね。たしかに猫ってそういう仕草をします。
やなせたかしさんのもあります。「この頃の漫画わからず日向ぼこ」
ここで槍玉にあげられているのはどんな漫画なのか。劇画ですかね? わたしも古い作品の方が好きですが。でも、当時の作品だったら、タイプ的に今ほどひどくはないと思うのですが。(これは、年をとったから思うこと?)
理解できないというよりもしたくない感じなのかしら。
結城昌治さんもあります。「着ぶくれてなほ痩せしかと問はれけり」
すごく痩せていた方なんだそうです。
そういえば、結城さんの本を手にとったことがないなあ。
始めの方は前作に比べるとキレが悪いと思っていたのですが、いやいや、冬以降に気になる句が多かったのです。
「火事跡に思はぬ数の蛇口かな」北村仁子
自宅が火事にあったのだとしたら、ひどい災難です。でもこの方は非常に冷徹な眼差しを持っている。苦境の中にも発見のある明るさを感じます。
「あんな子がもう一人欲し七五三」福森妙子
よほどかわいい子だったのでしょうか。それとも、かわいらしく装わせる自分のかいがいしさを、もう一度行いたいと感じたのでしょうか。この子はきっと女の子なんだろうと予想いたします。七五三の季語がいいですね。(冬の季語です……)
「初泣の乳吸ふくちになりゐたる」黒崎かず子
授乳前にもう口がそういえば形になっている。その態勢で待っているのですね。言われてみれば記憶にある場面です。子供の表情が目に浮かぶ。
江國さんといえば、癌を読んだ句が有名です。この言葉感覚こそが、俳人の面目躍如たるものでしょう。
微苦笑というテーマではありますが、俳句って堅苦しいものでもないのではないかなと思わせられました。
教科書的・芸術を気取るようなものではなく、だれもが気づいていながら表現しきれなかったものを言葉にしていく。
そして、思いもよらない切り口で現実を切り取ってみせるのです。

「ファミリー」渡辺多恵子

2011-05-14 05:46:44 | コミック
中学生のころ、たいへん好きだったまんがです。全巻持っていたのを売ってしまい、古本屋でカバーなしのを部分的に買い、で、今回は愛蔵版を購入してみました。懐かしい。
渡辺多恵子「ファミリー!」(小学館)です。六冊セット。
母を失い、知り合いをたどって愛犬アダムと旅するジョナサン。彼が巡り会ったアンダーソン家は個性的で優しく、嘘も信じてくれるような人々。彼らと過ごすうちに、ジョナサンも変化していくのです。
あれからもう二十年以上経って、ママのシェレンよりも年上になってしまいましたが(笑)、やっぱり好きな物語を読むときの胸のときめきは変わりませんね。
フィーとレイフがどうなっていくのか、もうドキドキしてですね。一気に読みたい気持ちになりました。
そうだねー、最初は兄のケイの「彼」だったんだよね。ローラーゲームのホイップとかバレンタインにドレスをプレゼントとか、ジャニスとのあれこれとか、もういちいち懐かしいのです。読み直すとストーリーの筋はさらに明確になりますが、細かいネタなどよく覚えているところもずいぶんあって驚きです。「バフィーン」とかさー。
わたしがこの連載でとくに好きだったのは、女の子と父親がわりの男との愛情を描く「時の絆」。今回読み返したら思ったより短いので驚きました。大長編のような気がしていた。このキムとハーヴィとの物語は、何となく太刀掛秀子「風がはこぶだろう」も彷彿とさせます。
あー、それから、ジャニスと婚約者とのことを書いた話もよかった。彼の台詞にじわっときてしまいましたよ。
わたしは渡辺さんの作品世界がすごく好きだったので、一緒に読んだほかのまんがのこともいろいろ思い出します。「たてよこななめプリズム80」とか。「一」で「よこいち」、「|」で「たていち」と読む強引な双子と、引っ張りまわされる女の子の物語。これまたなつかしー。でも、細部を覚えていません。ななみ(主人公)の友人にあだ名をつけるシーンもあったような。
80というからには、もう三十年も前の作品なんですね。
つい調子に乗って、「はじめちゃんが一番!」のコミックもとびとびに四冊買ってしまいました。でも、このタイプ売ってないんだよね……。通して読みきれるのでしょうか。
さて、わたしは「ファミリー」では「もうひとりのマリア」も好きです。これ、別コミでカラーだったんだよねぇ。色合いもよく覚えています。
あとはトレイシーが映画に挑戦する話や、レイフの母がらみの話も好き。
読み返してみて、彼の父が恋人のリオに、おまえをいちばんに愛せたら幸せになれるのにな、とつぶやくシーンがあるのですが、今回、彼の最愛はレイフのことなんだとやっと気づきました。別れた奥さんへの未練の情だと思っていた……。
思春期に読んだ話って、やっぱりどこかに刻みこまれているのでしょうね。
この絵柄、この構成、好きだなー。思い切って買ったかいがありました。そうそう、ジョナサンがハロウィンでなすの仮装をしてさー。
もうとまりません。わたしはこの作品で、アメリカという自分とは文化の違う国のことを知ったように思います。
クッキーモンスター、イメージ的にはもっとかわいいと思っていたので、「セサミストリート」を見てびっくりしたなあ、そういえば。

「女うた男うた」道浦母都子・坪内稔典

2011-05-13 05:29:31 | 詩歌
「女うた男うた」(平凡社文庫)の坪内稔典さんのパートを読んでいたら奥様とのなれそめが結構出ていました。
わたしがその部分を推察してまとめてみますと、二人は高校の同級生で、坪内さんが文化祭のために書いたシナリオ「野菊の墓」に奥様が民子役で出演。(政男は別の友人が演じた)
卒業後、故郷を離れる日に心ひそかに彼女が見送りにきてくれないかと思って駅に立ち、そして……。
このところずっと坪内さんの本を読んでいるので、今でも仲のいいご夫婦なんだなと感じさせられます。
この本は、新聞に連載されたものをまとめていて、女うたのパートは道浦母都子さんの担当です。
ところが、どうもわたしは俳句の方が好きらしく、坪内さんの方しか読まない。おかしいな。愛誦するのは短歌の方が好みなんですが。
いや、ときどきは読みますよ。でも、なんか女うたはウェットな感じがする。この方は離婚した経験について何度か書いていますが、坪内さんの突き抜けた明るさと比べると、ちょっともの足りないように思うのです。
目についた句を書いておきましょう。
「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」鈴木六林男
戦死した男性のことを詠んだものだそうです。この方は初めて知りましたが、なんだか印象に残るものがありますね。
「家の扉はひらかれたままひゃく年たっている」片岡文雄
これも歴史の深みを感じさせる句。なにかいわれがありそうな。森閑と静まり返る感じがします。この扉、潜ってもいいのでせうか。「秋の灯のいつものひとつともりたる」木下夕□
木下さんも好きな句を詠まれる方です。爽やかできっぱりとした明るさが好き。
とってもおもしろいので続刊も借りてきました。韻文の力に照らされる作歌の周辺に、引かれてしまう今日このごろです。
漱石と子規についても書かれていましたが、二人が小動物に対して抱く可憐な存在への愛惜が印象的です。漱石は文鳥を「淡雪の精」と捉え、子規はある娘を「梅の聖霊」と呼んだそうです。

「純愛モラトリアム」椰月美智子

2011-05-12 05:37:25 | 文芸・エンターテイメント
久しぶりの椰月さん。で、これはおもしろく読みました。「純愛モラトリアム」(光文社)。
前の話に出てきた人が顔を出す「しりとり」のような構成ですが、わたしはどうもこういう連作に弱い。同時代性とか地続きな感じがいいんでしょうかね。ラストでもう一度はじめの話の人に出てきてもらいたいところでしたが。(西小原さん?)
母親の恋人に誘拐された女の子。同棲している恋人・太陽が誰にでも優しいこと(さらに誘われると断ることをしないこと)に腹を立てた女性。太陽が転がりこんだレンタルビデオ店の元同僚。ストーカー被害にあった女性。それを助けた正義感溢れる教師。
続けるときりがないまま全部紹介してしまいそうなんですが、一話一話コミカルでおもしろい。
気に入っているのは、「妄想ソラニン」です。二十五歳。初任のとき人生初となるバレンタインチョコレートを生徒からもらう。同日に、靴箱に手づくりのトリュフが入っていて……。
じゃがいもそっくりの彼、生徒たちから「ソラニン」と呼ばれています。芽にある毒素ですね。
趣味は妄想(笑)。このチョコレートもクラス一の美少女若村日菜がくれたと思いこみ、三年間待って結婚するというストーリーを考え続けるのです。
だから、実は日菜に彼氏がいることを知って動揺。相手は自分が顧問を務めるバスケ部のエース。ハンサムで性格もいいのです。周囲へのカムフラージュに違いないと考えたり、やっぱり自分の誤解なのかと悩んだり。
結末がまた彼らしくていいんです。
でも、読み終わってすぐ、本当に「四十一歳」が対象になるのか? 歳が違いすぎるでしょ、と思いましたが。
でもまた妄想するんだろうな。あはは。
次は日菜の物語。クラスのアイドルに祭り上げられた顛末を描きます。ハチとハナのコンビがおかしい。
「スーパーマリオ」も結構気に入りましたが、わたしとしては佐知子にいいたい。本当にそれでいいのかと。ひっそりと隠し持っている風呂敷の中身、やっぱり問題あるでしょう。
でも、この物語がいいのは、佐知子と里穂という二人の価値観の違いを通して男性観を描くことだと思います。清潔で細やかな異性を好む佐知子。おばあさんに対しての優しさをきちんと示す万理男は、彼女にとっては好ましい相手です。
しかし、里穂は高校生のときには社会人と付き合い、万理男と別れたあともすぐに恋人ができ、現在は太陽を誘ってみたり特定の相手を持たずに「複数の人とおおらかに付き合うのが得意」なんだそうです。
佐知子が好ましいと感じる相手は、ほぼ例外なく里穂に心引かれるようですね。
彼女の説が正しいのか、それとも万理男を信じるのか。一抹の不安を感じながらも夢中になっていく佐知子に共感しますが、うーん、でも本当に彼でいいのかどうかは……。
しかし、恋愛テーマの連作にしては、どこかずれていることが魅力なのではないかと。本に挟まるチラシには「不器用な人たちの可笑しくも切ないラブストーリー」「それはイタイほどに一途な想い」と書いてあるけど、そうかなあ??
ちょっとファンタジーミックスで、納得できない部分も多少ありましたが、これはおもしろいと思います。椰月さんはコメディがいけるかも。
最初の話では別れのシーンで、次の話にも結局姿を現さない凜ちゃんが気になります。

「一週間のしごと」永嶋恵美

2011-05-11 05:39:28 | ミステリ・サスペンス・ホラー
テュラテュラテュラテュラテュラテュララーテュラテュラテュラテュララー
……ふざけてるわけではありません。
永嶋恵美「一週間のしごと」(東京創元社)を読みました。
目次が、このロシア民謡を意識した造りになっています。
「土曜日に渋谷へ出かけ 見知らぬ子供を連れてきた」
「日曜日に母親が死んで」
「月曜日は遠くへ行った」
「火曜日に警察が来て」
「水曜日は母校へ逃げた」
「木曜日は授業にも出ず」
「金曜日は駆け引きばかり」
歌いたくなりません?
恭平は有名私立高校の一年生。外部入学生はクラスに二人とあって、同じ川崎市内から通う碓氷忍と親しくなります。
忍は非常に要領がよく大人びています。それに、年上の恋人がいるらしい。
恭平は同じマンションの隣に住む菜加と克己という幼なじみがいます。いつも菜加に振り回されるのですが、なんと今回は子供を拾ってきたという。しかもこの子供、字が読めない。おそらく学校にも通っていない。自分のことはまるっきり話そうとしない。
わかったのは「おちゃえん」というところにおじいちゃんたちが住んでいるらしいこと。茨城ではないかと推測した恭平は、菜加を現地に向かわせますが……。
集団自殺を装った殺人を描くノンスリップミステリーです。まさかこういう真相だったとは。思わず頭から読み直してしまいました。
あー、忍の「用」というのは、これのことなのね。克己がすれ違った制服って、そうなのね。
トラブルメイカーの幼なじみとのどたばた劇が中心ではありますが、その実、自分の見ていた現実が破綻していく物語でもあるわけです。
登場人物への親近感も、読みすすむうちに変化していきます。
菜加って図々しいしわがままで頭も悪いんですが、なんか憎めませんよね。
そして、この話でいちばん恰好いい! のは、文句なしに養護の先生です。名前が出てこないのがもったいないなー。
どう恰好いいかというと、恭平の苦境を見守ってくれるところですかね。表立ってはいないけど、きちんと見ている。
わざと穴をあけておくという締めの台詞がもう、すばらしい。
世の中をなめて生きる連中には報いがある。環境で人は変化していく。そんなことも考えました。
ところで、ミーナ、お金ないのに「タダ飯」おごっていたのですか。彼の方がお金もちな感じなんですが。