くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「隠れた薬害? 精神分裂病」夏来進 その1

2011-09-30 05:06:27 | エッセイ・ルポルタージュ
ものすごい本でした……。タイトルや帯から想像したような内容からは奇妙なほどにずれているのがまた怖いというか。
だって、どう思います? タイトル「隠れた薬害? 精神分裂病」。帯キャッチコピー「精神分裂病のレッテルを貼られた人間に社会復帰の道はあるのか?」。漢字にはルビつき。
「はじめに」(この標題で三ページしかないのに「第一章」です……)を見たところ、このルビは「言葉遊びが隠されているから」で、解法のヒントは前に書いた本に紹介されている、つまり今回の本だけでは全くわからない。しかも、その本のタイトルはというと「平成忍者の時間留学」……。
この時点で、怪しさ満点です。
でも、社会に警鐘を鳴らすような本なんだろうなと思いながら読んでいったのですが、なんだかどんどん袋小路に踏み込んでいくというか。あれあれ、なんで新興宗教の教祖みたいなことになってるの? この小説めいた文章は本気で書いてるの? と、ちょっと失礼なことしか頭に浮かばないような状況になっていきます。
鹿児島育ちの筆者は、東大医学部を卒業後大学病院に残ることにします。そこで研修医として研鑽を積み、やがては神経細胞の研究がしたいと考えていたのです。
まず内科で研修をしようと考えます。その科では何歳か年上のオーベンがマンツーマンで指導してくれるのがポイント。彼の指導はよその大学から移ってきたI先生という女性。美人ですが、評判は余りよろしくはないようでした。
ものすごく忙しい毎日を過ごすうちに、I先生の独り言が気になってきます。そこで、彼女が思いを寄せる相手に妻子がいるらしいと知るのですが、数日後に「結婚してあげようか」と突然言われる。
そういう付き合いをしてきたわけではないし、I先生は好みのタイプではなかったのでそっけない態度をとるうちに、周囲からあれこれ言われ出して敬遠され、とうとう退職せざるを得なくなりました。
これは自分を追い込んだI先生が悪いと、電話で話しあいを申し込むも断られ、父親にその件を訴えても相手にされなかったために逆上。警察に連れていかれ、精神病院に入れられてしまうのです。
このI先生、昔のアイドル歌手と同姓同名なんだそうで、筆者がいくらこうなったのも彼女のせいなんだと言っても誰も信じてくれない。
だから、この本を書いた目的は「何とか皆さんに、強力精神安定剤とはどういう薬か調べていただきたいという点と、私にとって全てのはじまりであった、第二章に書いたI先生という人が本当にいて、平成元年にあの事件があったという私の指摘を確かめていただきたいという二点です」だそうです。
この本は、前者についてまとめるべきだったのでは? 薬を飲み続けることによってレセプターが増加し、ドーパミン過多になってしまうために神経系統が混乱を起こすという主張は、考えさせられるものがあります。強制入院していたときの様子をもっと詳しく、周囲のことなども含めて書いてある方が、きっと充実した内容になったと思うのです。

「県庁おもてなし課」有川浩

2011-09-28 05:27:29 | 文芸・エンターテイメント
こうやってみると、「グループ魂」で「それゆけ宮城夢大使」という歌詞を書いた宮藤官九郎はいい仕事をしているんですね(笑)。大使って何年か経つと更新するんだっけ?
有川浩「県庁おもてなし課」(角川書店)、おもしろかった。久々に堪能しました。
高知県庁に誕生した「おもてなし課」、観光客を増やそうとするものの、何をどうすればいいのかがわからない。他県を見習って、有名人に「観光大使」になってもらい、クーポン券つきの名刺を配ってもらおうということになりますが、依頼した若手作家の吉門に駄目出しされます。
声がかかってから一ヶ月、なんのリアクションもない。名刺を送るというが、現時点ではデザイン中。しかも利用施設には期限があって、毎年使えない名刺が残ってしまう。
本気で取り組むつもりがあるなら、かつて「パンダ誘致論」をぶち上げた職員について調べてみろと言われ、担当の掛水は奮起します。
もう二十年も前に、高知にパンダを連れてくるべしと主張した清遠は、県庁を退職後(もちろん停年退職ではありません)民宿を始め、さらに観光コンサルタントとしての仕事をしていることを突き止め、掛水はアルバイトの多紀(この子の採用も吉門のアドバイス)とともに会いに行きます。
しかし、民宿から現れた若い女性にバケツで水をかけられてしまう。なんとか吉門の名前を出して名刺を受け取ってもらいますが……。
前途多難に思われたおもてなし課が、吉門や清遠の考えを受けて変わっていくのが痛快。掛水と多紀、吉門と佐和の恋が、まあなんともいえません。
メインは掛水なんでしょうけど(表紙カバーもそうですしね。ウチダヒロコさんの絵はいい!)、わたしは佐和がたまらないです。懐かない猫みたいな彼女が、義理の兄にたいしてどういう思いを抱いているか。民宿の客に若夫婦と間違われる場面とか、大学に行くために家を出る吉門に寂しそうな顔をするところとか、健気で愛しいです。
「好きや。帰ってきてえいか」が、もう頭の中でぐるぐる回りっぱなし。
物語全体を包む土佐弁が、またいい味出しています。
高知県全体をレジャーランドとして活性化させようとする計画が、わくわくしますね。
わたしは四国に行ったことはないのですが、この本を読んだら一度訪ねてみたいような気持ちになりました。
でも、高知に限らず、町っておもしろいのです。地図を片手に散策する楽しさがあります。わたしは三島とか鎌倉とか、目的を決めずに歩いてみたことがありますが、いろいろな発見がありました。近くの町でも、探してみると様々な顔に出会えると思います。
有川さんにとって、この話は半実仮想のようですが、そういうのがぴったり合うとおもしろいのですよね。馬路村の柚子、地理音痴のわたしでも知っております。
パラグライダーも本で読む分には楽しそうです。いや、自分では決してしませんが。
有川作品では、好きなものの上位にエントリーですね。おすすめします。

「ゴーストハント⑥ 海からくるもの」小野不由美

2011-09-27 21:39:44 | ミステリ・サスペンス・ホラー
出ましたね、独銛杵が。前の巻までぼーさんの法具が全く出てこないので、後半どうなるのかと思っていたのですが、登場してうれしい。ぼーさん傷だらけですが。
「ゴーストハント⑥ 海からくるもの」(メディアファクトリー)。
あと一冊でリライト版も終わりかと思うと淋しいですね。今回はかなり伏線がクローズアップされ、クライマックス目前の感じがしました。
浄化ってなんだろう、と考えさせられます。この話、「悪霊とよばないで」もまんが版も何回か読んでいる。でも、麻衣が夢で見たお姫様や、六部の霊が、夷神に縛られて浄化できずにいるという悲しみが、この巻では実感できました。
綾子の浄化もとても印象に残るのですが、その前後のエピソードがさらに補強している。あのぼーさんやジョンすら満身創痍になるような霊たちを操る神。それを除霊するナル。前回「化け物を狩る方法はない」と言ったナルが、それと同等(それ以上?)の夷神を消してしまおうとする訳です。
荒ぶる神は、利益をもたらしますがリスクも大きい。綾子が
「暴風雨や高波を本当に鎮められるなら、浄化した霊を引き戻すのも簡単かもね」なんてとんでもないことを言っています。
このあたりとか「異人殺し」のあたり、非常に懐かしいです。学生時代に民俗学の基礎として勉強したんですよ。小松和彦の「異人論」がテキストでした。六部殺しのエピソードでは、確か宮城県北の伝説が題材になっていた記憶が。
この話、いつもに比べて整理するとたいへんシンプルなのですね。でも、二転三転しているのは、「ナルの視点」が差し挟まれないからでしょう。霊に体を乗っ取られかけて、リンに緊縛されている。
いつもの罵り雑言がないのはなんだか変な感じですよー。
古文書や立山信仰、言い伝えを調べてみた泰造さんのエピソードが増えていると思うんですが、元版は以前取り寄せてもらって読んだので比べられません。
リンさんがちょっと人間くさいのがいいなー。安原さんがバイトを頼んだ女の子にお金を払って貰えるかと聞いたときや、 昏睡状態のナルを心配する麻衣への返事が、意外と温かい。
近隣でなかなか売ってなくて、ちょっと足を伸ばしたのですが、そこにも一冊しかなかった。大きな書店にはあるのでしょうが。
今回真砂子に「麻衣」と呼ばれて喜ぶ場面がありましたが、ナルっていつから「ぼーさん」って呼んでるんだっけ? とちょっと思ったり。綾子のことは「松崎さん」って呼ぶよね。
綾子といえば、今回医者の娘であることがわかりますが、麻衣たちがバスを使わせてもらって部屋がゴージャスだと驚く場面がどこかにあったように思うのです。(「悪魔の住む家」かしら??)
調査の途中でナルは「ジョンを呼ぼう」と提案することもある。これは、誰が連絡をとるのでしょう。リンさん?
いや、まんが版ではラストで麻衣がみんなの連絡先を知らないと悩むシーンがあるので。ちょっと気になったのです。
ぼーさんなんて安原さんのバイト先の電話番号まで知ってる(笑)! しかも能登から沖縄まで公衆電話使用です。(あれ? 帳場からかけてるってことは彰文さんちの電話?)
今回も非常に怖いです。祟り神に見込まれたハフリの家。怖いけれど、この構成には脱帽。

「OZ」樹なつみ

2011-09-22 21:50:38 | コミック
やっとやっと「OZ」(白泉社)を発見です。でも、今までわたしが持ってたのは完全収録版の①④⑤で、今回買ったのは旧版の①~④。まあ、内容は同じだと思うんですが。ムトー、やっと読めたよーっ。
樹なつみらしいハードでサスペンスフルで純情でまがまがしい(ほめてるんですよ)展開に、もう夢中で読んでしまいます。
たった40分。第三次世界大戦が勃発し、世界は人口の大半を失います。太陽の光は届かず、訪れたのは擬似氷河期。世界規模の戦国時代を生き抜く彼らの間でささやかれるのは、どこかにOZというユートピアがあるということ。
行方不明の兄、リオンがそこにいるらしいと聞いた少女フィリシアは、なんとかその場所に行こうとします。母親のパメラに生き写しのアンドロイド一○一九(19)が水先案内役で現れるのですが、世間知らずの二人(?)では到底行き着けそうにない。傭兵のムトーはフィリシアの警護をしていましたが、彼女のたっての願いで自分の職務を捨ててもOZに行くことを優先させることにします。
兄妹へのコンプレックスから素直になれないヴィアンカ。ムトーを上役として慕うネイト。サイバノイドとしての能力を発揮する一○二四(24)。
OZで待っていたのは、偏った考えに支配された天才科学者のリオンでした。
ムトーたちは屈折したOZを破壊するために、リオンに挑むことになります。
OZの創始に関わった科学者のダンドリー博士が、リオンに乗っ取られたはずのコンピュータ「アスラ」にアクセスする場面は鳥肌ものです。リオンは彼のパスワードを書き変え、自分のものとしていたのですが、非常事態と判断した「アスラ」は唯一その裏口パスワード(ダンドリー博士は二重ロックをかけていたのです)しか受け付けない。
機械は「心」を持つのか。
これは「OZ」で繰り返し描かれるテーマですが、「アスラ」と博士との「つながり」も、それを強めているように思います。
ハートをもったブリキの樵。バイオロイドたち、とくに19と24は「オズの魔法使い」で描かれたこの樵をモチーフに描かれる。(ムトーはライオンです。カカシは誰?)
ムトーにとって19は、どんどん「機械」の枠を越えてくる。表情や感情も、作りものには見えなくなります。ラストで彼の「最期」が暗示されますが、これがまた直接描かれているわけでもないのに染み入るのです。
そして、結局は人間の感情を理解できない24と、ネイトとの結末も胸を打ちます。これは、アンハッピーなのですが、ある意味では二人は幸せだと言えないこともない。
驚愕の事実に驚きつつ、進歩しすぎた科学とは人類に何をもたらすのかと考えさせられます。
「完全収録版」、しまいこんでいるので出してきて比べようかな。ショックだったのは、全巻揃ってから読むつもりで我慢してきたというのに、欠けている巻はまだ在庫があることに今まで気がつかなかったことですね……。(売っているのを見ないのですが……)

「唐沢俊一の雑学王」

2011-09-20 05:47:37 | 総記・図書館学
顔にほくろやそばかすのある人は、花粉症になりにくい、のだそうです。本当に? わたしには大きなほくろがあります。たしかに、花粉症ではありません。弟は、世間が騒ぎ出すよりもずーっと前から花粉症。(診断は「春季カタル」)ほくろはあったかな? よく覚えていません……。
「唐沢俊一の雑学王 役に立たない! でも妙に気になるムダ知識」(廣済堂出版)。ソルボンヌK子さんがまんがを描いています。
でもさあ。
唐沢さん、この本、下ネタが多すぎてちょっと困ります。「酒の席で、もういいかげんみんなにアルコールが回りはじめた頃であれば、まずこの類のネタは無敵である」なんて言っているけど、それは違うと思う。そういうのが好きな人ももちろんいるでしょうが、いくら酒の席でも(いや、酒の席だからこそ!)そういう話題をされるのは嫌だと感じる人も多いはず。しかたないから付き合いますけどね、嫌なものです。誤解した親父は。
言い過ぎかもしれませんが、雑学の話題は大好きなので、この本もかなり期待して買ったのです。
でも、数ページ読んで古本屋に売ってこようかと思うようななりました。だって、あまりにも品がない話題が多くて……。
かえっておもしろかった話題を探す方が難しいかも?
スヌーピーの兄弟は八匹。証明写真撮影ボックスを発明したのは円谷英二。オセロゲームを発明したのは長谷川五郎という営業マン。囲碁将棋の名人で、どこにいっても挑まれたために、短時間で勝負がつくゲームを開発したそうです。これについては、ずっと探していた話なのでちょっとホッとしました。
演出型の結婚式を始めたのはダ・ヴィンチとか。仙台の人はライブのノリが悪いってのもありました。
この本、バーゲンブックセールで買ったため、芸能に関わる内容が多少古い。モーニング娘。が取り上げられている項もあります。
トリビアが流行していた時期なんでしょうね。雑学のおもしろさは、それをどういう場面で語るかである、というのは納得できます。だから、どんなことをどんなふうに語るかを大切にしたい。
人によっては取るに足らないこと。でも、それも含めておもしろい知識が、わたしは好きなのです。

「西風のくれた鍵」アトリー

2011-09-19 19:44:10 | 外国文学
西風がくれた木の実(キイ)を、所定の木に合わせて開けると、その木が隠し持っている真実を目にすることができる。楓の木は夏の時間を大切にし、トネリコの木は音楽に浸っている。長い間、道に立っている樫は、ここを通る人間たちの生活の営みを見続ける。
そのことを知った少年は、もうそれで充分に満足。普段の生活に戻っていきます。「西風のくれた鍵」(岩波少年文庫)アトリーの短編集です。
今回も、物語の原型を感じさせるような素朴で美しい作品でした。わたしがもっとも印象深いのは、「妖精の花嫁ポリー」。パン屋で働く男から求婚されていたポリーですが、何度も家にやってきては自分と結婚してほしいと父に語るピクシーに心引かれるようになります。ピクシーは、金貨がいっぱいに詰まった壷や、からっぽになることのないシチュー鍋、世界じゅうの歌をうたうオルゴールをお土産にやってきますが、家族は反対します。大事な娘を妖精の花嫁などにできるわけがない。しかし、ポリーは反対を押し切るようにしてピクシーのもとに嫁ぐのでした。
魔法でピクシーと同じ背丈になったポリーは、幸せな毎日を過ごしますが、十年ほどして家族に会いたくてたまらなくなります。夫に無理を言って帰った先には、もう懐かしいあの小屋はなく、通りがかった老人からは百年も昔にあったらしいと聞かされます。
ピクシーの時間と、人間の時間は違うということを知ったポリーは、傷心のまま戻っていくのでした。
「浦島太郎」っぽいですよね。でも、わたしが先に思いついたのは、「寒戸の婆」です。(遠野物語)
で、ポリーの家があったところは、ホテルになっています。「きみょうな、馬のついていない乗り物--巨大なかぶと虫のように黒く光っている乗り物--が、フクロウやヨタカたちのように金切り声をあげたりしながら、車寄せを出たりはいったりしていました」
この時代にはもう自動車も一般的になっているんですねー。アトリーは、自分が生きている時代よりも古い物語を綴っていたのだなあと、不思議な感じがしました。今現在から見ると、ポリーは二百年以上昔に生きていたのですね。もしかすると、まだ若々しいかも……。
「鋳かけ屋の宝もの」は、夢を見て木の根本を掘る話です。このパターン、日本の昔話にもありますね。
「幻のスパイス売り」は、けなげな料理人見習いのベツシーがかわいい。「雪むすめ」の一途さも。
アトリーの物語、非常に郷愁を覚えます。石井さんと中川さんの訳は非常にすんなりと読めて楽しい。もう少しあれこれ読んでみます。

「わたし、男子校出身です。」椿姫彩菜

2011-09-18 21:08:30 | エッセイ・ルポルタージュ
出版当時評判になったので気になっていました。図書館でふと目についたので借りてきたんですが、なかなかどうして、ハードです。
でも、装丁も写真もかわいいんだよね。外見と中身のギャップ。それでいながら、不思議なほどマッチしてもいる。椿姫彩菜「わたし、男子校出身です。」(ポプラ社)。
椿姫さんは雑誌モデルもしている女子大学生。のはずなんですが、実は中高一貫の名目男子校の卒業生。ということは、男子だったわけです。
わたしはジェンダーとか性的にマイノリティな問題を取り上げた本が気になるのです。性同一障碍についても、十年ほど前に競艇選手安藤博将さんの「スカートをはいた少年」も読みました。こちらとは逆パターンですね。安藤さんは女子高出身です。
椿姫さんは、その男子校に小学校三年で編入。はじめは変な子だと敬遠されたようです。一人だけ仲良くなった友達がいて、その子とずっと一緒にいる。
写真を見た感じでは、幼児のころから小学校低学年にかけての「彼」は、みるからにかわいい男の子。仕草でからかわれていたんでしょうか。
中学生になると、集団の中で次第に居場所をみつけていきます。なかでも、行事の実行委員と、文化祭ステージ発表。女装してヒロインを演じるのに何の違和感もなく、拍手喝采をうけたのだとか。
心は女の子なので、男子の恰好をしているのも辛い。詰襟を拒否し、髪を伸ばし(親に注意されると、金田一少年みたいにしたいと言っていたそうです)、休日はかわいい服を着て街を歩く。そんな息子の姿を理解できない母はいらいらして、
「あんた、キモイのよ」という言葉をぶつけてきます。教育熱心でなにかと衝突しがちな母と離れようと、祖母のところに家出しますが、学校に通うには四時起きしなくてはならない。祖母はそれにつきあったために倒れてしまうのです。
進学率百パーセントの学校を卒業して、青山学院大学に進学。証明写真を見ると、どう見ても女の子にしか見えないんですが、なにしろ名前は男そのもの(ゆういちろう・仮名)なので、学内では浮きまくり。
様々な葛藤を経て、戸籍を変更することを決意します。そのためには性転換手術が必要。そして、まずは除籍をと、携帯電話を解除し家を出ていくのです。
ニューハーフクラブで働きながら資金をため、予約から一年待って手術。しかし、そこには大きなリスクがあったのです。
エストロゲンの投与により、乳癌や心不全、糖代謝の異常をきたす可能性、一生更年期障碍と戦うこと、血栓症、肝機能や免疫力の低下、さらに寿命は縮む。手術後の形成が変わらないように器具が必要で、自分の体が「作り物」であることに落ち込みます。
でも、体も戸籍も「女」になったことで、ほかにはかえがたい安心感があったようです。
混沌の思春期。頭と体がばらばらな状態では、さらに苦しいのではないでしょうか。
お母さんとの関わりを軸にこの物語は描かれます。全体的にはすごくおもしろいんですが、ひとつだけ不満をいうならば、椿姫さんにとっては「ママ」なんだよなーということ。わざとなんでしょうけど、「母」では駄目なんですかね。書き言葉でこうなのは、かなり主観的な感じがします。
ちなみに後半に出てくるクラブのママも、「ママ」です。見分けはつくのですが。

「ほまれ」その2

2011-09-17 06:00:05 | 芸術・芸能・スポーツ
ジェンダーについても考えさせられます。サッカーや野球は「男子」のスポーツだと考えられているから、「女子」は奇異に見えるのですね。近年競技人口も増えてきましたが、実際サッカー部に入ってプレーしていた女の子、わたしは一人しか知りません。
野球部に入りたい女の子がいるが、学校は躊躇している。しかし、澤の姿をみてきた経験から、その子を入部させてやりたいと、学生時代の友人から相談がくるエピソードもいいです。
素敵だなと思うシーンはほかにもいろいろあるのですが、まずは中学生で代表入りした澤さんが自己アピールとして必ずいちばん前を走るようにしたという場面。並み居る先輩方の誰よりも前に。澤さんはもとより、そういう雰囲気を作ってくれる先輩の後押しがすばらしい。
東アジア選手権で、北朝鮮との切迫した試合。自分のゴールで同点に追い付いた宮間選手が、
「澤さん、あと一点で勝てるよっ!」と叫び、その通りになるところもよかった。
先輩からも後輩からも励まされる。それはもちろん、澤さんがみんなを支えているからです。
感想文を書いてきたMちゃんに聞いたのですが、澤さんは、ゲーム中苦しいときは「私の背中を見て」と言っているそうです。どんなに苦しいときでも、人一倍走り回る澤穂希という選手。十五年以上も日本の女子サッカーを牽引してきた彼女だからこそでしょう。
この本は、北京五輪を目前にした時期に出版されたものです。構成の日々野真理さんが澤さんに惚れ込んで企画したとのこと。澤さんは終章で世界大会でメダルをとることが夢だと語っています。「自分のプレーでメダルを手にしたい。私が現役時代に達成できず、後輩たちがそれを獲得したら、きっと悔しいし、うらやましい思いをするだろう。/それでも、喜びは大きい。/私たちが積み重ねてきた日々の努力が、未来のメダルへとつながるのだ」
夢が、叶ったのですね。
この本、実はカバーが二枚ついています。てっきりミスがあったのかと思ったのですが、どうやら今回の優勝で前のもの(澤さんの写真)の上から今回の優勝シーンへ架け替えたようですね。書店に置いてある本も二重になっていました。
澤さんの人生は、そのまま女子サッカーの歴史。これからのなでしこたちのためにも、高い目標であってほしいですね。

「ほまれ」澤穂希 その1

2011-09-16 02:54:29 | 芸術・芸能・スポーツ
おもしろい! 一過性のブームで終わらず、これからも読みつがれてほしい本です。澤穂希「ほまれ なでしこジャパンエースのあゆみ」(河出書房新社)。今なら書店で平積みになっているはず。
澤さんといえば、女子サッカー界のパイオニアでありカリスマ。先日のW杯優勝でのヘディングシュートも記憶に新しい、今いちばん旬ともいえる選手です。この本を読んだら、さらに澤さんのことを好きになるでしょう。サッカーに全く興味のないわたしでも、今度は試合を見てみようかしらと思うほどですが、残念ながら大会終わったばかりなんですよね。オリンピック出場権獲得おめでとうございます。
え? どうしてテレビもほとんど見ず、サッカーに関心もないわたしがこの本を手に取ったのかって?
それは、読書感想文の指導のため……。代表に選ぶからには、本に目を通さねば。で、大人にも子供にも読んでほしいと思ったわけです。
一読して感じたのは、澤さん自身、「挫折」というべき経験を何度もしていることです。年子のお兄さんにくっついて始めたサッカーで頭角を現し、小学生チームでも中心的な活躍をしていた澤さん。しかし、女の子がサッカーをやることは、なかなか厳しい現実だったのです。
まず、「少年サッカー大会」には出られません。(だって、少女だから)
実力を認められて、中学生ながらシニアのクラブチーム「読売ベレーザ」に加入することになりますが、学校が終わるやいなや知人の家で着替えさせてもらい、バスに揺られて練習場へ。アップしたりグラウンドを整備したりしてから練習開始。チームメイトはみんな年上のお姉さん。(仕事をしている人も多いため、開始時間は遅い)
終了後、家に帰るのは必然的に遅くなり、それでも翌日は学校のために起床。
十四歳で全日本チーム入りします。そのためのハードな練習も頑張ります。
ある日家に帰ると、両親から離婚すると告げられる。もう話し合いは終わった段階で、彼女はどちらと暮らすのか選択を迫られたのです。
国際大会に出場し、代表としての地位を確立しますが、世界の強豪になかなか勝つことができずに悩み、男子に比べてスポットが当たらず活動費も少ない女子サッカーの現状に苦しみます。企業からプロ契約を解除する申し出があり、考えたすえにアメリカに。
壁という表現がされていますが、自分の技術向上やレギュラー争い、チーム内での関わりなど、様々な世代の人が少なからず悩むことなのではないでしょうか。例えば中学生の道徳資料にも同様の作品はあります。でも、澤さんのようなトップレベルの人でも、同じように苦しむんだと知ることは大きい。栄光の陰にある努力を知ることができます。
澤さんは、子供の頃から何度となく自宅の前の壁にボールを蹴ってきたそうです。「当時は大きな壁に、ボールを蹴っているつもりだったが、今、その壁を見ると、とても小さく感じてしまう」。これも、「壁=困難」と読むことができそうな言葉ですね。

「橋はかかる」村崎太郎・栗原美和子

2011-09-15 05:26:09 | エッセイ・ルポルタージュ
どう説明すればいいのか……。とにかく、揺さぶられます。一気に読んでしまいました。村崎太郎・栗原美和子「橋はかかる」(ポプラ社)。
読みたくて探していたんですが、わたしの行きつけの図書館にはなく、この夏自校の図書室のために買いました。NDCは7番代なんですが、これは猿まわしが「芸能」だからなのでしょうか。
村崎さんの人生を、栗原さんが記述した作品だそうです。
「に生まれようが生まれまいが、一生懸命やらん奴の人生はつまらんのだ。『どうせ』なんて卑屈になって生きることほどつまらんものはない」
父親の義正さんの言葉です。被差別に生まれ、並大抵ではない苦労をして生きてきた人。自分たちの暮らしを向上させるために、市長室で座り込みを決行します。
「市長、こう考えてみてもらえますか。もひ、あなたの家族の中に障害者がいたとしたら、あなたはその障害者をほったらかしにしますか?」
「村崎君、しないよ、そんなことは」
「そうでしょう。その障害者がなんです!」
当時の市長とのやりとり。約束は守られ、発展から取り残されていたこの地区も開発されていくことになりますが、実は市長のお子さんに、障碍をもった方がいたそうです。
橋。この題名は、住井すゑの「橋のない川」を念頭においたものでしょう。
向こう側とこちら側。でない地域と、被差別と呼ばれる地域。
恋愛も出身ではない人と、と考える一方で、やっぱり認めてはもらえないだろうと悲観する自分がいる。
もともとの芸だった猿まわしを、なんとか復活させたいと願う父に求められて、進学を断念した村崎さんでした。彼が成功しますが、やがて一族と反りが合わなくなり鬱状態になっていきます。そんなとき、猿まわしとしての人生をドラマ化したいという女性が現れ……。
二人の立ち向かうべきもの。それは、やはり橋をかけることなのでしょう。隠して、誰の目にもふれないようにすることではなく、誰もが出自にひけめを感じることがない社会です。
同和教育があまりにもひどい授業だったことに、今でも憤りを覚えている村崎さん。わたしはそういう授業を受けたことはありません。どうして彼らが差別されるようになったのか、歴史的なことを聞いてもよくわからないままでした。関西の方では盛んなんですよね。
東の方では差別への関心が薄いと聞いて移り住む人も多いそうです。
自分がカミングアウトすることで、秘されていたことを公の場で語る機会を作りたい。村崎さんはそう思ったそうです。
自分も出身であることを隠している。彼と会うときにそんな告白をする人も少なくないとか。
生まれる場所を選ぶことはできません。いわれのないハンディは悔しいものでしょう。
かけ橋となるのは、今現在を生きる、わたしたちの思いひとつではないかと感じました。