くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「仕事マンガ!」梅崎修

2012-05-31 21:41:47 | 哲学・人生相談
 キャリアデザインというものについて、学校でも取り組みが求められているようです。キャリアスタートウィークとか職業調べとか、総合的な学習の時間に行うんですよね。図書室で学習に利用されるコーナーとしても、「職業」は頻度が高い。
 この本は、図書館に面陳列されていたものです。ヤングアダルトが独立しているので、中学生にも親しみやすいかな、と思ったんですが、わたしの方が近い感覚でした。さもありなん、同じ年です。著書は法政大学准教授の梅崎修さん。「仕事マンガ! 52作品から学ぶキャリアデザイン」(ナカニシヤ出版)。紹介されているマンガは、「自虐の詩」とか「グッジョブ」とか「のたり松太郎」とか「三丁目の夕日」とか「へうげもの」とか「るきさん」とか……。あれれ、職業をテーマにしている部分よりも社会問題を取り上げた項目の作品が多くなっちゃったぞ。えーと、例えばユキエさんですけどね、少女期に新聞配達をしていて、配り終えると清々しい気持ちになる。しかし、配達所に帰ると追加を頼まれて愕然。先程の清々しさが一転して嫌な気分に……という場面が引いてあります。
 コマ絵が目に浮かぶんですよね。わたし、この作品がメジャーになる以前から友人たちに布教していましたから。「光文社コミックス全五巻」、持っています。文庫上下巻、持っています。映画化記念再編集版はさすがに売りましたが。(今更ですが、「自虐の詩」ですよ)
 梅崎さんは、ユキエさんの労働がイサオと比較されていることを指摘し、「彼女の幸福とは、肉体労働とつながった幸せの実感」と結論づけるのです。
 連載当時女子大生だったわたし。最終回までのカウントダウンが気になって、店頭で「宝石」立ち読みしていました……。
 さて、梅崎さんは若者たちの目から仕事についての情報が遠ざけられているように感じるといいます。職の体験はかつて日常的であったのに、今は紙上で眺めるものになっているような。もっとも実になるのはアルバイトなんでしょうけど。
 読んでみたいと思ったものを書いておきます。まずは、「ワーキングピュア」(小山田容子 講談社)、「コンシェルジュ」(いしざきひでゆき・藤栄道彦 新潮社)。「ナースあおい」(こしのりょう 講談社)といったところかな。「エンゼルバンク」も気になります。
 わたし自身、学校現場以外のところにはまるで縁がなかったのでいろいろな世界が垣間見られておもしろかった。た。ちくま新書の「マンガに教わる仕事学」も読んでみたいですね。

「天山の巫女ソニン 予言の娘」菅野雪虫

2012-05-30 05:20:16 | YA・児童書
 「ソニン」の巨山外伝「予言の娘」(講談社)です。わーい。
 書店でみつけて、図書館に入るのを待っていました。北の大国巨山の姫イェラの視点。正妃の娘でありながら厄介者扱いされて育った彼女が、何故継嗣となったのかが描かれています。
 イェラは本編でも、妙に無愛想なのに魅力的で気になる存在でした。大きな白い犬・ムサを従えて、冬枯れた地を歩く彼女の孤高さ、気高さ。そこに潜むものを育んだのは、魅力的で策略家の父王と、三人もいる側室たちを意識するあまりなんとか王子をとやっきになる母です。
 母の愛を求めていたイェラは、王女として生まれた時点でもはや自分が眼中にもなかったのだということを思い知らされます。「あれはわたしの母ではない。どこにもいないわたしの兄や弟の母だ」
 淡々と日々を過ごすイェラの前に、三人の異母兄弟が現れます。王族の血を引く母をもつオルム王子、商人の娘を母とするタウム王子、地方の有力者の娘だった母から生まれたカナン王子です。イェラは乗馬が得意なのに狩りを好まないカナン王子と親しくなりますが、不慮の死にあってしまいます。実のところカナンはある秘密を抱えていました。それを守ろうとして命を落としたともいえます。
 また、天文台の星読みであるフェソンとの交流も、イェラにとっては大切なものでした。しかし、父からそれを禁じられるようになります。
 母親や兄弟たちのように、巨山を統治する王として君臨したいとは、イェラは全く考えていません。彼女は学ぶことを大切にしていて、書物を読んだり自分の頭で考えることが好きなのです。母親方の祖父に声をかけられたり、兄たちから陰謀をしかけられたりしますが、基本的に欲望からは無縁の人物です。
 彼女の静謐な潔さが、しみじみと味わい深く感じられました。策略にはまってピンチに陥りながらも、切り抜ける力。風変わりな王女の魅力を感じます。
 やっぱりこの装丁がいいんですよね。本編はノベル版が出ていますが、絵柄が全く変わって驚きました。本棚に並べるなら断然単行本ですね。装画は唖々砂(アーサ)さんです。

「風の唄」あさのあつこ

2012-05-29 05:45:09 | 文芸・エンターテイメント
 教育実習の方が来ています。
 小説教材をお願いしたのですが、自分で読むのとはまた違う発見があるのがおもしろい。新鮮ですね。人に読んでもらうのって、思った以上に訴えかけられるような気がしました。
 で、教科書の「風の唄」です。映子のあだ名は省略されています。で、某ワークブックでは東真を充と美代子の子供として紹介。うーん、美代子は義母ですよ。だから幼いころに曾祖母と祖母の家で暮らしていたんですよね。まあ、話がややこしくなるのでそこはふれないでおきましょう。
 何回も繰り返して読むうちに、「柿」というモチーフが重要であることがわかってきます。小さい頃から繰り返し描いてきた絵。その一枚を、曾祖母は額に入れて飾ります。しかし、映子との才能の違いに衝撃を受けた東真は、その絵を河原で焼いてしまう。これは、自分にとってプラスの存在だった絵が、マイナスに転化したからではないかと感じました。
 彼にとって、柿と映子とは美しいものを具現化している存在のように思います。どちらも「焔」「炎」にたとえられているし。
 「他人のために描ける」ことについて、ラストには曾祖母のためにと庭の柿を描く様子が示されます。この絵は曾祖母の棺に入れて焼くのですから、燃やすために描かれると考えていいでしょう。一瞬の存在しか許されない、そんな絵です。でも、だからといっていい加減に描いていいものでもない。彼が燃やしてしまった柿の絵同様、曾祖母に気に入ってもらえるものでなければならないのです。
 小説では主人公の変容を読み取ることが重要です。その変化に何が関わるのかをつかませないと。ここでは絵が描けなくなった東真が、再び描けるようになる。曾祖母の遺言と映子の苦悩を知ったことがきっかけといえるでしょう。
 昨年、教科書に載ると知ったときにはどうやって教えるのか悩みましたが、こうやって読んでみるとかなり細かいところまで計算された小説です。東真と映子も対照的に描かれている。ただ、映子から見て、東真の悩みを根本から理解していたとは思えませんが。一年の間、彼女も悩んできたのでしょうが、こだわっているのは東真の肖像画の方です。彼に未完成の絵を見られて、怒らせてしまったことへの悔恨のように思います。「まだ描きたい」というからには、あのとき以来筆をとっていないのでしょう。映子もまた、描けなくなった絵と向き合うために東真に会いにきたのです。

「すっぴん魂大全」紅饅頭 室井滋

2012-05-27 05:06:33 | エッセイ・ルポルタージュ
 昨夜来の雨も上がり、気持ちよく晴れた土曜日の朝。
 小学校の運動会のために、わたしとおばあちゃんはお弁当の準備をしていたのでした。のりまき、いなりずし、たまご焼き、ウィンナー、唐揚げ、煮つけ。五時すぎから始めたものがそろそろ仕上がる六時十五分、連絡網によって延期と伝えられたのです……。
 そんなー、今日は晴れるって聞いていたから部活をわざわざ日曜日にまわしたのに! 今更招集するわけにはいかず、仕方がないので明日の運動会を諦めるしかありません。晴れてるのにー、近くの学校では実施の花火をあげたのにー。
 朝からのりまきを食べ、夕飯は唐揚げです。明日の弁当メニューも考えないと。
 こういうとき、室井滋さんの破天荒な体験を綴ったエッセイがおもしろいので、少し慰められました。「すっぴん魂大全」(文藝春秋)。週刊文春に連載されたものから自選したものだそう。紅饅頭・白饅頭でエッセイ百本。宮部みゆきさんとの対談つき。
 思えば人Sから「キトキトの魚」がおもしろいと勧められてから、室井さんの本はほとんど読んできているのですよね。記憶の中に残っている文章もありました。まず、「あま手」。吸いつくような魅惑の手なんだそうです。それから、和式トイレを利用しない人が増えていること。猫を拾ったこと。富山の家に植えてもらったビワの木のことを不安がって電話がくること。
 わたしはイチジクが大好きなので、確かこの木に関しても敷地内に植えてあると不吉だと書いてあったな、と思い出しました。じめじめした場所に植えてあるのはそのせいだと。どうも実が割れるのが「身割れ」に通じるらしいです。
 このエッセイを長く読んできたために、女優室井滋に親近感をもつのは勿論ですし、文章の語りもテレビでお馴染みのあの声で聞こえるわけです。
 室井さんって、いろいろな話題で場を盛り上げることが好きな方なんでしょうね。楽しい話をするには技術がいります。この本でも「得」というカテゴリーで様々なお役立ち情報を紹介してくれ、周囲の人たちも聞き入ってしまうだろうと思わせられるのですよね。天かすから発火して火事になる事例、大人用紙オムツを使ってベッドでできるシャンプー、革製品のお手入れには牛乳が便利。それから、なんといっても「怖」の項目。山道を十五キロで走る車に貼られた「この車追い越すべからず!」とか、殺人事件のあったマンションにやってきた警察官の恰好をした男とか、本当に怖い。宮部さんも言っていたけど、小説に書くとしたらちょっとためらいそうなんですが、現実にはあるんだな、ということがよくあるようで。パワフルで人情があって、すごいです、室井さん。

ビッグコミックとヤングこち亀

2012-05-26 05:18:23 | 雑誌
 おかげさまで夫も退院致しました。ほっ。でも、明日の子供の運動会はパスです。バレー大会だのドッジビーだのPTA行事も多いなか、運動嫌いのわたしがどうにかしなければならないのでしょうね。非常に憂鬱。ものもらいができてしまいましたよ。
 入院中の荷物にまんが雑誌があったので、借りてみました。「ビッグコミック」の5月25日号と、東京スカイツリー開業記念号「ヤングこち亀」。
 そしたらですね。「こち亀」が全く楽しめなくて、愕然としました。
 最後に読んだのは、多分百巻に達する前だったと思います。その後も順調に巻を重ねていると聞き、期待していたのですが、絵が雑になり主人公の行動がパターン化し、キャラクターはまた増えて、何がなんだか……。この、纏さんという新人婦警さんが人気なんでしょうね。なぜ、両津は彼女の家に住み込んでいるのか、このレモンという女の子のことを好きらしいプラスという少年はなんなのか。テンションについていけないのです。
 昨年、知人から今人気があるという少年まんが「家庭教師ヒットマンリボーン」となんかもう一作貸してもらったんですが(カンダという人物は男装した女性だと思ってずっと読んでました)、全くおもしろくなくて、がっかり。もうわたしには少年まんがのくくりはダメみたいです。
 でも、ビッグコミックはおもしろく読みました。「どらコーボク」(小路谷純平・石川サブロウ)の続きが気になってなりません。来週立ち読みか? もともと「そばもん」も「獣医ドリトル」も全巻もっていますから、雑誌のカラーは好きなタイプなんでしょう。「江戸の検屍官」の原作を借りて来ようかと思います。「築地魚河岸三代目」も「山口六平太」もおもしろかった。「華中華」も。水木先生の「ゲゲゲの家計簿」、ページは短いけど楽しいですね。まんがに関するコラムも連載されています。
 読者からのお便りコーナーが、作品に関しての批評やコメントがメインで、こちらも楽しめました。
 わたしは雑誌は立ち読み、しかも気になった作品のチェックをするくらいです。
 「どらコーボク」、コミック出ているんですね。気になる。

「浦島太郎の真相」鯨統一郎

2012-05-25 05:43:54 | ミステリ・サスペンス・ホラー
 第一話を読んで以来、わたしにとってのアニメベスト3は何かと考えております。二つはすぐに出るんですよ。「ペリーヌ物語」と「若草のシャルロット」です。「ペリーヌ」はレンタルで全部見て満足したので、一時期(テーマソングを口ずさむだけで涙ぐんでしまった)よりは冷静に考えられますが。(基本的に原作が好き)
 「シャルロット」は多分小学校低学年くらいに毎週土曜の夜放送していた番組で、内容は忘れてしまいましたが、子供心にものすごい感動を覚えたことは確か。テーマソングは歌えますよ。
 もうひとつ、というと悩みますよね。「ワンサくん」「悟空の大冒険」「リボンの騎士」「女王陛下のプティアンジェ」「肺から山河」あ、あれっ、妙な変換になってしまいました。「はいからさんが通る」です。アニメは原作の半ばで放映が終わってしまうんですよね。おじいさまが好きだった。まんがを読み直したくなりますね。鬼島軍曹も好き。
 ……こういう無関係でトリビアルな話題を、ヤクドシトリオ(山内、工藤、島)は延々とおしゃべりするわけです。それがいつの間にか、工藤が調査している実際の事件と結びつき、美人の大学院生東子さんが昔話になぞらえて解き明かすんですよね。曰わく、冤罪と思われる好青年は「桃太郎」、夫と喧嘩した男を殺した女性は「一寸法師」、美人の保険外交員の失踪は「かちかち山」。
 個人的に興味深いのは、「猿蟹合戦」と「舌切り雀」です。東子さんの謎解きは、これまで信じていた昔話の世界をくるりと反転させてくれます。鯨統一郎のおもしろさは、ここにあると思う。多分、「九つの殺人メルヘン」の続編ですよね。大昔に読んだのですが、三人は正体がばれなかったんだっけ? 工藤が警察を辞め、彼らが再び集うまでに時間がかかったそうだから、その影響でしょうか。
 ところで、文中に大化の改新についての話題があり、先日聞いた生徒の台詞を思い出しました。 
「年号はごろあわせで覚えてるんだ! 大化の改新はムジコだから625年!」
 ……二十年早いから(笑)。 

「田舎の紳士服店のモデルの妻」宮下奈都

2012-05-22 05:51:20 | 文芸・エンターテイメント
 宮下さんの作品って、読むのがもったいないような気がする。買ってから本棚に入れたまま、はや文庫も出てしまった作品集もあり……。今回は本屋大賞にもノミネートされましたよね。
 「田舎の紳士服店のモデルの妻」(文藝春秋)は、図書館で立ち読みしたら止まらなくなってしまい、そのまま借りてきた本。読んでいて思うのは、これは読者に「わたし」を感じさせる小説だということ。主人公梨々子のもつ孤独とか憂鬱とか、旦那さんへの思いとか子どもたちへの眼差しとか、いろいろな面でそのときの自分の悩みと共感できる。
 彼女は東京出身で結構モテるタイプ。一目惚れした同僚の竜胆達郎にアプローチしてめでたく結婚し、二児の母となるのですが、彼がうつ病を理由に退職して郷里に帰ると言いだす。それからの十年を、二年ごとに描いていくのですが、次第に梨々子の心情に変化があらわれていくのです。
 東京との価値観、地区運動会への取り組み、元アイドルの林マヒナへの思い、運動会で走らなかった長男の潤はピアノが好きで、次男の歩人は我が道を行くタイプです。
 この歩人、おそらく自閉的傾向があると思われるのですが、そのために梨々子はよく学校に呼び出されます。毛虫を四匹描いて「かぞく」だという。給食に手をつけない。学校関係者としてはそんな理由で呼び出すか疑問ですが。
 梨々子としては度重なる苦情の電話に謝罪をするのが癖になってしまいます。でも、歩人の世界を認めている。彼が唯一心を許す友人「きよち」(キヨシとでもいうのかな)のことも、受け入れる気持ちがあります。それなのに、梨々子の母は拒絶する。言葉ではなく目で。
 母とのやりとりの中で東京にいた頃の自分とは考え方が変わったことに気づいていきま す。お受験についての話題が出るのですが、環境が違えば一律ではないということに母は納得しません。麻婆豆腐の調味料にこだわっていた梨々子も、わざわざ東京で買うということをやめてしまっている。つまり、達郎の好みに合わせるのをやめてしまったのですよね。友人から「田舎」のイメージを語られてお互いに気まずい感じをしたことも、後半はあっけらかんと受け入れたように思います。潤が東京の先生にピアノを教わることにも、夫婦だけでは結論が出ない。「東京」は遠いのですよね。でも、自分のすみかとしとの町に愛着を感じ、方言も使ってみる梨々子。言葉って大事だな、とラストを読んで感じました。地元にいながら方言を避ける達郎が、ふと「あ?」という場面、うまいよなあ。
 紳士服店のチラシモデルを依頼されていた達郎が、意外な人物が昔モデルをしていたことを告げるところも伏線が効いています。妻としての梨々子が、「ひとり」を自覚しながら、自分の存在の確かさについて納得するラストがとてもいいですよ。

「ひとりひとりの味」平松洋子

2012-05-21 21:52:31 | 工業・家庭
 あれっ、平松さんてこういう文体の人なんだっけ? いやいや、わたし、文庫もってるけど読んでないんだった。でも、なんとなく、苦手な、感じがします……。
 と思ってしばらく読むのを中断していたのですが、明日あたりは返そうかとちょっと手に取ってみました。
 わたし、料理に関係するエッセイが好きなんですよ。手軽でおいしい料理ネタを教えてもらえるとさらにおもしろい。すると、前半では気づかなかったのですが、後半にうまそうなレシピが書いてあるではないですか。
 プチトマト十個をオリーブオイルで炒めて、塩で味付けするパスタ。バナナをバターで焼いて、砂糖とレモン。チーズを詰めた揚げのあぶり焼き。じゃがいもをごま油で炒めて醤油と酢、塩。
 こういうミニネタが好き。本文にはさらにカレーやら塩豚やらのレシピがあるけど、このページが最もおもしろい。ピーマンを手でちぎって醤油をかけるだけっていうのも今度やってみます。
 ところで、なぜ平松さんの本を読むのをやめていたかというと、給食で出る牛乳がネックだったんですよね、というあたりがわたしには納得できなかったのだと思うのです。一人ひとり味の好みは違う。そういう主旨だと思うんですが、牛乳とご飯は合わないと決めつけるのは何故なのでしょう。わたしは給食を食べて三十年にもなるので(自分でも驚きました)、牛乳がミスマッチだとは感じません。ご飯と牛乳で必須アミノ酸が網羅できると聞くと、なんだか頼もしい気さえします。実際牛乳を残す子は多いし、平松さんが言うように牛乳を最後に一気に飲むのはつらいようにも思います。わたしは食べながら飲みますよ。
 でもね、食事にジュースや炭酸飲料を飲む人も増えてきていますよね。ドリンクバー然り。そっちはミスマッチではないのでしょうか。

 もう一冊。一緒に返すので触れておきます。大岡玲「本に訊け!」(光文社)。メロス関連情報がおもしろい。そうそう、セリヌンティウスが人質になるのをかるーく承知するのは何故か、不思議ですよね。それが、ピタゴラス派の盟約であろうとの考察、とても興味深い。

 京大から発行された論文集の中の「『走れメロス』とディオニュシオス伝説」(五之治昌比呂)を痛烈に読みたいと思いました。
 ほかにも様々な考察が読書人の心をくすぐるのですが、どうしても流し読みになってしまいました。
 毎日ばたばたです。今日は学校の昇降口から日蝕を見ましたよ。こちらでは金環とはいきませんでしたが、辺りがちょっと暗くなり、くっきりと欠けが見えて感心しました。




「いちばん受けたい授業」朝日新聞社

2012-05-19 19:44:14 | 社会科学・教育
 この本欲しいです。でも、図書館に返さねば。「いちばん受けたい授業」(朝日新聞出版)。新聞の連載記事をまとめたものですが、自分も真似したい! と思うアイデアも多く、参考になります。例えば、「どんな絵だった?」。二人組みになって、どんな絵だったのかを「言葉」でメモする。「語り絵」と呼ばれているそうです。メモをもとに説明して、絵を再現してもらう。メモ四分、絵を書くのは五分。ヘタ、違う、ココ、とは言わない。消しゴムは使わない。周囲の人を見ない。大きさなども伝え合うことや、メモは単語で書いて伝えるのがコツ。
 「フクロウのプリント」もおもしろい。物語を読み込むために、四分割したプリントを用意します。中央にテーマ。右上に自分の意見、左上にその理由。その下には反対意見(フクロウの意見)。「でも、教科書にはこうあるよ。あなたの考えは違うんじゃない?」という意見を記入して、最後に右下にはフクロウも納得できる最終意見を書くのだそうです。
 また、「風が吹けば、動物園が増える」も気になりますね。五段階でここまでつなぐそうです。論理のつながりを考えて、五分で創作、発表、審査。生徒全員で勝敗を決めるのだとか。あとは、漢字を発見するゲーム。真ん中で折るとぴったり重なる漢字は? 
 なんと、小二で二百個見つけた子がいるとか! さらには横にずらして重なる(弱、羽など)、上下にずらして重なる(圭、炎など)。
 商売柄、どうしても国語に目がいってしまいますが、音楽の先生が譜面を見せて「関所」というのが楽しそうですね。はずれると列の後ろに戻らなければならないんですって。せ それから、地元宮城の先生が、歴史に興味をもってもらおうと奈良の大仏殿の柱穴(大仏の鼻の穴と同じ大きさ)や、手のひらの大きさを新聞紙で再現して授業をするのも楽しそうですね。調べ学習が「ビフォーアフター」の形式で整理できるというのも魅力的です。どうやるのか? まずは「相談者」どこの人々の悩みなのか。そして、「ビフォーの状態」(問題点)、「匠の技」(偉人を匠に見立てて、工夫や苦労を書く)、「アフターの状態」(変化の様子)、「相談者の感想」(地域での評判など)というように整理したワークシートを使用したのだとか。ちなみに、扱ったのは治水事業の川村孫兵衛だそうです。やってみたい!
 読んでいて、おそらくこの記事を旅行先で読んだであろうというものを見つけました。百人一首の授業に関する記事です。これを読んで、一年生の授業で実践したのでした! 自分でもすごく楽しかった。コツが教えてもらえるのは、たいへん貴重ですよ。うまく伝わらないこともあることだし……。
 やっぱり工夫して授業を作るのはいいですね。また頑張っていこうと元気をもらいました。

「子どもを蝕む空虚な日本語」齋藤浩

2012-05-18 05:38:16 | 社会科学・教育
 最近、息子が「ちげえよ!」なんていう言葉遣いをするようになり、それこそ活用の仕方が違うのでいちいち訂正するわたしなのです。心が狭いかもしれませんが、気に入らない話し方をされるよりはまし。
 先日ラジオを聞いていたら、コメンテーターの方(大学の先生か新聞記者)が、子どもの授業参観に行って、教師が子どもに注意しないのでなぜなのか訊いたと話していました。すると、「怒らない指導方針なんです」と話され、目から鱗が落ちたと言うんですね。
「これまで僕は、子どもが話を聞かないと怒っていました。根気強く何回か話してやれば、わかるんですよね。そもそも、子どもが親の話を聞かないのは当たり前なんです」
 朝からたいへん不愉快。人の話を聞くって、コミュニケーションの大前提だと思うんですが。しかも、媒体はラジオ。耳から聞いて情報を判断することが求められるのでは。
 言葉は思考の骨格です。話す人の品位が問われる。このところの若者言葉には、いらいらしてしまうことも多く、この本のあらましも納得できます。 
 「子どもを蝕む空虚な日本語」(草思社)。書店で立ち読みしてみたら、非常に読みやすいので買ってみました。筆者は中学校にも勤務経験のある小学校の先生です。子どもたちの変容ぶりに、かなり思うところがあるようですね。 
 紹介される内容には、授業提案に対して否定的なことや、自分は興味がないことを一方的に話して、相手がどんな思いをしようとお構いなし。自信を失った先生が休みがちになり、校長先生にも文句を言い、保護者会を開いてもエスカレートするばかり。今もきっと中学で同じことをしているのだろうという話題があります。
 対して、自分が出会った少年が、クラスのコミュニケーション力の向上によって変わっていく姿も描かれます。
 結論としては、心の強さは言葉に表れる、大人が子どもに未来思考の言葉をかけてやることが大切だということなんでしょうね。
 言葉が自分を作ること、思考は言葉によって形成されること、貧しい言葉からは貧弱な考えしか生まれないことを誰からも伝えられない子は不幸だと思います。人間、自分の学んできたことしかわからないものですから。
 人を傷つけるのが言葉なら、人を支えるのも言葉。普段何気なく使うことも多いので、考えなくてはならないでしょうね。