くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「この一句」下重暁子

2017-05-06 06:14:34 | 詩歌
 一月に東京に行ったときに読んでいた本です。下重暁子「この一句 108人の俳人たち」(だいわ文庫)。
それをなんで今更? ということなんですが、一気には読み切れなかったからですね……。しかも、俳句ばかり根をつめたせいか、ちょっと間をおきたくなってしまったのです。
 でも、すごいエキサイティングでした。
 芭蕉記念館にいったら、俳人流派の系統図があったのです。あっ、この人名前が出ていた! あっ、こっちも! と、読んでいなかったら引っかからない方々がたくさんいらっしゃった。(四カ月経ったため、具体的に誰かはよく覚えていませんが……)
 
 それをやっと読み切ったのは、授業で俳句を扱ったからです。
 芭蕉から子規、それ以後の流れがよくわかります。虚子の果たした役割の大きさを実感しました。
 「春風や闘志いだきて岡に立つ」は、教科書にも取り上げられる句。わたしは授業で、自由律を提唱し、子規の教えから離れていこうとする河東碧梧桐への対立について話します。
 その後説明文を読むと、虚子の娘の星野立子が登場する。虚子には娘が六人いて、それぞれが俳句を詠み、なかでも立子の実力が際立っていたのだそうです。
 さらに、六女の旦那さん・上野泰の存在をこの本で知りました。疎開先に虚子もいて、一族で俳句を作り合ったそうです。彼の、他の人にない発想を虚子が見抜いたのだとか。
 意外な方の俳句も紹介されています。
 まず、三好達治。わたしは三好の初期の詩が好きで、学生時代はよく読んだのですが、句作もしたことは知りませんでした。まあ、「測量船」の冒頭「春の岬」なんか平安調を思わせる短歌風ですよね。
 そして、寺山修司。短歌は教科書にも出ていて、非常にマルチな才能を発揮した方ですが、俳句も詠んでいたのですねぇ。
 また、小沢昭一や和田誠の名前もありました。そういえば、和田さんは笹公人と連歌を巻いていましたっけ。
 この本とあわせて、「怖い俳句」とか「俳句図書館」とかも読んでおります。つい拾い読みしてしまうので、読了するかどうかはまだわかりませんが……。

 

「ぼく、牧水!」伊藤一彦・堺雅人

2016-07-14 22:37:46 | 詩歌
 詩歌に関心がある昨今。図書館の棚も熱心に見てしまいます。
 昨年一度借りたものの途中で返却した「ぼく、牧水!」(角川ONEテーマ21)を借り直しました。なにしろ気になって気になって。
 俳優の堺雅人さんが、高校時代の恩師伊藤一彦先生と、若山牧水について対談する。伊藤先生は社会科教師で歌人。カウンセラーでもある方で、ちらちらとめくっただけでも二人の親密さが伝わってくるのです。
 堺さんと一緒に、わたしも牧水のことを教えていただきたい! と思いまして。
 牧水といえば「白鳥は哀しからずや」や「幾山河越えさりゆけば」、それから酒好きというイメージしかなかったわたしですが、彼の「あくがれ」や「あめつち」に着目する伊藤先生のお話になるほどなぁと思わされます。
 わたしのイメージよりも、牧水は言葉感覚が繊細ですね。

    吾木香すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ
    海底に眼のなき魚の棲むといふ眼のなき魚の恋しかりけり
    きゆうとつまめばぴいとなくひな人形、きゆうとつまみてぴいとなかする
    なにゆえに旅に出づるや、なにゆえに旅に出づるや、何故に旅に
    先生のあたまの禿もたふとけれ此処に死なむと教ふるならめ
    
 全体的にみると、やっぱり酒と旅の歌が多いようです。で、堺さんは牧水の「日向人」としての感性に目を向ける。
 わたしは東北からほとんど出ないので、宮崎なんてすごく遠い国のように思うのですが、やっぱりその土地土地の「気質」があるのですね。(お二人は地酒にたとえていました)
 
 わたしは堺さんのドラマについて知識はあるのですが、余りテレビをつけないためちゃんと見たことはありません。でも、どんな役をやりたいと注文をつけないとか、役づくりのために「型」から入るというお話、大人になるのも悪くないなんて考えを知るとがぜん興味がわいてきます。
 また、哲学なども積極的に読んでいて、読書を自分のものにしているのが魅力的ですね。
 以前から気になっていた「文・堺雅人」を読んでみたいと思います。彼も、書かずにはいられない人なのだろうと感じました。

「うた合わせ」北村薫

2016-07-05 22:34:51 | 詩歌
 北村先生! わたしにもやっと詩歌のおもしろさがわかってきたように思います。「詩歌の待ち伏せ」は全くついていけなかった情けないわたしなのですが、このところあれこれ読んで、現代短歌に親しみを感じております。
 教科書に載っているのは、ほとんどが近代短歌です。茂吉、晶子、啄木、寺山、そして俵万智。だから、永田和広「現代秀歌」をめくってみても、なんだか実感として遠い。「近代秀歌」の方が親しみがわくくらいです。(もしかすると、茂吉の「万葉秀歌」の方が読みやすいかも……)
 歌人も穂村さんの「ぼくの短歌ノート」で知った人が多いですね。

 この本、北村先生が二人の歌人から選んだ歌を五十組紹介してくださいます。そして、丁寧な読み方鑑賞指南。
 取り合わせの妙や、北村先生の選球眼に感心しきりです。
 ただ、この読み方は短歌の実作者とは隔たりがあるようです。つむじ風とパンの袋の解釈とか。いやいや、確かにコルネをつむじ風に見立てるというのはかなり強引ですが。
 読んでいて、出版に携わる方々の歌集がおもしろそうなんですよ。でも、それは北村薫というフィルターを通すからかもしれません。
 ラストにある鼎談もすごくおもしろい! 
 短歌のアンソロジー、何回も繰り返して読むことが興味につながるのかなと思いました。なんとなく読んだ作品も、違う出会い方をすることがある。それを振り返る楽しさ。
 数年前に自分の好きな短歌を五首選びましたが、今ならまた違う作品を選びそうです。
 現在、わたしの関心を引くのは、奥村晃作氏ですね。ネットで検索して転記したところ、四枚びっしり集まりました。おもしろいのでぜひ。

「15歳の短歌・俳句・川柳」その2

2016-06-19 19:23:48 | 詩歌
 文香さんのエッセイには、夏井いつきさんが坪内稔典さんの短歌を一部伏せて授業に用いたエピソードも紹介されています。
   がんばるわなんて言うなよ草の花
 可憐な句ですね。おもしろかったので、文香さんの句集「君に目があり見開かれ」(港の人)を買ってみました。
 でも、解説なしだと自分の読みでいいのかどうか不安を感じます。
 授業ではエピソードとか語句の説明とかはしますが、ニュアンスをうまく伝えられないわたし。
 印象的な句と、「15歳の短歌・俳句・川柳」の解釈とを比べて読み込んでいけば、このもどかしい思いを解消できるでしょうか。

 心に引っかかるものをもう少しあげてみます。
   人殺す我かも知らず飛ぶ蛍  前田普羅
   草の実や女子とふつうに話せない  越智友亮
   非常口の緑の人と森へゆく  なかはられいこ
   折れてくれ折れ線グラフなのだから  凡山進
 しかし、自分の書いた字ながら、時間がたつと解読が難しいところがあります……。
 最後に、ハンセン病の歌人明石海人の短歌を。
   父母のえらび給ひし名をすててこの島の院に棲むべくは来ぬ

「15歳の短歌・俳句・川柳」

2016-06-14 21:47:48 | 詩歌
 図書館にひさしぶりに足を運びました。
 早速「15歳の短歌・俳句・川柳」(ゆまに書房)を三冊セットで借りてみました。
 ①愛と恋 ②生と夢 ③なやみ だったかな……。
 あといつ行けるかもわからないので、すぐ返却できるように車に置いてしまう……。
 とりあえず、②は自分で所有したいと痛切に思います。巻末の佐藤文香さんのエッセイがすごくいい。夏井いつきさんとの出会いから俳句甲子園でのやり取り、解釈をめぐってチームで対策を立てていくのとか、青春小説みたい。
 おもしろかった作品を抜き書きしたら、かなりの量になりました。

   さかみちを全速力でかけおりてうちについたら幕府をひらく  望月裕次郎
   うれいなくたのしく生きよ娘たち熊銀行に鮭をあずけて  雪舟えま
   恋しげく柿の裏葉の夜をかよふ  三橋敏雄
   わたくしの通ったあとのすごい闇  定金冬二
   空のまほらかがやきわたる雲の群千年くらいは待ってみせるさ  山田富士郎

 個性的ですよね。初めて目にしてふと心ひかれるものも結構あります。例えば「おとうとよ忘るるなかれ天翔ける鳥たちおもき内蔵もつを」伊藤一彦さんは若山牧水の研究者で、堺雅人さんの恩師。お二人の共著がすごくおもしろかったのですが、返却期間がきてしまって全部読み終わらないまま……。また借りようと思いました。
 奥村晃作さんの短歌がすごいおもしろい!
 「ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文房具屋に行く」。「ただごと歌」というのを提唱されているのだそうです。思わず検索しましたよ。ああ、聞いたことある、と思う作品が多かった。

語り尽くせないので、続きます。
 

「万葉秀歌」斎藤茂吉

2015-09-12 05:13:33 | 詩歌
 岩波新書の創刊第一冊は、茂吉の「万葉秀歌」だったそうです。上下巻。ちょうど万葉集を取り上げる季節なので借りてきました。
 茂吉は柿本人麻呂の研究もしており、率直でおおらかな万葉の趣は、写生道を唱える彼にはいかにもふさわしいと思われます。
 教科書に載っている歌は八首。そのうち半分くらいが茂吉の好みに合ったようです。
 まず、柿本人麻呂(本文中は「人麿」)「あふみのうみ・ゆふなみちどり」。大津宮に遷都した天智天皇の時代を偲ぶ歌です。が、生徒は滋賀に都があったことを知らない。結構衝撃を受けました。
 目次を見ていると、人麻呂は結構この宮趾の荒廃を嘆いた歌が残っているのですね。
 「ささなみの・しがのからさき」「ささなみの・しがのおほわだ」これらの歌意が近いことから、同時期に詠まれたものかもしれないと推察されています。
 
 「しろがねも・くがねもたまも」山上憶良。「瓜食めば」で始まる長歌も、憶良の歌として「第一等」おっしゃる。その反歌。仏教の影響があるそうです。金・銀・瑠璃・瑪瑙などが七宝として仏典に引かれているんだって。

 「うらうらと てれるはるびに」は、家持の「独詠」が際だっていると書かれていました。確かに相聞や雑詠は相手があることが多いですね。わたしは教科書では赤人の「春の野にすみれ摘みにと」を並べてその違いを感じさせるのですが、こちらも載っていました。実のところ、密かに深読みしていたのですが、茂吉はわたしの疑念を解いてくれましたよ。(すみれとは擬人化ではないのか、ということです。「そこまで言わぬほうがよい」だそうです)

 東歌「しなぬじは いまのはりみち」。
 わたしはこれを最初に見たのですが、ちょっとびっくりしました。「信濃道」だから、当然のように「しなのじ」と読んでいたので。でも、他の作品にも、現代なら「の」のところを「ぬ」と読む作品があり(さっきの「春の野に」も「ぬ」でした。二カ所とも)、当時の発音と関係があるのかなーと考えてしまいました。
 小町の「思いつつ寝ればや」も読みは「ぬれば」ですよね。

 ところで、わたしにとって最もインパクトがあったのは人麻呂の旋頭歌です。「愛(うつく)しと吾が念(も)ふ妹(いも)は早も死ねやも生けりとも吾に依るべしと人の言はなくに」。旋頭歌なので下の句から読んでもいいそうです。茂吉の訳「可哀(かあい)くおもう自分のあの女は、いっそのこと死んでしまわないか、死ぬ方がいい。縦(たと)い生きていようとも、自分に靡き寄る見込が無いから」。キョーレツじゃないですか! すごいよ人麻呂!

 
 

「短歌の不思議」東直子

2015-09-10 05:08:13 | 詩歌
 選んでおいてなんですが、東直子さんの文章が苦手なのかもしれません……。これまでも何冊か読もうとしたのですよ。でも、「短歌があるじゃないか」(これは共著)も「千年ごはん」も挫折。今回も……ごめんなさい、紹介される短歌を拾い読みしました。「短歌の不思議」(ふらんす堂)。
 同じ主旨の穂村さんの「ぼくの短歌ノート」はすごくおもしろかったのに。
 わたくし、現代短歌について勉強しようかと思いまして。
 教科書って近代短歌中心で、ちょっと古いでしょ。茂吉にのぼせあがったわたしだとて、詩歌全集を一気には読めません。
 授業では便覧やアンソロジーから好きな歌を五つ選んで紹介(鑑賞文)する課題を出すのですが、現代短歌のストックはどうしても少ないのです。いや、近代短歌にも触れてほしいんですよ! でも、なんだか、ほかのジャンルに比べて、短歌って歌人にスポット当たってない感じがするんです。
 俵万智はよく知られていますが、あとは穂村さんとか……。
 でも、短歌って愛唱したい作品が多いと思うのです。

 短歌の授業について取り上げた研修に参加してみました。
「短歌を『楽しむ』という目標に達していない授業が多い」とのことで、講師のH先生がテーマにしたのは「女子大生短歌」。提示された七首から、大賞、次点、それから落選(二首)を選び、その理由をオープンカフェ形式で話し合う。
 紹介されたのは全て俵万智の短歌なんですが、こうやって並べられると、詠まれている男がずいぶんタイプの違う人たちだなーと思いました。
 「サラダ記念日」の男、花模様の服が好きな男、寿司屋で三百円のあなごずしを食べる男、待ち合わせで文庫本読んでいる男、ケチャップ好きな男。
 わたしが選んだのは文庫本の彼です。「文庫本読んで待っている背中見つけて少しくやしい」。
 同じ班にいた方お二人も同じ。「待ち合わせに自分の方が先に来たかったのにー!」と思いながらもまんざらじゃない感じがする。「自分のほうが余計に好きなんだよね。それがくやしい。でも、嬉しい」「文庫本読んでるくらいだから、彼女に待たされる時間が長いというか。そのくらい、前から来ている」「大体、花柄模様が好きな男に比べて知性的」というようなことを話したのですが、これを落選に選んだ人も多かった。
「文庫本読んでいて、目に入ってない」「彼女にくやしい思いをさせるなんて!」
 えーっ、「くやしい」って書いてあったって、そのままじゃないでしょうよ!  と思ったんですが、読み方はいろいろあるんだなと思いました。何にせよひっかかりのある歌です。
 帰ってきてこの本を読んだら、「会うまでの時間たっぷり浴びたくて各駅停車で新宿に行く」がとられていて、なんか奇遇だなと思って。(これもリストにありました)
 ただ、この本を読んで、俵万智の句でいいなと思った作品があります。
「『もし』という言葉のうつろ人生はあなたに一度わたしに一度」
 お互いに出会うのが遅すぎたということでしょうか。でも、やり直すことはできない。
 高校時代に周囲で爆発的に流行ったためか、わたしはどうも俵万智が苦手なんです。でも、この歌を紹介してもらえてよかったと思いました。
 

「ぼくの短歌ノート」穂村弘

2015-08-08 05:23:58 | 詩歌
「円柱の下ゆく僧侶まだ若くこれより先いろいろの事があるらむ」
「人間は予感なしに病むことあり癒えれば楽しなほらねばこまる」
「数学のつもりになりて考へしに五目ならべに勝ちにけるかも」

 ならべは漢字ですが、変換できなかったのでごめんなさい。
 斎藤茂吉の短歌です。これを穂村さんは「天然的傑作」と言っております。あまりにもそのまんまだ、と。
 わたくし、ひさしぶりに茂吉記念館に行きたいと思っておりまして。
 そんななか、手に取ったのが「ぼくの短歌ノート」(講談社)。
 おもしろい。短歌の本ってとっつきにくそうな印象ですが、穂村さんの語り口がユニークです。ジャンルごとに分けられた短歌の不思議な調和。
 プロから投稿者まで多種多様の短歌が紹介されます。
「水気なきはずの抽斗その中のゼムクリップが錆びていたりき」岡本幸緒
「父の中の小さき父が一人づつ行方不明になる深い秋」小島ゆかり
「祖父なんばん 祖母トンガラシ 父七味 母鷹の爪 兄辛いやつ」踝踵
これは家庭でどのように呼ぶかが一人ひとり違うということを詠んだもの。でも、いちばん気になるのは、作者本人がいったいどう呼んでいるのかということですよね。穂村さんも同じようにおっしゃっていて、膝を打ちました。
「『百万ドルの夜景』というが米ドルか香港ドルかいつのレートか」松本秀

 なかでもおもしろかったのが、間違いのある短歌。与謝野晶子の鎌倉大仏を「釈迦牟尼」と言ってしまったもの(大仏は阿弥陀如来)や、手書きの「兎」という字を「鬼」と読まれてしまったために新しい感覚になった作品。そしてこんなのも。
「誤植あり。中野駅徒歩十二年。それでいいかもしれないけれど」大松達知
 教科書に載る短歌は近代のものが多いので、現代の作品も紹介したいものです。
 こういう本を読んでいると、もっと知りたい歌人が出てきますね。小池光と葛岡妙子を読みたいと思いました。

「念力短歌トレーニング」笹公人

2015-07-01 03:06:07 | 詩歌
 「ね」と打っただけで、予測変換の先頭に「念力」が出てきました。
 ……念力短歌、わたしの携帯にまで影響を及ぼしているようです。
 どうしても読みたくなって、職場のダンボールに詰めていた「笹公人の念力短歌トレーニング」(扶桑社)を探して持ってきました。(家に本が溢れているので、授業のネタに使えそうなものは置いてあるのです)
 まだこれ、ネット連載してるの? 読みたいんだけど!
 と思って検索しましたが、この単行本のことしか出てこないので、諦めます。でも、「遊星ハグルマ装置」はもうこのころからやってたんですね。

 では、読者投稿からいくつか。
   「雨の中雷魚を狙う釣り人の麦藁帽には見覚えがある」かわら
   「若き日のニックネームのアンドレはベルばらであると今も信じる」あきえもん(注・お題は「格闘技」です)
   「係長、正午のチャイムに目を閉じる ああ力石の命日なのか」□波湊
   「磯野家に導入されれば我が家にも望みがあるか食器洗い機」中野玉子 
   「ガンダムを知らぬ少女にアニヲタの我はアムロを演じていたり」バッコス☆あきら

 もっと紹介したいところですが、短歌を読み直すのは散文よりも難しいです。
 念力短歌、縁語についても語っています。俳句もそうだけど、音数が決まっていると何かしらのテクニックが生きてくるのでしょうね。
 奥が深いです。

「念力家族」笹公人

2015-06-18 20:36:17 | 詩歌
 この本が文庫で入手できる日が来ようとは!
 し、しかもNHKでテレビドラマ化?! どんな内容なのか、知りたいようなそっとしておきたいような……。
 笹公人「念力家族」(朝日文庫)。かつて単行本が気になって気になって。どこかの図書館から借りたはずなので、再読です。多分。似たようなタイトルなので、自信ないけど。でも、「生徒会長レイコ」は読んだ覚えが……。
 そこから紹介しようかと思いましたが、意外と「レイコ」が短かったので、「念力学園」から少し。
「あの土手に金八先生あらわれて暮れなずむ町あとにするなり」
 歌詞を見事にはめ込んでいておもしろい。似たようなところで、
「落ちてくる黒板消しを宙に止め3年C組念力先生」。
 こういうのも好きです。
「満員電車こころで歌うメロディーを隣の男よなぜ口ずさむ」
 偶然かもしれないけど、念力のせいかもしれない。ふっと自分の頭の中を覗かれた気がして。
 ちなみに、この次のページに掲載しているのが、あの有名な「『ドラえもんがどこかにいる!』と子供らのさざめく車内に大山のぶ代」です。
 帯にも八首の短歌が記載されていますので、気になるならば読んで損はないと思いますよ。ただ、読者を選ぶといえなくもない。「魔除け少女」とは、何が魔を避けさせるのか。上の句はどれも同じで、下だけ変えてあるんですが、ハムスターの牙をはじめて見たり、般若面が割れたり、方位磁石も割れ、おばあさんは仏間で真言を唱え、さらに竹槍を持ってきてお母さんに渡す。
 このシュールさ! わたしは大好きなんですが、授業で好きな短歌を紹介するような場合にこういうのを発表されると困りますよね。
 朱川湊人さんとの共著「遊星ハグルマ装置」、何度か手にとっては棚に戻してきたのですが、これを機に読むべきでしょうか。