くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「異界から落ち来る者あり」香月日輪

2011-02-28 20:44:40 | YA・児童書
これ、集めるのに苦労しました。「大江戸妖怪かわら版」。まだ一冊見つからないんですけどね。近隣の図書館にはないし、問屋さんには最新の二冊しかないし。本屋でも古本屋でも一回しか見かけません。注文をかけて購入。でも、重版はしているようですね。
香月日輪「異界から落ち来る者あり」(理論社)上下巻。
大江戸は妖たちが住む町。人間界のパラレルワールドです。猫や狸は立ち上がってしゃべり、ろくろ首や河童が町を歩き、絵師と擦師は八本の手を使って仕事をします。
彼らはまっとうに働き、子供を育て、誰かの役に立つ生き方をしている。
そんな中にいるただ一人の人間。それが雀です。殺伐とした生活を送っていた彼は、自分でこの世界に留まることを決めた。
かわら版屋として働く彼のもとに預けられたのは、同様に「落ち」てきたらしい女の子小枝(さえ)。両親に厳しく育てられたためか、なかなか帰るとは言い出さない。
人間界と妖怪の世界との差異に目をみはり、うれしそうにはしゃぐ小枝。雀のもとに残りたいと口にします。
始めは雀と結婚すると言ったのに、その日のうちに、父親だったらいいのになんて言う。
人間の住む世界と、この大江戸とでは時間の感覚が違う。小枝が家で目を覚ます頃には、もとの時よりも一年が経っている。こちらの世界で過ごしたのが三日程でも、そんなに違うのかと驚きました。もしかして、アイディアの根源は「浦島太郎」?
ただ、小枝が実際江戸期の商家の娘ならば、雀とは生きていた時代が異なりますよね。
彼の事情は下巻で明らかにされますが、時系列に沿って書くよりも、たしかにこの方が効果的です。
だって、雀の思考はどう見ても現代人。カタカナも日常に溶け込んでいます。おばけ絵師に「キュー太」と名付ける段階で、あのまんがを知っているのだろうと予測はしたのですが。
ただ江戸大店の娘である小枝が「ケェキ」にはしゃぐのはどうでしょう。鎖国だしかなり厳しく育てられている状態では、名詞としても知らないのではないかと思うのですが。
もしかすると、この物語でいう人間の世界もちょっとパラレルワールドなのかも。異世界だけど動植物や食べ物は同じって、不思議ですよね(笑)。
後半には蘭秋という美形の大夫が出てきますが、このあたりを読んでいてものすごい違和感を覚えていたのです。その理由はといえば、芝居といえば女形としかわたしには思えなくて。でも、雀はやたらと肩入れしているし、八丁堀の百雷に片思いとかいうし。パラレルワールドだから歌舞伎とは違う発展の仕方をしたのかしらと考えていたのですが。
ははは、そういうオチでしたか。(ネタバレ・蘭秋はやっぱり女形なのでした。でも、この世界には女役者さんもいるようです)
また続けて読んでみます。

「もうひとつのどうぶつえん」宮川アジュ

2011-02-25 17:45:42 | 自然科学
東京タワーにて正月購入。どこに行っても本買うなぁわたし。
宮川アジュさんの活動は、絶滅危惧種について調べたときから知ってはいたのですが、ちょうどこの時期、タワーで企画展示をしていたんですね。オブジェが飾ってあって、いろいろ説明されていて、参考になりました。
図録はないのかなーと探したところ、この本が目に入ったのです。「もうひとつのどうぶつえん」(集英社)。
動物園の目的のひとつとして、生息が危ぶまれる種を守る活動があげられます。上野動物園では希少種のヤギを繁殖させ、八木山動物園ではロシアと共同でアリューシャン列島のシジュウカラガンを増やすために研究をしています。
リョコウバトやトキも、最後の一羽は飼育環境の中、つがいを作ることができずに死んでしまっている。
絶滅してしまった種をもとに戻すことはもうできません。クアッガは草原を走らないし、ドードーが住む島もない。ウミガラスは「ペンギン」ではなくなり、ニホンオオカミは物語にしか生息しないのです。
最近、絶滅したと思われたクニマスが見つかったニュースが世間をわかせましたが、こういう幸運は滅多にないわけです。
わたしが絶滅危惧種に関心をもったのは、教科書の「百二十年の孤独」という話がきっかけ。セーシェルゾウガメがペットとしてよその島に連れていかれた、その間に同種のカメは滅びてしまった。長い間、地球上にたった一人(一匹)残されたマリオン。
その絶滅の経緯は、不思議なほどドードーと似ています。人に危機感を持たないからすぐに捕まる。船旅の食糧に適している。外来種(犬や猫)に弱い。卵も生体も被害にあう。
船員たちはスポーツに興じるようにカメを殺し、塩漬にした肉を航海の間の糧とし、さらには生きたまま積み込んでいった。何ヶ月かは餌を食べずに生きていける彼らを、非常時に食うために。
文献を探してみると、人間の際限のない欲で種の保存を断ち切られた動植物はたくさんあります。この本はそういう文献の入口になるように思います。

「ちょっとした奇跡」緑川聖司

2011-02-22 21:24:10 | YA・児童書
きゃーっ、続編が出るとは! 緑川聖司「ちょっとした奇跡」(小峰書店)。もちろん「天気のいい日は図書館へ行こう」の続編です。
しかし、読んだのはもう四年前なので、細かいエピソードを忘れてしまっています。ブックポストの件は覚えてるんだけどな。
読んだあと、学校で雨漏りの被害にあい、泣く泣く廃棄したことも。あ、でも買い直しましたよ。
編集者のお母さんと二人暮らしのしおり。従姉の美弥子に影響されてしょっちゅう図書館に通ううちに出会った、本にまつわるエピソードを描きます。
なにしろ、従姉は行きつけの図書館で働いているので、職員さんたちとも仲良くなり、本の修繕のことやレファレンスのことを聞くようになります。
とくに印象的だったのは、あるおばあさんが子供のころに読みきかせてもらった本をもう一度読みたいと熱望する「幻の本」。
途中で展開は読めてしまうのですが、さっぱりしていてよかった。
ただ三日にあけず図書館に通うのに、読書感想文が苦手で夏休みの宿題はいつも自由研究を選択って、それはどうなのかと思いました。一人称だから、この子は「文章が書ける子」だと思って読むわけです(笑)。
でも、実はそれは伏線だったらしく、「空飛ぶ絵本」では仲良しの女の子とどんな自由研究をしたのかが紹介されています。
ところでこの話、ちょっと困惑した場面があるのですが。
風邪をひいたしおりのところに、友達がお見舞いにやってきます。二人にココアを出す。まずレンジで牛乳を温めて、そこにココアの粉を混ぜるというんですが。
わたしはココアは先に粉を練ってからミルクを注ぐものだと思っていたので、この状態で作ることはないのですが、うまく粉が解けるのか心配です。
まあ、それはいい。問題は彼女が借りた本「かぜひきサンタ」。体調の悪いサンタさんは、配達先のプレゼントを間違い、星空の好きな子に自転車、自転車を欲しがっていた子に望遠鏡を届ける。風邪薬を買いに行くと、泥棒と間違われる。
この失敗が結果オーライになる物語なのですが、「薬屋に入ろうとしていた本物の泥棒はちょうどやってきた警察に捕まる」って……。
泥棒って、まだ入ってないのに、捕まえることができるのでしょうか。指名手配中? それとも予告状でも届いてた?(「ちょうどやってきた」ところをみると、違いますよね)
ちょこちょこ作為的な面が鼻につく嫌いがありますが、全体としては楽しく読みました。関根さんとの再会とか……。
しかし、どうしてこの両親は離婚したのでしょうね。どちらも落ち着いた感じですが、何か確執があるのでしょうか。
個人的には一冊めの方が好みです。読み返そうかな。

「夜行観覧車」湊かなえ

2011-02-21 21:51:06 | ミステリ・サスペンス・ホラー
結局最後まで観覧車は出てきません。将来この地域に、日本一の大きな観覧車ができるという計画(噂?)だけが聞こえます。
地元に住む主婦、小島さと子はこう言います。
「長年暮らしてきたところでも、一周まわって降りたときには、同じ景色が少し変わって見えるんじゃないかしら」
たしかに。わたしがこの本でいちばんこのことを感じたのは木島さと子の印象です。
湊かなえ「夜行観覧車」(双葉社)。めずらくハッピーエンドふう? と感じたのですが、わたしだけですかね。まだ問題は残っているものの、収まるべきところへ収まったというか。
そして、わたしは湊作品を読むときについつい用心してしまうのですが、今回はめずらしく、女子高生コンビの比奈子と歩美が、普通だった!
これ、重要です。だって「告白」も「少女」も「贖罪」も「Nのために」も、登場人物全員どっかへんだったでしょ。作者は多分確信してやってるんだと思うけど、どこに共感していいのかその歪みに困惑してしまうから。
もしや大どんでん返しがあるのかとはらはらしましたが、大丈夫でした。
さて、このわたしの心のよりどころである比奈子ですが、ひばりヶ丘という坂の上の高級住宅地に住んでいます。両親、兄、弟。模擬試験前日にはみっちり勉強したいから。弟から頼まれて、親友の歩美の家に友達の家に泊まりに行きます。その夜、比奈子の携帯に警察から連絡があり、父親の死亡が伝えられる。悲しいときには心の中で父の死を想像して涙ぐんでいた彼女には、晴天の霹靂。言われるままにパトカーに乗せられます。そして、父親を殺したのは自分の母親であること、コンビニに行くと家を出た弟が行方不明になったことを聞く。
誰も味方になってくれず、歩美からもメールが届かない。母の妹の家でも厄介者のように思われている。大阪の大学にいる兄のところへ行こう、と決意した比奈子ですが、肝心の兄からも返事がなく……。
この話、玉子入りのインスタントラーメンが結構鍵になっているように思います。比奈子も弟の慎司も、家ではインスタントラーメンを食べたことがありません。でも、叔母から「姉さんは溶き玉子にして入れるのが好き」と聞かされる。
一方、兄の良幸は夜食に食べた思い出から、自分で麺類を作るときには溶き玉子を入れるとしています。
慎司には頭がよくなるメニューを考え、ラーメンなどは与えない。良幸自身は兄弟と分け隔てなく育ってられたと考えていますが、実のところ、彼女はそうではなかったのでしょう。
だからこそ、慎司が良幸に劣ると評価されたことが、たまらなかったのだと思うのです。なにしろ、慎司は自分に似ているから。
巡り会わせが悪かったのだという人もいます。向かいの遠藤家のいさかいがこれほど頻繁でなければ。ひばりヶ丘が、長い坂の上でなければ。
遠藤彩花という少女、わたしは好きになれません。思春期のボタンの掛け違いにしては、ひどい。受験をめぐっての親子での記憶の差異も気になります。どちらか(どちらも?)自分の都合がいいように改竄してしまったのでしょう。
高橋家が選んだ結末には、メディアリテラシーの要因も感じました。
それにしても、高木俊介くん、中学生からベテランまで、たくさんファンがいるのですね。ポスターがネットオークションで一万円って、ものすごい。
……遠藤さんのライバルは歩美だったのかしら。

「しらべる力をそだてる授業」赤木かん子・塩谷京子

2011-02-17 05:48:31 | 社会科学・教育
素晴らしいなあかん子さん。わたしもこういう授業をやってみたい。いや、受けてみたい。すごい楽しそうなんです、子どもたちが。「わかる」って、楽しいことだよね、と感じさせる「授業ライブ」。この本「しらべる力をそだてる授業」(ポプラ社)と、「調べ学習の基礎の基礎」(ポプラ社)があれば、総合的な学習の時間の導入はできるんじゃない? と思ってしまいます。
わたしも、図書館を愛して三十年。ほとんどは「なんとなく」つかんだ活動です。でもその「なんとなく」を言葉にすることは難しい。さらに、それをまたほかの人に伝えていくのが難しい。
それが、かん子さんの手にかかるとするするっとわかってしまう。なるほど~。目から鱗がぼたぼた落ちまくりです。
いちばんおもしろかったのは「要約」!
百科事典の好きな項目を写させてから、それを三行にまとめる。一行めにはそのことばの説明。二三行めは自分が気になるところをもとに書く。
たしかに、わたしも気になっていました。参考文献の丸写し。著作権のことも紹介しながら学習させる。高級なテクニックですね。
さらにシールと本を使った地名の確認。「ウラをとる」技と都道府県が一気に学べるとは!
読めば読むほど新鮮な驚きで、子供にしてみれば今までとは学校図書館が違って見えるでしょう。
レポートの書き方やレファレンス学習の課題など、あー、これは自分でも一冊持っているべきだと感じさせられる有意義な本です。来年度図書委員会の活動として、継続してやってみようかしら。
で、夢中になって読むうちに、かん子さんの主張が非常に身に染みます。
司書教諭の仕事とは。そして司書とは。子供たちが学習すべき「調べ学習」とは、どういう手法で身につけさせるものなのか。
何度も図書館に足を運べば自然に覚えることですが、ビギナーである小学生(中学生でもそうですね)は、どうすれば何がわかるのか、その手法がわからない。
かん子さんは、レポートの種類として、社会学的なもの・科学的なもの・小論文をあげています。そこにのせる記事としての調査になるのですが、本やネットで調べたり聞き取りをしたりすることが一般的ですね。どんな情報でも間違いがあるかもしれないから必ず二冊以上の資料に当たって「ウラをとる」。まさにその通りです。
おもしろそうなので、レファレンス実習をうちの図書資料を使ってやってみました。「古代オリンピックの競技種目」とか「世界一大きい花」、「キリンの首の骨の数」といった調査事項に「こんなのホントに見つかるのかなあ」と思いつつ探してみたら、結構ある程度は目星がつきました。でも、まだ「ウラ」が取れていないなあ。
それにしても、「オセロゲームの発明者」がわからない。というよりもボードゲームに関する本て、うちの図書室ないのでは。
これからしばらくレファレンス修業を積みたいと思います。

「九杯目では遅すぎる」碧井上鷹

2011-02-16 05:38:59 | ミステリ・サスペンス・ホラー
やっと買いました。碧井上鷹「九杯目では遅すぎる」(双葉文庫)。
またもや「4ページミステリー」の再録があり(表題作も)、ちょっと残念な気がしないでもないですが、このギミックの鋭さはさすがです。
いちばんおもしろかったのは「キリングタイム」(意味は「暇つぶし」)。彼女との待ち合わせのはずが、部長に声をかけられて飲みに行くことに。断りたいところだけど、ある理由があって……。
わたしだって「パパ」と同じことを叫びたくなるよー。やられました。
でも、それだけでは終わらない、主人公の佐伯を、部下の御子柴と呼び間違うくせが、実は伏線になっているというものすごい技に、うならされてしまいます。まさに「キリングタイム」です。
あとは「私はこうしてデビューした」もいい味出していました。ラストでひっくり返る構成の妙が味わえます。合作って、難しいよねぇ。
「タン・バタン!」は、頭の中に実際にあるわけでもないそのメロディが聞こえるような不思議な短編です。
不幸な串本さんが、どんどん負のスパイラルにはまっていくのが気の毒です。こういう脳内変換の方は、「デビュー」の狛江も同じですね。
で、前回「4ページ」で読んだときも思ったのですが、「清潔で明るい食卓」のギネスには毒が入っているのですよね?
これを浸したパンを食べた愛猫は、妻に隠されますがもだえ苦しんで死んだ模様。主人公が亡くなると全財産は新婚の妻(元看護師)が受け継ぐ手続きがされている。
でも、こんなにあからさまな毒殺ではすぐばれてしまうのでは。もうしばらくじーっと我慢すれば間違いないと思うんだけど。
全編これだまし絵のような碧井上鷹作品、非常におもしろいです。次はどれを読めばいいのでしょうか。なんとなく短編の方が好みっぽい感じなんですが。

「ダンサー」柴田哲孝

2011-02-15 07:34:15 | ミステリ・サスペンス・ホラー
「ダンサー」(文藝春秋)です。有賀さんの新しい生活が、これから始まるのかなあという期待を抱かせるラストでした。
筑波学園都市のある研究所から逃げ出した実験動物「ダンサー」。ヒヒのクローン(という名目)であるこの動物、驚異的な身体能力と知能をもち、「サルサ」とつぶやきながらある女性を追い求めます。
サルサ、高村志摩子。情熱的なダンスを踊り、一時はミュージカルへの出演も期待された彼女には、ストーカー被害にあって何日もの間監禁されたうえ、警察からの逃亡時に事故で怪我を負った過去があります。
現在は幼なじみのニック(黒人とのハーフ。日本語しか話しません)と組んで踊っていますが、彼女の平穏な暮らしを破るものが……。
「KAPPA」から十余年。有賀は四十七歳です。別れて暮らしている息子の雄輝とはある誤解から疎遠になっているのですが、彼の所属する大学でともに研究してきた仲間と教授とが死亡。公式発表に納得のいかない雄輝は姿を消します。
心配した有賀が研究室を訪ねたところ、雄輝の恋人である柴田夏花と知り合います。
一方、執拗に志摩子を追う「ダンサー」は、トラック運転手を殺して着衣を奪い、自分にDNAを与えた男・青柳(事故のあと植物状態になって入院しています)の病室に現れた看護師も手にかけます。
恐怖を感じた志摩子はニックとその恋人が住む家にかくまってもらうことにするのですが、その間にアパートに入りこんだ「ダンサー」が部屋をめちゃめちゃに荒らしたことを見てショックをうけます。
雄輝は、「ダンサー」を自分の手で葬りたいと考え、きっと志摩子の近くに現れるであろうと彼女のことを見張っていますが……。
えーと、物語構成はおもしろかったのですが、わたしには理解できないこともいっぱいありました(笑)。
まず、夏花です。彼女が登場すると、とても明るい雰囲気になっていいんですが、どうも警戒心が薄い。初対面のおやじを、自分の下宿に泊める(しかもベッドの隣に布団を敷いて!)女子大生、いないでしょう!
さらに雄輝が心配なあまり、有賀と出かけたバーに一人でいる場面(警察の副署長になった阿久沢さんが、彼女の風情に心引かれて勘定をもってくれます。まさか公費じゃないよね? 有賀と食べた鰻はそうだったようですが)もあり、ちょっと心配なのですが。
有賀と雄輝が、数年のわだかまりを取っ組み合いで解消するのも、同じようにちょっと鼻白む感じがするのですが、こういうのが男のロマンなんですかね。
「俺は喧嘩十段だ」
にも、ちと脱力……。
雄輝もさあ、「志摩子姉さん」という呼び方はどうなの? わたしが三十四歳なら、二十代の異性にそんなふうに呼ばれるなんてまっぴらです。
そんなわたしの心を慰めるのは、有賀の愛犬・ジャック。どうも今回はこの犬との別れがあるようだと予想してはいたのですが、あああ牛刀かよー。ひどい。でも、これは物語に必要な要因ですから、嫌な感じはしません。(言い換えれば、夏花から「志摩子姉さん」までは必然を感じないということですね)
勝手にジャックを黒い犬だと思っていました。シェパードみたいな。でも、茶色いのね……。
ところで、「ダンサー」がある少女からビーズの飾りものをもらうシーンがありますが、ここは彼が単なる「怪物」ではないことが伝わるいい場面だと思います。ちょっと最悪の事態を思い浮かべたのですが、ホッとさせられました。
ところで、ニックと志摩子は大磯にあるキリスト系の孤児院出身だそうです。もしやサンダースホーム?

「緑の我が家」小野不由美

2011-02-13 21:36:18 | ミステリ・サスペンス・ホラー
この本、わたしとしては小野不由美作品でいちばん怖い。だって、主人公は救われても場の浄化はなされないのです。今もどこにひっそりと、このアパートは存在している。そんな不安を感じさせるのです。
「緑の我が家 home,green home」(講談社ホワイトハート)。
突然の母親の死。駆け付けた母の親友は、そのまま家に落ち着き、父親は彼女と再婚するという。
転勤の話が出たことをきっかけに、かつて暮らした町にアパートを借りて一人暮らしをすることになった「ぼく」(浩志)は、その露地を入ったときから嫌な感じをもつ。築五年のわりには手入れのいいそのアパートは「ハイツ・グリーンホーム」。
陰気な管理人夫妻。不機嫌そうな隣の男。初対面なのに馴れ馴れしく「浩志」と呼びかけてくる六号室の和泉聡。
ものさびしくも自由を感じながら窓を開けると、小さな神社が目に入る。それに、強い嫌悪感を覚えるが、どうしてそんな気持ちになるのかはわからない。
転校した学校になじむうちに、「ぼく」はグリーンホームが近所では有名な幽霊スポットだと知らされるが……。
いやー、怖いです。
黄色のチョークで不気味な絵を描き続ける幼稚園児。何かが滴る音が聞こえる無言電話。教室でいじめられていた同級生「オサル」の記憶。郵便受けに届く赤い指紋のついた手紙。ヒステリックな住人。
どのパーツもそれぞれ不気味なんですが、ハイツの前に建っていたという「緑荘」との重なりを示すあたりが無性に嫌な感じ。管理人さんの家のおばさんの風情とか、もうなんともいえません。
「ゴーストハント」を読んだあと、発作的に読み返したくなって探したのですが、誰か生徒が持っていったらしく見つからなかったので、古い本屋で買い直しました。(なんと50円!)
レシートの見出しをみたら、「ボーイズラブ」って書いてあった! 何故に?
でも、わたしも「過ぎる十七の春」はそのテの話なのかと思って手をださなかったのです。ははは。たいへんな誤解。そういう先入観でこの本を読んだら、とんでもないことになりそうですね……。

「リトル・フォレスト」五十嵐大介

2011-02-12 13:16:27 | コミック
ずっと前から気になっていたんです。
でも、どんな内容なのかと踏ん切りがつかなくて。食に関するまんがで、岩手出身の実力派の方が描いていることは知っていたのですが、ちょっと手を出しにくかった。
先日、一関のK書店に行ったら、あれほど探しても見つからなかった三浦さんの「完本モザイク」も「師・井伏鱒二の思い出」も売っていて、おぉっと思ったその隣にこの本があったのでした。岩手にちなんだ作家特集だったようです。
五十嵐大介「リトル・フォレスト」(講談社)。
主人公のいち子が住む「小森」という集落の生活を描いています。タイトルは、この地区名を英訳(?)しているんですね。
母親と二人で暮らしていたいち子でしたが、その母親が高校生のときに突然失踪します。朝、雪かきを手伝わなかった。「ばっけみそ」のために雪の下から蕗の薹を探してほしいと頼んだのが最後でした。(二十歳になったときに手紙は届いたそうですが)
料理が上手だった母親。記憶を頼りに思い出の料理を作ることがあります。グミのジャム。青菜の炒めもの。ウスターソースとヌテラ(自家製)。
一度都会に出ながらも、小森に戻ったいち子は、友人のキッコやユウ太、近所のおばさんたちと四季を過ごします。
二色のケーキを作ったりストーブでパンを焼いたり、田舎暮らしでもこういう食事なら楽しそうだなあ、と思うようなオシャレな献立もあります。朝からフリットをあげ(夜は天ぷらだって!)、サンドイッチを作る。小豆を煮てスコーンに入れる。キャベツや大根をお菓子にできないかと試行錯誤。
小森のモデルになったのは、衣川の大森地区だそうです。比較的近いのでこの生活様式はよくわかる。うちの実家も煙突のあるストーブたいてたな。そうそう、えびもち食べるよね。じゅうねもちがあるあたりが岩手だなあ。ふすべもちは、もう知らない人も多いのでは。でも、あまじょっぱいなっとうもちは想像がつかん。(もちの話題が多いのは、岩手県南でもち文化が地域興しとして盛んだからでしょう)
なんといっても「(カブトムシの幼虫が)ワラワラ出てきた」という表現に笑ってしまいました。言う言う! よそでも使いますかね群れをなして続々と出現するこの感じ。
「ひっつみ」でナンみたいなものが焼けるというのも驚きです。
うちでもみそは作っていますよ。わたしが作るわけではないですが。ばっけみそもおいしい。
実家ではあけびのつるを家の前に伝わせていたので、秋になると部屋からもいで食べたものです。もうその部分は取り壊してしまったので、十年以上食べていません。懐かしいな。

「京女式ノート指導術」

2011-02-10 05:08:51 | 社会科学・教育
つい魔がさしたといいますか。買ってしまいました。吉永幸司「京女式ノート指導術」(小学館)。
ノート指導は板書計画に通じる。そう思って、小学生がどんなノートを書いているのか覗いてみたくなったのですよ。しかも京都女子大学附属小学校さんが四年間校内研究したというんですから、そりゃもううちの子など足下にも及ばないようなすんばらしいノートに違いないと。
いろいろ考えることがありました。
わたしも授業のめあてを意識させるのは大事なことだと思います。この学校同様に以前は書かせていました。でも、今はやっていません。自己評価用紙を使っているから。それを確認して授業に入るのです。
一時間ごとに書くと、板書の流れが見渡せないでしょ。構造的に捉えてほしいので、何時間かかかってもまとまった型にしたいからです。
同じ理由で、題名・作者名を毎回書かせるのも納得できません。あ、黒板には書きますよ。でも、ノートには必要かなあ?
それ以外の部分はいろいろ参考になりました。ノート検定はおもしろい。工夫したノートが見られそうですね。「合格」のはんこをもらうのはうれしいだろうなあ。時間のあるとき(一年生かな)やってみたいと思います。
自分の考えや友達の意見を書き、意味を調べたり言葉からイメージを広げたりすることができているのがいいですね。
わたしも考えを書かせて、話し合いを通して深める活動をしているつもりですが、言葉一つ一つを吟味することはしないので、もう少し頑張りたいと思いました。