くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「空想科学読本Q」柳田理科雄

2010-09-26 21:47:44 | 自然科学
どうもわたしは本を買い過ぎであるようです。読まないまま積んである本、文庫本を中心に図書室に寄贈するかと探しはじめたところ、でもこれはいつの日か読むことがありそうだし、と思うと捨てられない。
そこで踏ん切りをつけないから、部屋が散らかるばかりなのはわかっているんですが。
ここは一冊、読んで寄贈だ、とまずこれを手に取りました。柳田理科雄「空想科学読本Q」(メディアファクトリー)。このシリーズ、人気があるので選んでくれそう。
学級文庫を刷新しようと、夏休みにトーハンで文庫を百二十冊買ったのです。ところが三年生に配布したら、三分の二ほどなくなってしまいました。だって、平均二十五冊程度入るというコンテナに、
「三十冊入ります!」といって持っていくんだもん……。一二年生をこのまま保留するわけにもいきますまい。今度はもっと小さいコンテナにしたから大丈夫。(ほんとか?)
とりあえず買いおきの複本とか自分の本とかで在庫を増やしているところです。
で、この本なんですが。
柳田さんがトークイベントで質問されたことに即興で答えたことをそのまま書籍化! するつもりだったのに、記録を取っていなくて答え直したというユニークな内容です。
なるほどー。皆さん、考えていますね。言われてみればそれもそうだよな、という質問ばかり。例えば、「『ウルトラマン』の最終回に登場した最強怪獣ゼットン。その1兆度のゼットン火球というのは、誰がどのようにして温度を測ったのでしょうか」「しょくぱんまんは、焼き上がりの食パンをスライスした状態ですよね。ならば、しょくぱんまんは常に何人もの兄弟と共に誕生するのではないでしょうか」等々……。
わたしが好きなのは、「バビル2世は、脳波で三つのしもべを操るそうです。すごい超能力ですよね」。上司と部下に例えた解説がおかしい。近藤ゆたかさんの挿絵がまたおかしい~。
近藤さん、乙姫様はえら呼吸ってーのも笑わせてもらいました。
ちなみに、「空想科学読本」シリーズを数冊図書室に入れましたが、ひっぱりだこです。

「ストロベリー・ブルー」香坂直

2010-09-23 05:45:23 | 文芸・エンターテイメント
思った以上に、というか。
こういう連作は結構好みです。「潮風に流れる歌」とか「中学んとき」あたりの作品が好きな人にははまると思う。今年の感想画の課題図書だとのことで整備していたら、つい読み耽ってしまって。
香坂直「ストロベリー・ブルー」(角川書店)。ドジョウの顕微鏡観察で同じ班になった五人の物語です。それぞれが悩みを抱えながら、過ごす中学二年生の中盤から春にむけての物語。
兄の不登校。見て見ぬふりをする父親。それでも二人をかいがいしく世話する母親。そんな家族に嫌気がさしている理子。
バスケットをしていて足を故障し、陸上の大会に出られなくなった三田村。
ドジョウの観察での手際のよさに、生物部の横山を好きになってしまった琴海。
三田村に数学を教えることになった綿森。
そして、小学校のころの思いと悔恨を抱きながら、「不良」の木崎さんを見つめる横山。
時系列に沿ってこの五人が視点人物として語る連作なのですが、なんとびっくり。始めに発表されたのは、最後に収録された表題作だったのですね。
そこまでの経緯が記されているのは、加筆があったのだろうとは思いますが、遡って読んでいくのもおもしろいような気がします。
冷静な横山くんは、三田村くんと綿森さんの関わりを暗示するように物語を閉じます。でも、それこそが始まりっていうのも、なんか楽しいですよね。
五つの物語で、わたしがいちばん好きなのも、やはり「ストロベリー・ブルー」でしょう。Icebreakerについてのくだりには、はっとさせられました。
まだあまり親しくない人に話す軽い話題。時に、おもしろおかしく誇張されることもある。無責任な噂。
木崎はこの噂に傷ついていくのです。見つめるだけで何もできないと思う横山。でも、その視線に勇気づけられていたことが、木崎の行動から伝わってくる。
でも、彼女が足を踏み外したのは、彼も噂を信じているのだ、と気がついたからでした。
冒頭の「キャッチ・ザ・サン」を読んだときには、おもしろいけど後半が唐突だよなーと思ったのです。中盤でマフラーを編んでいるところを見ると、兄は回復していったのでしょうかね。
中学生にしてはおとなびているように感じましたが、でも、今回の対象図書五冊の中では最もわたし好みでした。ただ、感想画にするのは難しいよね。挿絵じゃいけないっていうし。
ただ、この物語をただのラブストーリーとして消化する人もいるだろうなあと思うと、ちょっともったいないような気はします。まあ、たしかに恋を描いているのだけれど……。
それにしても、「琴海」という名前に関取を連想するわたしのイメージ力は貧困ですよね……。

「ぼくとおじいちゃんと魔法の塔」① 香月日輪

2010-09-22 22:20:30 | YA・児童書
荒唐無稽なんだけど妙に説得力がある。というより勢いに引っ張られてぐいぐい読んじゃうのですよね。香月日輪。「ぼくとおじいちゃんと魔法の塔」①(角川文庫)。例によって図書室開館時にちまちま読みました。
図書委員がコンピュータで貸し出し管理をするのですが、担当付き添いのもとでの活動なので、まあ、昼休みと放課後は毎日図書室で過ごします。二十分。
この物語にも塔の中には図書室があって、主人公の龍神(たつみ)が本を読みふける場面がありますね。
もともとおとなしくて考え深いタイプの少年ですが、自分が生まれる前に亡くなったというおじいちゃんの住んだ塔に行き、そこでなんと幽霊として生活しているおじいちゃんに出会ったことで、ものの見方が変わっていきます。
家庭での自分の存在感に息苦しい思いをしていたこともあるのでしょう。とにかく、固定観念をぶっつぶされる本ではあります。
まじめで理想的な家庭に育ちながら、何かが違うことに気づいていく龍神。彼が塔に通うことで変化する様子がよくわかります。
意見の相違から仲間ハズレにされる経緯はちょっとカリカチュアライズされている気はしましたが、その後親友ができたり、家出をしたり和解をしたり、香月さんらしい軽やかな展開で楽しく読めました。
何を言ってもわかってもらえない龍神を救うためにおじいちゃんが実体化して、お父さんが慌てふためく場面が好きです。ボタニカルフラワーの図面、わたしも見たいな。
足の悪い子を慮って徒競走の順位をなしにしようとした学校のわりに、龍神の家出には寛容な姿勢なのは不思議ですが、まあ、いいでしょう。
続編は高校生になるそうです。早速読みたいところですが、貸し出し中なんですよね。ついでにわたしも、弁論と感想文と新人戦と通信票と研究授業の準備でくらくらです。なんとかなるでしょうか……。

「TENGU」柴田哲幸

2010-09-20 06:01:56 | ミステリ・サスペンス・ホラー
家業を継ぐといっていたTくん、なんか突然「新聞記者とかライターになりたいなーと思うんですが」と言い出しまして。お父さんに借りた本がおもしろかったからとのことだったので探してみたんですが、なかなかみつからなくてやっとその系列の作品を発見しました。柴田哲幸「TENGU」(祥伝社文庫)。大藪春彦賞をとった作品だそうです。
わかる、わかるよTくん! わたしは記者になろうとは思わないけど、このラストとそれにいたるまでの緻密な描写には引かれるものがあります。自分からはなかなか手に取らないジャンルでもあり、新鮮でした。
新聞記者の道平は、群馬県のある山村で起きた事件を掘り起こすことになります。若き日の思い出と、当時世話になった鑑識の大貫から渡された資料。村を何度も訪ね、取材から新たな事実が浮かび上がるのです。
世間を震撼させた連続殺人事件の犯人とは。盲目の佳人・彩恵子はどんな役割をもっているのか。村に現れた怪しげな外人三人組。腐った林檎。
UMAとも呼ばれる未確認生物と米軍との関わりとは、一体どういうものなのか。
現在と、事件のあった二十六年前とを交互に提示し、背景や考察、新事実が繊細なモザイクのように現れてきます。これぞ伏線。ラストですべての謎が収斂していくのが非常に心地よいのです。チャーリーが非常に美男だったということが、苗字とつながって、ある事実を指し示していることに感激しました。だって最初名前を聞いたときにわたしの頭に浮かんだ顔はチャーリー浜だったんだもの。想像力に乏しいですねー。
また道平を中心にした人間ドラマとしても、魅力的です。彩恵子を忘れられない思いも、千鶴との巡り会いも、大貫との再会も。
クライマックスがちょうど今時分で、臨場感もありました。ほかの本も読んでみたいな。

この話って、「美女と野獣」なんですね。平家落人伝説の村と「猿人」の村とが結局時を同じくして滅んでしまうという構成にしんみりしました。

「エデンへおいで」猫山宮緒

2010-09-19 06:04:10 | コミック
ちょっと待ってください。時代ものにこの台詞はないでしょう。主人公の普段の中学校生活よりも柄の悪い台詞を、戦乱の世の室町時代、名家の娘や子弟が話したというの? しかもシナリオはあの上品そうな亜矢子さんなんでしょ?
猫山宮緒「エデンにおいで」(白泉社コミックス)④まで読みました。①はおもしろかったんだけどなー。この「七日間物語」のテレビドラマがあまりにもあんまりでげんなりなのです。「ドロくせー本田の奴らがでかい顔してんじゃねーよ」「はっきりケリつけりゃいーじゃん」って……。世界でたくさんの賞を受けた和泉監督の提案で書き直しもしたんでしょ?
有名画家の娘でありながら、父に作品製作の邪魔だと人に預けられて育った少女、三浦七海。劇団に所属して活動している彼女が、かつて憧れた舞台作品「蝶の森」がリメイクして映画化することになり、ヒロインのオーディションに臨んだが、なんと少年役で出演することに。長い髪をばっさり切った七海だが、撮影所で会った志郎という少年は、自分がその役をやるはずだったと言い……。
志郎は、和泉の腹違いの弟。やがて二人は息の合った役者仲間になります。和泉監督は七海と志郎を三蔵と悟空に配して「西遊記」を撮ろうとしますが、プロデューサーに出資を断られてしまう。
うーん。この「西遊記」にしても、原作はコミックスで二十冊近いものを和泉がシナリオ化して、さらにそれをストリートキッズみたいな世界に演出し直すというのですが。
それ、原作者はOKなわけ? オリジナルとはかなり異なると思うんだけど。
なによりも、「蝶の森」とほかの劇中劇のイメージが結構違っていて、和泉という監督がどういう傾向の映画を作る気でいるのかがわかりにくい。文芸的かと思えばスラプスティックなものが出るし。
それから、ラストで志郎は実は弟ではなく和泉の子供であることが明らかにされるのですが、おいおいおい、伏線というものはどこかにおいてきてしまったようですね。和泉の彼にたいする態度、父親としてはちょっと……。この点を大目に見たとしても、③には志郎の両親があっけらかんと登場しているのです。これが不自然。母、和泉の父と普通に夫婦として生活しているんだよね。和泉とのことは「なかったこと」なのかしら。だいたい、引き取って育てるならわざわざ結婚しなくてもいいのでは。
志郎は事実を知るまで、父と自分の母が再婚して和泉の母と別れたと繰り返して言っていましたが。
一体誰が志郎に事実を教えたの?
ちょっとチェックしてみたら、この本は④で完結なんだそうです。えーっ、こんな中途半端なエンディング!
B'zの好きな人には楽しめるとのことですが、わたしは興味ないのでそういう部分でプラス評価はできませんでした。もーっ、ハルやカイがなんのために出てきたのかもさっぱりわかんないよ。というより詰め込みすぎて説明不足だと思います。結局ニュアンスの部分が楽しめるかどうかなのでしょうか。
たしかに説明しきれないものを残して印象的な部分だけを編集した映画ってありますよね。
七海とか志郎とかも、誰か違う役者が演じているような、なんともいえない「遠さ」がありました。

「ブッタとシッタカブッタ」小泉吉宏

2010-09-17 00:30:09 | コミック
道徳の研修会に行ったりスクールカウンセラーの方とお話したりすると、よく登場するのです。小泉吉宏「ブッタとシッタカブッタ」(メディアファクトリー)。「デーモン聖典」を探しに行ったら三冊セットでひじょーに廉価に出ていたので購入です。
自分ってなんだろう?
シッタカブッタと一緒に考えていると、いろんなことが見えてくるように思います。わたしは自分探しのようなものには全く興味ないのですが。でも小泉さんの視点はなるほどと思わされる。
自分が誰かを好きになっても、必ずしも報われる訳ではない。ものの見方、考え方を変えると楽になることもたくさんある。自分の心次第。勝手にグループ分けをしたり、こうと思い込んだり、幸福だ不幸だと決めつけたり、そんなことを切り替えて自分をゆっくり見つめることで何かが変わっていく、そんなことなのかなとわたしは解釈したのですが。
最近気になっているメディアリテラシーのこととか先入観のこととか、そういうことに触れている③がいちばん好きかもしれません。印象的だったのは「人生にもともと意味なんてないんだからあんたが人生に意味をプレゼントすればいいじゃない」という提言。そーかーみつけようとしてももともとないものはみつけられないよね。
それから、言葉についての部分。「自分」とか「真理」とかそういうものを言葉で定義しようとすると意味をせまくしてしまう、言葉は不完全なものだという考え方も気になりました。
でも、わたしは言葉に頼って生きているので、やっぱり言葉のことは贔屓にしたい。映像では表せないことも言葉でなら表現できることがあるし、ものを考えるにもわたしは言葉に頼ってしまうのです。
このシリーズ、たしかに人に勧めたくなります。とくに、いろんな自意識が目覚めて苦しい思いをしてしまう思春期に。
ごそごそ置いてある学級文庫にさりげなく並べておきましょう。

「獣の奏者」③ 上橋菜穂子+武本糸会

2010-09-16 05:39:51 | コミック
新人大会目前で延長練習期間に入ったため、当然のごとく本屋に行けません。でも、やっと時間が取れたので探しに行きました。まんが武本糸会「獣の奏者」③(講談社)。「刹那」と同時発売だったのですね。
まんがを読んでいると、本編とのリンクを強く感じます。今回はエサルの住むカザルム学舎へエリンが入学するところだったので、つながりがとてもよくわかりました。
それにしても、武本さんの描くエリンはものすごい純真ですよね。アニメ版もそうなのかな。これはこれで好きなのですが、エリンってもっと頑ななイメージをもっているように思うのはわたしだけ?
融通がきかないというか、頑固といおうか、なんというか守ってあげたいタイプではないように思うのです。
もちろん、「刹那」に描かれる妻としての生活は、日常のあれこれがよく見えて、あーエリンとイアルも普通の夫婦なんだなーという部分はありますよ。
いちばん笑ったのは、生後半年のジェシがはいはいをするようになって、そのスピードを、さすがは「神速のイアル」の息子だとからかわれるところ。かわいい~。
それにしても、単行本とまんがを並べてみて、タイトルロゴのデザインが違っていることに驚きました。それに、文庫と新書(青い鳥文庫)でも、また違うのですよ。
「獣の奏者」がエリンの成長によって巻を追うごとに児童文学から離れていった、というようなことを上橋さんが書かれていましたが、そう思うと「守人」のシリーズとはやはり違う一面があるのかも、とも感じました。「守人」はバルサが最初から大人がからかな。チャグムはたくましく成長しましたが、それを見つめる方には彼の幼い日の姿が残っている。これは読者にとってもそうなのですが、バルサの目を通して見ることでワンクッションおかれているのかも。エリンはダイレクトですから。
でも、小中学生のうちから上橋さんの物語が読めるのはうらやましいなあ!
図書室にも新たに買いましたよ、文庫本。単行本がなかなか戻ってこないので。で、うちの部長がこの前「王獣編」を読んで三冊めの「探求編」を借りるというので、「闘蛇編」の文庫を差し出したのですが、アニメで内容がわかるからいいですと遠慮されてしまいました……。
でも、やっぱりアニメと原作は違うと思うし、当然このまんがとだって違うのです。どちらも楽しめて、その違いを味わうのもいいのになあ。
一冊の本のなかで感銘を受ける場面はそれぞれ違うと思うし。
まんが(③)に取り上げられているでいえば、わたしがこの作品で好きなのは、「学ぶ」ということへの真摯な姿勢です。何かしら障害があっても、その情熱を阻むことはできない。
これはエサルの物語を読んだあとだから、さらに強く感じるのかもしれません。

「獣の奏者 刹那」上橋菜穂子

2010-09-15 07:18:18 | ファンタジー
きゃーっ、新刊が出てるっ、と発見するや否や即購入。上橋菜穂子「獣の奏者 外伝・刹那」(講談社)。でもって、ここにはさまっていたチラシで、まんが版の③が出ていることも発見。ぎゃーっ、探しに行かなきゃ!
収録は三作。イアルの「刹那」、エサルの「秘め事」、そしてエリンの「初めての……」。どれも一人称です。
しかし、わたし、イアルが一人称であることに物語中盤まで気づきませんでした。「おれ」ってあんまり言わないのです。で、三人称だと思って読んでました。
彼がエリンを愛しく思い結ばれて、出産を迎えるまでが描かれるわけですが、なにしろあのイアルですから。じれったいというか難しいというか。
彼の成育に関することでの悲しみ、怒り、後悔が切ないのです。死んだと聞かされていた兄が生きていたと知って、キイノの取った行動は彼女から見れば何かしら報いたいと考えたからでしょう。でも、イアルにとってそれは許しがたい行動だった。なんというか……。二人の価値観の違いが、もう歩く道がまるで違うのだと告げているようで。それをエピソードで書く上橋さんの技量はものすごいです。
しかし、相変わらずエリンは無鉄砲ですねー。切迫流産までおこしかけているのに。でもすごく彼女らしい。でもって、なかなかジェシの乳離れが難しいのも、全く彼女らしいのです。
わたしは始めにこの二人の部分を読んでしまったので、エサルのパートはゆっくり切り離して読みました。上橋さん自身は、おそらくつなげて読んでほしいのでしょう。そのために重なる時間軸をおいている。エサルがエリンの子育てを見ながら、過去に思いを馳せる構成になっています。
学問に対して真摯な娘時代のエサルは、ジョウンとユアンという友人がいました。ジョウンさんはあの蜂飼いのパートに出てくるエリンの育ての親ですね。ユアンは、エサルにとって同士でありながらもほのかに思いを寄せる相手。下級ながらも貴族の娘であるエサルは、妹に家督を譲り、その代償として独身を貫くことを決めるのです。
そんな彼女は、ユアンには婚約者も進む道も決まっており、自分と生涯をともにするなどありえないと分かっているのです。でも……。
恋愛を描きながらも、ジェンダー的側面が強いのは、エサルという人が自分の立場をわきまえながらもどうにもならない宿命をどうにかしたいとあがいているからでしょうか。無謀なほどの大胆さの中に、娘らしい繊細な部分ももつエサル。王獣に魅せられていくこともそうですが、研究の課題を解こうと懸命になっているところがわたしにはおもしろかった。
上橋さんはあとがきで、「人生の半ばを過ぎた人へ」と書いています。たしかに、児童書として読むよりもある程度人生の味を知っている人にあてて書いていると思いました。
かなり性愛的な部分もあるし、それを超えたところにあるなにがしかは、やはり若いうちには捉えにくいでしょう。いや、わたしだってきちんと分かったのかと言われるとへどもどしてしまいますが。

「緑瑠璃の鞠」久保田香里

2010-09-14 05:29:37 | YA・児童書
すごく表紙が印象的で、読んでみたかったのです。平安もの好きだし、なんというか、たたずまいが。挿絵は十々夜さん。いいですー。
久保田香里「緑瑠璃の鞠」(岩崎書店)。結構好みでした。始めの方で「とんでもございません」という台詞が出てきて、これ、平安ものなのにもう日本語に乱れがあるよ……と思ったんですが、全体としては楽しかった。そうですね、「ラブパック」(大和和紀)が好きな方ならこの感じを分かってもらえるのではないかと思うのですよ。だって、都を騒がす夜盗「闇の疾風(はやて)」が登場するんですよー。

もとは由緒正しい血筋のお姫様なのに、父親の死後にすたれた屋敷に住む夏姫。乳母子のわかぎは今はほとんど使用人もいないなか、女房の鈴菜と家作を行う茂じいとともに奮闘します。幼なじみで検非遺使に仕える加也が、疾風を追ってやってきた次の日、大江藤高と名乗る男が現れます。亡き殿様に恩を受けたという藤高は、屋敷の修繕に手を尽くし、夏姫もその訪れを待つようになるのですが。
ふとしたことから藤高が語る経歴が嘘だったことを知ったわかぎは、思わず彼のあとを尾いていきます。そして、その正体が疾風であること、どうも先日忍びこんだときに大切なものを落としていったらしいことに気づくのです。
大切なもの。わかぎは、人の心を忘れさせる緑瑠璃の鞠のことかと思います。それは鬼の宝とも言われるもので、細かなガラスでできていて暗闇でもぼんやり光るのです。
冒頭の緑瑠璃の鞠を小鬼が女童に渡すエピソードが、そんな具合につながってくるとは思いませんでした。
鞠を狙うあやかしの常葉、藤高の心とはどんなものなのか、姫の思いも愛おしくて、しっとりと胸にしみてきます。
久保田さんて、「氷石」の作者の方なんですね。今度読んでみようと思います。

「男子☆弁当部」イノウエミホコ

2010-09-12 06:24:27 | YA・児童書
ちょっと詰めすぎじゃないですかね。お弁当箱にはちょうどいいくらいの内容をつめないと。
四人家族なのに父親は山形で遺跡の調査、兄は全国各地に住んでみたいといって家を出たため、小学生のソラは母親と二人暮らし。そのため料理はおてのもの。
イノウエミホコ「男子☆弁当部 オレらの友情てんこもり弁当」(ポプラ社)。東野さとるさんの絵がかわいいです~。
通学する学校で月に一回のお弁当デーが始まることになり、買い物に行ったところで転校生のユウタにばったり。そのまま家に来たユウタは夕飯のシチューを食べて、さらにタッパーに詰めて帰ったのだけれど、次の日それを弁当として持ってきたのでした。料理を覚えたいというユウタと、塾が一緒になったタケル(男の子だけどかわいい)と三人で「男子弁当部」を結成することになるのですが……。
このお弁当の日をおもしろくないと感じる保護者とか、ユウタの家庭環境とかタケルのお姉さんがダイエットしていて引きこもりだとか、ハーフなのでイギリスにも日本にも居場所がないと感じる北原レイラとか、あーっ、次々と問題ばかりぶち込むんじゃないっと思ってしまうような展開でした。
どうもシリーズになりそうな感じの装丁なのですが、分けて書くわけにはいかなかったのですかね。
彼らは、学校主催のお弁当コンクールに出品することになるのですが、なんとか三人で合作したものを出したいと、ソラはカレー味の焼き肉と温泉卵とレタス、タケルはもやしとほうれん草のナムルににんじんのめんつゆあえ、そしてユウタはごはん(この前まで毎日コンビニ弁当だったのです)を担当し、会場で盛りつける。このアイディアはすごくおもしろかったし、レシピもついているので、わたしもついついビビンバ丼を作ってしまいました。
でも、このコンクールを主体にして、弁当の日は次の企画にしておくとか、そういう方がすっきりしたような気がしますねぇ。
で、わたしはすごく気になるのですが、この話にはミズホさんという人が出てくるのですよ。ソラの両親と同級生で、マンションで一人暮らし。しょっちゅう家にやってきて、ソラの母親が泊まりがけで出かけるときなどはかわりに来てくれるんだそうです。
こういう関係、ちょっと首をかしげてしまうのですが、都会では普通? あんまり独身の女友達に息子の世話をやかせたりしないと思うけど……。
結局反対にあって二三回でなしになったお弁当デーも謎でした。もっと周到に企画しないとねー。でも、弁当が食べられなくなった子の対応をどうするかとか食中毒の問題でPTAの人が文句を言うのですが、「予備の弁当がある」という先生に衝撃。あんまりくだくだしいことは言いませんが、そういうことは家庭の問題じゃないのかな。そんな論議が持ち上がるからPTAは反対なのかしら。
わたしも毎日弁当を作っていますが、判で押したような決まりきったメニューになってしまいます。反省反省。